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オフ・リミッツ  作者: 霜前七七五
第一部
4/28

2章   エントランス

 ◆二章・エントランス◆


     1


 時刻は日付の変わり目。僕は身を預けていた校門の門柱から離れ、姿を現した彼女たちに挨拶する。

「――こんばんは」

 戸波節菜さんと、岡佐倉三姫さん。今は二人とも私服だ。戸波さんの方はコートからズボンから、全てが闇に溶け込むような藍色をしている。

「はい、こんばんは」

 そう挨拶を返してくれる三姫さん。しかし戸波さんにその気はないようで、短い嘆息が返ってきた。

「多少は頭が回るようで助かったわ。五付揺唄には、あまり知られたくなかったし」

「僕としても同感でしたからね。言ってみれば、これは私怨みたいなものだから。人を私怨に巻き込むなんて、褒められたものじゃありません。それからこれ、お返しします」

 僕はジャケットのポケットから赤い携帯電話を取り出す。比較的小さめのそれを、戸波さんは僕の手からひったくるようにして受け取る。

 ――戸波さんが僕の胸を突いたとき。

 器用なことにこの人は、その一動作のなかで手品師よろしく僕の制服の内ポケットに自分のケータイを忍ばせたのだった。僕はそれを後々の連絡用と判断し、そして案の定、十一時を少し回った頃に着信があった。『午前零時に学校に来い』と。

「それで、これからどうするんです?」

「案内するわ。来なさい」

 言って、戸波さんは閉じている校門を軽く飛び越えた。

 ――飛び越えたっ?

 二メートルはあるぞ、この校門。それを、飛び越えた?

「ちょっと節菜。あたしたちはそんなことできないんだからね! ……まったくもう。さ、春詠くん、あたしたちは登らないと」

 三姫さんは、特に驚く風でもなく、門柱に足を掛けて登り始める。スカートではないので目のやり場に困ることはなく、むしろその様子は、木登りなんかにかなり手馴れている印象を受ける。

「いよいよ……か」

「ん、何か言った?」

 向こう側に降り立った三姫さんの問いに、僕は「いえ」と首を振った。


 あらかじめ開けておかれていたと思われる窓から北校舎に侵入し、北B階段を使って二階へ上がる。薄い月明かりが窓から差し込んでいるが、よく目を凝らさないと階段の輪郭すら窺えない。

 ちなみに――。

 この十世高校の校舎は大きく二つ、南と北に分かれていて、それぞれに二つの階段がある。玄関から近い方にA階段、B階段と呼ばれていて、そこに北と南の区別をつける。よって北B階段は、生徒玄関からは最も遠い階段となる。

「……」

 戸波さんはどこへ行くつもりなのか、考えてみる。

 この北校舎にあるのは、音楽室や化学実験室等の実習教室が主だ。現在の北B階段を上っていくとすると、二階には、目の前に第一視聴覚室。右には第二音楽室。左が廊下。次に三階へ上がると…………と、ここまで考えたところで、やめた。目的が解らなければ、目的地が解ったところで何の意味もない。

「えっと、春詠くん」

 隣をにいた三姫さんが唐突に僕を呼ぶ。

「はい?」

「きみって、口、堅い方?」

「ええ……まあ、そうですね」

 横目で戸波さんを窺いながら、答える。基本的には、胸にしまっておくタイプだと思う。間違っても言い触らしたりはしない。ていうか友達少ないから言い触らす相手がいない。戸波さんは、聞こえていないかのように先を上がる。

「きみって、オカルトとか信じる方?」

「……。信じる方です」

「ふぅん」

 わずかな間を訝ったか、三姫さんの瞳がわずかに細まった。が、すぐに戻る。

「胆は据わってる方?」

「いや……どうなんでしょう。危機にパニック起こしたりっていうのは、あんまり覚えがないですが」

 車と接触したときに、跳ね飛ばされつつも受身を取って、多少困惑しながらも普通に家に帰った覚えがある。あー、でも、母さんの下着を干していることをからかわれたときには、そやつと殴り合いの喧嘩をしたんだったな。ったく、家族の洗濯物を干して何が悪い。……関係ないか?

