3章 二人の訪問客
◆三章・二人の訪問客◆◆
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「一応最初に聞いておくわ、明馬春詠」
顔を合わせた直後、戸波さんは言った。
「そのチカラ、捨てる気はない? そのつもりがあるなら、今日中にでもそのチカラを消すことができる。方法は簡単よ。どうかしら?」
答えは決まっていた。
「だろうと思った」
戸波さんは不機嫌そうに舌打ちした。
死凶血禁。
そう呼ばれる組織に、わたしと三姫さんは所属している。
わたしは禁番・時神。三姫さんは凶番・岡佐倉。他にもあるけれど、今は省くわ。
死凶血禁というのは、あなたの持つその左手のチカラ、〈志術〉と言うのだけれど、そのチカラを行使する人間の寄り集まりよ。表向きは互助会、管理組織と考えておけばいい。その権力は、はっきり言って強い。下手に逆らえば存在を消されかねないほどにね。
わたしは元々、その死凶血禁本局から『百一物語』という大規模な具現魔術の終局を命じられていた。三姫さんは、わたしが誘ったのよ。成り行き上とも言うけど、いたら頼りになるとは思ったしね。
ああ、それから。今後もわたしを呼ぶときは戸波節菜でいいわ。時神の方は、称号みたいなものだから。
ともかく、その『百一物語』完結の一環が、昨日のてけてけであり、あなたの子泣き爺だったのよ。方法は簡単。このかんざし、祈装具『紅雛汲簪朝桜』(あかひなきゅうせんあしたさくら)で対象を突き刺すことによって解術を行なうだけ。本来傷は残らないのだけれど、特別な条件が重なると傷が残るという事例はあるようね。例えばあなたの場合は、子泣き爺と相性が良かった、とか。
女々しいこと言わないで。最悪、傷自体が残る事だってあるんだから。そう。死んでたかもしれないってこと。
次は――〈志術〉を説明しましょうか。
もしくはあなたの場合、〈禁番志術〉。
簡単に言えば、魔術の一種よ。魔法とは少し違うわ。近いのはむしろ魔術。志術には、一応再現性がある。ただ、5W1Hが極々限られているだけ。
……。別にいいじゃない、こう使ったって。意味は通じないこともない。いちいち言うのが面倒なのよ。
詳しいメカニズム? そんなものはないわ。
〈志術〉というのは、人間の〈願いの力〉を具象化させたものよ。人間は本来、願いを叶える力を持っている……それを、『目標』なんていう遠くて複雑なものではなく、目先の媒介を対象にして、物質世界に顕現し、物理法則に干渉するというわけ。その補佐として生まれたのが〈志術式〉なんだけれど、まあ、こちらは存在だけ頭に留めておきなさい。あんたが覚えても意味ないから。『精神を傾けること』によって志術の発動とするから、向精神性術式と分類されることもあるわね。
わたしたち禁番の場合は、その〈志術式〉を血液中や遺伝子中に組み込まれているわ。いわば志術的半ホムンクルスといったところね。悪影響はないから心配しなくていい。
そして――あなたのチカラは『重さを重ねる』武月の系譜。
概念属性は〈重さ〉。象徴は〈土〉。顕現は〈停重〉。架空質量を生み出して行使・使役し、物体の運動エネルギーを相殺することが出来るとされているわ。子泣きとは、〈重さ〉繋がりで相性が良かったのかもしれない。
五付揺唄? それに関しては三姫さんの領分なんだけど……まあいいわ。
三姫さんの志術は、凶番志術〈志術符作成〉。〈志術式〉を紙に書き込んで、合図の詠唱で効果発動、という志術よ。
……ふん。それは災難ね。まあ……確かに、もしかするとクスリを盛られたようにも見えなくもない、か。どちらにしろ、その程度の齟齬は諦めなさい。鬼だ天狗だ化物だ超能力者だ、果てはインチキか宗教かと騒がれ、祀り上げられるよりはマシでしょう。
それが嫌だったから、あなたもチカラを隠し続けてきたはず。
違うかしら?
