(25)闇への指令は…
彼の右手と私の右手がガッチリと握手を交わす。美人でない私は、出来る限り可愛く見せるために、満面の笑みで誤摩化す。彼はぎこちないが笑顔になった。
「では、また」
そう言いながら、背中を向け、彼から遠ざかり店舗を出た。一度も振り向かずに。
(ああ〜、疲れた〜)
立ち止まり、肩で息を吐く。そして……
(闇嘔、終わり!)
そう、彼と握手した際、依頼人の闇を注入した。もちろん、彼には痛みも痒みもない。だが確実に私の体内には、今空港にいるだろう彼女の闇は一欠片も残っていない。無事遂行した私は、駅へ向かい、帰路につく。
多少の不安要素として、パチンコ店の防犯カメラに私が長時間収められている、ということ。そんなこともあるため、シングルで闇嘔を実行する際は必ず、対策するんだけど……。
今回は、肩甲骨辺りの黒艶ロングヘアにシャギー、大き目の黒ぶちメガネに長めの睫毛。口元右下と左こめかみには二ミリ程度、首の右側に一ミリ程度の三つの黒子を付けた。脱着タイプの八重歯を特徴とした義歯。丸顔対策の小顔メイク。さらに、左手首には青バラ、右手首には西洋剣のシールタイプのタトゥーでワンポイント。
つまり、多少の変装をしていた、ってこと。
(まっ、子ども騙しだけどね)
人間の短期記憶性能を利用すれば、充分だ。
彼、村井俊司に闇嘔した、指令を出した依頼人の闇。複数に分裂させ、それぞれに指令を植え付けてある。プログラミングするように。
彼は外泊することがあるため、自宅に帰るよう風邪気味の病状にさせること。体温を上げ、鼻水を出し、咳を出すよう、各器官への指令。
大脳皮質などに対し、レム睡眠中の夢は全て、部屋中に広がる火災と全身丸焼けするシーンのもの。これは、彼が子どもの時に体験した実家の火事がトラウマになっていたからだ。
そして三日後、幻覚と幻聴を与える。火災の悪夢から目覚めた時、実際部屋が火と黒煙に包まれているシーンの幻覚である。息苦しさや熱さなども誤感させることに。その際、助けを呼ぶ声を出させないために声帯にも細工する。
彼がマンションベランダに出た時、両隣も火事になっており、隔板も燃え、下階への非常階段は視野から消すことに。逃げ道のない彼に救いの手の幻覚と幻聴。消防団の梯子車が目の前まで助けに来ている。その先端のバスケットにいるのは消防士ではなく、依頼人の彼女。彼を助けに来たのだ。軽くジャンプすれば届くところまでバスケットの彼女はいる。「あなたなら大丈夫。早く跳び乗って!」という彼女のセリフを聞くことになる。
火事にトラウマを持っている対象者は、怪しむ余裕もなく幻覚の彼女に向かって跳ぶだろう。
もしその場面で跳ばなくても、次のプランも設定。火がベランダまで押し寄せてくる。燃え盛る部屋から燃える人影が二体、彼に近づいていく。窓まで来ると、その人影の顔が現れる。彼が殺した依頼人の両親の顔だ。恐怖でベランダに塀上に登るだろう。燃える両親の四本の腕が彼に向けて伸びてくる。同時に部屋から爆発的な炎も襲わせる。バランスを崩して落下するように……。
もし、ベランダの塀に両腕でしがみつくならば、その際は火が彼の衣服に燃え移り広がる幻覚と、胸、首、顔が火傷するような熱さと痛みを与える。同時に「手を離したほうが楽だ」と脳に囁く。下階からも火の手と舞い上がる黒煙が彼を包む幻覚と、喉頭蓋を収縮させ呼吸困難状態を作り出す。苦しさに耐えきれず、自ら両手の力を抜くだろう。
これでジ・エンド。
全て、対象者の意識、言動に対して反応するような手筈にしてある。完璧な自殺に見せかけるために……。
三日後……
――「二年前の不動産社長夫婦殺しの公判で、先月証拠不十分で無罪となった村井俊司さん35歳が、本日早朝、自宅マンション敷地内で死亡しているのが発見されました。警察によりますと自宅のある八階ベランダから飛び降りた可能性が高いもようです。遺書のようなものは見つかっておらず、自殺と事件の両面で捜査を続けているとのことです。では、次のニュース――」
(元婚約者……結婚……父さん、元気にしてるかなぁ……お母さん……私……結婚、自信ない……男なんてろくなやつ……男なんて……この力、伝える……子ども……私の子ども……欲しい……)