「今現在、固まってる行動方針とかある?」

「行動方針?」

「信念、なんてかっこよく言い換えてもいいよ。今現在、この場所で、自分を動かしてる信念、ある?」

「かっこよくって……しかも今現在、この場所でと来ましたか」

 僕は苦笑する。苦笑するふりをして、須臾の間、思考して。

「――まあ、そうですね。あるっちゃあります」

 結果、そう答えることにした。

 すると三姫さんは笑顔でツインテールを揺らし、

「そう。じゃあ、頑張ってね」

「? 頑――」

 張ってねってどういうことですか、と聞こうとした僕の声に被せるようにして、

「――明馬春詠」

 立ち止まった戸波さんが僕の名を呼んだ。いや、呼んだというよりは、呟いたといった感じで、僕の名を発音された。

 ていうか、あなたはフルネームで呼ぶのですね。珍しいというかフィクション的というか、何と言うかかんというか。

 戸波さんが立ち止まったのは、二階。会談の途中の僕と三姫さんは、そんな戸波さんを見上げる形になっている。

「明馬春詠」

 もう一度、戸波さんが僕の名を発音して、彼女は振り返る。こちらを見下ろす無感情な瞳が僕に据わる。

「一つ聞くけれど……ここで退く気はないかしら? わたしたちには関わらなかったことにして。何も見ず何も聞かず何も語らず、何もなかったことにして、身を引く気はない? アフターケアはしてあげるわ。胸の傷も消してあげるし。心配することは何もない。――どうかしら、この提案」

「飲めませんね、それは」

 間髪入れずにそう答える。考えるまでもないことだった。

 戸波さんは不機嫌そうに目を眇め、

「それじゃあ……始めて、三姫さん」

「はいはい。ちょっとごめんねー」

 承った三姫さんが、僕の両手首と首筋に何か紙のような物を当てた。突然のことでなされるがままになる僕。しかしそれもすぐに終わる。セルフチェックしてみるが、何が起こった様子も無い。

「怪我はするかもしれないけど、まあ、傷は男の勲章だって言うし。女々しいことは気にしないようにね」

 至極気になることを屈託なく言って、三姫さんは先に二階へ上がっていく。目の前の、第一視聴覚室へ続く廊下を向いて目を閉じ、何か紙を出して何やら唱え始めた。

 僕も二階へ足を踏み入れる。すると戸波さんが僕を第一視聴覚室に続く廊下に向かせ、

「グッドラック」

「え?」

 突き飛ばされた。

 さほど強い力ではなかったけれど、つんのめるように倒れこむ。危うくネズミ色の廊下とアメリカ風挨拶を交わしそうになったが、そこはどうにか、体を捻ることで肩から着地することに成功。

「なんですか……ほんとに」

 痛む肩を撫でさすりながら緩慢な動作で身を起こす。二人の方を向いて抗議しようと口を開きかけたところで――

 背後に何かを感じた。

 ぞわりと、逆立った毛皮で背筋を撫でられるような不快感。その毛皮は死体のそれと同じ冷たさ。におい、感触、雰囲気、空気、それら全てが撫でられた一瞬で体に流入し、『何が撫でたのか』という問いに対して一個の概念として結集、本能を持って答えを提示する。戸波さんがそちらを指さしていたのを確認するかしないかのうちに、僕は本能的かつ瞬間的に背後を振り向いていた。

 赤い光が、

「なんだ、あれ……」

 薄暗い廊下の奥に、芒と伏せていた。

 扉の小窓までは全然届いていないので、高さは五十センチくらいか。視聴覚室の扉の前で、じっと動かずにいる。ここから扉までの距離は、男女トイレと空き教室一個分。十数メートルといったところだ。

 徐々に瞳が暗順応を始める。赤い光の形が鮮明になってきて――

「――とくと見ておくがいいわ、明馬春詠」

 口に鎌。

 短い四肢。

 割れたトマト色の肌。

 振り乱した髪。

 あれは――あれが――

「――あれが、〈てけてけ〉とやらよ」

「『とやら』って……」

 ツッコむ語尾も濁らざるを得ない。

 あんなどこにでもいる中型犬みたいな大きさの妖怪……妖怪、だ……なのに、さっきから脊髄を撫でる『手』は、絶対零度よりも冷たい。冷たさに負けて縮こまれば、そのまま自重に潰れて折り畳まれて、点になって消滅しそうだ。

 それは『死』という手。

 俗に言うなら『負のオーラ』とでも言うべきか。

 どこぞの伝奇の主人公じゃないが、僕も過去一度死に掛けたときに、そんなモノを感じ取れるようになってしまっていたのだ。かといって、そんなに便利なものでもなければ、そんなに気持ちのいいものでもない。ついでに言うなら、これが感じられるのはごくごく調子のいいとき、または逼迫した状況のときに限られる。

