起
1
寒い村だった。
何もない山の中、最寄りの駅まで車で30分かかるような場所だ。
そんな場所で俺は生まれた。
同い年の人間は一人だけだ。
農業でほそぼそと暮らしている大人たちを見て育ち、自分はこうならないと心に決めていた。
15で村を出た。それ以来帰っていない。親が生きているのかどうかも知らない。
俺が今住んでいるのは繁華街と呼ばれている街だ。
人の欲望を喰らって生きる人間が根城にしている街。
その街で、俺は……
電話の音で目が覚めた。
事務所に備付けられた固定電話のディスプレイに映し出された番号を見る。非通知だ。
「桧垣探偵事務所」
寝起きの不機嫌さを伝えるべく無愛想に電話口に叩き込んだ俺は、予想外の言葉に喉を詰まらせた。
「マリーが帰ってきたぞ」
言葉を返せないうちに電話は切られた。
マリー、俺の幼なじみ。俺を追って街に来て、事件を起こした。
2年前は逃がしてやった。この街では死んだことになってる女。
あいつが帰ってきたのなら、今度はこそは殺さなくてはならない。
時計を見る。午後6時半。なかなか早起きだ。
悪戯電話の可能性もあるのだが、無視することも出来ない。
壁にかけてあったコートを掴み部屋を出た。
事務所兼自宅は繁華街のすぐ側にある。
繁華街について5分ほど歩くと馴染みの中華屋にたどり着く。
華厳というお高そうな名前の店だが実際は大衆向けの店だ。
「あら一成ちゃん、いらっしゃい」
女将さんが気安く迎えてくれる。この街で仕事をしている人間の大半はここの常連だ。
遅くまで開いているし、何より安い。
この店のオーナーは繁華街商人連盟という組織の会長で、繁華街の堅気と裏稼業の連中の間を取り持ち、この街を牛耳っている古狸だ。
この街の外国人労働者の基盤を作った人物であり、表向きは堅気だが流氓達の元締にも影響力を持っており、誰も手が出せない。
そんな人間がこの街の情報収集の為に作った店で、この店で話した事はそう簡単には他の人間の耳に入らない。
が、俺の様に組織の間をすり抜けて生きている人間には金次第で情報を売ってくれる。
狸爺の目的は大きな抗争を起こさずこの街で稼ぎつづける事であり、組織に所属していない人間の動きを操ってバランスを保っているのだ。
おしぼりを持ってきた女将さんにビールを頼む。
ビールとつまみに中華くらげを出してくれだた女将さんはからかうように
「一成ちゃん、これから仕事じゃないの?」
と言った。
軽口には答えず、
「聞きたいことがある」
そう告げると女将さんがすこし辺りを見回した。
「今は、大丈夫よ」
話を聞かれるとまずい人間がいないという意味だ。
「マリー、最近見たか?」
キョトンとした様な、すこし困った様な、そんな表情になった。
「マリーちゃんは、見てないよ。いたら大問題。一成ちゃん王虎に殺されるよ」
王虎というのは流氓の元締だ。自らそう名乗っているが、中学生みたいなセンスだ。
マリーはこいつと揉めた。
狸爺の力を借り、死んだことにして逃がしてやった。
かなり金がかかったが、狸爺を間に入れたことにより王虎も納得できなくても手を引かざるを得なかった。
だからこそ、マリーがこの街に帰ってきたのなら王虎よりも先に見つけなくてはならない。
ビールを三分の一ほど煽る。
「さっき事務所に垂れ込みがあったんだ。嘘かホントか解らんが、動かん訳にはいかないだろう」
女将さんはすこし勿体振った様に口を開き出した。
「関わってそうな噂は流れてるけど……」
財布の中から用意していた万券を三枚渡した。が、まだ言い渋っている。
高い情報だ。内心ため息をつきながらもう二枚渡した。
「一昨日から流れてる噂。マリーちゃんかどうかわからないけど、王虎が女の子を探してるって。セミロングですこし赤みがかった黒髪、目は大きめでいつもヴィヴィアンのネックレスをしてる娘」
多分、マリーの事だ。
「誰か見たのか?」
「そういう噂は聞かないよ。ただ、いきなり王虎が探してるって噂だけ流れ出したの」
「この街以外の場所も探してるのか?」
「王虎はそこまで力持ってないよ。この街を出たら通用しない、小さい男」
と、なるとやはりこの街で誰かが見たのか、あるいは俺を動かすために流れた噂か。
黙って思案していると女将さんが続けた。
「マリーちゃん、勉強は苦手だけど、馬鹿な娘じゃないよ。戻って来たらまずいことくらい解ってる。」
「そうだな……」
「どうしても気になるなら、ロンド、行ってみたら?アリサちゃんなら何か、知ってるかも」
ロンドはマリーが勤めていたガールズバーで、そこで1番仲が良かったのがアリサだ。この街であいつが頼れる相手は俺かアリサだけだろう。
黙ってビールを飲み干しお代わりと蒸し鶏を頼む。
女将さんが呆れたように
「全然慌てないのね」
「慌てて動いてるのを見て笑ってる奴がいたら、癪だろう」
夜は長い。慌てすぎると、大事な何かを見落とす。2年前はそれでしくじった。
今度は絶対に、しくじらない。
華厳を出て時計を見てみると午後8時になっていた。
店は開いたばかりだろうが、ロンドに足を向けることにした。
店に入るとカウンターからアリサが微妙な表情を向けてきた。
「珍しい、明日は雪かな。まだ女の子来てないのよ」
「アリサだって女の子だろう」
軽口を叩きながらカウンターに腰掛けると俺の名前のネックが付いたバランタインのボトルを出し、水割りを作りはじめた。
グラスを俺の前に置き
「私も頂いてもいい?」
軽く頷くと自分の水割りも作り出した。軽くグラスを合わせると本題に入る。
「他の子はいつ頃来る?」
「あと30分くらいかな?お目当ての子でもいるの?」
「浮気はしないさ」
2年前から女には触れていない。
「それより最近、何かなかったか?」
俺が現れた時から、アリサはこの質問を予期していたのだろう。だからこその微妙な表情だったのだ。
「マリーの事でしょ?誰にも言ってないけど、連絡あったよ」
「どんな様子だった?」
「普通だった。2年前の事なんか忘れたみたいに世間話してたわ。街の様子探る感じもなくて、本当にただ懐かしい相手とおしゃべりしたかっただけみたい」
「いつ頃だ?」
「一昨日ね。噂が流れ出す直前。電話取ったのは家だったから誰かに聞かれたって事はないと思うけど」
盗聴器でも仕掛けられていたら別だが。だが、あの一件以来アリサにも狸爺のマークが付いているはずだ。盗聴器を仕掛けるのも簡単ではないだろう。
となるとやはり、マリーはこの辺にいるのだろうか?
