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ゆず

掴まれていた制服の裾を何気なくもてあそびながら家に着くと、玄関で揺れる人影があった。

「…柚葉?」

ウェーブのかかった髪が風に揺れてその表情がちらりと見える。

いつもより少し曇った顔、俺の声にも気付いていない。

そっと肩を叩くと、勢いよく振り返った。

「時雨、遅かったんだね」

俺と目が合うと笑顔になった柚葉だが、その表情には少しかげりがある。

「何かあったのか?」

とりあえず家の鍵を開けて、柚葉の肩を抱き家に入る。

無言のままの柚葉をリビングの椅子に座らせる。

「ごめんね、時雨も忙しいのに」

やっと口を開いても俺の心配をする。

昔から自分の辛い気持ちを隠す癖があった。

「ゆず」

小さい頃の愛称で呼び掛けると、柚葉は俯きがちだった顔をあげた。

「言ってごらん」

柚葉はいつもとは違うへらりとした笑顔を浮かべて、そして次の瞬間にはその頬を涙が伝っていた。

「しー、ごめんね」

その呼び名を呼ばれたのはいつぶりだろうか。

謝るばかりのその姿を見て、出会ったばかりの頃を思い出した。


「隣に越してきた早乙女です」

雪の降っている寒い夜、小さな女の子の手を引いた若い女が家を訪ねてきた。

「南野です!よろしくね。お子さんはおいくつ?」

俺の母の質問にその女は少し顔を歪めたように見えた。

「柚葉、挨拶しなさい」

不思議な雰囲気だった。

まったく子どもの方を見ないその女はその子の名前を嫌そうに呼んだように聞こえた。

「早乙女柚葉です、四歳です」

笑わない女の子は虚ろな瞳で俺と俺の母を見ている。

「おれ、南野時雨!よろしくな!」

手を差し伸べると、おずおずとその小さな手が俺の手を包む。

少しだけ染まった頬は、寒さによるものかどうかなんて考えていた。

いつも昼頃に家を出て翌朝帰ってくるような早乙女家の母親のライフスタイルがわかってから、柚葉はうちの家で過ごすことが増えた。

「今から私仕事だから、ゆずちゃん時雨をお願いね」

病院の夜勤が多い母は、だいたい夕食を終えてから家を出る。

それからは二人の時間だった。

「ゆず、今日は何する?」

「しーのやりたいこと」

自分の意見をなにも言わない柚葉に苛立ち、幼い俺はつい口調が荒くなった。

「ゆずはいっつも自分のこと言わないんだな、そんなんじゃ臆病者だぞ」

そう言うと必ず柚葉は「ごめんね」と謝る。

謝って、結局は何をしたいのか言わない。

ある日の夜、痺れをきらした俺は幼いながらに真剣に柚葉と向き合った。

「ゆずはゆずのしたいことすればいいじゃん。おれだってゆずのしたいこと知りたい」

肩にかかるふわふわの髪の毛、大きい伏し目がちな瞳。

その両方が少し震えて、ゆずは初めて俺の前で泣いた。

「わたしは、愛されたい」

たったの四歳の子が、自分と同じ年の子がこんなことを言うなんて予想もしていなくて、俺は絶句した。

こんなに可愛いのに、いい子にしてるのに。ゆずはお母さんにあいしてもらえないのか?

そう思っても口にはできなかった。

「それ、おれでもいいのか」

口をついて出た言葉は子どもながらに偽りじゃなく真剣で、戸惑う柚葉の涙も止まった。

「ずっと一緒にいるから、おれにはちゃんと自分の気持ち言えよ」

言いながら恥ずかしくなって目線をそらす。

柚葉は微笑んでいて、今までとは違う心からの笑顔だと思った。

「しーだけにはちゃんと言うことにする」

その笑顔は何年たっても忘れられないくらい、嬉しかった。


「久しぶりに母がいたの、ちょっと言い合いになっただけ」何を言われたのかわからなくてもそれが深く柚葉を傷つけたことはわかった。

「落ち着くまでうちにいろよ。別にこっちに住んでたってうちの親はなんも言わねぇし、むしろ喜ぶぞ」

俺の親は柚葉を娘のように溺愛しているし、すでに半分住んでいるようなものだ。

「このままでいいの。今のままで充分すぎるくらい幸せだから、欲張って全て失うのが怖いの」

少し落ち着いてきたのか、いつもの笑顔が戻っている。

やっぱり、いつもみたいに笑ってる柚葉がいい。

「柚葉の好きなようにしたらいい」

その日の晩はうちに泊まり、ベランダづたいに自室から荷物を持ってきた柚葉は翌朝そのまま俺と登校した。

いつもと変わらない朝の風景。

このまま何事もなく平穏な日常が過ぎていけばいい。

決して誰も傷つくことなく。

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