7
お話を追加しました。
私たちは、あの不思議な生き物に先導してもらい、コンクリートの塀の壁を伝いながら、ゆっくりと歩みを進めていた。
その生き物は、こちらを気にするように、時節立ち止まり、振り返ってくれる。私は、その行動に愛おしさを感じ、警戒心が少しずつ解けていった。
「そういえば……私達、一切、止まらずに進んでいるけれど、大丈夫なのかしら……。見つかったりしないのぉ?」
「恐らく、この黒い霧で、銅像の目が遮られているから、僕達の姿は見つからないんじゃないかな。」
「だけど、この子、目が光ってる訳だし、この子が見つかるような気もするけどぉ。」
「……。どうやら、この子は、銅像に見られることはないみたいだ。賢い子のようだから、自分が反応されない事を、理解してるんじゃないかな。」
「銅像に探知されないのぉ!?……本当に、何者なの、この子……。」
「そ、そうですね……。」
そんな会話を耳に、世界が、墨汁で満たされたような暗闇の中、墓羽さんの手の温もりが、静かに伝わってくる。それが、私が一人だけではないという、唯一の証明だった。家族以外からの温かさを知るのは、いつぶりだろう、と、思った。私は、消え入りそうな声で、墓羽さんに話しかける。
「……墓羽さん。」
「どうしたのぉ?」
「……こんな、状況下ですけど……、私、すごく、安心しているんです。手の温もりが、心の中に染み込んでいくような……。」
「……わかるわよ……。その気持ち……。」
彼女の握る手に、少し力が入る。
「だけどね、司ちゃん。人を安易に信用しちゃ、ダメだからね。」
「え……?」
「私との約束……絶対よ……。」
「……、は、はい。」
彼女の意味深な言葉に、少し首をかしげる。しかし、少し熟考すると、彼女の言いたいことが、なんとなく、わかるような気がした。
「……、私は、墓羽さんのこと、裏切ったりは、しないですからね。」
「……ありがとう。けどね、私の場合は、自業自得というか、なんというかね……」
彼女は、少し、言い淀む。
「私は、ずるい女なの……。自分の価値を、他人に委ねて、逃げているんだもの……。」
彼女も、何か、そう思わざるを得ない出来事があったのだろうか。私は、目を閉じ、過去を思い出す。
「……。その気持ち、分かります……。」
「……ほんとぉ?」
「はい。……その、私の過去の記憶を見たと思うので、大体は、理解していただけるとは思うのですが……。私は、友人の評価を、気にしていました。」
「……うん。」
彼女は、優しく相槌を打つ。
「それって、自分という存在が、どんなものなのか。自分で自分がわからないから、相手に価値を付けてほしかったのだと、思うんです。
勿論、学校は、グループワークが多いので、息がしづらくなる、と、恐れていたのもありますが……。きっと、私自身が空っぽだから、相手から、私という存在は価値があると、認められ、求められたかった……そう、思ったんです。ですから……えーと……。」
結論、何が言いたいのか、わからなくなり、少し考える。
「そう考えてしまうのは、墓羽さんだけじゃ、ありません。お、おんなじです。」
「……、そっか、私だけじゃないんだぁ。」
彼女は、私の言葉を、噛み締めるように呟いた。
「司ちゃんと、おんなじねぇ。……少し、心が軽くなったわ。ありがとうね。」
「い、いえ……」
「さっきは、ああ言ったけどぉ、勿論、私のことは、どんどん信用しちゃってよねぇ。私たち、運命共同体みたいなものじゃない?」
「運命共同体……、ですか?」
「……あ、そうよね。二人は、天使ちゃんの考察、知らないものね……。」
そう言うと、彼女は、天使ちゃんの推察した内容を話してくれた。
「一人が死ぬと、全員の心臓が止まる……か。あり得る話ではあるね。」
「だけど、天使ちゃんはこうも言っていたわ。幽さんが見た遺体は、外傷がなかった。それなのに、血の匂いはあった。外傷がある遺体がどこに行ったのか、不思議だって……。」
「誰かが、掃除している……とかでしょうか……。」
「あのイルカのような生物、作業着を着ていたからね。その可能性もあるけど……ここの世界自体が特殊だ。もしかしたら……」
「もしかしたら……?」
「……いや、僕の勝手な憶測だ。やめておくよ。」
「ちょっと、中途半端に終わらせないでよぉ!気になるじゃない!」
墓羽さんは、声を荒げた。私も、そうですよ、と続ける。幽さんは、わかったよ、と一言置いてから、話し始める。
