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第4章 B棟101号室 高田育代さん(5)

 その翌日、私は前の職場で一緒だった須田八重子とランチを楽しんでいた。過去に行きつけだったレストラン。都会の空気を吸うのは久しぶりだ。

 八重子は月1回、骨休めと称して有給休暇を消化している。そのうちの何回かに1回を、私とのランチタイムにあててくれるのだ。普段、顔を会わせると言えば、天敵・憲二郎か店子さんだけという生活の中、こうして違う空間に身を置ける時は貴重だった。

「そうそう、この間言ってた、椎野課長の不倫の話だけどさ」

 ひとしきり愚痴りまくった後、八重子が話し始める。

「ああ、池野端を女の子と歩いてたって話ね」

 私たちの前には、既に食後のコーヒーが並んでいる。

「その後、何か進展があったの?」

 私が尋ねると、待ってましたとばかりに、八重子が身を乗り出した。

「女性の方が見たことあるブラウス着てたって言ってたでしょ? 実はね、この間、只野さんが同じブラウスを着てるのを見たのよ」

「只野さんが?」

 只野というのは、私がいた部署で一般事務を担当していた契約社員の女の子だ。私が病気休暇を取るときも、いつも彼女が手続きしてくれていた。たしかまだ20代の前半だった覚えがある。

「後ろ姿も、今思い出すと彼女っぽかったし、多分間違いないと思うわ」

「まさか」

 只野はとても感じのいい子だ。あんな嫌な男と不倫なんて、ちょっと考えられない。

「このところ、椎野課長の様子もおかしいし。あの人、身なりだけはいつもオシャレだったじゃない? それなのに、最近、ワイシャツとネクタイの組み合わせがヘンテコリンだったりするのよね。それに、希美が、クリーニング屋さんから、課長がビニールに入ったワイシャツらしきものを抱えて出てくるところを見たって言うのよ」

希美というのは、以前の職場で私の向かい側に座っていた社員だ。

「課長がワイシャツをクリーニングに出したって、別に不思議じゃないわよね? 」

 私は、手にしていたカップを置いて尋ねた。

「普通、ワイシャツって、奥さんがクリーニングに出すなり、アイロンをかけるなりするもんでしょ? 多分、課長が只野さんに入れあげちゃって、家に戻ってないんだと思うわ。服のセンスが変わったのも、奥さんじゃなくて、只野さんが選んでるからじゃないかしらね」

 八重子が答える。

「考えすぎじゃないの? 同じブラウスなんてどこにでもあるだろうし、只野さんの服のセンス、別に悪くもないでしょ」

私は呆れてそう言うと、カップを手に取りコーヒーをすすった。

「たしかに、只野さん、かなりオシャレだし、あんなひどい組み合わせはさせないかもね。うーん、いい線いってると思ったけど、的外れな推理だったかなあ」

 八重子は残念そうな表情をしながら、椅子の背にもたれた。

「あーあ、椎野課長の不倫調査、マジで野添探偵に依頼したいわー」

 八重子の言葉に、思わずコーヒーを吹き出しかける。彼女の野添ラブは未だに健在らしい。

「――えっと、ところでさ、昆虫マンチョコってあるじゃない?」

 人の秘密を暴露するわけにはいかない。私は平静を装いつつ、話題を変えることにした。

「ああ、うちの商品ね。それがどうかしたの?」

 八重子が、あまり気がなさそうに尋ねてくる。

「あれって、まだ子どもたちに人気あるよね?」

 憲二郎から、高田親子は以前、この街に住んでいたと聞いている。あまり細かい話をして、誰か知り合いに聞かれたりしたら大変だ。私は一般的な質問を装って尋ねてみた。

「人気はまだまだすごいわよ。あの商品、売り出す前は、いまどき昆虫が嫌いな子が多いのに売れるのかって話になってたじゃない? それなのに、こんな人気商品になるとはねえ。小学校では、昆虫マンカードを持ってくることを禁止してるところもあるみたいよ。何のカードを持ってるかってことで、ケンカになっちゃったりするんだって」

 そうか。大樹も、昆虫マンカードをめぐって、ケンカに巻き込まれたことがあるのかもしれない。多分、そうなんだろう。

 勝手に納得していると、八重子はカップを手に話を続けた。

「この間もさ、孫がオオクワガタマンのカードを欲しがってるから、そのカードの入ったチョコだけを売ってくれって、しつこい人がいてね。封をしてしまったら、社員であってもカードの中身はわからないって説明したんだけど、どうやっても納得してくれなくて」

 苦情処理係には、そういう類の電話も回されてくるのだ。

「で、どうしたの?」

 先を促す。

「最後には、上司を出せって話になったから、ソッコーで椎野課長に回してやったわ。コメツキバッタみたいに、電話に向かってぺこぺこ頭下げながら、困り果てた感じだった。あれは、ほんとにおもしろかったわ」

 八重子は愉快そうにそう言うと、残りのコーヒーを飲みほした。

「そう言えば、開発部の子から、キャラクターにできそうな昆虫がいたら、教えてくれって言われてたんだったわ。ほら、次々に新作を出さないと飽きられちゃうでしょ? 今度、コメツキバッタはどうかって提案してみようかしら。必殺技は『イヤミ攻撃』とか、さ」

「それ、いいわね」

 椎野課長の顔をしたバッタを想像し、私は声を上げて笑った。

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