(29)「な、何するんですか?」
「それは困ります」
震わせる小声で、初めての音声。
「しゃべっていいなんて言ってないんだけど」
「すみません。で、でも、俺がやらないと妻の借金がチャラにならないんです」
「借金返済のためってこと!?」
縦に振る。
「あいつを殺って、奥さんの借金がチャラになるなんて保証がどこにあるの? あんたが死んだら分かんないじゃない」
「……でも、俺にはもうこの方法しかなくて……」
「まったく……その借金っていくら?」
「400万、です。200万の利息がついちゃって。このままだともっと増えていきます」
「200万の……あんた完全に操られてるわ。……たった400万で命かけんの?」
躊躇なく首を縦に振る男に、怒りもあるが、呆れの情が強かった。
「はああぁ」
ため息後、ターゲットらを目視。トレーニングを終えシャワー室へ向かったことを確認出来た。もう少し時間があることを察し、質問を続ける。
「っで、あんたどっかの組の人?」
「山吹組です」
「えっ!? 山吹組って言ったら、瀬良と同系じゃない?」
頷いた。驚いた私は男の横っ腹から物を外し、彼の腕を引いて壁奥へと移動。当然私は彼の顔を、彼は私の顔を拝むことになった。
(仕方ない、こいつも後で処理するか)
「どういうこと?」
「今、分裂騒動があって、あちらさんとは敵対しています。詳しいことは知りませんが、瀬良は裏切り者らしく、すぐに片をつけたいと聞いてます」
「……それで、あんたに白羽の矢が立った、ということね」
頷く男。
「でもあなた、人殺したことないでしょ?」
素直に縦に振る。
(だよね)
思慮した。
依頼された以上、私はターゲットを処理しなければならない。この男が殺ったとしても依頼人は良しとするだろう。ただ私のプライドが許さない。そう感じていた。
最初に閃いた策を練り直し、この男を巻き込んで実行することを策す。彼は私をジーッと見つめている。私は、彼の全体を見渡した。身長は高くないが、運動神経は良さそうに思えた。
「あなた、足、早い?」
「足ですか!? 昔陸上をやってたので早いほうだと思います。でも俺は逃げるつもり、ないです」
「違うわよ。囮になって欲しいだけ。舎弟たちを誘き寄せて、瀬良から離して。その間に私がやつに近づくから」
「それじゃぁ俺の手柄になりません」
「最後まで聞きなさい。あなたは出来る限り早く、舎弟を撒いて。戻って来て瀬良に仕掛けしたことにしなさい。勿論戻ってこなくていいわ。私が仕掛けておくから。銃や刃物なんか使わず殺るのが得意なの、私。ただ日数はかかるわよ。三日後に効き目が出るから、そのつもりで」
「その間、俺は何て誤摩化せば……」
「そのくらい自分で考えなさいよ! って言っても難しいわよね。……あなた、名前は?」
「たむら、田村要です」
「それじゃ〜たむらさん、4日の夜7時前、泉大津の●●●ホテルに来て。サラリーマン風の真面目そうな恰好がいいわね。
その日、瀬良は五階で食事する予定なの。たむらさんがそこにいた証明だけあれば十分だから、彼らに近づく必要はないわ。一階ロビーでコーヒーでも飲んでて。レシートは必ず貰っておくこと。
それから途中トイレに行って。その時、スタッフに「まだ片付けないでください」とか声を掛けておくこと。出来ればトイレは五階のを使って。もし仲間がいて無理そうなら、四階でも六階でもいいから。トイレから戻ったら数分程度でホテルを出なさい。
そうそう、その夜は組の人に会わないでね。
それから組の人たちには、一週間以内に片をつけると、少し長目に伝えておくことね。チャンスが来た時点でやります、とでも誤摩化しておいて」
キョトンとしている男に、付け加えた。
「つまり、たむらさんが計画して殺ったことにすればいいのよ。どうやって殺ったのか訊かれるでしょうけど、内緒にしておけばいいわ。安易に教えられないってね。それでも知りたがる人いるでしょうから、瀬良にしか効かない方法って言っておいて」
「もっと詳しく教えろって、兄貴が言ってきたら……」
「そうね、ヒントあげるわ。アナフィラキシーショックって知ってる?」
「アレルギーの酷いやつですよね!?」
「そう。彼ね、海老アレルギーなの。五年前に一度病院へ運ばれてるから。……後は自分で考えなさい」
ちょうどその時、瀬良と舎弟がシャワールームから着替えて出て来た。
「いぃい! 彼らがあなたに気付いたら、すぐに逃げること。捕まったら意味ないからね」
男から離れようとする私に、不安そうな声。
「な、何するんですか?」
含み笑いを男に見せ、何事もなかったように男と離れた私は、瀬良に歩み寄る。唖然とする男の表情が、目に浮かんでいた。