 それは例えば交通事故が起きそうな現場だったり。それは例えば自殺しそうな人だったり。それは例えば電車が止まりそうな日だったり。

 それは例えば――今朝だったり。

 緊張感に唾を飲み込む。

 その音に反応したのか、じさり、と赤いバケモノが動いた。どう見ても人の動きじゃなかった。赤い体の中心にある顔にぽっかり開いている二つの黒点の焦点が、こちらに、合う。人間はあんな不吉な動きは出来ない。ケケッ、と音を立てて嗤う。悪魔みたいな嗤い声だな、と――

 思った瞬間には、ソレは走り出していた。

 がざざざっ! とおかしな物が擦れ合う派手な音を響かせて、低い姿勢のままこっちに突っ込んできたのだ。

「な――うわっ!」

 予想外の初速に反応が遅れた。

 飛び掛ってきたきらめく鎌を、体を横にずらして回避、すれ違う。勢いを殺さずに身を起こして、距離を取る。

 左足を出して中腰、視線は逸らさず。赤いバケモノは戸波さんのすぐ前でこちらを向いていた。今の一撃で仕留め切れなかったのを不思議がるように、しきりに首を回転させる。

「……まじかよ」

 左の上腕部に指を当ててみる。じくりじくりと嫌な痛み。ジャケットの切れ目に差し入れた人差し指に、赤い液体がついていた。畜生、お気に入りだったってのに、あの野郎……。敵てけてけに目を戻す。その向こう側にいる戸波さんにも三姫さんにも目もくれず――まるで見えていないようだ――てけてけはただこちらだけを標的にしているようだった。

「――とまあこの通り」

 ぞっとするほどに澄んだ声で、戸波さんが言う。

「これが余計なことに首を突っ込んだあなたの末路。だから聞いたはずよ、退く気はないかと。あそこでやめておけば良かったのに。これでまた一つ利口になったわね、おめでとう」

「おめでとうって……」

 いや反応するところはそこじゃない。

「ちょっ、冗談じゃないですよ! なんでこんなことになるんですか、僕はただ話を聞きたかっただけなんです!」

「ちなみに、その廊下からは出られないわ。窓も開かないし、わたしたちのいる廊下にも移動できない。もうしばらく、そうね。三時間も踊っていれば、てけてけも消えるでしょう。それまで頑張って」

「そんな……どういうことですか!」

「どうもこうも」戸波さんのシルエットが肩をすくめる。「邪魔者にはペナルティが必要でしょう」

 がざざざっ!

 ペナルティという言葉に反応したかのようにてけてけの突進。次は――左足。刈られる直前、前に転ぶようにてけてけの頭上を抜ける。今度は着地に失敗する。気にしない。そのまま戸波さんたちの方向へ起きて、ひとまず逃げようと――

 途端、弾かれた。

 何かクッションめいた衝撃に押し返されて、僕は尻餅をつく。目の前にいる戸波さん。彼女に手を伸ばして――その手が、止まる。止められる。強く押しても、マットレスを押し込むように出られない。

「だから言ったでしょう。出られないって」

 がざざざっ! 音に振り向けば三度の突進。目の前に刃が迫っていた。

 首に。

 真っ直ぐ。

 激痛を覚悟して目を結ぶ。

 ――が、予想していた痛みはこなかった。恐る恐る目を開けると、首の皮一枚のところで鎌が止まっている。てけてけは僕に馬乗りになっていた。どんな特殊メイクよりも醜悪な顔が文字通り目と鼻の先にあった。理由を考えるより早く激しい嫌悪感が込み上げてきて、顔同士のあいだに左手を挟みいれて引き剥がし、力任せに蹴り飛ばす。てけてけは意外に軽く、吹っ飛ぶ。

「さすがに死んで欲しくはないからね。手首と首はガードしてあるよ。その点はご安心を」

 頭の後ろから三姫さんの注釈が入る。

 意味が分からなかった。けれど分かった。とりあえず了承した。意味が分からないということは分かった。戸波さんは助けてくれないし三姫さんも同様の方針らしいしてけてけに説得なんて通用しないだろうしこれ以上皮膚だの服だのを切り裂かれたりしたくないし。

 要はここを切り抜けりゃいいんだ。

 なら――話は早い。

 立ち上がって、左手を強く握る。こんなところで負けてたまるかってんだ。あんなバケモノと血花を咲かせる殺し合いを長引かせるよりは、たとえ野次馬だの出歯亀だのと罵られても、すこぶる付きに美人な先輩二人とそれなりな会話をしていた方がはるかにマシってものだ。

