①
悠一さんたちと有楽町駅の改札で別れてから、二日が経とうとしていた。
探偵社を出る間際に話題に挙がっていた、大量に見つかったバッチのことは、どの新聞、テレビ、ネットニュースを見ても扱われていない――そもそも、第一の事件が起きたときから報道すらされていないのだから当たり前なのだけれど――。
「それにしても、驚いたなあ。まさか、あの住田って子が、今度の事件にかかわってたなんてよお」
昼休み、運悪く山浦先生に見つかって、授業で使うプリントを弘之と運ぶ羽目になった僕は、むせるようなトナーの香りを鼻の奥に感じながら、二日前に悠一さんのところで知った住田茉莉に関する事実をかいつまんで話した。
「さすがに、悠一さんから聞いた時はびっくりしたよ。ただ……」
「言うな、健壱。会ったのを忘れてたのはオレも同罪だ。――今度、悠一さんに頼んで、お線香をあげに行かせてもらおうぜ。ほんのちょっとの間だったけど、同じ学年にいた子なんだからさ」
「それもそうだな……。確か、ご家族は飲食店をやってる人だと聞いたから、お店の名前を聞いて、会いに行こう」
「そうすっか。にしても……なあ」
弘之が少し申し訳なさそうに眉を曲げながら、こちらへ顔を向けた。
「帰りがけに思いきって、銀座へ足を運んでみようぜ。いなけりゃいないで、しばらく待ってりゃ来るだろうし……早いとこ場所を聞いとこうぜ」
「――とかなんとか言って、ほんとはこの前食べたケーキ、また食べたいだけなんでしょう?」
背後から声をかけられ、驚いて振りかえると、益美が購買の紙袋にくるんだノートを抱えて、僕と弘之をじっとりとした目で見つめていた。
「まあ、そうじゃねえっつったらウソになるわな」
弘之がいたずらのばれた子供のように苦笑いをすると、
「あったりまえでしょう。――でも、残念ね。住田さん、亡くなってたなんて……」
益美は袋を持ったまま、うつむいたまま物憂げな顔をして、
「もっと早くに気付いてたら、何か違ったのかしら」
「どうだろ。過去には戻れないし、もうやめとこうよ。……帰りに、住所は悠一さんに聞いてみるからさあ」
辛気臭い雰囲気を取り払うように、無理に話を終わらせると、僕は弘之を目で促して、教室へ続く廊下を再び歩き出した。
重いプリントの束を抱えて、C組の入口に差し掛かった時だった。滑りの悪い教室の戸がぎしぎしと音を立てながら開き、けだるげな瞳をした石井さんが肩から学校指定の鞄をかけたまま姿を現した。
「あら、どうかしたの?」
益美が首を傾げると、石井さんは軽く咳き込んでから、
「朝から風邪っぽかったのが、ちょっとひどくなってきたの。山浦先生には伝えてあるから、今日は早退するわ」
「そっか。あ、この後の授業、オレがノートとっとくよ。気をつけてな」
弘之が柄にもない優しさを見せると、石井さんは口元に無理に作った笑みを浮かべて、ありがとう、と小さく返事をした。
「じゃあ、またね。――あ、そうだ。高津くん」
「――な、なんだい?」
いきなり名前を呼ばれて驚く僕の耳元へそっと近寄ると、石井さんは吐息のような声で、
「……また、あのお店にいきましょ。じゃあね」
それだけ言うと、彼女は踵を返して、ゆっくりと玄関へ続く廊下を歩きだした。午後の授業が全て終わるまで、声を聞いた耳だけがずっと熱かった。
「――ちきしょう、誰だこんな乱暴な扱いしあがったのは……」
そう愚痴ると、弘之は止めていた両の手を動かして、今度は表紙が外れかかった文学全集の補修作業を始めた。夕焼けが差し込む放課後の図書館は、僕と弘之、益美と司書の中山先生の他には誰もおらず、時折カラスの鳴き声がする以外は水を打ったように静かだった。
「ごめんなさいね、手伝わせちゃって。――あの事件を怖がった図書委員の子の親御さんたちが、早く帰らせるように、って詰め寄ってきちゃって……」
図書カードの整理をしていた中山先生は、アップにした後ろ髪を少し整えてから、弘之へ申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいんですよ、あたしたち、部活とか、委員会に入ってるわけじゃないし……。たまには、こうやって学校に貢献したいじゃないですか。ねえ?」
貸出延滞の記録を点け終えた益美が、僕や弘之の方を向いて、わざとらしい表情を見せる。腹立たしかったが、先生の手前、あからさまな態度はとれなかった。
「ひと段落着いたら、お紅茶入れるから飲んでいかない? もらいもののクッキーもあるから、一緒にどう?」