明馬春詠。
「………………」
朝方に、「この五連休の嬉しさを思い知れ! ゴォォォォォルデンッ! ウィィィィィクッ!」などと三変形スーパーロボットの操縦者みたいに叫んでいた高校生がいた、ていうか僕だが、彼にはすでにもはやそんな元気はなかった。今の彼は自宅の冷蔵庫にもたれかかって、呆けたみたいに左手を眺めている。
そんなことを思い出したのは、きっとどシリアスな場面を逃避するためだろう。さっきから言われていた言葉が、耳から入っても定着することなく、頭ん中でぐるぐると渦巻いている。
散々引っぱられ続けた説明事項。今、一通りの説明が終わり、小休止ということで、戸波さんに飲み物のお代わりを頼まれたところである。
「明馬春詠? どうしたの」
戸波さんの催促が聞こえる。
僕は左手を眺めるのをやめて、空のコップにオレンジジュースを注ぎ、お盆に載せて居間へ出た。
居間のテーブルには今日も不機嫌そうな戸波節菜さんが一人。
無論私服である。茶色系ロングTシャツのアンサンブルに膝上ハーフパンツ、黒タイツ。かんざしでアップにした髪と相まって、落ち着いた大人の女性っぽい印象を受ける。あの戸波さんがこんな私服を来ているのかと、ちょっと意外に思ったりなどする。
服の着こなしや良し悪しはほとんど分からない僕ではあるが、ただ一言だけ言うとするならば、正直な話、かなり眼福。
特にふくらはぎの曲線が恐ろしく魅惑的。
僕はいつの間にこんな性癖を体得したんでしょうね。
「あなた。目、潰していいかしら。なんか気に食わないのよ」
「やめてください」
「だったら頭潰していいかしら。そうすれば目は勘弁してあげる」
「もっとやめてください」
はあ、と内心溜め息。戸波さん、今日は輪をかけて凶悪である。勿論牽制ではあるのだろうが、この人の場合、冗談と本気の区別がつかないし。
「どうぞ」
「ありがとう」
そのくせ出されたジュースは飲みまくると言うのだから、なかなかどうしてタチが悪い戸波さんだった。そんなことは口が裂けても言えないが。言ったら口が裂けるどころでは済むまい。家にジュースの買い置きがあって良かった。まったくもう……、三姫さんというストッパーが、僕の精神衛生にとって、ここまで大切だとは思わなかったよ本当。守護神不在の野球チームの苦労が身に染みるというものだ。
――とかいう妙な感慨はさておき、僕も椅子につく。ちなみにその守護神は、今日は彼氏とお出かけなのらしい。
「とりあえず話をまとめてみますと、」
つまり二人は死凶血禁って組織の一員で、この十世高周辺でなにかの事件を担当している。そして、『あかひぃなきゅうせんあしたさくら』とかいう唐紅のかんざしは、そのための道具である。僕はそれに巻き込まれてしまった。
二人は〈志術〉という魔術を使えて、それは、僕の左手に宿っているものでもある。揺唄は秘密保持のため、『僕の胸の傷』に関する記憶がなくなっている。
と、大体こんなところだろうか。
「まあ、合ってるんじゃない」
やっぱり投げ遣りに言う戸波さんだった。
「……」
僕は頭を抱える。すみません……僕が何か悪いことしたんですか? どうしてそう木で鼻を括ったみたいな態度なんですか?
「じゃあ次。左手、出して」
と言いながら戸波さんは、自身の左手を、肘を立ててテーブルに載せた。そのポーズ、もしかして腕相撲ですか?
「他に何があるの」
それはそうだ。
僕も左手を出して、戸波さんと組む。戸波さんの手はかなり気持ち良かった。たおやかでありながら柔らかく、細くて骨が感じられるのにすべすべで、ひんやりとした手触りが心地よい!
