(15)復讐成就
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閉じていた目を突然見開く大きな目は、血走っている。額全面には小粒の水滴。首、背中、手の平、足裏までもベタベタ。
怖い夢でも見ていたのだろう。唸りながら、目覚めた男は、刑務所の部屋にいることに気づく。首を左右に動かせば、寝ている他の囚人たち。
(夢かぁ)
少し安心している様子で体勢を仰向けにし、灯りのないダークグレーの天井を見た。
だが、安堵していた彼の目に飛び込んできたもの――凹凸のない天井から、何やらモッコリと浮き出てきたと思った瞬間、再び目を見開く。輪郭がハッキリしてきた、女の顔。
(これも夢か!?)
錯覚と思ったのだろう、左手で両目を擦る囚人。消えることのないその顔を、恐怖を感じつつもマジマジと見ている。首の汗は重力に沿って流れた。
「ゴクッ」
喉仏が動く。その瞬間、女の両目が瞬時に開き、白眼球の中央の黒点が男を睨む。
「ぅわあっ〜」
叫んだ男のせいで、同房の囚人四人も目を覚ました。
「全くぅ、何だよ?」
「どうしたんだ?」
身体を敷き布団から浮かし、キョロキョロと叫び声の主を探す。鉄格子部屋の中で、叫んだ囚人が年齢的にも一番下で、かつ入所歴も最も浅い。トイレに近い端で寝ていたはずの彼の震える腕と人指が差す天井を先輩方は見るが、
「何にもねぇじゃねえかぁ」
「夢でも見てたんじゃねぇの」
今は何も見えていない彼は、「さっさと寝ろ」の先輩のコトバに従う。眠り付いた囚人は、一時間もしないうちに再び悪夢から目覚めた。
「うわぁああ〜」
絶叫すると同時に、上体を起こす。呼吸は乱れ、脂汗が全身を纏う。首元、背中はビッショリ。反対に口の中は水分不足だ。
「ったくぅ」
「ぅっせぇなぁ〜」
同房囚人が我慢しているのが彼にも分かる。ただ顔を向け、謝る余裕もない。それどころか、息を飲むように荒れた呼吸を無理矢理収めた。少し俯き加減の彼の目に、ドス赤い斑点が一つ、また一つ、掛けている灰色の毛布に生じた。怖々の表情でゆったりと顔を上げる。何かが上から液体が垂れてきていた。視点が天井に定まった時、液体の正体が分かった。浮かび上がる女の口元から流れ出る血。
「わわわわわっ」
反射的に両手両足で、座った状態のまま後方へ回避。雑居房の壁に背中が付くまで。目覚めても休まることはない。当然、機嫌の悪い起こされた同房囚人。
「いい加減にしろよなぁ」
「てめぇ、今度起こしやがったら、どつくぞ」
そんな怒鳴り声より、天井に見えるもののほうが怖いようだ。先輩方に謝ることもなく、天井から視線を動かせず、ただ震えていた。
幻覚はさらにヒートしていく。女は天井だけでなく、壁、床からも。隣で寝ている囚人の後頭部からも浮き出てきた。トイレで小をすれば、溜まりから頭が出てくる。食事は血が湧き出、錯覚だと思い我慢して一口食べても血の味しかしない。喉も通らず、捨てる。三食とも口に出来ない彼は、血臭い水さえも飲めないでいた。昼間作業していても、幻覚は現れた。追い払おうと作業用金槌を振り回す。何度も刑務官によって取り押さえられた。仕事にならないため、医務室で休むことになるが、悪夢が襲う。結局は眠れず、頭から毛布を覆い、ただただ震えていた。雑居房に戻っても同様の姿。
就寝後、怒りを抑え精神的に病んだ彼を無視して寝ていた先輩らだったが、堪忍の緒が切れた。新人囚人は、幻覚のみならず、幻聴まで現れる。毛布で視野を防ぐも、聴こえてくる女の叫び声と笑い声は防げない。男は囁くほどの声からボリュームを徐々に上げ、叫んでしまう。
「やめてくれ〜 やめてくれ〜 お願いだから〜……もう、やめてくれよ〜!」
先輩の一人が激怒。毛布で隠れる彼から、毛布を取り上げた。その瞬間、彼に視えたのは先輩囚人ではなく、両目と口元から流血しているセミロングの中年女。
「てっめぇ〜、いい加減にしろよぉ。やめて欲しいのはこっちのセリフだあああ」
彼の横腹に蹴り一発。痛みで踞る彼の背中を、何度も足で憎しみを込めて踏みつける先輩。刑務官らがやってきた。
「お前ら、何やってるんだぁ!」
他の囚人にも止められ、その場は収まる気配だった。しかし踞っている男は……
「あ、あいつ……あ、あの女だ……や、やばい……」
何かが切れた。
「うおおおおお〜」
突然立ち上がり、充血した目で四人を睨む。先輩四人も男を怪訝そうに睨んでいた。男の目に視えているのは、全く同じ顔をした四人の流血女。
「死っねぇえええ〜」
四人に襲いかかる男は完全にイカれた。蹴る、殴るの連発。二人の先輩が抑えようとするが手に負えない状態。ケンカ慣れしているのか、殴られても倒れても襲ってくる男は、四人中二人に怪我を負わせた。
集まった三人の刑務官に抑えられ、医務係によって尻に注射。鎮静剤が効き始めた頃、独房へと連れて行かれた。
薬で眠るが悪夢や幻覚、幻聴などは続く。翌朝には四十度を超える発熱、急激な血圧低下。恐怖で心身異常をきたした男は、病院へ搬送。
昼前、心不全で死亡した。
怨みと怒りをかった、24歳男の末路である。
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私の母の仇は19歳の春、依頼して二日後に達せられた。
私の闇ではなく、実父の闇によって24歳の犯罪者は、この世から消えた。
この事は、修行のために祖父と暮らしている時に訊ねたことがある。どのように行なったのか、と。教えてくれたが、初めて知ったこともあった。
それは、直毘師の存在。刑務所内ということで、祖父の接触による闇嘔、つまり闇の注入は出来ない。そのため、幽禍(闇付き命)を制御できる直毘師とコンビを組んでいたのだ。




