序章 メゾン・ド・アマン (6)
父が亡くなったのは翌日のことだった。通夜や葬儀等で、あと3日は会社を休まなければならない。私は憂鬱な気持ちで、椎野課長に電話をかけた。
「今度はお父さんが亡くなった? 忌引き休暇を取りたいってこと? はあ~、びっくりだねえ」
課長の嫌みは続く。
「それが終わる頃には、また何か理由をつけて会社を休むつもりなんだろう? 次は何の理由で休む予定なのか、今から伝えといてもらえませんかねえ。いろいろと準備も必要なんでねえ」
この課長は、父が亡くなったことそのものも疑っているのか。私は呆れると同時に情けなくなった。たしかに体を壊して長い間休んでしまったことは、申し訳なく思っている。でも、就職してから十数年。ずる休みなど一度だってしたことはないし、まじめに働いてきたつもりだった。会社にだって、かなり貢献してきたはずだ。
私の中で何かが壊れる音がした。
もし、ここで職を失っても、私には父の賃貸アパートがある。私はスマホを握り直した。
「わかりました。では、お仕事を辞めさせていただきます。お世話になりました」
向こうで何か叫んでいる声が聞こえたが、構わずスマホを切る。久しぶりに、心のモヤが晴れた気がした。
父の葬儀が終わった後、弁護士立会いのもとで遺産分割協議書が作られた。実印が手元になかったため、翌日、弁護士事務所に実印を持って出向くことになった。口座凍結の手続きとか、登記変更手続きとか、全部弁護士の方でやってくれるらしい。弁護士費用は則之が持ってくれるとのことで、もはや至れり尽くせりだ。私は浮かれ気分で、実家を後にした。
自宅に戻ると、留守番電話にメッセージが残されていた。椎野課長からのもので、退職手続きのために会社に来いとのことだった。
「できる限り早くなっ!」
というどなり声と共に、メッセージが終わる。辞めるとなった今、彼の甲高い声を聞いても、ただただ愉快なだけだ。
よし、明日、弁護士事務所に出向いた帰り、会社に寄って退職の手続きを済ませよう。あ、今住んでいるアパートの解約手続きもしないと。で、明後日、父の遺した家を見に行って、引っ越しの段取りを決めよう。忙しくなるぞ。
私はすがすがしい気持ちで、あれやこれやと計画を立てた。
今になって考えるに、あのいじわるな兄たちが、タダでこんなにおいしい話を持ってくるわけはなかったのだ。でも、その時の私の精神状態は普通ではなかった。会社を辞められるという、その喜びばかりが先立ってしまった。
私は早々に退職手続きを済ませ、アパートの解約手続きを済ませ、意気揚々と父の遺した土地を訪れた。そして、そこに建っている建物を見た途端、すべての時間が止まった気がした。
「うまい話なんてなかったんだ。やっぱりね」
アトリエとは名ばかりの、古い一軒家。その隣には、一体誰が住むんだと言いたくなるくらいボロボロのアパートが2棟。そうだ、60万円の家賃が手に入るのは、あくまでも「満室」の時なのだ。今は一体、何部屋、人が入っているのか。
私は思わず空を仰いだ。