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第3章 A棟203号室 平本浩太さん(4)

 翌日、私は平本の病室にいた。彼の意識が戻ったと、病院から連絡を受けたからだ。集中治療室から4人部屋に移された平本の腕には点滴がつながれ、顔色はすこぶる悪かった。ベッドのリクライニングを立て、もたれかかるように上体を起こしている。

「大家さん、すみません。家賃、支払えなくて」

 平本は、私の顔を見るなりそう言った。

「今はゆっくり体を休めてください。そんなことはいいから」

「いや、よくないだろう」

 人がせっかく優しい言葉をかけてあげているというのに、横から声が割り込んでくる。憲二郎だ。意識が戻ったことを伝えたら、一緒に行くといって付いてきたのだ。

「住んでいらっしゃる以上、家賃は支払っていただかないと。出て行ってもらうことになりますよ」

 たしかに憲二郎に委託している管理の項目の中に、家賃の督促というのはある。でも、相手は昨日自殺未遂をしたばかりの人間だ。

「何も、こんな状況でそんなこと言わなくても、ねえ」

 平本の方を見ると、彼は明らかに困惑した顔をしている。

「ほら見ろ、お前が大家のくせに訳のわかんないこと言うから、平本さん、困ってるじゃないか」

 憲二郎はそう言うと、再び平本に視線を移した。

「それから、連帯保証人さんがいなくなったんだったら、連絡してくれないと困りますねえ。支払いのめどは立ってるんですか?」

「すみません。実は、叔母が亡くなったことを知ったの、3日前なんです。叔母は胃がんで入院してたんですけど、2カ月ぶりに見舞いに行ったら亡くなったって知らされて……。ここのところ忙しくて、なかなか見舞いにも行かれなかったので」

 平本が右手で顔を覆ってうなだれる。その様子に、私たちは思わず顔を見合わせた。

「従兄弟さんから連絡はなかったんですか?」

 私が恐る恐る声をかけると、平本は唇を噛みながら首を横に振った。

「平本さん、借金もあるんでしょう? 電話がかかってきてたみたいですけど」

 憲二郎が口をはさむ。平本は泣きそうな顔で頷いた。

「原因は、部屋に置いてあった段ボールですか? いっぱい積んでありましたよね」

 憲二郎の言葉に、平本が驚いたような表情を見せる。私は訳が分からず尋ねた。

「段ボールって何?」

 すると、憲二郎が呆れ顔で私の方を見る。

「お前、平本さんの部屋に入った時、見なかったのか? 所狭しと段ボールが積み重ねてあっただろ? まさか、気づかなかったとか言わないよな」

 キッチンがかなり生ごみ臭かったのは覚えているが、倒れている平本を見た途端、気が動転して周りの状況を確認する余裕などなかったのだ。

「ごめん」

 とりあえず謝っておく。すると、憲二郎は大げさにため息をつき、再び平本を見た。

「あの段ボール、一体何なんですか?」

 憲二郎の追及に、平本は口をつぐんでうつむいた。その様子があまりにも可哀想で、思わず声をかける。

「言いたくないなら、無理に言わなくてもいいですよ。家賃は……払えるようになるまで待ちますから」

「え?」

「は?」

 平本と憲二郎が同時に私の方を見る。

「お前、バカなのか。どこの世界に、自分からタダで住ませてやるなんて言う大家がいるんだよ」

 憲二郎が眉間にしわを寄せて言った。

「タダで住ませてあげるなんて言ってないでしょ。払えるようになったら、もちろん滞納分も全部払ってもらうわよ」

 私はそう言うと、平本を見た。

「その代わり、条件があるんです」

「条件、ですか?」

 平本が不安そうに私の顔を見返す。

「二度と、自殺なんて考えないでください」

 私は平本を見つめながら続けた。

「あのアパートはね。私の死んだ父が、大切にしていたものなんです。そこで、こんなに悲しいことをしてもらいたくないの。もちろん、アパートの外でも、自ら命を絶つなんてこと、絶対にやめてください」

 平本の目に、みるみる涙がたまっていく。

「私が助けてあげられるのは、住むところを提供することだけです。あとは大変でも、あなたが自分で解決していかなくちゃいけない。でも、あなたに死んでほしくないと思ってる人間がここにいるってこと、忘れないでください。わかりましたか?」

 平本がコクンと頷く。

「はい、じゃあ、これ」

 私はお財布から1万円札を取り出し、サイドテーブルに置いた。

「とりあえず着替えとか色々いりますよね? いずれ家賃を払う時に、一緒に返してくれたらいいですから。入院費の支払い方法については、病院の方でも相談に乗ってくれると思うから、話し合ってくださいね」

 生活に余裕がないのは私も同じだ。今月からしばらく、家賃収入も3万円減るのだ。実を言えば、この1万円だって痛い。でも、幸いなことに、私は死ななくちゃいけないほど追いつめられてはいない。

「平本さん、大家が大バカ者のお人よしでよかったですね」

 その様子を見ていた憲二郎が、呆れたように平本に話しかける。目を閉じた平本の頬を、一筋の涙が伝った。

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