三つ編み躍らせて
「川が、ビビデベ、ゲベガバゴボ、と流れる。」
作文でそう書いた生徒がいる、と先生は言った。
受験を控えた中学三年の秋。
一年間だけ通った塾の、国語の授業でのこと。
「小川が『さらさら流れる』という歌があるでしょう。でも君たち、本当に『さらさら』なんて聞こえますか?」
先生は、目玉をギョロっとさせて教室を見回した。
「それを『ビビデべ、ゲべガバゴボ』と、こんなふうに書いた生徒がいる。」
「ビビデべ、ゲべガバゴボ」のところで、いっそう声を張り上げた。
「彼にはそう聞こえた。だから、そのまま書いた。これが素晴らしいんです。」
先生は、いつも皮肉めいた話し方をするので苦手だったが、授業は別。
面白かった。
ー 文章を書くときには、見たまま、感じたままをありのままに書く。
ー 独自の視点を大切に書く。
なるほど。
受験まで、あと数カ月と迫るころ。
試験対策として、毎回、作文練習をすることになった。
公立高校の国語の入試には200字程度の作文を、指定されたテーマで書く設問があり、点数配分は40点満点のうち、8点。
授業ではまず、その日の『お題』を与えられ、短い制限時間のなかで作文を書く。
書き終えた人から、教壇の先生のところへ持って行き、その場で点数をつけてもらう。
先生は、一行一行、かなりの速さで目玉を上に下にと動かしながら、例えば、半分ほど読んだ時点で「ここまでは、いいね!」などと、リアルタイムでコメントした。
そして、最後まで読み切ったところで、「うん!」とか、「うーん…。」と言いながら、赤いサインペンで大きく点数を書き込んだ。
『6/8』あるいは『7/8』という具合に。
作文が上出来なら、大きな声で唸るように「うまい!」と叫んで、ひときわ大きく『8/8』と書いた。
ふだん皮肉っぽい先生を「うまい!」と唸らせることができた日は、スッキリと気分が良かった。
わたしは、短い文章の中でもありふれた表現を避けたり、ひねりを利かせたりと、内心、作文に燃えた。
ある日、自宅でラジオをつけていると、番組のなかでゲストが『赤毛のアン』について語り始めた。
勉強中のBGMがわりにつけていたラジオだったが、俄然、耳をそば立てた。
当時わたしは、「にんじん!にんじん!」と赤毛をからかう男子に、石板を叩きつけた少女に夢中だったのだ。
語り手が誰だったのか分からないが、ラジオの女性はこう言った。
「アンは、自分の赤毛を残念に思っていたでしょう?でもね、あれほど生き生きと、心躍らせて生きていた彼女だからこそ、赤い髪でなくてはならなかったのだと思うんです。」
わたしの中で、何かがひっくり返った。
そうか、そうだったのか!
劣等感のタネこそが、輝きの象徴だったんだ!
ほどなくして、塾での作文に『こころに残る本』というお題が出された。
わたしは迷いなく『赤毛のアン』について書き、作文の最後をこう締めくくった。
「アンは、自分の髪が赤いことを悔やんでいたようだが、その長い三つ編みを、夢と空想に躍らせていたからこそ赤かったのだ、と私は思う。」
ラジオの女性が言っていたことをパクったわけだが、わたしが受けた衝撃を、どうしても表現してみたかった。
書き終えるやいなや、教壇の先生のところへ。
息をのんで先生の顔を見つめた。
先生は、半分くらいまではいつもの調子で、「うん、いいね」と言っていたが、最後の段落を読み終えると、明らかに驚きの表情を浮かべ、目を見開いて叫んだ。
「うまいっ!」