ごん。
「鼻の下伸びてるわよ?」
「すみません……」
油断していたら一本取られた。ユー、ウィンだった。凄く痛かった。
「まあともかく、やってみて」
「やってみてって……」
「あなたの〈志術〉よ。稼働させて」と戸波さんは言う。「あなたが腕相撲強いってのは、調べがついてるの。それが左手だけってこともね。つまりあなたは、左手だけにしか〈顕現〉が出来ないことになる。そんなケースは見たことがないから」
なんか標本みたいに言われてるなぁ。
ともかく、いつものをやればいいんだろう。飯出とかと腕相撲やるときの、てけてけを殴り飛ばしたときの、アレを。
僕は目を閉じて、精神を左手に集中させる。
――イメージは、投網の回収。左手に、意識を集める。左半身にくまなく広がっている網を――血流にたゆたって広がっている網を、絞り、まとめ、引き上げ――
「成程。本当に左手にしか顕現出来ないみたいね。やはり武月志術で間違いない……みたいだけど」
――丁寧に巻いて、畳んで、畳んで、小さく、小さく、圧縮。圧縮。圧縮。
目を開ける。
「これでどうです」
「ふん」
戸波さんは息をついて、ぐ、と左手に力を入れた。少し押される感じはあるが、僕の腕は動かない。それはそうだ。飯出で動かせないのだから、戸波さんの細腕で動かせるはずがない。
「さっきのイメージの最中、何かが左手に集まっていく感覚があったでしょう」
「投網のことですか?」
「投網? そう、あなたには投網に見えるの。随分奇特な傾注ね」
奇特と来ましたか。
「まあなんでもいいけれど、その〈集まってくる何か〉を〈志氣〉と呼ぶわ。志術式が稼働している証拠よ。投網のイメージが、この場合、切っ掛け。固有イメージと呼ぶのだけれど」
「……はぁ」
ということは、だ。
僕が投網の回収を想像すると、一緒に〈志氣〉とやらが左手に集まってくる。そして、志術式がそれを架空の重さに変換して、手を重くする、動かなくする、ってことなんでしょうか。
「それで大体合ってるわ。コンピュータで例えると、プログラム言語の〈志字〉を書き連ねて、組んだプログラムが〈志術式〉、それを使うにはイメージという電源が必要で、電源を入れるには〈志氣〉という電力が要る、全てクリアすれば、ディスプレイに画像が表示される、これが顕現というわけ」
「…………」
その例えは面倒臭くないのだろうか。
まあいいけど。
「そういえば」と、僕は仕切り直すつもりで声に出す。「戸波さんの志術って、どんなのなんですか? かんざし自体は、その〈志術〉じゃないんでしょう」
「――見たいの?」
す、と戸波さんの瞳が鋭くなる。刀の刃を寝かせた状態を連想させる鋭さ。
「で、きれば、見たいです」
「そう。まあいいわ。それじゃあ」
言って彼女は――腕相撲に、勝った。
「え? あれ……?」
ぺたん、と僕の左手の甲が、テーブルについている。とてもあっけなく。普通の力で。飯田みたいなのが顔を真っ赤にして力を込めても動かなかった僕の左手が、戸波さんの細腕で、軽々と。
「驚いたかしら」
我に返ると、戸波さんの瞳の細さが、少し違いを帯びていた。これはおそらく面白がっているんだろうな……。
「なんですか、これ」
「相殺」
「相殺?」
「志術は、相反する概念属性同士で相殺し合う。同じ属性同士では、加工しない限り反発する。今わたしは、あなたの〈重さ〉を相殺して打ち消したのよ」
相反、相殺。同一、反発。
「てことは、戸波さんのは、〈重さ〉の反対……〈軽さ〉ってことですか?」
「その通り」
と言って、戸波さんは左手を引いた。
あとに残ったのは、投網の感覚がなくなって、空っぽになった僕の左手。
「概念属性は〈軽さ〉。象徴は〈風〉。顕現は〈流促〉。これがわたしの時神志術よ」
「色々あるんですね」
