第2話
思考がフリーズする。
ヴィラン? ヴィランといったのか?
俺がヴィランに選ばれたって……?
眩暈がした。
冷汗が止まらない。
ヴィランとは、世界中の人々から忌み嫌われる、悪の象徴。
正義の象徴、ヒーローと対を為す存在だ。
「……嘘、だろ?」
どうして?
どうすればいい?
思考がまとまらない。
しかし、そんな俺の事情は知ったことかとでも言うように、無慈悲にも脳内では機械的なアナウンスが鳴り響き続ける。
『ヴィラン因子を適応しています……5%。……10%。……15%。……』
どういうわけだろう。
機械的なアナウンスが脳内に響き渡るたびに、ヴィランとしての価値観が、この体に刻み込まれてゆく。
おぞましい欲望が、着実に体を蝕んでゆくのが分かった。
(嫌だ……、嫌だ、嫌だ! やめてくれ! 頼むから、嘘だと言ってくれ!)
そんな俺の考えを無視するように、事態は進行していく。
このパーセンテージが100%になったら、俺はヴィランになってしまうのだろうか。
無意識に頭の中に思い浮かべてしまう、吐き気を催すような悪逆非道な行為。
しかし、それをしたいと、飢餓感にも似た渇望を感じてしまう。
肉体にも、何らかのエネルギーが満ちてゆくのを感じる。
これが、ヴィランとしての力の根源、ヴィラン・エナジーというやつだろう。
『……100%。……完了しました』
無慈悲に、そう告げる機械的な音声。
完了した、ということは俺はヴィランになってしまったということだ。
がっくり、と全身から力が抜けた。
もはや、ベッドから起き上がろうという気力も湧かない。
「うそだ……。こんなの、ありえ、ない……」
頬を伝い、涙がこぼれ落ちる。
気分は最悪だ。
最悪な、はずなのに……。
どうしてか、高揚感があった。
気分が良くなる要素なんて一つもないはずなのに。
心はちぐはぐで、気持ちが悪い。
俺が、俺じゃないみたいだった。
ただひたすら恐ろしかった。
ヴィラン因子、とやらによって人格が作り替えられてしまったのだろうか。
再び、忌々しい機械的なアナウンスが脳内に鳴り響いた。
『あなたのヴィラン等級は悪夢です。
ヴィランネーム、固有スキルを付与します。
ヴィランネーム:ジョーカー
固有スキル:本当の嘘
それでは、幸運を祈ります』
それきり、アナウンスは途切れた。
(ナイトメア……。俺がナイトメアか……ははは……)
ヴィランには、等級がある。
レベル1からレベル5まで。
数字が大きいほうが、強いヴィランとされる。
そのレベルの枠にはまらない規格外のヴィランがいる。
悪夢だ。
それは、その名の通り、人類社会にとっての悪夢だ。
悪辣な能力、莫大なヴィランエナジーを与えられた、生きる災害とも言うべき存在。
そんなものになってしまったらしい。
もはや笑えてくる。
俺に与えられた能力は、嘘。
エナジーの消費量次第では、際限なくありとあらゆるものを欺く異能だ。
なぜ分かるのかと言えば、ヴィランとしての能力も、最低最悪な価値観といっしょに脳内に刷り込まれている。
だから、この最低な能力も、呼吸をするように簡単に扱えるだろう。
それにしても、なんて最低最悪な能力だろう。
世界を欺く嘘。
ヴィランエナジーの尽きぬ限りの現実改変。
ヴィランとしての自分が囁く。
この力を思うがままに振るえたら、どれほど楽しい事か、と。
(……いや、ダメだ……! 考えちゃだめだ!)
これまでの人生、15年間信奉し続けてきたヒーローへの憧れ、ヴィランへの敵対意識は、とても強固なものとなっていた。
普通のヴィランであれば、能力をどうやって悪用するかの計画に入っている所だろうが、俺はそうはいかない。
このどうしようもないほど甘美な誘惑に、抗うことができる。
(俺はヴィランじゃない、俺はヴィランじゃない、俺はヴィランじゃない…………!!)
それでも、そう長くは持たないだろうことも解っていた。
いまはなんとか我慢できたとしても、きっといつか、この黒い欲望に屈する時が来るのだろう。
胸の奥底から湧き上がってくるこの欲望は、そう確信してしまうほどに強固なものだった。
そのことが、どうしようもなく腹立たしくて、悔しさがこみ上がってくる。
(ヴィランになんて……絶対になってやるもんか)
そうだ。
そこで、俺は閃いた。
俺の異能は、嘘。
俺自身を欺いてやればいいんだ。
(俺はヒーロー、俺はヒーロー、俺はヒーロー……)
心の中で、そう何度も念じる。
固有スキルの発動は、とても簡単だ。
強く願えばいい。
「トゥルー・ライズ……、俺はヒーローだ」
固有スキルを発動させる。
欺く対象は、自分自身だ。
ヴィランエナジー。
ヒーローエナジーと同質の不可能を可能としてしまう未知のエネルギー。
それが、固有スキルの発動によって指向性を持ち、俺の体に作用する。
ヴィランエナジーが消費されてゆく。
身体の、具体的にどことは言えないが、確かにそこに在った熱量が抜け落ちていくのを感じる。
それは、スキルがきちんと発動したサインだ。
それを示すように、体に確かな効果が表れた。
スゥっと、胸を焦がすようなどす黒い欲望が引いてゆくのを感じる。
頭から熱が抜けて、意識が冷静さを取り戻す。
「はぁ……はぁ……」
穏やかとはとても言えないが、さっきまでの制御できないような感情の波は静まっていた。
そして、そこで俺の意識は途絶えた。