(1)被害者の私
拙作小説『ヴィタリスト』の湊耶都希の物語です
※
湊耶都希は神戸出身の設定なのですが、中途半端な関西弁を使うと関西の方に怒られそうなので、標準語で書いてますf(^^; ご理解下さい。
平成16年4月初旬の兵庫県三田市。
世間では進学、就職で人生の転機を悦ぶ若き男女たちが溢れている時季。
でも、同じ年の私には無関係。カーテンを締めきり引き籠もる六畳程の畳部屋で、一日中上下スウェット姿の私。クッションを尻に敷き、壁に寄りかかったまま、いつものようにネットサーフィン中。
偶然見つけた書込み情報が、私の目に飛び込んできた。
(加害者、連続死亡事件?)
『加害者連続死亡事件』――そのコトバに惹き付けられた私、であることは間違いない。
さらに調べ始めた。でも、過去の事件記事やいい加減な口コミばかり。背景や犯人などについては、皆無に等しい。
インターネットが普及し始めた頃だから、情報が少なく曖昧であることは、ある意味仕方がなかった。
話題になった発端は、平成5年のある月刊誌の記事のようだ。
当時の記者は、平成4年時の刑務所内死亡者増加をキッカケに調べている。『加害者連続死亡事件』(記者予想)は、昭和59年頃から始まっている、とのこと。
加害者、容疑者は全て殺人罪に関わる者で、不審死、不慮の事故死、急病死、事件死が全国で発生している、という内容である。
日本の場合、殺人罪であっても二割前後は執行猶予が付く。また起訴されたとしても、証拠不十分で無罪になることも多い。科刑されても、被害者側からすれば軽罰と感じるのは、仕方がない。
昭和60年以降は無罪放免になった者、あるいは仮釈放になった者の死亡が確認されたが、平成4年には服役中囚人たちまで不審な死を遂げている。
記事には、犯人につながること、背景などは全く記述されていない。
当時はまだ、一般の電子掲示板が普及していないため、後々の口コミになるが、一括りにすれば連続だが刹那的に見れば関係ない、との批判も多い。
以降、二年に一、二度程度、これに類似した記事も発見。
平成13年11月の記事抜粋には、加害者、容疑者の不審な死、不慮の事故死、事件死が、同年4月でパッタリとなくなった、と記されている。
囚人の病死は増加しているが、刑務所内の高齢化が原因であると関係者が語っている、との説明もある。そのため、『加害者連続死亡事件』は終止符を打った、とまとめてあった。
(二年前に……終わったのかなぁ?)
その加害者死亡に関わる犯人が逮捕されているような、記事は一切見つからない。
ネット上での情報が少ないことに不満を感じ、さらに詳細を知りたいという強い欲求を抱いた私は、取り憑かれたように動き出した。
この春、同年代の者たちと違う環境下におり、ネット上の『加害者連続死亡事件』に惹かれた私は、三浦耶都希。現在18歳。
高校を卒業し、大学へ進学、新たな春を迎えている……そんな予定のはずだった……が、全て狂ってしまった。
三年前にあの場所に行かなければ……あいつらに会わなければ……たった数分の出来事がなければ……。私にとって、天からプレゼントされた最々悪のクリスマスイベント。イヴの夜、愛する母の亡骸を、突き付けられた。
私はそんなものを願ったつもりはない。母からのプレゼントだけで十分満足だった。大好きな母と愉しく過ごすことが、神様からの最々々良のプレゼントだったのにも関わらず……裏切られた。その時以来、クリスチャンであることを、やめた。
(試練? ……ふざけるな! 乗り越えたなら母は戻ってくるのか。返してくれるのか。……人はいつか死ぬ!? ふざけるな! 寿命で死ぬことと殺されることは違う。母を殺された私に試練を乗り越えろだって!? ……じゃあ私が、お前の愛する家族を殺しても、同じセリフを自分に言い聞かせられるのか。……私は絶対許さない! 母を殺したやつらを。私を苦しめた偽善者たちを。人間を創った“神”、いや“神”という未確認的存在を作り出した人間を。……あいつ、出てきたら絶対殺してやる!!)
三年を過ぎた今も尚、その想いは変わらない。いや、変わった。殺意は、明確になってきていた。