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第三高校殺人事件~名探偵・山藤悠一と高津健壱の事件簿~  作者: ウチダ勝晃
第三章 十一月二日~私立探偵山藤悠一現る~

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 港区の麻布というところは、同じ都内に住んでいる人間からしても近寄りがたい、特別な雰囲気がある。それだけに、悠一さんの運転で、長い白塀に囲まれた邸宅の立ち並ぶ、だだっ広く、人通りがまるでない道を走っていると、美術の教科書に出てきた、シュルレアリスムの絵画の中へ飛び込んだかのような錯覚に陥ってしまう。

「住宅街なのに、ずいぶんとひと気の薄い場所ですよねえ」

 誰ともなしにつぶやくと、シートに体を預けていた猫目さんが、

「違ぇないね。オレぁ浅草の出なんだけど、こういう街並みはどうも好かないなあ」

「へえ、浅草……」

 言われて気づいたが、猫目さんの話し方はいわゆるべらんめえ、かなり流ちょうな江戸弁だった。

「江戸の頃から続いてる紙問屋兼、文具屋なんだ。よかったら今度、ノートでも買いに来てくださいよ。お安くしとくよ」

 そういうと、猫目さんは膝の上に広げてあった地図を手に取ってから、

「探偵長、そろそろ左ッ側に神崎邸が見えてくるころだと思うんですが……」

「そうだと思うんだが……お、あれじゃないか?」

 ヘッドライトの輪の中へ、提灯のぼんやりとした明かりが飛び込んできた。ここからはよく見えないが、おそらく門前には喪中と書いた札がぶら下がっているのだろう。

「――香典袋の用意、してあるな?」

「午前のうちに車内へ放り込んであります」

 猫目さんが助手席のグローブボックスから、香典の入った包みを出して見せると、悠一さんはよしよしと呟いてから、シフトダウンをかけて、ゆっくりと車を路肩へ寄せた。

「――鉄鋼業界の雄って感じの家ですねえ」

 事件からしばらく経って父さんから、神崎製鋼は同族経営が良い方向に出た会社の一例として、よく経済誌の特集に組まれているところなのだよ、と聞かされたことがあった。

 詳しいことはとにかく、彼女の家にすさまじい財力があるのだけは確からしいと、手入れの行き届いた生垣を眺めると、僕は悠一さんたちの後ろにくっついて、麻布の街並みから少し浮いて見える、豪奢な数寄屋造りの神崎邸へと足を踏み入れた。

 玄関先に控えていたお手伝いさんへ用件を伝えると、僕たちは細長い廊下を案内されて、そこだけあとから建て増したらしい、形ばかりのマントルピースがついた、絨毯敷きの洋間へ通された。

「今、奥様と旦那様をお呼びいたします……」

 腰の曲がったお手伝いさんは軽くお辞儀をすると、その場から離れていった。ベージュの革を張ったソファへ腰を下ろすと、猫目さんは手を合わせたまま、

「――きっと泣きはらしてるだろうな、親御さんたち。ホトケさん、たしかまだ法医学教室に……」

「そのはずだ。法条の話じゃ、仏不在での葬儀にするかどうか、もめてるらしい。もしかすると、香典は引っ込めておいたほうがいいかもなあ」

 部屋の隅に立ったまま、悠一さんは判断に迷っているようだった。

「そういえば弘之から聞いたんですけど、まだ葬式の話、学校でも出てないみたいですよ」

「そうか……。探偵長、こりゃ、密葬のセンが濃厚かもしれませんね」

 猫目さんがため息交じりにつぶやくと、ドアの向こうから二人分のスリッパの音がこちらへと近づいてきた。慌てて服を直すと、おもむろに戸が開いて、さっきのお手伝いさんの後ろから神崎美代の両親が姿を現した。