「黙りこくって、用も済んだからもう帰るつもり?」
すこし不機嫌そうな演技をしながら聞いてきた。本心でないのは解っている。
「久々にあったんだから、そんな連れない事はしないさ」
軽口を叩くと、他愛もない世間話や昔話が始まった。
次の客よりも先に、別の子が出勤してきた。
早い時間からいる客にすこし身構えた様子だったが、俺だとわかると肩の力が抜けたようだ。失礼な店だ。
「いっちゃん、珍しいね。ママとよりを戻しに来たの?」
マリーが居なくなってから、しばらくはこの店に通っていた。
早い時間からカウンターに座りアリサと話し込む姿を見た店の子達は俺とアリサが出来ていると思っていたらしい。
「くだらないこと言ってると、奢ってやらんぞ」
「ごめんなさ~い」
適当に謝ってきたマナは、カウンター越しに俺の前に立つと断りもせずに自分のドリンクを作りはじめた。
「まだ奢るとは言ってないんだが」
「またまたぁ、いっちゃん優しいから、奢ってくれるでしょ?」
決めつけられるのも癪だが、奢るつもりだったし、作ってしまったものはしょうがない。
返事も待たずに乾杯を求めてきたマナのグラスに、軽く自分のグラスを当てる。
そこで三人組の客が来た。
自分のグラスを空にしたアリサが、
「ごちそうさま」
そういってグラスを合わせると三人組をボックスに案内した。
「ごめんねぇ、恋人を他のお客さんにつけちゃって」
どこまで本気なのか、よくわからん奴だ。
「そういえばこの前、仁ちゃん見たよ」
「仁?仁くらいどこにでもいるだろう」
仁はたまに仕事を手伝わせているロクデナシだ。
愛想がよく人垂らしで、警戒心を抱かせることなく相手の懐に入り込める便利な男だ。だからこそ、慎重に使わなければならない。
職業ヒモを公言しているが、間違いなくこいつを養っている女より金を持っている。この街で敵を作らずにいろんな場所を渡り歩けるのはこいつくらいだろう。
いろんな情報を抱え込み、流しても大丈夫な情報、立場が悪くなる情報、立場が悪くなってもすぐに立て直せる情報を見極めて動いている。
便利だが使い所を間違えれば俺の立場が危うくなるだろう。
「どこにでもは居いないよ~」
そういってマナが笑う。こうして笑っている姿を見るとホンモノの馬鹿にも見えるが、この街で食い物にされていないのだから本性はどうかわかったものではない。
こいつと仁は俺の中で要注意人物のツートップだ。
何が起こってるかよくわからない今の状況で仁の名前が出るのも胡散臭い。誰かが俺に何かさせようとしているのは確かだ。
その誰かが仁とマナを使っている可能性も充分にある。
俺の様子を気にもせずマナは続ける。
「ほら、華厳の近くにあるマッサージ屋、友親ってとこ。あそこに入っていってたの」
すこし酔いが覚めた。
友親は王虎の息がかかったいかがわしいマッサージ屋だ。そんなところに遊ぶために行くとは思えない。
「いつの話だ?」
「ん~、一昨日の昼頃だったかな?」
また一昨日か。
マリーの噂が流れ出したのも、アリサが電話を受けたのも一昨日。順番的にはアリサが電話を受けて、仁が呼ばれ、噂が流れ出したのだろう。
と、なると噂を流しているのは仁か?仁に話を聞く必要がありそうだ。
そう考えていると、店の扉が開いた。
「噂をすればなんとかだね」
断りもなく俺の横に腰掛けた男は
「一成さん、ごちっス」
そういって勝手に俺のボトルで水割りを作り出し、カウンターの上に置いてあった俺のハイライトを一本抜きだし火を付けた。
2
「お前、今何してるんだ?」
「何してると思います?」
すこしニヤつきながら質問に質問を返してきた。
なんだか腹が立ったのでカマをかけてみることにする。
「王虎から回ってきた仕事だろ?人探しは面倒だな」
ニヤついた表情を崩さない。こいつの表情から情報を読み取るのは無理に等しい。
「マリーちゃんの事っスか?残念、王虎はまだマリーちゃんの事探してないっスよ」
王虎「は」「まだ」探していない。
つまり、王虎以外の誰かがマリーを探している。そして王虎が探し出すのは時間の問題というわけだ。
気に入った人間にはこうやってヒントを出していくのがこいつのやり方だ。そういう喋り方をしている間はある程度信用できる。信用し過ぎれば、煮え湯を飲まされる嵌めになるが。
「一成さんに手伝ってもらいたいんスよ、王虎の仕事」
「馬鹿いうな。今王虎に関わったらどうなるかわからんだろう」
「いやぁ、噂程度の今のうちに王虎の信頼取っといた方がいいっスよ。じゃないと近いうちにさらわれるかも」
確かにその通りだ。何も知らない今さらわれたらかなりまずい。人一人さらって、そいつが知らないといったところでごめんなさいで帰されるはずがない。
噂が流れ出した時点で、王虎と手を組まざるを得なかったのかもしれない。
「何をすればいい?」
仁はちらりとマナを見る。
素知らぬふりをしているが耳はきっちりこっちを向いている。
「店、変えますか。」
ため息をつきつきながら財布から万券を二枚抜きマナに渡す。高めの会計だが、口止め料も入っているから仕方がない。軽く舌を出したマナに若干苛立ちながら仁と二人で店を出た。
仁について歩いていく。友親に向かっているのかと思ったが、行き先は本日二度目の華厳だった。
「お帰り、一成ちゃん。仁ちゃんも連れて、悪巧み?」
「そんなとこ。姐さん、奥空いてる?」
女将さんの軽口に仁が返す。
「大丈夫。注文どうする?」
仁がちらりとこっちを見た。目を閉じて首を振る。好きにしろという合図だ。
「じゃ、前菜盛り合わせ二人分と、ビール二つ、あと、紹興酒のボトルちょうだい。」
奥というのは人目に付かない座敷のことだ。店に入る以上注文はしなければならない。紹興酒のボトルは、注文の品が来たらしばらく来ないでくれ、という合図だ。
目の前に並んだ前菜を食べながらビールを煽る。一息つくと仁から切り出した。
「王虎は、もう終わりっスね。マリーちゃん探すどころじゃないっスよ」
意外な言葉だった。
「だが今の仕事は王虎から受けたんだろう?」
「マナちゃんに聞かれたらどこで誰にくっちゃべるかわかんないでしょ?王虎は今、事務所にいないんスよ。仕事持った来たのは二番手の陳海生っス」
「陳?王虎はどうしたんだ?」
「どうも最近、クスリにはまっちまったらしくて。あいつ流氓の癖に日本のやくざに憧れてるみたいなとこあったから」
流氓でクスリをやっている様な奴に下の人間はついて来ない。そもそも王虎は流氓としてこっちに来た訳ではなく、産まれが日本なのだ。
貧乏な出稼ぎ労働者の子供として産まれた王虎は羽振りのよくみえるやくざに憧れていた。流氓ではなく、やくざにだ。
日本で積み上げた基盤と、右も左もわからない流氓を使って今の地位まで上り詰めたが、とうとうボロが出はじめたらしい。
「王虎は隠してるけど、周りの連中も気づきはじめて、それで陳が王虎を探って欲しいって」
話が見えない。陳が王虎を引きずり降ろして頭になろうとしてるのはわかる。だが、俺が手伝う必要はないし、陳だって俺を良くは思っていないはずだ。
「とりあえず王虎の居場所探ろうとしたところで、マリーちゃんの噂っスよ」
「お前が流したんだろ?」
「まぁそうといえばそうなんスけど」
やはりそうだった。しかし、なら何故こいつまで噂を気にするんだ?
