②
「じゃあ、さっきの事故は――」
警視庁の長い廊下を歩きながら、僕は悠一さんへ、事のあらましを尋ねた。
「ええ、完全なる殺人未遂事件です」
「殺人未遂ってことは……被害者は無事なんですか」
「間一髪、突き落された線路下の退避壕へ二人そろって逃げ込んだので、擦り傷一つなかったそうです」
二人、という言葉がひっかかって、いったい、今度は誰が、と聞き返すと、悠一さんがいきなり立ち止まった。
「――実は、ここに来て一連の事件の法則が崩れてしまったんです」
事件の法則が崩れた、という一言に、弘之と益美も顔をこわばらせる。
「僕はずっと、今度の事件は第三高校の関係者のみが狙われているものだと思っていました。ところが、ホームの下から引き揚げられたのは、麹町の蒼井高等学院に通うカップルだったんですよ」
そこまで聞き終わらないうちに、僕の心のうちに疑問がふつふつと浮かび上がった。
順番から言えば第三の事件ということになる上野駅の殺人未遂で、ここまでずっとうちの学校の生徒が被害者になってきた法則が音を立てて崩壊したのだ。そのせいで、犯人の思惑がすっかりわからなくなってしまった。
「――探偵長ッ、探しましたよっ」
うつむきながら思案を巡らせていたところへ、猫目さんが右の腕を振り回しながら近寄ってきた。よほど慌てていたのか、乱れた息を整えると、
「墨山警部補が、逆上したホシに頬を引っかかれて、医務室へ運ばれたんです」
「なんだとっ」
その一言のせいで、ますます犯人像が分からなくなった。もっと理詰めで犯行を重ねるようなタイプを想像していただけに、まさかこんなことが起こるとは夢にも思わなかった。
「――で、ホシはどうしてる」
「ふてぶてしいモンですねえ、ずっとパイプ椅子にもたれかかって、調書を取ってる巡査にガン飛ばしてますよ。手練れ揃いの捜査一課が困るんですから、こりゃあややっこしい相手ですぜ」
猫目さんの報告に、しばらく悠一さんは腕を組んで天井をじっとにらんでいたが、やがて両の手をスラックスのポケットへ突っ込むと、
「ひとつ、僕がやってみよう。どこまで引き出せるかわからないけれど、出来る限りのことはやってみよう」
悠一さんは眉間にぐっとしわを寄せてから、ふたたび長い廊下を歩きだした。
許可を得ると、悠一さんは取調室の戸へ手をかけて、鉄格子のはまった窓を背に、ガンを飛ばしてくる風体の悪い犯人の向かいへ腰を下ろした。そこで初めて、僕たちは、犯人が自分と対して年の変わらない、不良っぽい雰囲気をした男子高校生だということに気付いた。
『――なんだ、お前』
隣の部屋のスピーカーから、割れたような音で柄の悪い声が耳へ飛び込んで来る。
『まあまあ、落ち着いて話しましょう』
悠一さんの背後にあるマジックミラー越しに、関刑事と僕たちは固唾をのんで、聞こえてくる二人のやり取りへと耳を傾けた。
『上野駅で電車が止まったから、ここに来るまでが大変でしたよ。なんせ、山手線が上下両方つっかえるなんて、滅多なことじゃなきゃありませんからね』
食べます? と、内ポケットから出したメントスの包みを向けられると、犯人は少しいぶかしげな表情を浮かべてから、そっとひとつを口へ放り込んだ。
『コーラかよ。まあ、嫌いじゃないけどさ』
『なんだかんだ言って、一番おいしいのはこれじゃないですか? よくキヨスクで買うから、ポケットに入ってない日はないんですよ』
『へえ……。あんた、デカじゃねえんだな』
うっすらと、眉毛の力が抜けたのが遠めに分かった。
『まあ、こんな若い刑事はいないでしょう。ねえ、ちょっとでいいから教えてくれませんか。今度の事件、全然ニュースになってないから、その犯人だっていう人と話したの、自慢したいんですよ。いいでしょ?』
『えっ、ニュースになってねえの?』
もちろんこれは悠一さんの仕掛けたウソなのだが、何も知らない犯人は、少し動揺しているようだった。
『ええ。事故があったのはやってるけど、どこの誰それが死んで、どいつが犯人だってのは全然……』
『マジかよ……。ちきしょー、これじゃ頼まれた意味ねえじゃんか』
頼まれた、というフレーズに、悠一さんが目をぎょろりと動かした。そのまま右手を払うしぐさを見せて、調書を取っていた巡査を部屋から退かせた。
『あれ、おまわりの奴出てきやがった』
『トイレじゃないですか? ――まあ、まだまだあるし、これ食べながら、話してくださいよ、武勇伝』
メントスの包み紙をばらして、あるだけを机の上へ広げると、悠一さんは上着を脱いで、じっと犯人へ顔を向けた。すると、それまで動揺していた犯人が急に得意げな調子で、