「――山藤探偵と、猫目助手さんですね。それと……」

 髪を七三分けにした、父親らしい人が、僕の顔をじっと見つめている。

「た、高津健壱です」

 どんな表情をしていいのかわからずに困っていると悠一さんが、

「お聞き及びかもしれませんが、第一発見者の少年Aというのが、この高津さんなんです。その、成り行きで、お連れする形になりました」

「なるほど、そういうことでしたか……。美代が生前、お世話になりましたようで……」

「――あなたっ、そんな言い方ってないでしょう!」

 神崎の母親のひときわ高い声が、洋間の中にこだました。

「そんな事言ったら本当に……本当に、死んじゃうでしょう。わたしたちが忘れたら、本当にあの子は死んじゃうのよ!」

 よく見ると、神崎の母親は、目元の化粧や髪がかなり乱れている。おそらく、さっきもどこかで、かなり泣きはらしていたのだろう。

「佳苗、落ち着きなさい……! みなさん、申し訳ありません。ミズキさん、佳苗を奥の部屋へ――」

 お手伝いさんに連れられ、神崎の母親が部屋を出てゆくのを見送ると、

「お見苦しいところをお見せいたしまして……どうぞ、おかけください」

 言われるまま、ソファへ腰を下ろすと、ワイシャツの上に緑のセーターを着た神崎の父親は、さて、と前置きをした。

「単刀直入に伺いますが、その後の捜査の進展は……?」

「――有り体に申し上げますと、依然として、なにも進んでおりません。ですが、お嬢さんの死と関係のあると思しき案件を、さきほど目の当たりにしてまいりました」

「と、いいますと……?」

 悠一さんの言葉に、神崎の父親はやや食い気味になって尋ねる。

「ついさきほど、愛宕山のそばの公園で、血だまりが見つかりましてね。簡易検査の結果、血液型がお嬢さんと同じ、AB形であることが判明しました。DNAのほうはまだ鑑定結果が出ておりませんが、おそらく、一致する可能性が高いかと思われます……」

 あの奇妙なバッチのことは伏せて、公園での出来事を説明すると、神崎の父親は腕を組んで目を伏せたまま、

「そうですか……。いや、それだけでも、残された私たち家族にとっては大きな進展です。今後とも、捜査のほうをよろしくお願いいたします」

「逐次、わかったことは報告をさせていただきます。――それで、こちらから少々お伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

 自分が質問をされるとは思わなかったのか、神崎の父親は少し身構えてから、どうぞ、と、落ち着いた口ぶりで悠一さんのほうを向いた。

「これは、警視庁が見落としていることなのですが、こちらの高津さんが事件前夜、お友達と一緒に、渋谷駅の階段を大急ぎで降りてゆくお嬢さんを目撃なすっているんです。なにか、お嬢さんの身辺で、渋谷に関係のありそうな出来事や、人物などのお心当たりはございませんか?」

 ふと僕は、渋谷という地名が出たあたりから、神崎の父親の顔色が冴えないことに気づいた。しきりに目を動かすと、一拍置いてから彼は、

「いや、思い当たる節は……。ただ、」

「ただ?」

 手帳を開いて、ペン先をそっと紙の上にたてながら、悠一さんが尋ねる。

「今度の件とは無縁だと思うのですが……この頃、社の内外で、渋谷に行くのはよしたほうがいい、という声を聞くようになりまして、それでちょっと……」

「渋谷に行くのはよしたほうがいい?」

 猫目さんがなめていた鉛筆の先を向けながら聞くと、ええ、と神崎の父親は返答して、

「ただ、どういうわけなのかは誰も話したがらないんです。あいにく、あの辺りへ寄るような用事もないので……。いや、無関係な話をしてしまって、申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げると、神崎の父親はソファから立って、

「もしかすると、何かのお役に立つかもしれません。娘の部屋をご覧になってゆきませんか」

「よろしいんですか」

 意外な展開に、場数をいくらか踏んでいるはずの悠一さんも少々面食らっている。だが、神崎の父親はややためらいがちに、

「――男親っていうのは因果なもので、こういう形でしか娘の役に立ってやれんのです。さ、どうぞ。こちらです」

 その後ろ姿には、失ってから初めて、身内の存在の大きさを知ったような雰囲気が漂っていた。

 結局、部屋ではさしたる収穫もないまま、僕たちは神崎邸をあとにした。

「探偵長、どう思いました?」

 麻布の住宅街を抜けて、ぎらついた街灯の明かりの下へ車が出たとき、猫目さんがぼそりとした調子で声を上げた。

「――お互い、身内に女のきょうだいがいると分かるもんですけど、あんなに殺風景なもんですかね、女の子の部屋ってのは」

 言われて改めて、頭の中へ神崎の部屋を思い描く。

 ふすまがあったから、おそらく畳の上へ絨毯をひいているだけの部屋の中には、小学校へ入ったときに買ってもらったらしい木の机と、参考書を詰め込んだスチールの本棚。

 そして、壁に打ち込んだ釘へひっかけた、寒くなってから何度か見かけたことのあるクリーム色のトレンチコートに、ベッドの脇のサイドボードへ無造作に置かれた受験雑誌とほんの少しの化粧品に、ヘアドライヤーとアイロン。

 ――おや?