「マジなんスよ、マリーちゃんが帰ってきたの」
「誰か見たのか?」
「俺が見たっス」
信用出来ない。俺を動かそうとしている仁が話を作っている可能性が高い。
「っていっても、街じゃないんスけどね。ほら、海の近くに出来たショッピングモール、あそこにいたんスよ」
唐突に信憑性がでてきた。車で20分程の距離、あいつの持ち合わせてる危機感なら、懐かしい場所を軽く見つつショッピングするくらいのことはしそうだ。
2年たったしそれくらいは大丈夫、とか考えそうだ。馬鹿ではないが、あまり深く考えない。まぁ、それを馬鹿ともいうのだが。
「その時は声かけなかったし、誰にも話してないんスけど、やっぱり他にも見た奴がちらほらいるみたいで、噂流れ出したでしょ?それでとりあえず噂広めて、その噂聞いたマリーちゃんが動いてないかアリサちゃんに話聞こうと思ったんスよ」
「それがなんで俺に仕事を手伝わせることになったんだ?」
「王虎がクスリにハマったの、裏でマリーちゃんが動いてたって噂もあるんス。姿ほのめかして王虎を手玉に取ったって。それがホントならマリーちゃんのさらに裏にいるのは……」
「狸爺だな。」
「そうなんスよ。そうなったらもう俺の手には負えないっスよ」
狸爺が王虎を引きずり降ろそうとしている。もともと王虎よりも大陸から来た、しかも同郷の陳を可愛がっているという噂があった。そもそも日本産まれの王虎より陳の方が人望がある。
流氓が空中分解する前に手を打とうとしている可能性もある。
話の辻褄は合う。問題は今その話をしているのが仁だということで、どこまで信用していいものかわからない。
「狸爺が動いてるなら、俺の手にだって負えないぜ?」
「それはまぁ、そうなんスけど……」
恐らく仁は俺と狸爺をぶつけようとしている。そしてその間に依頼をこなそうとしているのだ。依頼主は陳ではない。
いや、陳からも依頼を受けているのだろうが、それは本命の依頼ではない。陳の依頼は王虎を探す事。そして本命の依頼は陳を排除し、狸爺を失脚させることだ。
流氓は一枚岩ではない。しかし、大まかに王虎派と陳派のに分けられるのは確かだ。陳を排除すれば陳派はいなくなり、一時的だろうが王虎が流氓を牛耳る事になる。そしてその王虎はクスリで操る事ができる。そうなれば日本のやくざが流氓を操り、懐刀である陳を失った狸爺を排除する事も出来るだろう。
狸爺さえ消えてしまえば、この街での基盤を失った流氓が復権を果たすのは難しいだろう。
そして、陳の排除に邪魔になる狸爺を遠ざけるのが俺の役目。失敗すれば俺をスケープゴートにするつもりなのだろう。
そんなことを考えていると意を決した様に仁が口を開いた。
「一成さんには、八坂と話をつけて欲しいんスよ」
予想外の名前が出てきた。
「八坂?なんで八坂が出てくるんだ?」
八坂はこの街をまかせれているやくざの若頭だ。つまり、この街のやくざのトップ。三下の頃に少し世話してやった事があり、少々話を出来る相手だ。
しかし、俺の考えでは、仁の雇い主は八坂だ。邪魔臭い狸爺を排除して流氓も支配下に置く、そのために八坂が仁を動かしているのではないのか?
「八坂は狸爺を消そうとしてるんス」
それは分かる。
「そのために、まずは狸爺に壁を作って、その間に陳を消そうとしてるんスよ」
それも分かる。
「それを防ぐために、一成さんに八坂を足止めして欲しいんスよ」
それが分からない。
こいつの依頼主が八坂じゃないなら誰だ?
そもそも狸爺ならこいつを使わなくても王虎の行き先くらいは簡単に探り出せるだろう。そして陳は狸爺を通さずに動いたりはしない。
つまり今の状況ではこいつの雇い主であろう人物が出てきていない。聞いたところで素直に答えるとも思えない。
いや、陳が依頼主だとすると、もう一つの可能性も出てくる。
「陳の目的は、まず王虎を捕まえること。そして、王虎にクスリを流した人間として狸爺を失脚させることっス」
狸爺を失脚させる。流氓達にとって旨味のある話とも思えない。それに・・・・
「ほっといても八坂が狸爺を始末してくれるんじゃないのか?」
「それじゃあダメなんスよ。仇討ちの戦争が始まっちまう。陳は身内の問題として狸爺を始末したがってるんス。そして、自分が大陸と街を繋ぐパイプ役になろうとしてるんスよ」
妙だ。狸爺がいなくなったからといってすぐに陳が代わりになれるわけがない。狸爺の力はこの街でだけ通用するものじゃない。入国の世話なんかもするのだから、ある程度は政治にも関わりを持っているはずだ。
そのことに陳が気付いていないはずがない。
「それに、大陸側の人間が陳のバックアップする準備を始めてるらしいんス。最近狸爺はあんまり人を入れすぎると日本人とのバランスが崩れて金儲けがし辛くなるっていって、大陸の人間を迎えたがらないらしいんで」
話が出来過ぎている。いや、あの狸爺を始末するんだからこれくらいの準備はして当然なのか?だが、簡単に切られないパイプがあったからこそこの街でのし上がったはずだ。そんな単純な利益目的で大陸側が裏切るとも思えない。日本で稼げる場所は他にだってあるのだから。
しかし、ここで考えていても拉致が開かない。
グラスに残ったビールを飲み干し席を立つ。
「とりあえず、八坂のところに行ってくる」
腰を上げかけた仁を片手で制し店を出る。
金は払わない。たまには仁に奢らせよう。
3
華厳を出た俺は金城会の入ったビルへ向かう。八坂に会うためだ。
10階建てのビルの上2フロアを事務所にしている金城会は狸爺との交渉の末、繁華街でのシノギを認められた唯一の組だ。
最上階まで登ると、顔見知りのチンピラに会った。
「檜垣さん、どうしたんです?」
「八坂はいるか?」
チンピラは少し渋い顔をする。
「檜垣さんに隠し事はしたくないんで言いますが、今は会わないほうがいいですよ」
「マリーの事か?それとも仁か?」
「両方ですよ。八坂さんも、恩のあるアンタを売りたくねぇって思ってるみたいだけど、そうも行かなくなりそうでちょっと苛立ってるんですよ。檜垣さんなにやらかしたんですか?」
知らん間にまずいことになっているようだ。
「俺にもさっぱり分からん。だからこそ八坂と話がしたいんだ。」
「……わかりました。」
少し迷った様だが、チンピラは八坂のところに案内してくれた。
確かに八坂は苛立っている様だ。いつもは少し危ない男前といった印象の男だが、今は目をギラつかせて人でも殺しそうな雰囲気を纏っている。
