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第三高校殺人事件~名探偵・山藤悠一と高津健壱の事件簿~  作者: ウチダ勝晃
第二章 十月三十日~朝もやの中の死者~
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夕暮れ時の廊下を、僕はずっと走り続けていた。どこかでカラスの鳴き声がして、吹奏楽部の調子っぱずれなトロンボーンの音、やかましいので有名なバレー部の走り込みの掛け声がいつも以上にこだまする。

「――高津くん――」

 トンネルの中で叫んだ時のような声が後ろから呼び止めた。だが、僕はなぜか走るのをやめない。

「――高津くん、聞こえないの」

 少女の声だった。聞き覚えのある、上品な声音。いったい誰の声だったろうか。

「――高津くん、わたしよ。神崎よ――」

 やっと思い出せた。

 いつも乙にすましていて、だけれど、人と話すときは分け隔てなくて、お金持ちなのに、購買で売ってるコッペパンが大好物の、神崎美代。僕の同級生だ。

「なんだい、神崎さん」

 足を止めて、ゆっくりと振り向く。ロールのかかった髪の毛を背中からうっすらと見せて、神崎美代は微笑を振りまきながら、両の手を前に組んで立っている。

「あのね、高津くん――」

 そこでいきなり、視界が暗転した。

「神崎さん、どこ……?」

 目が効かず、ただただおろおろしていると、ブレザー越しに、鎖骨のあたりに強烈な力が加わった。

「――これ、いったいどういうことなのかしら」

 目の前に突然、神崎美代が現れた。先ほどまでのにこやかな表情ではなく、教室の中で見た、壮絶な死に顔で……。

 足元がいきなり軽くなって、僕は深い穴の中へ落ちてゆくような感覚をおぼえた。



「――高津ッ、おい、高津ッ!」

 飛び込んできた強烈な光に、しばらくまばたきを繰り返して、ゆっくりとピントを合わせると、楠木先生と目が合った。それからあたりを見回して、自分が今の今まで、保健室のベッドに寝かされていたらしいことがわかった。

 壁にかかった時計の指す時刻は九時半。とっくに、一限目の授業が始まっている頃だ。

「よかった、目が覚めたのか」

 楠木先生の肌からする、強烈な汗の香りに少しむせると、その後ろから山浦先生が顔をのぞかせた。

「高津、頭、痛くないか?」

 妙なことを聞くな、と思いながら後頭部をさすると、爪楊枝でつつくような鈍い痛みが駆け抜けた。

「ま、まあ、大丈夫ですけど……」

 そこまで口にして、僕は重大なことが頭から抜け落ちていたことに気づいた。

「――先生っ、か、神崎が……!」

 その言葉に、二人の表情が曇った。しばらくアイコンタクトを交わすと、楠木先生がおもむろに、

「いいか高津。落ち着いて聞いてくれ。――今朝、お前と一緒に、教室の様子を見に行ったな?」

「ええ、覚えてます」

「その時、お前がいきなり倒れたので、何事かと思って駆け寄ってみた。そうしたら……」

 そこまで話すと、楠木先生は肩を震わせながら嗚咽交じりに、

「――神崎美代が目をひんむいたまま、むしろの上に転がっていた。死んでから、八時間近く経っていたそうだ」

 しゃくりあげるように泣く楠木先生の後ろでは、山浦先生が背中をこちらへ向けたまま、美術の石膏像のように固まっている。表情は読めなかったが、不規則に鼻をすする音から、なんとなく察しがついた。

「い、いったい、なにがあったんですか」

 どんなことを尋ねてよいかわからず、思いついたままを先生へぶつける。

「わからん。ただ、あんな自殺があるとは思えん」

「じゃあ、神崎は……」

 誰かに殺されたんですか、と言いかけたとき、勢いをつけて保健室の扉が開いた。

「楠木先生ッ、大変です」

 息を弾ませながら入ってきたのは、この春に採用されたばかりの新米体育教師・笹倉先生だった。

「体育館に集めた生徒の中で、集団ヒステリーが起きてます! どこかから、情報が漏れたみたいで……」

「なんだと!」

 涙を拭うと、楠木先生は笹倉先生の元へ駆け寄り、

「さっき宇野先生が出てったのはそれだったのか! 人数、多いのか?」

「――ざっと、ひとクラス分です」

「な、なに!」

 頭の中で、体育館に響く悲痛な叫びの妄想がふくらむ。どうやら、意識を失っているうちに、とんでもないことが起こっていたようだった。

「山浦先生、少し様子を見てきます。高津、しばらくそこで休んでなさい!」

 こちらが呼びかける隙も与えずに、楠木先生は笹倉先生と一緒に、体育館のほうへと駆け出して行った。

 しばらくそのまま、押し黙ったきり椅子から動く気配のない山浦先生と一緒に、保健室のベッドの上で寝ていると、パトカーと救急車のサイレンが、ビルにこだましながらこちらへと近づいてくるのが分かった。そして、それが保健室の窓とあまり距離の離れていないところで鳴りやむと、

「――警察、来たみたいですね」

「……ああ、そうらしいな」

 心なしか、青ざめた感じのする先生の顔を一瞥すると、僕はそっと、レースカーテン越しに校門前の様子をのぞき見た。

 よくドラマで見る、赤色灯のついたパトロールカーが三台。

 その後ろには真っ白な車体に赤いラインの走った救急車が一台。その中からは担架と救急隊員が、そして、パトロールカーからは紺色の制服に身を包んだお巡りさんと、同じような色味のソフト帽にコートといういでたちの、刑事らしい二人組がゆっくりとした足取りで、来客用の玄関へと入っていった。

 ――やっぱり、あれは夢じゃなかったんだ。

 子供の落書きのようにハッキリとしなかった記憶が、どんどん筆を足されて、鮮明になっていく。

 つい数十分前、僕は目の前で、クラスメイトの変わり果てた姿を目の当たりにした。

 神崎美代は、あの手間のかかる髪形が見るも無残に崩れて、苦しみに満ちた表情で目を向いたまま、助けを求めるように口をうっすら開いて、荒縄で縛られたまま、真っ赤に染まったむしろの上で、正座をしたまま死んでいた――。

 そこまで思い出したとき、僕の意識は再び、真っ暗闇の中へと落ち込んでしまった。


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