「賛成ッ! オレ、頑張っちゃう……!」
弘之が食欲に駆られて、俄然張り切って作業を再開した。
――ほんとに現金な奴だなあ。
とはいいながらも、弘之と同じように紅茶とクッキーが楽しみであることに変わりはない。早々と、けれども丁寧に、僕は任された図書通信の校正のため、赤鉛筆をふるった。
手分けしてやった甲斐あって、予定より早く作業が終わると、もうだいぶ西の空が暗くなっていた。司書室のソファにもたれて、紅茶へ輪切りにしたレモンを添えながらクッキーをかじるのは、学校らしからぬどこか厳かな雰囲気があって中々愉快だった。
「――さあて、あとは帰るだけね」
鞄の中へ必要な書類を仕舞うと、中山先生は腕時計をちらりと見て、
「みんな、帰り道は大丈夫? 近頃何かと物騒だから、気を付けるのよ」
「わかってますよ。だいたい、殺人鬼の歯牙に二人もかかってりゃあ――」
弘之が仰々しく言って見せると、中山先生はそれもそうなんだけどね、と前置いてから、
「この頃、ちょっと悪質な辻強盗が流行ってるのよ。数人で路地裏とかへ押し込んで、目隠ししてる間にお財布とか、時計とかをもってっちゃうの。都立の第一、第二高校なんかは、校長先生までやられたんですって」
そんな噂は初耳だった。もしかすると、今度の事件のせいであまり大きく扱われていないのだろうかと思って聞いてみると、
「それがね、新聞とかには全然載ってないの。警察に被害届は出して、捜査はしてもらってるらしいんだけど……。どういうつもりなのかしら」
さすがに、二度も身近で凶悪な事件が起きている僕でも、理由までは推測できなかった。
――きっと、警視庁にもそれなりの事情があるんだろう。
関刑事や墨山警部補の顔を脳裏に描くと、僕たちは消防車でも入れてありそうな職員用のガレージで先生と別れて、新宿駅へと歩き出した。
バスターミナル前の往来を縫うように進んで、改札口の手前でポケットから定期券を出そうした時だった。いつもの雑踏に交じって、怒号のようなものが聞こえるのに気付くと、メガホンを通した特徴的な声で、駅員のアナウンスがその場一杯に響いた。
「――ただいま、山手線は上野駅で起きた人身事故の影響で、内回り外回りともに運航を停止しております……」
「おいおい、また事故かよ」
弘之が不満そうな顔で、すべて「運転休止」の赤い文字が表示された電光掲示板をうらめしそうに見つめる。
「ここんとこ、鉄道事故が多いよなあ。ほら、神崎と最後に会った晩も、事故があったじゃねえかよ」
「そういえば、そうだったわね。にしても、何があったのかしら……」
「飛び込みじゃねえか? ここんとこ、自殺が多いってオヤジが言ってたし……」
ぼんやりと二人の会話を聞きながら、ここからの帰り道をどうしようか考えあぐねていると、いきなり、右の肩に手袋をはめた五本の指の感覚が姿を現した。驚いて振り向くと、そこには鳥打帽を深々と被った、見覚えのある立ち姿が控えていた。
「ゆ、悠一さん――」
思わず声を上げそうになると、悠一さんは僕たちを一べつしてからそっと唇へ手を当てて、
「お静かに。近くに車を止めてあります。何も聞かずに、ついてきていただけますか……?」
どこかただならぬ雰囲気をまとう悠一さんの一挙一動をいぶかしみながら、ひとまずその場を離れると、僕たちはロータリーの隅でタクシーに交じって止まっている、探偵社の社旗を掲げた黒のコンフォートへ隠れるように乗り込み、新宿駅を離れた。
「いやア、ありがたい。ちょうど運休で困ってたとこだったんで、助かりましたよ」
レースをかけたクッションへ深々と体を預けながら、弘之がお礼を言うと、悠一さんはいえいえ、と前置いて、
「ただ、皆さんをご自宅へお送りする前に、どうしてもお連れしないといけない場所があるんです。そんなに遅くまでかかるとは思いませんが、ひとつご足労願えませんか」
それまで、比較的和やかな空気が満ちていた車内が、急に静かになってしまった。
「まさか、また事件があったんじゃ……」
「そのまさか、なんです。――今、ホシを本庁で取り調べてる最中なんですがね」
頭の後ろから、血の気がどんどん引いてゆくのがわかった。
「ちょ、ちょっと待ってください。ほ、ホシを挙げたってことは、ま、まさか今度の事件の……」
「いや、あれは単なる実行犯、と見た方がよさそうです。――なんにせよ、まだまだわからないことが多すぎるんです。今度のヤマは、思った以上に奥が深いようですよ……」
それきり、悠一さんは桜田門の警視庁まで、口を真一文字に結んだままだった。