恐らくマリーの噂が出てから寝るひまもないのだろう。
「檜垣さん、アンタ、何しに来たの?仁と組んで中国人のシノギやってんだろ?」
裏切り者を見る様な目を向けて来る。
ロンドで仁に会ったのが2時間前位だ。かなり情報の周りが早い。
「最近仁の動きが怪しいんでマークしてたんだよ」
「ロンドに来た3人組はお前の舎弟か」
「舎弟って程でもねぇけど、まぁ便利に使ってる連中さ。仁がロンドの方に行ってたから先回りさせてみたらアンタと密会してるっていうじゃないか。ややこしい動きしてっと、昔の恩も忘れなきゃいけなくなりますぜ」
「まだ恩を感じてくれてるなら、聞きたいことがある」
訝しむ様な目。これから敵対するかも知れない相手だ。当然警戒するだろう。
「狸爺を始末するつもりなのか?」
ストレートにぶつけてみる。駆け引きをしないのは、一応の信頼関係を保ちたいからだ。何より今の俺には駆け引きの為の手札がない。
八坂は黙って考え込んだ。こちらの意図を探るような視線を向けて来る。
「仁の野郎には、何を頼まれたんで?」
「お前の足止めだ」
「マリーには会ったんですかい?」
「今日初めて話を聞いた。だから街まで出てきたんだ」
さらに考え込む。俺を信用するかどうか決め兼ねてる様子だ。
2、3分経ってようやく八坂が口を開く。
「まぁ、信用しましょう。そのかわり知ってる事はきっちり話してもらいますぜ」
「解った」
「事の始まりはご存知の通りマリーですよ。あいつ、金を貸せって言ってきやがった。ショッピングモールにいるから届けてくれって」
「一昨日か」
「そうです。当然貸しませんわ。ていうか、会ってるとこ見られるのもヤバい。あいつホントに自分の立場解ってるんですか?」
「馬鹿だからな。とにかく、お前を待ってるところを仁に見られたんだな」
「そういうことですね。噂が流れた途端、王虎が消えやがった。ついでに志村も」
志村は俺や仁の様にフリーで動いてる人間だ。と、言っても杯を交わしていないだけでほとんど金城会の舎弟みたいなものだ。
「まぁ志村はどうでもいい。代わりはいくらでもいる。問題は王虎だ」
「回収してない金があるのか?」
「金?」
「クスリの代金だ」
「王虎はクスリなんかやってねぇ。ポン中の中国人なんか信用出来ねぇよ。誰に吹き込まれたんだ?ソレ」
やはり雲行きが怪しい。
「仁だ。クスリにハマった王虎を利用してお前が狸爺を潰そうとしてるってね」
「ガセだな。それを確かめに、乗り込んで来たんですかい?」
「まぁ、そんなとこだな」
「中国人はもうダメだ。バラバラさ。王虎も狸爺も落ち目、陳の野郎が野心を持ち出した。だから王虎と狸爺を抱き込んで、うちのシノギを拡げようとしてたんですよ。二人とも中国より日本の方が長いし、国より金が好きな人種だ。このままズルズル行くより、俺らと組んで立て直す方がいいって」
「連中と組んで陳を消すのがお前の目的か?」
「そういうこと。でも王虎はセンスない野郎だ。話し出した途端に陳と距離を取り出した。悪巧みしてますって言ってる様なもんさ。もう、消されちまったかもな」
「志村には何かやらせてたのか?」
志村。王虎と一緒に消えた男。何かの才能があるわけではないが、金の匂いには敏感だ。今回の山で金になるものを見つけたのだとしたらコソコソと動き回っているかも知れない。
「デカい金が動きそうな山だ、あいつは信用出来ねぇよ」
俺の事務所に電話してきたのは志村だ。
金になりそうな山が動いているのに自分は仲間外れ。なら引っ掻き回して取れそうなとこを取ってやろう、そんな考えだろう。そのためにも、人に雇われず動く人間を作りたかったんだ。そういう人間がいた方が綻びを作りやすい。
「それで、檜垣さんはなんで動いてんの?」
「事務所に垂れ込みがあったんだよ。マリーが帰ってきたってな。多分、志村だな。今の状況で俺を動かしたい奴はあいつだけだろう」
八坂は黙って頷く。
「しかし、話がおかしいんだ」
「おかしい?そりゃあ大人二人が消えてんだからまともじゃあねぇよ」
「違う、そうじゃない。今日華厳の女将とアリサと仁、そしてお前に話を聞いた。全員の話がちょっとづつズレてるんだ。アリサはマリーと世間話をしたと言う。だがお前の話だと金に困ってるはずだ。なら、なんで昔なじみのアリサに金の無心をしないんだ?アリサなら貸してくれるだろう。お前に頼むよりよっぽど確実だ。それに華厳の女将は王虎がマリーを探してると言った。だが仁の話ではそんな暇が無いほどの落ち目だという。華厳の女将が俺みたいな人間に適当な話を流したりはしない。大事な収入源だからな。後ろに狸爺がいるのもばれてる。後から勘違いでしたで済まないことはわかっているはずだ」
しゃべりながら情報を整理する。おかしなところは突っ込まれるし、ただ頭で考えるよりもまとまりやすい。
「そしてお前は王虎と組もうとしてた。さすがに、人一人探す余裕も無い男と組むほど馬鹿じゃないだろう?」
少し挑発気味な言葉を投げてみたが、それに乗るほど浅慮な男ではなかった。黙って何かを考えている様だ。
「聞いた話じゃ、誰が何をしようとしてるのかがさっぱりわからん。話がわからんどころか、行方さえわからん奴までいる」
「確かにそうだ。どうにもきな臭くなってきた。仁にはいくらで何を頼まれたんです?倍出してもいいからうちの味方になってくれませんかね?」
怪しい雰囲気を感じたらすぐにでも駒を増やそうとする。このあたりのセンスが今の地位を保っているのだろう。
「言っただろ、仁に頼まれたのはお前の足止めだ。金の話はまだしてない」
八坂は納得いかない表情を浮かべる。
「じゃあ、アンタの目的はなんなんですか?」
牛革の柔らか過ぎるソファーから腰を上げ、出口に向かいながら言った。
「マリーを殺すことだ。」
自分でもゾッとするくらい、冷たい声が出た。
4
カッコつけて出てきたが、とくに行く当ても無い。
とりあえず華厳に戻ってみるか。仁はまだ居るだろうか。
「いっちゃ~ん、仁ちゃんはどおしたの?」
仁の代わりにマナがいた。何故こいつがいるんだ?いや、いてもおかしくはない。飲み終わりの客や、仕事終わりの飲み屋の人間が通う店だ。
しかし、疑いはじめると総てが疑わしく思える。
八坂の舎弟が仁の監視にやってきた店の従業員が、八坂と会った後に寄った店に居る。しかも仁と密会をした店だ。
この街に金の匂いに鈍感な奴はいない。そんな奴は直ぐに淘汰される。
こいつも何か感じているのだろうか?
