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とりあえず最終章(9)

 克之が驚くほどてきぱきと動いてくれたお陰で、台風で運ばれてきたゴミや小枝はお昼前にはすっかり片付いた。雨で汚れた手すりなども、綺麗に拭き取られている。

「よし。これでお前への義理は果たしたな」

 克之は満足げにそう言うと、やれやれとでも言いたげに腰を伸ばした。

「どうもありがとう。本当に助かったわ。お昼ご飯用意するから、食べてちょうだい。午後から、もうひとつお願いしたいことがあるから」

「え? もうひとつ? 何だよ、それ。聞いてないぞ」

 そりゃそうだ。さっき掃除をしながら、必死で考えたのだから。

「ご飯を食べてからのお楽しみよ。さあ、家に戻って汚れた手を洗って」

「なんか、美樹さんに声をかけられてるみたいだな。お前、顔はあんまり似てないけど、声だけはよく似てるから」

 克之が困ったような顔をして言う。美樹というのは、私の母親のことだ。克之にとっては義理の母になるのだが、最後まで「お母さん」とは言わず、名前で呼んでいた。ひとまわりほどしか違わなかった上に、母は見た目も若かったから、仕方ないことなのかもしれない。

「どうせなら、顔が似てくれればよかったんだけどね」

 美人と言われていた母の顔を思い浮かべながら、ため息をつく。実の父の顔は知らないが、どう考えても私はそちらに似ているようだ。

「まあ、似たい方には似ないのさ。お互いツライな」

 克之はそう言うと、戸建ての階段を上っていった。


「え? 虫干し?」

 克之が素っ頓狂な声を出す。少し早めの昼食――焼うどんを食べた私は、克之にやってほしい仕事を依頼したのだ。

「そうよ、虫干し。お父さんがアトリエに飾ってた絵なんだけど、ちょっとカビちゃってるものもあるのよ。だから、風通しをしたいと思って。額から外して、干そうと思ってるんだけど」

 私はそう言いながら、押入れを開けた。衣装ケースの中から、いくつか父の絵を取り出す。すべて水彩画で、大きなものから小さなものまで、サイズはいろいろだ。

「わざわざ額から出して絵を干すなんて、聞いたことないけどな。ちゃんと乾燥剤とか入れて保管してるんだろ?」

 私が取り出した絵を手に取りながら、克之が尋ねる。

「うん。そうしてたんだけど、押入れってやっぱり湿気がこもるらしいのよね。しかも、雨漏りもあったりしたもんだから」

「雨漏りか。駒田さんの話だと、相当ボロいって話だったからな。実際に見てみたら、綺麗な建物で驚いた」

 克之がつぶやくように言う。

「リフォームしたからね。あのままだったら、今回の台風に耐えられたかどうか」

 私が苦笑すると、克之が視線を上げた。

「そうか、そりゃ大変だったな。リフォームは意外と金がかかるからな。俺も、古い雑居ビルばかりつかまされて……なんて、今更恨み節言っても仕方ないけど」

 不動産事業の失敗を思い出したのだろう。彼は小さくため息をつくと、手にしていた額縁をひっくり返した。可憐なタンポポが描かれた、小さい正方形のものだ。留め具を動かして裏の板をはずす。

「あれ、何か書いてあるぞ」

 克之が、絵の裏面を指をさした。覗き込むと、そこには、父の字で何か書き込まれていた。

「『河原にて。可憐なタンポポの花を見ながら、美樹のことを思う。私と結婚さえしていなければ、彼女はもっと長く生きていたかもしれない。後悔ばかりだ』だってさ。これ、タンポポの絵だったよな。その説明かな」

 克之が首を傾げる。

「ええ。もしかして、全部の絵にこういうメッセージが書かれてるのかも」

 私は言いながら、手元にあったつくしの絵をひっくり返した。裏板をはずすと、やはり絵の裏側には、父の字が並んでいる。

「『3本のつくし。則之、克之、麻奈美、3人の子どもたちのことを思い出す。皆、こんなふうに、力強く上を向いて伸びて行ってほしい』――ねえ、やっぱり、全部の絵に書いてあるのよ、きっと」

 順番に見てみようか、と言う私を克之が止める。

「それやり出したら、干す時間がなくなるぜ。――ところで、どうやって干すつもりなんだ?」

「ほら、雨の日に洗濯ものを干せるように、部屋にひもを渡してあるでしょ? そこに洗濯ばさみで吊り下げていったらどうかと思って」

 私は、洗濯ひもを指さしながら言った。

「なるほどな。絵の余白の部分を挟んでつるすってことか。でも、素手でやったら、手の脂とかが付いて、更に悲惨なことになりそうな気がするけど」

 克之の指摘にはたと手が止まる。

「どうしたらいいかな」

「そうだな。お前、ハンカチ持ってるか? そしたら、それで直接手が触れないように持ち上げることができるんじゃないか?」

 克之に言われ、私は頭をかいた。

「ハンカチなんて持ってないわよ。今は全部ハンドタオルだから」

「は? ハンカチも持ってないのか。呆れた奴だな」

 出先といえば、スーパーか管理会社か女子会か。そんな中でハンカチなんて使うことすら無くなっている。

「どうしよう」

 また尋ねると、克之は首を傾げた。

「そうだなあ。鑑定士なんかが使ってる、白い手袋があったらいいんだろうけどな。そんなもの、ないだろ?」

「ない……こともないわ」

 私は立ち上がると、ダイニングテーブルに置かれたスマホを手に取った。かける相手は山下探偵だ。

 もしもし、という山下に軽く挨拶をすると、白い手袋を持っていないか尋ねた。仕事柄、指紋が付かないように手袋をはめることもあるだろうと思ったからだ。果たして結果はイエス。何組かあるので、貸してくれるという。

「ありがとう。じゃあ、今取りに行きますから、よろしく」

 機嫌よく電話を切ると、話を聞いていた克之が、座ったまま顔を上げた。

「お前、ずいぶん図々しくなったな」

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