『こんだけもらっちゃあ、話さないわけにはいかないな。――知ってるか? トウガクレンって』
聞きなれない言葉に悠一さんが首を横へ振ると、犯人はだろうよお、と大仰に手を振って、
『普通、知ってたらあっという間にやられちまうからな。いいか、トウガクレンってのは東京学生連盟、ってのの略称でよ。早い話が不良グループってやつだけど、ここが違うんだ、こ・こ・が』
しきりに人差し指でこめかみをつつく犯人に、どういうことだい、と悠一さんが尋ねる。
『――早い話がよ、上の方にどエラく頭のいい奴らがいるんだ。こいつらがいるもんだから、どんなに大掛かりなコトやっても、絶対にバレやしない。まあ、オレがトチっちまったから、黒星がついちまったけどな……』
『へーえ、そんなグループがあるんだ。で? その上の方の奴ら、会ったことはあるの?』
『いや、会ったことはねえや。ってか、連絡先も知らないんだよな』
『ええっ、そんなんでどうやって、ヤマにかかるんだい』
わざとらしい顔で尋ねると、犯人はさらに得意げになって、
『知らねえか? こないだ、渋谷でサツのガサ入れ食ったバーがあるの。あそこに二、三日にいっぺん顔を出してさ、店の親父が預かってる依頼メモを受け取るんだ。自分好みのヤマがあったらそいつをやるって連絡してもらって、着手料代わりに一杯タダ酒を飲む。んで、うまいこと片付いたら、今度は現ナマが手元へ転がり込むってわけさ。――まあ、こいつはオレたちが路地裏へ押し込んでアゲた金の何割かなんだけどよ』
路地裏へ押し込む……?
どうやら、この犯人は中山先生が言っていた辻強盗の一味と何らかのかかわりがあるらしい。
『なるほどなあ、こいつはますますすごいことを聞いちゃったよ。――で、ここまで大がかりな団体で、上の奴らの顔が分かんないとなるとさ、なんかあるんじゃないの? 仲間同士を見分けるモノが……』
『ああ、あるさ。でもよお、さっきデカに身体検査をされちまって、没収されてさあ……』
『ひょっとして、こいつのこと?』
それまでゆったりと構えて話を聞いていた悠一さんが、ワイシャツの胸ポケットから丸いものを取り出したのがわかった。途端に、それまで得意げに話をしていた犯人の顔から血の気が引いてゆき、
『お、おい、どうしてあんた、これを持ってるんだ……?』
『そりゃあ、ねえ。――しくじった奴には、それ相応の仕返しが必要だからな……』
パイプ椅子へ引っ掛けていた上着の内側へ手を伸ばすと、悠一さんは手に黒いものを握りしめて、そっとそれを相手へ向けた。
悠一さんが握っていたのは、小ぶりの自動拳銃だった。それに気づくと、犯人は椅子ごと後ろへ倒れて、腰が抜けたのかすっかりへたったまま手を合わせ、
『い、命だけは!』
『馬鹿野郎! 鉄の掟を忘れたとは言わせねえぞ!』
いつもの悠一さんとは違う、ドスの効いた声がスピーカーからも飛び込んできた。
『心配すんな、これでも腕はピカイチなんだ。――すぐにあの世へ行かせてやるよ』
安全装置が外れて、引き金にかけた指が少しずつ動き出す。
「猫目さん! 止めなくていいんですか!」
「大丈夫だよ、これもみーんな、計画のうちさ……」
悠然と構える猫目さんにやきもきしていると、突然取調室の扉が開いて、
『――山藤探偵、それくらいにしといてやんな』
顔へガーゼをあてた墨山警部補が、二、三人の巡査を連れて姿を現した。
『やあ、お帰りでしたか。ごめんよ、君。ほら、この通り』
普段通りの声に戻ると、悠一さんは銃口を天井へ向けて引き金を引いた。銃弾の代わりに細い糸のように水が噴き出て、悠一さんの肩をうっすらと濡らした。
『こうでもしないと話が引き出せないからねえ。――さて、話の続きを、刑事さんも交えて、頼めるかな?』
僕の知っている上品な顔で、悠一さんはにっこりと犯人へ微笑みかけた。
悠一さんの大芝居を食い入るように見ているうちに疲れが出てしまい、その後の取り調べを見るのは止すことにした。部屋から近い会議室で、警視庁の計らいでとってもらった出前の親子丼をかっこんでいると、上着を肩からかけた悠一さんと、部下を引き連れた墨山警部補が姿を見せた。
「お、美味しそうなのを食べてるね」
悠一さんが口元にご飯粒をつけた猫目さんへ声をかける。
「どうでしたか?」
「諦めがついたのか、すっかりゲロっちまったよ。しかしまあ、あまり派手なことはしてくれるなよ、山藤探偵」
墨山警部補ににらまれると、悠一さんは苦笑いを浮かべてから、猫目さんの隣のソファへ腰を下ろした。
「どうやら今度の事件には、目下警視庁が全力を挙げて追いかけている犯罪組織『東京学生連盟』が一枚噛んでいるようなんです」