とりあえずマナの横に腰掛けビールを注文する。女将さんはもう帰ったようだ。
ビールと一緒にマナが頼んでいた点心が並ぶ。一人で食べるには多い量だ。
「いっちゃんも食べるでしょ?」
つまりこいつはここにいるであろう俺にたかるために来たのだ。もし来なければ呼び出されて冷めた点心を食うはめになっただろう。
「お店ではお酒ばっかりだからさぁ、やっぱり帰る前に何か食べたくなるよねぇ」
自分の金で食えよ。喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
「店にいた3人組は遅くまでいたのか?」一応聞いてみる。
「八坂さんのとこの人だよね。ワンセットで帰ったよ」
気付いていたのか。それともかまをかけているのか。
「怪しいよね。仁ちゃんなんか滅多にウチに来ないのに来て、いっちゃんはマリーちゃん探してる。しかも、八坂さんもなんかしてるんでしょ?」
「何してるのか知ってるのか?」
「わかんない。でも仁ちゃんはマークされてるよね。王虎から貰った仕事のせい?」
やっぱり聞いていたか。まぁ、あの距離で聞こえないわけが無いが。こいつはこの山に混ざって小金を稼ごうとしている。そのためにここで俺か仁を待っていたのだ。
「やめとけ。今回の話はかなりきな臭い。下手したら死ぬぞ」
「そんなにヤバいの?」
マナの目が暗く輝く。ヤバい話ほど大金が動くからだ。死ぬかもしれないと言っても、こいつにとっては金の誘惑の方が強いらしい。
「ねぇいっちゃん」
「ダメだな。多分今回はお前を気にかけてやる余裕は無い」
話を切り出される前に断った。ただでさえややこしい状況なのだ。これ以上面倒を増やすつもりはない。
「志村の情報。いくらで買ってくれる?」
志村の情報?大した価値は無い。小金稼ぎに走り回っている様な奴だ。ほっておいても問題は無い。なにかできる程の才覚は無い。
そんな気配を感じたのか、マナは切り出した。
「マリーちゃんを呼んだの、志村だよ」
マナの顔を見る。これから渡されるだろう金に期待した目つきだ。
「場所、変えよ?」
今夜は金がかかる。今回の件で元は取れるんだろうか?
マナがどうしても行きたいと駄々をこねるので、近くのファッションホテルのスイートルームに入る。宿泊の時間になっており、それなりの金がかかる。
「せっかくだから仲良くしていく?いっちゃんなら、いいよ」
途中のコンビニで買い込んだ食べ物と酒を広げながら悪戯っぽくマナが言う。
「馬鹿なこと言うな」
断られると知っていたのか、気にした様子もなく缶チューハイを開ける。
俺は備付けのコップを取り出し、買ってきたホワイトホースを注ぐ。
「やっぱりお酒強いね」
マナを無視してストレートのままに流し込む。喉が焼けるような感覚に襲われる。
財布の中から残った金を抜きだしマナに渡した。当然、ここの代金も含めて渡したつもりだ。
「カード持ってる?ここのお金も払わなくちゃだよ」
またしても悪戯っぽく言う。それだけ自分の持ってる情報に自信があるのだろう。
「志村は、八坂さんを裏切って中国のおじいちゃんとくんでるの。それでおじいちゃんに頼まれてマリーちゃんを呼んだんだよ。王虎がいなくなるから、街に戻れるぞって」
「なんであいつが街に戻りたがるんだ。この街に未練は無いはずだ」
無いからこそ、出て行った。この街での最後の一稼ぎをして行方を眩ませる、そして平凡に暮らす。それがあいつの目的だった。失敗しかけたが、大卒の初年度の年収程度の金は持って出たはずだ。
「いっちゃんは、残ったじゃん。いっちゃんが未練だよ」
マリーは一緒に来てくれといった。俺は断った。そのころの俺は、マリーよりもこの街の魅力に惹かれていた。平凡になんて暮らしたくなかった。
「マリーちゃんは、いっちゃんと暮らしたかったんだよ。普通に、幸せに」
家族を、田舎を捨てて二人で出てきた。俺は幸せが欲しくて出てきたんじゃ無い。欲しかったのは金だ。だが、マリーは違った。金よりも幸せを求めた。少し位苦労してもいい、俺と普通に暮らしたいと言った。
マリーは普通というのに憧れていた。飲んだくれの父親に殴られず、泣きつづける母親を見ないで済む暮らしに。愛する人間と、心安らかに過ごせる暮らしに。
「いっちゃんは、もうマリーちゃんのこと好きじゃないの?」
「話が逸れてるぞ。志村は、マリーを呼んで何をしようとしてるんだ?」
幼なじみの、愛しいマリーはもう俺の中にはいない。2年前に死んだんだ。今いるのは、俺の生活を邪魔しようとする馬鹿女だ。
「やっぱり、憎んでるんだね……」
マナは哀しそうに呟いた。聞こえないふりをした。これ以上は何を言っても無駄だと判断したのかマナは本題に入った。
「おじいちゃんは八坂さんと組もうとしてるの。それで陳を中国に追い返すのが目的。陳は最近、なんていうか過激だから」
元々陳は荒事担当だった。頭の悪い乱暴者で手っ取り早く稼ぐには暴力が1番だと考えているらしく、噂では王虎のやり方を回りくどいと言って嫌っていたらしい。
「でもね、陳に着いてる人達も沢山いるから、陳がいなくなったら中国人はバラバラになっちゃう。それが嫌だから、おじいちゃんが志村を雇ってマリーちゃんを呼んだんだって」
何となく解った来た。八坂、陳、王虎、そして狸爺。全員が違う思惑で動いている。中国人の間でトップ争いが始まったんだ。
面倒なやり方に痺れを切らした陳が切っ掛けだろう。3人の関係が崩れたのだ。トップに立ちたい王虎と陳、扱いづらくなってきた2人を切りたい狸爺、そして利用される八坂。この中では間違いなく狸爺が勝つ。大陸側の人間が陳の後ろ盾に着いたというのも怪しい。恐らくは陳を動かすための罠だ。
八坂を使って王虎と陳を排除するのが狸爺の狙いだ。そして報復と称して中国から来る次の人間と八坂の間に入り仲裁するふりをしてなんらかの利益を得ようとしている。八坂はそうなるまで騙されたことには気付かないだろう。
やはり今回の件は空中分解しそうな流氓を立て直すため、狸爺が動いたのだ。
そうなると気になるのはマリーと、そして俺の役目だ。
マリーを呼んだ目的は俺を動かすためだろう。何のために?それとも俺が過剰に反応しているだけで、本当は俺は関係無いのか?