「……前提として、間違っているかもしれない、ということは伝えておくよ。もしかしたら、外傷がある遺体、大量の血は、この世界に吸収されてるんじゃないか、って、思うんだ。」
「えっ……!?」
「ええっ!?!?何それ、こわぁい!」
「……あくまで、可能性の一つ。僕の考えだよ。だけど、そのことを考えていても、仕方がない。僕達は、死なないように、動けば良いだけだ。……、そもそも、幽霊の僕には、死ぬと言う概念はあるのかな?」
「敵の攻撃が、幽さんにも当たるんですよね。あるとすれば、恐らく……、消滅、かもしれないですね。」
「そんな……。」
彼は、幽霊だからこそ、触れられない。もし彼が、この暗闇の中、何かが起こり、突然消えてしまったら。私が彼を見つけることは、ほぼ不可能だろう。
それは嫌だな、と心の端で思う。
(なんでなんだろう……)
真っ暗だからこそ、こんなことを考えてしまうんだ。私は、その考えを振り切る。
「大丈夫ですよ。天使ちゃんから預かった、魂修復箱がありますから、幽さんは、消えたりしません。寧ろ、生身の私たちよりも、強いと思います。」
「そうよねぇ……。それ、人間の回復量と、比べられない程に凄いもの。」
「……そうだね。それがあれば、僕は何度でも、元に戻れる。」
そう言った、幽さんの声は、少し、寂しそうに聞こえた。
何か、声をかけなければと口を開こうとすると、段々と、黒い霧が薄まっている事に気がつく。
周りを見渡すと、公園近くの十字路まで来ていたようだ。ブランコに座る、愛内さんの姿が、遠目から確認できる。
「あぁ、よかった。無事に公園まで来れたのね……。」
「そうですね……なんとか、あの銅像に見つからなくて、よかったです。」
「ここまでこれたのは、あなたのお陰よ。道案内、どうもありがとう。」
そう言って、彼女はそう語りかける。小鳥のような生き物は嬉しそうに飛び跳ね、喜びを表現しているようだった。
彼女は、公園へ向かおうと、足を進めた。しかし、足首が捻ったのか、道路へと倒れ込む。その後、起きあがろうとした、彼女の動きが、固まった。彼女の横顔は、大きく歪み始める。
「嘘……、そんな……。」
「墓羽さん、大丈夫です、か……。」
私は、彼女の側へと駆け寄る。そして、彼女が見ている景色の方へと見やった。そこには、十字路に面した、家と家の塀の、間の隙間。幾つもの目が、こちらを凝視し、ギラギラと光っていた。
「塀の間に……銅像が……っ!」
声が悲痛のようなものへと変わる。
(おい……、もうそんな靴、履いてくんな。……足手まといになるだろーがよ)
あの時の、愛内さんの声が、脳裏に響いた。
どうして、視界が明瞭になった瞬間に、このような事が起こってしまったのか。
「ごめ……なさ……、」
彼女の声が、カタカタと震える。それと同時に、地面が大きく揺れ動く。上を見上げると、白い霧を纏わせながら、ミイラの化け物が出現した。
グギョア……グゴォエ……
キレたバイオリンのような不気味な音を出し、化け物が、墓羽さんを捉えようと、大きな掌を振りかぶる。
「ダメだッ……!!!」
その声と同時に、幽さんの両手の手のひらが、星のように煌めいたかと思うと、私と彼女を、公園の方へと突き飛ばす。
「え……。」
一瞬だった。目の前で、幽さんの顔を中心に捉えていた筈が、大きな音と共に、彼が一瞬で消え、肉片が、辺りに散らばる。
私は、地面に叩きつけられる衝撃と恐怖で、腰を抜かしてしまった。しかし、なんとか気を保ち、震える足でゆらりと立ち上がる。公園の入り口付近まで飛ばされたようだ。
そして、生存本能からか無意識に、自分だけ逃げようとした。逃げようとしてしまった。
『私は、墓羽さんのこと、裏切りませんからね。』
あの時の約束が、私の体の動きを止める。
斜め下を見ると、放心した墓羽さんが、目を見開いたまま固まっていた。
私は考える暇もなしに、魂修復箱を、出来るだけ遠くに放り投げた。化け物は、そちら側の音に気を取られ、大きな手を、そちらの方へと直撃させる。
その隙に、恐怖で固まっている墓羽さんを脇から抱え、引きずり、赤いドーム型の遊具へと身を潜めた。
地震のような地ならしが、収まるのをひたすら待った。心臓のポンプが忙しなく動き、耳に熱が帯びるのを感じる。空気を沢山吸ったせいで、喉が痛い。
視界に入った地面を見ると、透明な血液で、赤黒く光っていた。私は、目を固く閉じた。見て見ぬふりをした。しかし、瞼の裏にも、その情景が焼き付いている。
