表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/91

序章 メゾン・ド・アマン (2)

 十二指腸潰瘍で通院中の総合病院に行き、耳鼻科をすすめられて受診した。どうやら、私はメニエールにかかってしまったらしい。

 私から仕事の内容を聞いた医師は「ちょっと休まないと無理だね」とあっさり言ってくれる。

「実は、私、先月、十二指腸潰瘍で1週間ほど休んでまして、今月に入ってようやく復帰したところなんです。これ以上休むわけには……」

「でも、電話で話を聞かなくちゃいけないんでしょう? 低い音がほとんど聞こえていない状況なのに、仕事は難しいんじゃないの? めまいもしばらくは止まらないと思うよ」

 低い音が聞こえていない……。道理で、あの男性からの苦情が聞こえにくかったわけだ。聞き返すと激高するクレーマーもいる。しばらく休むしかなさそうだ。椎野課長から何を言われるか、考えるだけで憂鬱になる。

 大きくため息を吐いた私の顔を見て、医師が気の毒そうに言う。

「十二指腸潰瘍にメニエールか。ストレスが相当たまってるんじゃないのかな。ストレス源を取り除かないと、他の病気も出てくるかもしれないよ」

 ストレス源である課長を辞めさせることは、もちろん無理だ。となると、私が仕事を辞めるしかないだろう。でも、私には生活がある。働かなくちゃ食べて行かれないのだ。八方ふさがり。

 私は、再びため息を吐いた。


「今度は10日間も休むのか? メニエール? 次から次へと、なんでそう病気になるんだよ。正社員の君がそんなに休んだら、契約社員の子たちに示しがつかないだろう」

 椎野課長が、医師の診断書を見ながら、イライラとこちらを見る。

「もういっそのこと、仕事辞めたら? 35歳って年も年なんだし、婚活でもして、面倒見てくれる男をつかまえろよ」

「申し訳ありません」

 襲い来るめまいや吐き気と闘いながら、私は頭を下げた。課長の声は、男性の割には甲高い。こういう声こそ聞こえないでほしいところだが、ばっちり聞こえてしまうのが悲しい限りだ。

 できることなら、私だって寿退社したい。実際、同棲していた男もいたことはいた。私より3歳年下の自称実業家。しかし、10カ月前、私の預金通帳と印鑑と共に、どこかに消えてしまった。1年近く付き合っていて、そんなことをする男だとは全く思わなかった。私の利用している銀行では、代理人届がなければ、一日に100万円までしか引き出せないことになっている。その日のうちに気づけばよかったのだが、彼は、私が3泊4日で温泉旅行に行っている間に姿を消したのだ。気づいて銀行に紛失届を出した時には、一日100万円ずつ、きっかり400万円が引き出された後だった。残高は約50万円。十数年間、頑張って働いて貯めたお金が、一瞬にして消えて無くなった。銀行に盗難補償を求めたが、その銀行では同居人による引き出しは補償の対象外とされており、1円も戻ってこなかった。一応、警察にも被害届は出した。しかし、同情はしてくれたものの、とても本気で捜査しているとは思えないまま、今に至っている。

 私は社員のデスクに出向き、八重子に紙袋を渡した。中には女の子達に人気のあるお菓子が入っている。昨日、病院帰りに店舗に立ち寄って購入したものだ。

「これ、みんなで分けて食べて。迷惑かけちゃってごめんなさい」

 八重子をはじめ、他の社員にも頭を下げる。顔をあげた途端、またひどいめまいに襲われ、思わずデスクをつかんだ。

「いいから、ゆっくり休んで。課長の言うことなんか気にしなくていいから」

 私の背中に手をまわしながら、八重子が小声で言う。

「ありがと」

 私も小声で返した。

「おい、只野ただの君、人事部に病気休暇の書類出しといてくれ。あーあ、全く、病弱な社員がいると迷惑だよなあ」

 事務担当の契約社員に伝える課長の声が、背後から聞こえる。10日後にはまたここに戻ってこなくちゃいけないのか。憂鬱な気持ちに拍車がかかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