そんなことを考えていると、あることに気付いた。
「お前、その情報何処から仕入れた?」
「え?」
「何でそんなに詳しいんだ?当事者でも無いのに、そこまで話す奴はいないだろ。マリーが現れたのが一昨日だぜ?よくこんな短期間でそこまでの情報が仕入れれるな」
マナは黙った。
「誰かにそう言えって頼まれたんだろう?誰だ?」
マナは息を吐き観念したように話しはじめた。
「マリーちゃんだよ」
息が詰まった。つまり、志村とマリーが組んで俺を引っ張り出そうとしているのだ。いや、二人とも狸爺に操られている?
「でも、ちょっとは確かめたよ。水商売してる中国の子で、仲良くしてる子がいるの」
「何て名前だ?」
「紅麗って子だよ。知ってる?」
知っている。紅麗は王虎の息のかかったスナックに勤める娘だ。不細工では無いが少し地味で物静かな、言っちゃ悪いがあまり人気の無い子だ。
しかし、ヘルプとして色々なテーブルに着くので街の裏事情には少し詳しい。
聞きかじりの噂を喋りたがる客や、あまりモテない下っ端を相手にして情報を集めるのだ。噂話程度の情報ばかりだが、頭は悪くないのでいくつもの情報をすり合わせて真実味のある物を選び出し、街の動きをおおまかにだが把握する。
そのかわり、確実な情報では無いのでそれで商売したりはしない。ただの趣味だろう。それだけに彼女が情報通であることを知っている人間は少ない。
彼女に確かめたのなら情報自体は嘘とは言い切れないかもしれない。
「紅麗は何て言ってた?」
「志村がおじいちゃんから仕事貰ってるのは間違い無いって言ってた。マリーちゃんかどうかはわからないけど、誰かとの連絡役。それと、王虎と陳もいつやり合ってもおかしくない状況になってるって」
信用できるのか。紅麗に直接聞く必要があるな。
とにかく、中国人同士の戦争が始まっているのは間違いない。八坂はそれに巻き込まれ、そして俺も巻き込まれた。だが今考えるべき事はそんなことじゃない。マリーを探すことだ。そのためにも、まずは自分の足元を固める必要がありそうだ。
5
ホテルには長居せずマナを残してでてきた。料金は宿泊だったので先払いが可能で、結局払わされる羽目になりカードで支払った。
時計を見るともう少しで日付が変わるところだった。紅麗に話を聞きに行きたいところだが、王虎の息のかかった店に一人で行くのも躊躇われる。状況が状況だけに慎重に動かねばならない。
どうするべきか考えていると携帯がなった。
ディスプレイを見ると見覚えのない番号が表示されていた。
「もしもし?」
「あの、桧垣さんのお電話でしょうか?」
少し自信の無さげな女の声がきこえてきた。
「そうだが、そちらは?」
警戒心を匂わせる少しとげのある声で答えてみる。
「あの、お仕事の依頼をしたいのですが……」
「悪いな、今は別の依頼で手一杯なんだ」
取り付く島も無い、といった風に断ってみる。しかし、今はできるだけ軍資金を持っておきたい。簡単そうな依頼なら値を吊り上げて受けてやってもかまわない。
「そこを何とか……あの、探してほしい人がいるのですが……」
引き下がりそうな気配は無い。切羽詰っているのだろうか?面倒そうだ。
「志村っていう人なんですが……わかりますか?」
志村を捜す女、何者だろうか?
「そんなに珍しい名前でもないな。それだけじゃなんとも言えんさ」
とぼけてみせる。裏家業に足を突っ込んでそうな気配はないが、女は誰しも女優だ。油断はできない。
「それに名前も名乗らん人間の依頼は受けないことにしてるんだ。悪いな。」
電話を切るかどうか少し悩んだ。新しい情報を手に入れれそうな気もするが、下手に動きたくも無い。
どの道志村を探す必要があるのだから依頼を受けてもよいのだが、なんにせよタイミングが怪しすぎる。
「すいません、冴島 美咲と言います」
冴島、聞いたことが無い。
「実は、志村さんにお金を貸してて、約束の日から一週間たったんですが連絡が取れなくて……」
あんな奴に金を貸すとは、間違いなくこっち側の人間ではないな。
「運が悪かったとあきらめるんだな。世の中には借金を踏み倒してもなんとも思わん奴はごまんといる」
「あの……お話だけでも……」
泣きそうな声で食い下がってきた。いったいいくらかしたのか。
「今から繁華街まで来れるなら、話くらいは聞いてやろう」
15分後に近くのハンバーガーショップで待ち合わせることになった。
少し早めについた俺は窓際の席に陣取り安さだけが売りのコーヒーを胃に流し込みながら歩く人々を眺めていた。
約束の時間を2,3分過ぎたころ、それらしい人物が慌てて駆けてくるのが見えた。ハンバーガーショップに入った彼女は忙しなく辺りを見回し、俺を探している。
少しうつむいて自信なさげな姿勢、美人ではないがそれなりに整った幼い顔立ち、猫背で少しわかりづらいが豊かな胸、サド気のある人間なら見るだけで劣情を催す女だ。
俺を見つけられず途方にくれている彼女に軽く手を挙げて合図を送った。すると、迷子の子供がやっと知った場所にたどり着いたように、慌ててこちらに向かってきた。
「あの……あなたが……」
「桧垣だ、よろしく」
俺が名乗ったところでようやく安堵の表情を見せた。
「いくら貸してるんだ?」
早速本題に入る。自分の取り分がいくらになるのか、額によっては店を出なければならない。志村にできるのは場をかき乱すことくらい、優先して探すべき相手でもない。
「20万円です……」
はした金だ。この依頼を受けたところで俺が取れるのはせいぜい5万までだろう。話にならない。
「悪いが力になれそうに無いな。いつでもいいなら、見つければ連絡位はしてやろう」
「それじゃ困るんです……明日中にはお金が必要で……」
ますます話にならない。金にならないのに期限が短すぎる。
「いくら出せるんだ?今の状況で志村を探すなら手付けで20万はもらう必要がある。金を取り戻しても赤字だぜ?」
うつむき気味だった顔が真下を向いてしまった。困り果てて喋ることもできないといった様子だ。
これ以上は時間の無駄だ。席を立とうとしたところで搾り出すように声をだした。
「お金じゃなきゃ、だめですか……?」
「それ以外、何があるんだ?」
何が言いたいのかはわかる。恐らく、体で払えないかということだろう。それ以上言葉を紡ぐことができなくなった彼女に対して冷たく言い払う。
「報酬は金。それ以外で仕事はしない。あんたは困ってるんだろうが俺も困ってるんだ。金にならない仕事を請けてる場合じゃなくてね、タイミングが悪かったな」
そこまでいうと、彼女はとうとう泣き出してしまった。どうやら本当に困っているようだ。しかし、今のタイミングで俺を選んでしまった以上、その涙に意味は無い。まぁ、俺以外に受ける人間はいないだろうが。
「悪いが俺は情が薄くてね、泣かれたってなんとも思わんのだ。そもそも誰から俺の事を聞いた?」
せめて俺を面倒に巻き込もうとした人間の名前くらいは聞いとこう、そう思ったのが間違いだった。
「マリーって言う人です……私が困ってるところで声をかけてもらって……桧垣さんならきっと力になってくれるって……」
「いつの話だ?どこで声をかけられた?」
「お電話させてもらう前に、北町駅の辺りです……」
「どんな奴だった?」
「えっと……ちょっと赤みがかった黒髪で、有名なブランドのネックレスしてて……なんて名前だったかな……」
「ヴィヴィアンか?」
「そう、それです」
頭を鈍器で殴られたような気分だ。マリーは街にまで来ている。俺に何かさせるために。何を?