私は、小刻みに震えている墓羽さんの手を、ひたすらに握り続けた。そうすること以外、
何も、できなかった。
―――
辺りが静かになったのは、どれ程時が経った後だろうか。
ポツポツと、雨が降り始める。冷えた空気が、私に纏わりつく。私の心情を、変わってくれているかのようだった。
「……私のせいだ……、幽さんが……皆んなが……死んじゃう……。」
爪を齧りながら、彼女はポツリと言った。カチカチという歯の音が、不安を助長させる。
「……そんなこと、ないですよ。」
私は、小刻みに震える彼女の手を、さすりながら言った。
天使さんのお話が本当だとしたら。
もし幽さんが、あの攻撃で命を落としていた場合、私達の命は……もう……。
私は、膝にのせていた拳を握りしめる。彼女にばれない様、必死に震えを止めようと、手のひらに爪を食い込ませた。
墓羽さんは、取り乱しながら、涙声で言う。
「私はまだ、良いの……覚悟、していた時にここに迷い込んだからっ……だけど、皆んなが死ぬのは、嫌、嫌、嫌よっ……!」
「墓羽さん!……しっかりしてください!ほら、まだ、私達、生きているじゃないですか。だから、幽さんも……、皆さんも……私たちも、大丈夫です……。大丈夫ですよ。」
私は、彼女の肩に手を置きながら宥めた。彼女は、何度も、譫言のようにごめんなさいと呟いている。私は、私以上に取り乱す彼女を、宥めることしかできなかった。
しばらくすると、彼女は疲れ切ったからなのか、目の前で起こった現実を受け止められなかったのか、いつのまにか私の肩によりかかり、眠ってしまった。
私は、一息つきながら、本降りになった景色を、ドームの入り口を通して見つめた。
すると、どこから来たのか、猫のような生き物が、私たちの側へとやってくる。
全身をブルブルと身震いをし、水を飛ばす。その子は、私たちの足元へとやってくると、身を丸くしながら目を閉じた。
気のせいかもしれないが、私は、足元に温かさを感じた気がした。その瞬間、その下から文字が、這い出るように私たちへと登ってくる。
私は、息を止めた。虫が這うような感覚も、今だけは、不快感を感じなかった。
―――
「ひどい目にあった……」
赤いドーム状の遊具の中で、ひと休みする。季節は秋。濡れると肌寒く感じてしまう。そこで、ランドセルに入っていたあるものを取り出した。
アルミホイル。これを身体に羽織るように巻き付ける。
これがない時よりは、マシだ。
本で熱を保温できるって書いてあったから、給食のおばちゃんに必死に頼み込んで貰ったものだ。大切にしよう。
ザーザー……
いよいよ、雨が本格的に降り始める。体育座りで、雨が止むのをひたすら待った。
濡れた身体が冷えていくにつれ、どんどん気分が悪くなっていく。目を閉じると、同級生のきれいな服、新品の文房具、愛されていそうな笑顔。すべてが、僕を蝕んでいった。
神様。何のために僕をこの世に生まれさせたの。
辛いよ。
苦しいよ。
同い年の奴らは、あんなに幸せそうなのに。
僕は、何のために、生きてるんだろう。
声を押し殺して泣いた。水分が抜けてしまうから、我慢、していたのに。
アルミホイルを、頭にも被せて、自分を抱え込んだ。僕の泣き声は、大きな雨の音にかき消されていた。
ピチョン……ピチョン……
「……うぅん。」
どこからか、水滴が落ちる音が聞こえる。僕は、ゆっくりと顔をあげた。
……いつの間に、寝ちゃってたんだろう。
外は、更に冷気を纏う夜に変わっていた。丁寧にアルミホイルを片付け、ランドセルに入れると、ぬかるんだ土を踏みしめながら外に出た。
「……ヒックシ!」
はぁ……と息を吐く。吐き出した白いわたあめが、上に向かっているのを見つめていた。涎が出そうなのをこらえ、ブランコの上の濡れた水を、軽く手で払う。
少しズボンが滲もうが、変わらないから、構わなかった。
「……珍しいな。こんな時間に、しかも雨上がりに人がいるなんてよ。」
「…………」
月の明かりに照らされ表れたのは、黒い学ラン服を着た、見知らぬ茶髪の青年だった。
顔には、ガーゼがいくつか貼られている。
「そんなに睨んで、威嚇すんじゃねぇーよ。」
こちらに声をかけながら近づいてくる。僕の目の前まで来たかと思うと、鋭い目付きで僕を見下ろす。
「……立てよ。」
「……」
「同じこと言わせんな。立てって。」