 顔を引き締める。目を眇める。備えろ構えろ心掛けろ。ビビるな退くな臆するな。父さんの口癖だったと聞いて以来時々唱えるようにしている言葉を、今もまた胸中で唱える。片方は意味的にはこの状況にそぐわないかも知れないが、心持ちは、幾分違う。

「おいコラへんなの」

 意味が解ったわけではないだろうが、ソイツは体勢を整えた。《ケケッ?》とハテナが付きそうなイントネーションで啼く。

 意味が解るわけもないだろうが、

「コッチ来い。一発で終わらせてやる」

 僕の挑発に対して、てけてけは《ケケェッ!》と鬨の声を上げて突っ込んできた。

 今度は不意打ちじゃない。心に余裕がある。よく見れば動きも見切れた。初速は速いけれど、最高速度は人間と同じくらいだ。

 がざざざっ! がざざざざっ!

 耳障りな音を無視して、数瞬、目を閉じる――。

 イメージは、投網の回収だ。左腕を少し引いて溜めを作り、左半身に、左手に、意識を集める。左半身にくまなく広がっている網を――血流にたゆたって広がっている網を、絞り、まとめ、引き上げ、丁寧に巻いて、畳んで、畳んで、小さく、小さく、圧縮。圧縮。圧縮。

 ――目を開ける。赤いやつは丁度いい距離まで迫っていた。一直線な動き。一直線な速度。一直線な鎌の刃。一直線に僕へ向かってくる。

 ……ああ。今はもう、全然恐くないや。いつの間にか『死の手』なんて忘れていた。意味が分からなかろうが目標さえ分かればいい。勝利条件は明確に。ご利用は計画的にってか。同時に、不図、ツッコミの言葉を思いついた。使ってみよう。

 それでは最後にもう一度。

 備えろ構えろ心掛けろ。

 ビビるな退くな臆するな。

 心内で言い終えた瞬間がジャストタイミング。

「点Pの等速直線運動か貴様ぁぁぁああああああ――――っ!」

 ぐにっ。

 左の拳を叩き込んだ顔面は意外と柔らかく、しかし完璧に決まったジョルトカウンターにさらに加算された僕の腕の振り抜きによって、てけてけは十メートル近い距離をマトリックスよろしく吹っ飛んでいき――

《びたぁん!》

 濡れタオルを叩きつけたみたいな音を立てて、視聴覚室のドアにぶつかった。

「……。押忍っ」

 空手家のように、なんとなく、決めを入れてみた。

「――予定が狂ったわ。とんだ拾い物」

 しぃん……と反響が完全になくなった廊下。そこへ、戸波さんの声が響く。全てが予定通りに進んだとでも言わんばかりに揺るがない声音だった。かんざしを抜き、髪を解きながら、戸波さんは僕の横をすり抜ける。

「明馬春詠……どうやらあなたに対する認識と態度を改めなくてはならないようね」

 言いながら、てけてけに近付いていく戸波さん。てけてけはドアから床へとずり落ちて、微動だにしていない。

「ごめんね、春詠くん。驚いたでしょ」と、傍から、三姫さん。「……言い訳めいた言い訳になるけど、あたしたちとしても、色々事情があったの。その辺は、察してくれると助かるな。図々しいとは思うけど」

「別に。いいです」左腕の傷に触れ、戸波さんの方を見たまま、僕は応える。「僕は僕の求めることさえ手に入れば、それで」

「ひゅう。ハードボイルドだねぇ」などと言う三姫さんの声にはしかし、冷やかすような響きはなかった。

 戸波さんはてけてけの元にかがみこんで、そのかんざしで、てけてけを刺した。ホログラムが揺れるようにてけてけの輪郭が揺れ、薄まり、消える。戸波さんは立ち上がり、懐から取り出した小冊子らしきものの一ページに、とん、とかんざしの先を置く。何か、赤いとろりとした光が冊子に吸い込まれていった。

 そして彼女は、ひゅんひゅんひゅん、と大道芸じみた技術でかんざしを動かして髪を留め、冊子もしまう。

「とりあえず、自己紹介だけしておきましょうか」

 彼女は振り向いて、言う。

「わたしの名前は時神刹那。時間の神、一瞬の刹那」


 ――明馬春詠。

 オフ・リミッツへようこそ。



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