「そいつ、他の場所で見たことあるか?」
「いえ、初めて会った人です」
「そんな奴を信用して、俺に連絡してきたのか?騙されてる可能性は考えなかったのか?」
少し希望が見えた、そんな表情を見せていたがすぐに陰りを見せ、また深くうつむいてしまった。
「でも……」
「まぁいいさ。それで、いくらまでなら出せるんだ?」
「・・・・・3万円でどうでしょうか?」
割に合わないな。しかし、マリーの名前が出てしまうとほっておく訳にもいかない。
「成功報酬でいい。できるだけやってみよう」
「ありがとうございます……」
「明日の夕方頃また連絡する。どうにもなりそうに無かったら、良心的な金貸しを紹介してやるよ」
なんともいえない表情をした彼女を残し、俺は席を立った。
時計を見ると午前1時を少し回ったところだった。紅麗に話を聞きに行きたいところだが、どうしたものか。王虎は雲隠れを決め込んでいるらしいが、俺の出現に対して陳がリアクションしてくるかどうかがわからない以上、会いに行くのも躊躇われる。まぁ、仁と組んだ時点で間接的な雇い主のようなものだが。
腹を決めた俺は紅麗に会うことを決めた。
しばらく歩いたところでお目当ての店、再見が見えた。おおよそスナックには似つかわしくない名だが、王虎は洒落っ気を出してつけたつもりらしい。
平日ということもあってか、中は盛り上がりに欠けていた。入ってきた俺を見てギョッとしたボーイが声をかけてくる。
「イッセイサン、まずいよ。老板に見つかるとタダじゃすまないね」
老板とはオーナーを意味する言葉、つまり王虎のことだ。
「俺には心当たりが無い。それにその老板は姿を隠してるんだろう?」
ボーイは返事につまった。が、面倒ごとはごめんだと目で訴え続けていた。
「紅麗に聞きたいことがあるんだ、いるかい?」
中には入れてもらえそうも無いのでボーイに聞いてみた。
「もう上がりで帰るところね」
そういったところで裏から紅麗がでてきた。あまり目を引くところが無いワンレンショートの女だ
「あら珍しい。私に用事?」
日本人と大差ない流暢な日本語を操る聞き上手、こいつは本当は日本人なんじゃないかと思っている。
「どうしても会いたくなってきたんだがボーイに邪魔されてね。これからデートに誘われてくれないか?」
「私は安くないわよ」
いたずらっぽい笑みと軽口を返してきた。
何か食べたいというので4度目の華厳に向かう。なにか気づいているのかいないのか、最近の客はけちだとか、お店が暇でお金にならないだとか、普通の飲み屋の娘のような愚痴をつらつらと並べ立てている。
華厳に入り料理を注文したところで少し、紅麗の空気が変わった。
「お話は、マナちゃんと一緒かな?」
やはり気づいていたか。まぁ、当然だろう。
「そうだ。今、どんな状況なんだ?」
「変な感じよ。たいしたきっかけがあったわけじゃないのにいろんな人が色めき立ってる。王虎や陳だけならともかく、爺爺まで」
爺爺というのはおじいちゃんという意味だ。身内ではないのだが、繁華街で稼いでいる水商売の女は皆狸爺のことをそう呼ぶ。
「お前の耳にはどんな情報が入ってきてる?俺に関することは何かあるか?」
そう聞いたところで料理が運ばれてきた。他人には聞かれたくない話だ、当然紅麗も口を閉じている。
「とりあえず、食べよ」
紅麗は運ばれてきた料理をつまみ始めた。俺は料理には手を伸ばさず紹興酒に口をつける。注文の品が揃い店員が来なくなってから紅麗は語り始める。
「マリーちゃんの噂が流れる前から、志村が怪しい動きをし始めたの。お金になりそうな匂いをかぎつけたんでしょうね、それが一週間くらい前。そのころには王虎と爺爺は日本のやくざと組む話をしていたし、陳も消される事を薄々感づいてた。陳は大陸の人間とコンタクト取ったみたいだけど、どうなったかはわからないわ」
仁の話ではそのコンタクトは成功して陳は大陸のバックアップを受けている。問題は狸爺がそれを見過ごしているかどうかだ。それに、繁華街での狸爺の地位があるからこそ大陸とこの街を繋げることができるのだ。いくら大陸が押したとしてもこの狭い街で乱暴者として知られている陳が狸爺の代わりになれるとは思えない。
「ま、まじめに働いてる人たちの支持は得られないでしょうから、大陸側も安易に手を貸したりはしないでしょうね。その気にさせるだけさせて、最後には裏切るんじゃないかしら」
黙ってうなずく。やはりマナに聞いた話と同じ、まぁマナの情報源なのだから当然だが。
「大陸側は次の人間はもう用意しているのか?それとも、王虎が続投か?」
「それは爺爺が用意してるわ。別の街で爺爺が育ててた流氓を使うつもりみたい。王虎や陳についてた人達が納得するかどうかわからないけど、爺爺の後押しがあったら逆らえないでしょうね。死ぬよりは従うほうがましだわ。王虎はドサクサで消されるでしょうね。今は手を組んでるけど爺爺はそのつもりだろうし、王虎もそれに気づいて保身に駆け回ってるみたい」
なんでもないといった風に殺伐とした言葉を吐いた。この街の動向に目を向けているとそうなっても仕方がない。
しかし、他の街で流氓を育てていたのは初耳だ。マリーもそこに預けられていたのだろうか?