 さんざん部屋の中を見ておきながら、すっかり見落としていた。

 そう、神崎美代の部屋にはファッション誌や流行りにのった服のような、年頃の女の子らしい生活感のあるものがまるで見当たらなかったのだ。

「猫目さん、あれはやっぱり、おかしいんですか」

 助手席の背もたれにつかみかかるようにして尋ねると、猫目さんはあきれたような顔をこちらへ向けてから、

「今頃気づいたのかい。――オレにいわせりゃ、おかしいってよりは異常、かな。ウチには大学生のくせして、まだ中二病の抜けきらないオカルト好きの面倒な姉貴がいるんだけどサ。そんな姉貴でもやっぱり、いつ使うのかわかんねえような大量の身づくろいの品があるんだよ。それがどうだい、コートとヘアドライヤーがなかったら、ありゃあまるでムサい男子学生の部屋じゃないか」

「ムサいってのは余計だぜ。となると、なおさらあの渋谷行きの理由が分からなくなってくるなあ……」

 猫目さんをたしなめたきり、悠一さんが黙り込んだのを合図に、エンジンの音のほかはなにも聞こえない、耳が痛くなるような静けさが車内を支配した。


六、

 神崎邸から探偵社へ戻ると、だんだんと震災前の活気を取り戻し始めた銀座の灯りが、空の暗さを塗りつぶしそうな勢いで控えていた。それでも、早々と店じまいを始める場所が多いせいか、ショーウィンドーのシャッターが降りているところとそうでないところが、クロスワードパズルの空欄のようにぽっかりと分かれている。

 夜の七時の銀座にしては、ちょっと寂しいような気がした。

「よかったら、どこかで少しお茶でも飲んで行きませんか。この辺はいろいろありますよ」

 ハンドルを握りながら、バックミラー越しに微笑む悠一さんにいいんですか、と尋ねると、

「半日連れまわしたお詫び、ってことでお願いします。そのあとで、通りでタクシーを拾って、お送りしましょう」

「なんだかすいません、いろいろしていただいて……」

 無意識のうちに、羽織っていたパーカーの中へと手を突っ込む。すると、右の指先に硬い、覚えのある感覚があった。右手をそっと引いてみると、中からなぜか、通学で使っている定期券の入った、革のパスケースが出てきた。たぶん、出かけるときにいつものクセで入れてしまったのだろう。

「あれ、定期券じゃないの。用意がいいんだねえ」

 後ろ向きになって話し合っていた猫目さんが、革ひもをつまんでパスを拾い上げる。

「ねえ、探偵長。あの晩みたいに渋谷で降りたら、なにかわかるんじゃないですかねえ」

「ええっ、今からかい?」

 さすがにこの時間からは、と僕も言ってはみたが、よく考えると、あの日階段ですれ違ったのは時間帯に近い頃合いで、決して無茶な提案とは言えない。

「どうです探偵長、定期券は内外のまわりの区別がないんですから、ここはひとつ、当事者である高津さんにも一緒に来てもらうってのはどうでしょう」

「おいおい、そんなこと勝手に決めるんじゃない。――すいません、高津さん。こいつはたまに、こういうことを言い出すもんで、困ってるんです」

 苦々しい口ぶりで猫目さんを叱る悠一さんだったが、別段悪い気もしなかったので、

「いいですよ、別に。どうせ電車は慣れっこですし、タクシー券だってタダじゃないですから……」

 意外な展開に、ミラー越しに二人はややためらった表情を浮かべていたが、車が探偵社の半地下になっているガレージへと降り、エンジンが止まると、

「――では、簡単に夕食を済ませてから出発と参りましょう」

 振り向きざまにちらり見た悠一さんの瞳には、熱い闘志のようなものがたぎっていた。


「この時間でも、案外混んでるもんだなあ」

「そりゃそうですよ。なんのために椅子があるのかわからなくなるのが、山手線の宿命なんですから……」

 座る場所が見当たらない、それでもラッシュの時に比べればまだまともと呼べる状況の通勤快速の出入り口脇で、僕は猫目さんや悠一さんと一緒に、つり革につかまっていた。七時台もそろそろ終わりに差し掛かって、電車の中の客層は普段僕の知っているそれとはがらりと変わってくる。

