とりあえず最終章(7)
「もう起きようかな」
枕元にある目覚ましを手に取りひとりごつ。デジタル表示は6時20分になっていた。
ベッドの下でカーカー寝ている克之を横目に、私は夕べ、ほとんど眠ることができなかった。瓦が飛んでたらどうしようとか、夜までどうやって克之を引き留めようかとか、次から次へと心配事が浮かんでは消え、気が付けばカーテンから朝日が射しこむ時間になっていたのだ。
昨日の昼間から寝続けている克之を起こさないよう、そっとベッドから降りると、閉めてあった引き戸を開けてダイニングに向かう。あらかじめ用意しておいた服に着替え、バッグを持って外に出た。コンビニに、克之の替えの下着や髭剃りを買いに行くためだ。
昨日の荒れ狂った天気が嘘のように、頭上には綺麗な青空が広がっている。敷地内には、木の枝やゴミなどがあちこちに溜まっていたが、とりあえず瓦は無事で、ほっと胸をなでおろす。
自転車置き場に行き、はたと手を打つ。バイクは山下の探偵事務所の中に避難させてもらっていた。この時間では、山下はまだ起きていないだろう。
あの熟睡ぶりなら大丈夫だとは思うが、不在中に克之が出ていってしまったら大変だ。急いで行って戻らないと。私は朝の空気を胸いっぱいに吸うと、コンビニに向かって小走りに歩き始めた。
階段を駆け上がり、ドアを開ける。玄関の土間には、克之の汚い靴が並べられていた。逃げ出してはいないらしい。
部屋に入ると、早速お風呂場に向かい、買ってきた髭剃りとシェービングクリームを置く。そして、脱衣所に置いたカゴには下着類を、洗面台の上には歯ブラシセットをそれぞれ用意した。
「ん?」
寝室との仕切りを開けようとして手が止まった。テレビの音が聞こえる。そっと引き戸をずらして中を見ると、克之が床に正座し、テレビを凝視していた。布団は無くなっている。押入れにでも入れたのだろうか。
「お兄ちゃん、おはよう。起きてたのね」
声をかけると、彼は私の方を見た。
「おう、おはよう。布団、片付ける前に干した方がいいかと思って、ベランダの手すりにかけておいたけど、よかったか? 布団はさむやつ、探したら押入れの中にあったから、それを使ったぞ」
いつもはベランダの手すりにぶら下げているのだが、昨日は台風ということで、押入れの中に放り込んでいた。
「うん、助かるわ。どうもありがとう。――今から朝ごはん作るから、シャワー浴びてきて」
引き戸を全開にしながら言う。
「昨日入ったからいいけどな」
克之がぼさぼさの頭をかく。
「ヒゲ、昨日よりさらにひどいことになってるわよ。髭剃り買ってきたから、使って」
まだら具合が更に増し、とんでもない状態になっている。
「そうか? じゃあ、入らせてもらうかな」
克之はそう言うと、ゆっくり立ち上がった。
「俺、かなり寝てたんじゃないか?」
「そうね。昨日のお昼からずっとだから、18時間くらいね。――え、18時間?」
指を折って数えて、改めて驚く。すると、克之は気持ちよさそうに伸びをした。
「おお。俺、そんなに寝てたのか。布団で寝たの、何カ月かぶりだったからな。寝心地が良すぎたんだな」
たしかに、河原に敷かれた段ボールよりは、格段に寝心地は良かったことだろう。私は微笑みながら声をかけた。
「お兄ちゃん、新しい下着用意しておいたから、それに着替えてね。脱いだ下着は、洗濯機の中に放り込んでくれたらいいから。それと、歯ブラシも洗面台に置いてあるからね」
「そうか。ありがとう」
克之はそう言うと、お風呂場に向かって歩きだした。
朝食が終わると、克之は言いにくそうに口を開いた。
「なあ、押入れの中にあった油絵だけど、あれ、親父が描いたものか?」
さっき、布団ばさみを探したと言っていた。その時にでも見たのだろう。
「そうよ。お母さんがお父さんのとこに嫁いですぐに、描いてくれたの」
「そうか」
克之はそう言うと、コーヒーカップを持ちあげた。
「どうかしたの?」
深刻な様子に不安になる。
「いや、親父は植物とか風景しか描かないと思ってたから。あんな人物画も描けるんだなって」
克之の口調に寂しさのようなものを感じ、私は言葉に詰まった。沈黙が二人を包む。
「ねえ、お兄ちゃん」
重苦しい空気に耐えかねて、私は口を開いた。ずっと気になっていたことを聞こうと思ったのだ。
「不動産の失敗の責任って、お兄ちゃんが一人で背負わされるようなものだったの? 実は、大きいお兄ちゃんに押し付けられたんじゃないの?」
すると、克之はカップを置いてこちらを見た。
「何だよ、藪から棒に」
「話を聞いてから、ずっと引っかかってたの。だって、昔からそうだったじゃない? 大きいお兄ちゃんが考えたことを、小さいお兄ちゃんがやらされてたから。我慢してるんじゃないかなって、ずっと思ってたのよ。だから、今回のことも、そうだったんじゃないかって」
「そうか」
克之はそう言うと、目を閉じて黙り込んだ。私も付き合うことにして、口を閉ざした。どれくらいそうしていただろう、やがて克之はゆっくりと目を開けた。