「全部で四つしかないわ。冷の紗代、熱の葛生、重の武月、軽の時神。これが禁番四家」
僕は目を眇める。
「……。なに?」
「今日は……、随分口が軽いんだなと思いまして」
「ふん――」と、戸波さんは鼻を鳴らした。「もう遅いわよ。良かったわ、二人っきりになる場所があって。そう。ここまではほんの前座。わたしにとっては、ここからが本題なの」
ここからが本題、ね。
「志術というのは、家系ごとに受け継がれるものなのよ。技術的な要素の場合は養子でも構わないけれど、禁番志術は特に遺伝的な問題がある。その一族の血が流れていなければ、使えないはずなのよ――だから」
口角を僅かに上げて、戸波さんはかんざしを解いた。
「あなたの話を聞きたいわ。洗いざらい聞かせなさい、明馬春詠。あなたが何故志術を持っているのか。あなたの両親の家系は特に、知っている限り全て話しなさい。祖父母や曾祖母も。フルネームから出身地に至るまでね。言っておくけれど、このかんざしは素の状態でも人体くらいわけなく貫くから。例えば、そう、爪の間に刺したり、目打ち針みたいに分厚いものを留めたりね。痛い思いをしたくなければ、素直に話した方が身のためよ」
戸波さんと三姫さん。
禁番時神と、凶番岡佐倉。
それに――志術。
血の中に魔力が流れていて、『意識を傾けること』によって魔法が使える、と。僕のこれは『重』。『重さを重ねるチカラ』だと。
魔法って。
魔術って。
妄想空想なんのその。
正直言って荒唐無稽。
ザッツフィクション、イズントイット?
それでも……信じられる。
疑おうとは思わない。そのフィクションが、その荒唐無稽が、その志術とかいう魔術が――この左手に、詰まっている。あの記憶が、この左腕についた幾つもの傷が、すでに揺るぎなく疑問を打ち消している。
それに何より――十年間この入り口を探していたんだから。
信じずに、何になる。
そして――何故僕が志術を使えるのか。
これに関しては、心当たりはたった一つしかなかった。けれど、そのときのことは、はっきり言ってよく覚えていない。
それは六歳の時、保育園あげての遠足の日のこと。
園児の列にトラックが突っ込んできて、園児一人が左腕を門扉に挟まれた。トラックの運転手は即死だったそうだが、ともかく、園児が一人、プレスされた。左腕を複雑骨折。大きな血管が傷ついていたから、救急車が駆けつけたときには辺りは血の海。当然血が足りなくて、通行人に輸血を募ったほどだ。
その園児というのが、僕である。
もっとも、当事者である僕の意識はとっくにリタイアしていたから、この出来事のほとんどは、あとから母さんから聞かされたことだ。いや、母さんも保母さんから聞いたから、これは又聞きということになるのだろうけれど。
数少ない記憶にあるのは、目の前にそそりたつトラックの顔と、何故かその前に立ちはだかる男の背中――そして一瞬あとにやってきた、左腕が消し飛ばされたような激痛、そして闇。
どうしてトラックの前に男が立ちはだかっているなんて幻視をしたのか、当時の僕にとっては分からなかったし、今になっても分からない。ただ、その瞬間思ったことは――今となっては赤面ものだけれど――ああ、この人はきっと僕の命を救ってくれるヒーローなんだ、という子供じみた感想だった。
一時は医師に使い物にならないかもしれないとまで言われた左腕だったが、三年に渡るリハビリと四度の手術の末、どうにか日常生活程度はこなせるようになった。
それと前後するくらいだろうか、自分の左手に妙な力があると理解したのは。テレビで投網を回収する光景を見たとき、ふと感じたのだった、僕の左半身にも似たようなものがある気がする、と。その後、試行錯誤と実践失敗の連続を経て、投網のイメージさえ構築すればその力、武月志術といったか、その力を自由に稼働させることが出来るようになったのだ。
