③
「――石井さん、いったいどういうことなんだ。どうして、君がこの男と一緒に、こんなところへいるんだ」
恐怖を打ち消そうと叫ぶように尋ねると、それまでサングラスをかけ、帽子を深々と被っていた男が全てをかなぐり捨てた。その下から露になった顔を認識するのにしばらく時間がかかったが、やがて、男の正体がわかると、僕は後ろへのけぞってしまった。
そこにいたのは、いつだか学校をさぼった時、石井さんと一緒に入った喫茶店「ふみ」のマスターだった。
「紹介するわ。この方は住田晋作さん。――茉理のお父さんよ」
「もしかして、店の名前の『ふみ』っていうのは……」
そこまで口に出したのはよかったが、あとは言葉に詰まってしまって言えなかった。だが、こちらの言いたいことを察してか、マスターはおもむろに、
「もともと、先立たれた妻の旧姓が諏訪路、名前が文代と言いましてね。二人でやっていたころにつけた屋号からもじって、茉理がペンネームにしたんです」
「――まさかそのことを、茉理が死んでから知る羽目になるなんて、思わなかったわ」
そういうと、石井さんは内ポケットから一通の茶封筒を取り出して、僕の手へと乗せた。中から出てきたのは、二枚の便箋をコピーしたものだった。
お父さんへ
きっとこれをお父さんが読んでいるときには、わたしはもう高い空の上にいるのでしょう。でも安心してください、お母さんが向こうにいるだろうから、わたしは寂しくありません。それよりも、わたしはお父さんへ三つ、謝らなければならないことがあります。一つ目は駄々をこねるように転校を頼んだこと。二つ目はその理由が小説を書くことに専念したいからと嘘をついたこと。そして三つ目は、自分で命を絶つのを決めたことです。
この三つは全部、同じ原因でできています。初めて話すけれど、ちょうど春先、高校に入学してから、わたしはずっと、中学校の時に同じ塾にいた人たちから嫌がらせを受けてきました。地味なくせに成績がよくて生意気だ、小説を書いて、本にしようとしていたなんて生意気だ、と、難癖をつけてはわざとぶつかったり、すぐに返すからと小銭を巻き上げられたり、こんなことが毎日続いて、わたしは学校に行くのが嫌になりかけました。
もしかしたら、留美ちゃんも巻き添えになってしまうのかもしれない、お店へ押しかけてくるのかもしれないという怖さから、誰にも言えないまま、今日まで生きてきました。でも、もう我慢の限界です。この地獄から逃げるには、今いる場所から立ち去るしかないのです。
お父さん。
なんで相談してくれなかったのか、と、自分を責めないでください。そして、間違ってもわたしの後を追いかけないでください。もしやってきたら、お母さんと一緒になって全力で追い返すから、その時は覚悟しておいてくださいね。
じゃあ、また会う日まで、さようなら。
あなたの娘・茉理より
留美へ
小学校の頃から数えたら、すごく長い付き合いになるんだね。本当はもっと一緒に遊びたかったし、勉強だってしたかったし、新しい小説を読んでほしかったけど、それもしばらくお預けになっちゃうんだね。ごめんね。
何度か、留美にわたしが置かれている状況を打ち明けようと思ったけど、もし留美にまであいつらが危害を加えたりしたらと考えるだけで怖くて、結局なにも話せないまま今日になってしまいました。
このことはずっと先になって、留美がわたしの新しい居場所へやってきたら、きちんと話すし、謝ります。だから、間違っても追いかけてきたりしたらだめだよ。留美にはちゃんと生きることを楽しんでほしいし、旅とか、恋とか、それこそ結婚とか、人の経験できる幸せをきちんと味わってほしいんだもの。
だから、こっちへやってくるときは、ちゃんと自然な流れを踏んでから来てね。それまで、留美に読んでもらうための新作をたくさん書いておくから、楽しみに待っててね。
じゃあ、ほんの少しだけ、お別れ。
あなたの友人・茉理より
追伸 ずっと話してこなかったけど、ペンネームの由来は、先に待ってるお母さんの旧姓と名前です。こんなところで教えることになるなんて、思わなかったな。
「――この手紙をお通夜の後で見たとき、わたしが持ちかけたの。この手紙のことや自殺したことを世間には伏せておきましょう、って」
「どうして、そんなことを……」
「そうしておかないと、茉理をいたぶったやつらが、逃げる支度を始めるからよ」
石井さんは瞬き一つせず、目を見開いたまま語った。
「――そこからが大変だったわ。毎日少しずつ、怪しいとにらんだやつらを調べていって、やっと秋になってから、誰が茉理を苦しめたのかわかった、ってわけ」
「――それが、今度殺された神崎と村山さん、田代さんだったわけか」
