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第三高校殺人事件~名探偵・山藤悠一と高津健壱の事件簿~  作者: ウチダ勝晃
第八章 十一月十五日~疑惑の中の旅立ち~

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玄関先で車を降りて軽く挨拶をすると、悠一さんは窓から身を乗り出して、

「また、落ち着いたころにご連絡します。では、今日はこの辺で」

「わかりました。じゃあ、また……」

 それを聞くと、悠一さんはおろした窓ガラスを元に戻して、軽快なエンジン音と一緒にその場から走り去っていった。いつの間にかすっかり日が暮れて、気の早い街灯はもう煌々と道を照らしている。どこかの家から流れてくる、さんまの焼ける香ばしい香りを二、三度鼻で味わうと、僕はドアノブへ鍵を差して、家の中へ入った。

「おかえり。風呂が湧いてるから、ご飯の前に入るか?」

 台所へ顔を出すと、父さんが昼間予告していたグラタンを張り切って作っているところへ出くわした。何も知らない、いつもの穏やかな顔に安心して、わかった、と返事をすると、脱衣所のラックからタオルを出して、入浴剤を放り込んだ湯船へ飛び込んだ。

 あごまで体を沈めて、追い炊き装置の温度パネルをじっと眺めながらお湯につかっているうちに、張り詰めていた緊張感のようなものがどんどんほぐれてゆくのが分かった。

 ――捜査は、本庁や探偵社の人たちに任せておこう。事件の結果は……甘んじて、受け止めるしかないな。

 諦めに近いような感情だったけれど、まるで自分が犯罪に加担したような気分に陥っていた探偵社でのあのひと時に比べれば、いたって健康的な気がした。体をさっと洗って、濡れた髪を拭きながら居間へ戻ると、父さんが出来上がったグラタンと、冷蔵庫で冷やしておいたサラダを運んできて、付け合わせのパンの支度をしているところだった。

「今日はちょっと手間をかけて、オニオングラタンのスープにしてみたんだ。パンと合わせて食べると、なかなか乙だぞ」

 いつもの赤っぽいグラタン皿とは違う、スープカップをどんぶりぐらいの大きさにした器から甘い、香ばしい匂いがするので、思わず生唾を飲み込んでしまった。髪が生乾きのまま食卓へ着くと、僕は父さんの支度が済むのを待って、スプーンを程よく火の通ったチーズへ突き立てた。

 しばらく、お互い言葉を交わさないままにスプーンを口とお皿の間で往復させていると、父さんがぼそりと、

「また、亡くなったらしいね……」

 思わず手を止めてスプーンを置くと、僕はそうらしいね、と、うつむいたまま返事をした。

「今日、また探偵社へ行って来たそうだが、どうだった?」

「進展はあったけど……ちょっと受け止めるには重い感じがするな」

 僕の気持ちを察してか、父さんはちょっと困ったような目をしてからごめんよ、と頭を下げた。

「グラタン、まずくさせちゃったな。……すまない」

「父さんが謝ることないよ。――きっと、そのうち犯人も捕まるよ」

 まさか顔見知りが重要参考人扱いされている、なんてことは言えるわけもなくて、無理に笑顔を作って、スプーンでいちどきにたくさんの具を頬張って見せると、父さんは安心したのか、そうか、そうか、と頷きながら、パンをそっとちぎった。

 夕食を済ませてから、逃げるように部屋へ戻ると、僕はパジャマ姿のままベッドの上へ仰向けに転がって、じっと天井を眺めた。染みが一つもなく真っ白なように見えて、よく目を凝らすとところどころに剥がれや傷のようなものがあるのに気付くと、どこかそれが世の中の縮図のように思えて、変なため息が出てしまった。

 遠目から見ている限りはなんともないけれど、近づいてみると綻びがあちらこちらにある。その一端を垣間見てしまった今の僕は、なんだそんなこと、と一蹴するだけの気楽さを持ち合わせていなかった。

 寝室へ父さんが入って行く足音に気付いて、おもわず掛け時計へ目線を移すと、そろそろ日付が変わろうという頃になっていた。

 ――そうだ、明後日になれば、石井さんがどうなったかわかるじゃないか。山浦先生が知ってるんだろうし……。

 無理やり、気楽なムードで頭の中に満たすと、僕は明かりを消して、布団を喉元までかけた。



 いきなり、スポットライトのような強烈な光を浴びたかと思うと、目の前からゆっくりと、革靴の足音が三つ、近づいてきた。

 そのうちの一人は、ロールをかけた髪の毛が、足取りに合わせて小刻みに揺れている。

「――神崎さん」

 彼女の存在に気付くと、連鎖的にあとの二人の名前がわかった。

「――――村山さんと……田代くん?」

 名前を呼ばれた三人はただの一言も発さずに、首をしゃくっただけだった。オリーブドラブのブレザーには赤い染みなど一つもなく、顔色もいたって穏やかであった。

「……いったい、なにがあったんだい」

 恐る恐る、神崎さんへ質問を投げると、彼女は隣に立っている村山の袖を引っ張った。が、肝心の村山は困ったような顔をして見せると、今度は同じように、田代の袖を千切れそうな勢いで引いて、彼を手元へと寄せた。

 ――何をするんだ。オレは知らねえぞ。

 声が聞こえないはずなのに、田代がそう口走ったような気がした。すると、今度は左の方角から、三つの足音がかなり響いた音で、ゆっくりとこちらへ迫ってくる。神崎はもとより、村山や田代も、不安そうな面持ちで、じっと暗闇を眺めている。

「――誰、誰なの」

 そこで初めて、神崎さんが声を上げて、得体のしれない足音の主を恐れおののいた。村山と田代が彼女を後ろへ回し、じっと暗がりを見つめていると、前触れもなく、ぴたりと足音が止んだ。その代わりに、今度は何かが転がってくるような音が三つ、まるでトカゲが地を這うようにこちらへ寄ってくる。

 そして、転がってきたものの正体が明らかになった時、僕は体中の毛穴という毛穴から一気に汗が湧き出るのを覚えた。

 転がってきたのは、佐竹と、僕の真っ青な顔色をした生首だった。



 慌てて布団をはねのけると、思わず首筋を手で撫でまわした。どこにも切れ目などなく、指の下でゆっくりと脈動があるのを確かめると、それまで気にならなかった大量の汗が、とても不快なものに感じられた。

 ――嫌な夢だったな。

 汗を拭きとってから着替えると、台所へ下りて水を二杯、立て続けに飲み干した。三杯目でやっと、噴き出た水分の元がとれたような気がして、いったんダイニングテーブルへつくと、僕は盛大にため息をついた。

 ――やっぱり、あれがトラウマになってるのかな。

 神崎の死体を見つけた、あの朝のことがじわじわと脳裏によみがえる。だから、あんな奇妙な夢を見たのだ、きっとそうに違いない……。

「……にしても、なあ」

 一人、誰にともなくつぶやくと、僕は明かりをおとして、部屋へと引っ込んだ。

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