「狸爺が育てた人間はまだこっちに来ていないのか?」
「何度か顔見せ程度には来たわ。そのせいで王虎は自分も消されることに気づいたのよ。自分の損になりそうな空気には敏感だから」
つまり陳を排除するまでは王虎と狸爺の利害は一致しているわけだ。陳がいなくなれば、虎と狸の化かし合いが始まる。
「狸爺が志村をつかって連絡をしているのはその流氓なのか?」
「そうよ」
即答した。マナの話では誰との連絡役に志村を使っているとはわからないといっていたはずだ。マナに話した後でわかったのか、それともマナにはわからないふりをしたのか。
そんな疑問を見抜いたのか微笑を浮かべて紅麗は言った。
「マナちゃんに全部話しちゃったら、私に会いに来てくれないでしょ?」
どこまで本気なのか、俺の周りにはこんな女が多すぎる。
「中国側の動きはそんな感じね」
「志村は連絡役以外の仕事もしてるだろう?マリーを呼んだのは狸爺の仕事だって聞いたぜ?」
何を言ってるんだ、といった顔で俺を見返してきた。違うのか?
「マナちゃんが隠してたのはそれね。知ってることちゃんと話さないから騙されるのよ」
呆れた様につぶやいた。
「マリーちゃんを呼んだのは爺爺じゃなくて志村。志村の独断よ。っていっても爺爺に気づかれずにそんなことはできないけどね。でもその件に関して爺爺はまだ手をつけてないわ。どこかで利用する気なのは間違いないと思うけど」
やはり志村の仕業か。そうなると俺を引っ張り出した人間は志村ということになる。志村は俺を使って何をしようとしているんだ?
「この件で私の知っていることはそれくらいね。他に聞きたい事はある?」
さすがに志村や金城会の噂は流れていないらしい。ふと思いついて聞いてみた。
「冴島美咲って知ってるか?」
「美咲ちゃん?知ってるけど、どうかしたの?」
予想とは違う反応が返ってきた。
「志村に金を貸したらしい。その金を取り返して欲しいって依頼を受けたんだ。どういう子なんだ?」
「志村に?仲良かったかしら……まぁ、頼み込まれたら断りきれない子だから。いい子よ、仕事は確か事務員だったと思うけど」
「普通の昼の仕事か?」
「そうよ。怪しいところも無い普通の会社に勤めているわ」
「どういう知り合いなんだ?」
「アリサちゃんの同級生よ。何度か一緒にご飯を食べに行ったわ」
「アリサと3人でか?イメージできない組み合わせだな」
「アリサちゃんとは意外と仲いいのよ。同じころに街で働き出したし、お客さんのことで情報交換したりしてたのよ」
「そうか……」
この街には一筋縄では行かない人間が多い。表も裏もだ。客を取り合う必要の無い、毛色の違う店の人間同士が情報交換する事は珍しくは無い。
「それで、なんで街で働いていない人間がそこに混ざるんだ?」
「美咲ちゃん、街でバイトしようとしてたらしいの。それで、あの店はどうとか、そういう話をしてたわ。看板と仕事の内容が違う店も多いから。結局はあきらめたみたいだけど」
「それはいつ頃の話だ?」
「んー……半年くらい前かな?」
つまり、そのころからあまり余裕のある生活はしていなかったというわけだ。それが何で志村みたいな奴に金を貸すことになったのか?アリサにも話を聞いてみる必要がありそうだ。
会計をしようとしたところでマナに有り金を毟り取られた事を思い出す。店にいたボーイは知った顔だったので明日払うと約束して店を出た。遅れて出てきた紅麗と別れ、街を歩く。
素寒貧になった俺はこれ以上できる事は無いと判断し事務所に帰ろうと歩き出した。
つけられてる。
尾行技術は素人のそれであった。目的は何だ?立ち止まり携帯を取り出す。電話するフリをしてさりげなく振り返ると尾行者は慌てて視線をそらした。小さくなった紅麗の後姿が見えたが、彼女には尾行者はついていないようだ。通りにたどり着いた紅麗がタクシーに乗り込んだのを見届けて再び歩き始めた。
俺を追い抜いていた尾行者はコンビニの前に立ち止まり電話するフリをしてちらちらとこちらを見ている。どう考えても怪しすぎるのだが本人は気づいていないのだろうか?人気の無い路地に入り、自販機の陰に隠れた。少し間をおいて走ってくる足音が聞こえる。俺を見失って慌てたのだろう。自販機を通り過ぎようとしたところで足を払った。盛大にすっころんだ男は一瞬何が起こったかわからなかったようで、不思議そうに俺を見上げた。俺は男の肩を蹴り仰向けに寝転ばせると胸を踏みつけ芝居気たっぷりにタバコに火をつけ男を見下ろした。
顔つきを見る限り日本人のようだ。アルバイト感覚の大学生といったところか、危なげな雰囲気は無い。
「誰に頼まれた?」
それだけ言って男を見下ろす。俺を見上げる男は恐怖で喋れなくなっているようだ。男の胸の上に座り、顔の横でタバコをもみ消すともう一度同じ質問を投げつけた。
「誰に頼まれた?」
「や……八坂さんに……」
「何を?」
「あの中華屋から出てくる女連れの男をつけろって……」
なるほど、俺と紅麗が一緒に歩いているのを見かけた八坂がよからぬ勘繰りをしているらしい。しかしこんなど素人をつけるあたり、本気で疑っているわけではないようだ。
携帯を取り出し八坂に電話をかける。呼び出し音が鳴らないうちに電話に出た。
「なんだ、もうばれちまったんですかい」
「俺と中国連中との仲を疑っているのか?」
「本気で疑っているわけじゃないが、一応ね。石橋叩いて渡れっていうでしょ?」
「それでこんな奴をつけたのか?石橋叩くにしても、豆腐で叩いたんじゃ意味が無いぜ?」
「相変わらずの軽口ですかい。それで、何かわかったんですかい?」
なるほど、こいつの目的は俺の尾行ではなく俺が知った情報を手に入れることか。そのために俺に電話をかけるように仕向けた。
「相変わらず回りくどいやり方をするな。今から行こう。どこにいる?」
八坂はこの近くの居酒屋で待っていたらしい。
「素寒貧なんだ、おごってくれよ」
乾いた笑いが聞こえてきた電話を切って、俺の下にいる男に目を向ける。
「報酬はなんだ?」
「えと……借金があって、それを帳消しにしてくれるって……」
馬鹿な奴だ、八坂は失敗することを前提にこの男を向けてきた。借金を帳消しにする気も無い。こいつはこの先も八坂の使いっパシリを続けさせられるのだろう。
「今回の仕事は失敗だな。いつか帳消しになればいいな」
青ざめた顔を見下ろして俺は約束の場所に向かった。