 帰りの遅いサラリーマンはとにかくとして、まず、制服姿の学生はぐんと減る。その分を埋めるような具合で、言い方が悪いが、ガラのよくなさそうな格好の、目つきの悪いやつらが一人で二人分、シートを占領している。

 ――目なんか合わせたら、ろくなことがないな……。

 意図的に顔を車外へずらすと、ビルの谷間に東京タワーの赤い灯と、来年の春から稼働する予定の東京スカイツリーが、まだ三分の二ほどしかできていないその姿をのぞかせていた。

「お偉いさんが血眼の東京五輪が決まったら、街並みもどんどん変わっていくんでしょうねえ」

 猫目さんは眉をハの字にして、困った顔で夜景を眺めている。楽しみではあるけれど、と、悠一さんは前置いてから、

「まだまだ、国内は問題が山積みだよ。いつになるかはわからないけれど、その頃までには三陸も元の通りになって、原発の問題も片付いていればいいがなあ……」

「ひとまず、僕らはできる範囲で何か、被災地のために動きましょうや。ひとまず、パッと思いつくのは募金かなあ。――高津さん、どっかにハコがあったら、入れてきませんか?」

「そうですね、いくらか入れていきましょうか……」

 そんな話をするうちに、通勤快速は目的地である渋谷駅の構内へと滑りこむように入っていった。首から提げた革ケース入りのカメラを構えると、悠一さんはホームの上に降り立つと、あたりを見回して露出を合わせると、そっとシャッターを切った。

「高津さん、当日はもっと混んでいましたか?」

「――そうですね、あと、二割増しぐらいで混雑してました」

「二割増し、かあ……。なるほど、わかりました」

 ホームの上での用事がなくなったらしく、悠一さんはケースでカメラを包むと、そのまま改札口へ続く階段を下りだした。そして、中ほどまで来たところで、こちらを振り向くと、

「猫目、こっちからもそっちがよく見える。見間違えってことはなさそうだ」

 ひと気がないのをいいことに、少し大きな声で呼びかけると、猫目さんも同じように、

「探偵長ッ、こっちもよーく見えます。ちょっと下ってみますね」

 靴底をリズミカルに鳴らしながら階段を下る猫目さんの後を追うと、意外なことが分かった。

 足元と前に意識が集中して、両脇の景色がまるでわからなくなるのだ。きっとあの晩、神崎がこちらの呼びかけに気づかなかったのも、同じような状況下にあったためなのだろう。

「さて、問題は改札を抜けてからだが……高津さん、ここから先、いっしょについてきますか?」

 悠一さんの提案に、もちろん、と答えようとすると、ポケットの中で携帯が震えた。

「ちょっとごめんなさい――はい、もしもし」

 慌てて電話に出ると、耳元に父さんの声が飛び込んできた。そこでうっかり、出かけることを伝え忘れたのに気付くと、僕は電話越しに詫びを入れてから、

「すいません、父が早く帰ってくるように、とのことで……今日はこの辺で失礼します」

「わかりました。そこのロータリーでお別れということにしましょう。タクシー券、せっかくだから使ってください」

 近寄って、僕の手の中へタクシー券を置くと、悠一さんは簡単に使い方をレクチャーしてくれた。そして、乗車待ちの乗客でごった返しているロータリーで、僕が無事に乗り込んだのを見届けると、悠一さんは開いた窓から、

「――なにかあったら、また連絡してくださいね」

 悠一さんの優しい声に、こちらが温かい気持ちになっていると、隣でカメラを預かったまま立っていた猫目さんが、

「探偵長、あとがつっかえてます。運チャン、出してちょうだい」

「ありがとうございます。じゃあ、おやすみなさい――」

 猫目さんが言い終わらないうちに発進したタクシーの窓から、僕はしばらく、ロータリーの上に立っている二人をじっと眺めていた。

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