佐竹が両の拳へ力を込めたまま、歯を食いしばって石井さんをにらみつけているのがわかった。
「そういうこと。で、神崎さんを愛宕山の公園に呼びつけたら、こんなことを言ってたわ」
手紙が入っていたのと同じ、ダッフルコートの内側から小型のICレコーダーを取り出すと、石井さんはボリュームを目いっぱいにあげて、再生ボタンを押した。
聞こえてきたのは、雑音と車の通り過ぎる音の混じった、こんなやりとりだった。
『――じゃあなに、あなたたちは単なる妬みからあの子を自殺へ追いやったってわけ!』
目の前にいる石井さんとはまるで別人のような、発狂寸前の声が轟く。
『あ、あんなことになるなんて思わなかったの! ちょっとからかってみて、ストレスを発散させたかっただけなの!』
泣きながら必死で弁解しているのか、神崎さんの声はややしどろもどろになっている。
『ふざけないで! あんたらのしょうもない遊びのせいで、一人の人間が死んでるのよ! どうしてくれるわけ!』
何かをもぎ取ったような激しい音に思わず耳を伏せる。
もしかしたらこの時、神崎さんは石井さんに胸ぐらをつかまれていて、あのバッチを取られたのではないだろうか。
――そうか、だから、あの側溝のところに転がっていたのか。
勝手な想像が頭の中を駆け巡ったが、スピーカーから流れる逃げ回る足音と悲鳴に、無残にも上書きされてしまった。
『やめて! 許して!』
『ふざけないでっ!』
直後に、何かの刺さるような鈍い音が辺りへ広がる。そこで初めて、これがあの晩に神崎さんが最期を迎えた瞬間の録音だと気付いて、背中を虫が這いあがるような感覚が襲った。
「……勢い余って殺してしまったから、我に戻ってからかなり後悔したの。それでおじさんに電話をして、あの公園まで来てもらったってわけ」
「――で、学校へ死体を運び込んで、あんな風に見立て殺人をしたのかい」
僕の問いに、ICレコーダーをポケットへ放り込んでから、石井さんは力なく首を縦へ振った。
これで、すべての謎が明るみとなったわけだ。石井さんが犯人でない可能性のひとつである、遺体を運ぶ際に抱えこむリスクはマスターの手できちんと処理されていたのだ。
「どうして、どうしてそんなことを……」
「本当はわたしだって、あと二人を殺したくなんてなかったの。ちゃんと自分の犯した罪を背負って、人生を全うしてほしかった。けど……!」
月明かりに照らされた石井さんの顔が、一瞬般若の面のように見えて、佐竹と僕は腰が抜けてしまった。それほどに、彼女の形相はすさまじかった。
「神崎さんが殺されたっていうのに、あの二人はまるで気にも留めないで、遊び惚けてたのよ! あんなやつらの頭に、反省なんて文字があるわけないでしょう! だから……!」
「だからって、小説の筋になぞらえて殺してもいいわけ――」
へたりこんだまま上げた声は、彼女の絶叫にかき消されてしまった。
「あんたたちに何が分かるって言うの! わたしと茉理の、何が分かるって言うのよ!」
石井さんは顔を涙で濡らしながら、ポケットの中へ手を突っ込んで、黒いものを引き出した。可憐な顔に似つかわしくない、白鞘の短刀だった。
「ごめんなさい、高津くん。あなたに恨みはないけれど、もう、こうするしかないのよ……」
目の前が急に、硫酸紙でもあてられたように真っ白くなってゆくのがわかった。とうとうこの時が来てしまったのか、という諦めが、腕や足へ廻って、どんどん重くなる。甘んじて、この死を受け入れるしかない――そう諦めかけた時だった。
『そこまでだ、もう、観念なさい』
聞き覚えのある、優しい上品な声が、まばゆいばかりの閃光と共に屋上を照らし出した。おそるおそるまぶたを開くと、石井さんの背後に、それまで微塵も見当たらなかった二つの人影が黒く控えている。目が慣れていくのに任せて人影をじっと眺めていると、遠目にもその人相がはっきりと露になった。
そこにいたのは、メガホンを構えた悠一さんと、機関銃の切っ先をこちらへ構えた猫目さんだった。いつの間にか、向かい側の教室棟の屋上には、大型の投光器と、屈強な警官隊が群をなして集まっていた。
『石井っ、もうあきらめろ。そっちの校舎にも、SATの連中が縄ァひっかけて昇ってきてるんだぜ。とっとと投降してこい!』
拡声器もなしに、猫目さんが怒鳴るようにして叫ぶ。
『――健壱さーん、佐竹さーん、ご無事ですかあ! 今、SATがそっちへ行きますからねえ!』
メガホンでこちらの安否を気遣う悠一さんの声に、いつの間にか、僕は大粒の涙を流していた。
外壁からよじ登ってきたSATの隊員によって、石井留美と住田晋作の二人が捕縛されたのは、そのすぐ後のことだった。