僕は、体力が消耗している上に、奴の身長は、僕の倍はある。
ここで抵抗をするのは、負け試合に挑んでいくようなものだ。
僕は大人しく、足を下ろし立つ。すると、彼は、ゆっくりとポケットの中から何かを取り出そうとした。危険なものかと思い、身構えると、出てきたのは……ハンカチだった。
「……?」
「ほらよ。これでオマエのズボン、濡れねぇだろ?」
ソイツは何を思ったのか、ハンカチをブランコの上に乗せた。
そして、直ぐ隣のブランコに腰かける。見た目とはそぐわぬ行動に、動揺が隠せなった。
「……オマエ、ガリガリじゃねぇか。何?親に虐待でもされてんのか?」
「……アンタには、関係ない……。」
「ハハッ、図星ってか?」
「……。」
「普通はな。されてなかったら、否定するもんなんだぜ。」
そう言うと、ブランコをギコギコとこぎ始める。
「それ、気にしねぇで良いから、座れよ。俺がムカついて、盗んできたモンなんだ。」
「盗んできた……?」
「あ、流石に、どっか知らねぇ店から、とかじゃねぇよ?俺の……クソ親父のモン。」
「……。」
それ以上は聞かなかった。僕は、躊躇なくその上に座る。
「なぁ、オマエ、名前は?」
「……人に聞く前に、自分から名乗るべきだと思う。」
「……そりゃあそうか!あー、……俺は、齊藤 太郎。ほら、名乗ったぞ。オマエは?」
「……愛内、遥……。」
「……遥、か。良い名前だな。」
「……」
「あぁ、警戒しなくて良いぜ。こんなこっわ~い顔だけどよ、優し~い性格してるから。」
「自分で言う人は、信用できない……。」
「あ~、そうか?んじゃ、俺は遥と同じだ。」
ソイツは、自分と僕を交互に指した後、不意に目の上のガーゼを剥がす。その怪我は、酷く腫れていて、内出血が起こっており、痛々しい青紫色をしていた。
「……!」
「ひっでーだろ?コレ。クソ親父に殴られたんだよな。挙げ句の果てには、煙草の灰皿で殴られそうになって……そんで、逃げてきたって訳。」
「……、」
(ぐぎゅるるる……)
「あ。」
「クッ、ブフ……アッハハハ!こんな時にお腹鳴るって……やっぱ、面白ぇわ!オマエ!」
「……名前、オマエ、じゃない。」
「わりーわりー。遥ね。……っしゃ、じゃあどっか食べに行くか!竹島ベーカリーって知ってるか?あそこのおっちゃん優しくてよ。俺達みたいな奴に、お手伝いする代わりに、売れ残ったパンくれたり、焼きたてのパン作ってくれんだよ。」
「え……、し、知らなかった。何処にあるの?」
「となり町で、少し歩くんだけどよ。めーっちゃ美味いのなんのって!雨で体力消耗してるだろーが、大丈夫か?」
「……うん。休んだから、動ける。」
「ククッ、おいおい、涎が出てるぞ。ヨーダーレ!ったく、」
そう言うと、彼は僕に手を差し出す。胃袋が極限まで空だったから、この人を疑うという考えは、どこか遠くへ飛んでいってしまっていた。
「よし、行くぞ。遥。」
「……うん。」
太郎の手は、また涙が溢れそうな程に、温かかった。
私は、その光景を見つめていた。
彼も、ここで雨を凌いでいたんだ。そして、信頼できる、頼れる人に出会えたのだ。
私は、なんだか心が温かくなった。
彼が口が悪かったのも、もしかしたら、斉藤太郎さん……という人の影響なのかもしれない。
足元に視線を移すと、猫のような子は、いつのまにか消えていた。すっかり慣れてはきたが、神出鬼没だ。
すると、カサ、と何かの音が聞こえる。振り返ると、私の後ろに、アルミホイルが落ちていることに気がつく。
「……少し、ここで待っていてください。」
私は、声をかけてから、彼女の身体を、ドームの壁へと預けた。
私はそれを拾い、雨が降る中、少しでも風邪を引かないようにと、ブランコに居座る、彼の頭と上半身を覆った。
雨に濡れながら考えた。墓羽さんの、取り乱した時に言っていた、あの言葉。
『私はまだ、良いの……覚悟、していた時にここに迷い込んだからっ……』
(……彼女も、私と、同じだったのかな。でも……愛内さんは?)
彼を、真正面から見つめた。待ってくれている人がいるなら、彼は、生きて戻りたいはずだ。きっと、海野さんも、天使ちゃんも、……墓羽さんも。
愛内さんの後ろの空を見ると、遠くに、光の筋が見えたような気がした。
私は、ポケットからヘアゴムをとりだし、髪の毛を一つに括る。
「……、私が、頑張らなくちゃ。」
私は、彼らに背を向け、多くの水たまりを避け、公園の外へと、足を踏み出した。