――そして、今に至る。
僕の先祖の話は戸波さん的にはお気に召さなかったらしいが、このきっかけの話の方は何やら引っ掛かるところもあったようだ。ゴールデンウィーク中は予定を空けておきなさいと言われて、今日はお開きとなった。
最後に戸波さんは言い残していった。
『わたし達が本局から言い付かっている任務の中には、志術の乱用に対する取り締まりも含まれている。あなたがどうしてそれを持っているのか。あなたがそれをどう使っているのか。延いてはあなたがどれほどの人間なのか。それを本局に報告しなくてはならない。――それは勿論、今の所の話。本局からの下知一個で、あなたの記憶、あなたの存在なんていつでも消せる。ゆめゆめ忘れないことね』
リリリリリリリリとキッチンタイマー。
ガスレンジの火を止めて、鍋からゆで卵を一つ取り出す。火傷しないように気をつけながら冷やして、殻をむく。
「う~ん……無垢」
つるつるすべすべのタマゴ肌である。上手くできた。そこへマヨネーズを垂らして、一気に頂く。
口内に広がる濃厚な味わい。
「やっは、はああへっはほひあ、ゆえはあごいはぎう」
やっぱ、はらがへったときは、ゆでたまごにかぎる。
「うわい。はふわおう」
うまい。さすがぼく。
そんな感じでほぐほぐとゆで卵を食していたら、突然携帯電話が鳴った。むう……どこのどいつだ。僕の食事タイムを邪魔する奴は。もぐもぐやりながら着信を見る。揺唄だった。ちょっと驚かすつもりで、タマゴを半分口に残したまま出る。
「はい、ぼんはふんえふ。ふうめはるはにっふ、ふもっふ?」
『ハルちゃん。今家にいる?』
緊迫した声だった。いつものきんきん声はなりを潜め、沈痛なほどに押し殺した声。僕が覚えている限り、揺唄がこんな声を出した記憶はない。
ただ事ではない、か?
僕は卵を無理矢理飲み込んで、「いる」と答えた。
『相談があるの。今から家行っていい?』
「は? 家の場所は……」
『覚えてる』冷えた声で、揺唄は僕の台詞を遮った。『文化祭の打ち上げで行ったよね。……ねえハルちゃん。今、友達――っていうかニッコが、ちょっと危ないことになってるの。休ませたくて。それでハルちゃんの家、貸して欲しいんだ。今すぐ近くにいるから。いいかな?』
「分かった。いい」
揺唄の背後にかすかに聞こえているすすり泣きに、一切の理由を尋ねる気が掻き消えた。
「幸い親もいないしな。まあ、いつもいないけど」
『ありがとう』
「何か用意する物は? 僕は出てた方がいいか」
『ううん、部屋にいてくれれば――』
「これから出かけるところだったとしても?」
少しの間。
『……分かった。うん。留守番しとく。お水とコップと、それから濡れタオルが欲しい』
「すぐ準備する。鍵は開けておくから」
『ごめんね、ハルちゃん』
「謝るな。らしくない」
『……ありがと』
行こう、という報告が遠くに聞こえて、揺唄からの電話は切れた。
僕はすぐに行動を開始した。
冷蔵庫から飲料水のポット、食器棚からコップ、戸棚から菓子パンも出して、食卓へ置いておく。コップは五つ。電話の向こうには三・四人いるような気配があったからだ。それに食事には気持ちをある程度整える効果があると聞いたことがある。タオルを濡らして絞り、手拭き置きの上に配置する。
最後に室内をざっと見渡す。十六畳のリビングダイニング。見られてまずいものはない。掃除はしたばかりだ。居間の扉は順路を示すつもりで全解放。自室から持ってきた肩掛け鞄に財布を放り込む。
「なんなんだろうな……」
気にはなるが――一度決めたことは決めたことだ。
「図書館にでも行ってみるか」
自分にそう言い聞かせて、玄関を出た。