今度は墨山警部補がバトンを継いで、
「――実は、今度の第三高校の事件を探偵社へ依頼したのは、東学連の一件に警視庁が専念するためでね。しかしまあ、こんな風にして二つの事件が収束するというのは、なんとも不思議な話だ」
「ええ、まったくです。ひとまず猫目、東学連の件は警視庁との合同で、うちからも何人か人員を裂くことにしよう」
宙に指で必要事項を書くと、猫目さんは了解、と言ってから、残りの親子丼をノドの奥へ押し込んだ。
「――じゃあ、みなさん、今夜はひとまず、この辺で解散、ということにしましょう。関刑事、健壱さんたちの送り、お願いします」
猫目さんの手配で送迎の段取りが済むと、僕たちは冷たい空気の漂う警視庁の玄関先で、めいめい一台ずつ割り当てられた覆面パトカーへ乗り込み、帰宅することとなった。
弘之と益美を先に送り出し、あとは僕が乗り込む番となったのだが、いつまで経っても覆面が来ない。その代わりに現れたのは、行きと同じ黒いコンフォートだった。
「ごめんなさい、ちょうど空いてる車が二台しかなかったので……」
「いえ、いいんですよ。じゃあ、お願いしますね」
後部座席へ腰を下ろし、窓越しに関刑事へお辞儀をすると、社旗のはためくセンチュリーはゆっくりと、皇居の堀沿いに夜の都心へ向けて走り出した。
「よかった。それにしても、怒涛の夕暮れでしたね、探偵長」
ヘッドレストをあげ、頭をもたれかけながら猫目さんがため息交じりに呟くと、
「まあな。しかし、こうなってくると犯人の目的に、またひとつ謎が出てくるな」
「そういえば悠一さん、あの後の取り調べ、どんなことが分かったんですか」
口に出してから思わず、唇を覆うように手を当てた。が、悠一さんは嫌がるそぶりも見せずに、
「なかなか、面白いことがわかりましたよ。ただ、健壱さん、これは少し、あなたにとって直面しがたい事実を孕んでいるのですが……お聞きになる覚悟はありますか」
バックミラーに、いつになく座った目をした悠一さんの瞳が写る。しばらくそれを眺めてから首を縦に振ると、悠一さんは車を路肩へ止めた。
「――この前お会いした時、渋谷で風営法違反のかどで摘発されたバーの話をしましたよね」
さっきの取り調べの時にも、同じバーのことが話題に上っていたのを思い出して頷くと、
「あの時、神崎さんの殺害現場で見つかったのと同じバッチが箱入りで出てきたのは覚えているでしょう。実は、今夜の事件で線路下へ落ちた二人と、今、留置場でぐったりしているあの少年の制服の両方に、同じものがついていたんです。――東京学生連盟の団員章だという、あのバッチがね」
悠一さんがワイシャツの胸ポケットから取り出したものの正体に気付いて、頭の後ろがうっすらと冷えるような感覚に陥る。
「それって、つまり……」
神崎の殺害現場から見つかったバッチには、制服と同じ繊維片がついていた。となれば、持ち主が彼女であることは明白なのだから――。
「どうやら、亡くなった神崎さんは、何かしらの形であの団体にかかわっていたようですね。現場にこそ見当たりませんでしたが、村山さんのご自宅を洗いなおせば、おそらく同じものが出てくる可能性は高いでしょう」
いきなり殴り飛ばされたような感情が、胸の奥で渦巻く。ある日突然、平穏な日常に幕を閉じる羽目になったと思っていた神崎の人生に、どこか後ろ暗い事情が隠れていたという衝撃は、あまりにも大きすぎた。
「――やっぱり、言わないほうがよかったかもしれませんね」
うまい返事が思いつかず、そのままうつむいてじっと膝を眺めていると、悠一さんはウィンカーを出して、再び往来へと歩みを戻した。
「――ただ、今夜の出来事がここまで起こった二件の犯人とは別物、なのは確かですね」
「どういうことです、探偵長」
疲れが頭へ廻っているのか、眠たそうな声で猫目さんが尋ねる。
「あの芝くんという不良少年が、洗いざらい吐いてくれたんだがね、東学連の内部では、今度の二つの事件で仲間を殺したのは、日ごろ不満を持っている反乱分子の仕業だという風に捉えているそうなんだ。そこで、放っておくと組織内部の安寧を乱しかねない人間を、そっと始末してしまおうということになって、その哀れな犠牲者第一号に今夜のカップルがあたってしまったというわけさ」
「なるほど、今度のは内ゲバが原因のヤマだったわけですね」
納得が行ったのか、猫目さんは手を打って感心している。
「それに、今までの見立て殺人から即物的な方法へ変わってるんだから、同じ犯人とはとても思えない。我々はひとまず、これまで通りに捜査を続けるとしよう。もちろん、東学連がらみのことも調べながら、な」




