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不協和音の静寂

宿の窓は無残に砕け散り、リフレインの姿は消えていた。

 部屋の隅に漂う、粘り気のある奇妙な「音のかす」。音を喰らい、街に沈黙をもたらす魔物『サイレンス・レイス』の仕業だ。

「リフレイン……! どこだ!」

 俺、瀬能奏せのう かなでは、壊れた窓から裏山へと駆け出した。

 心臓が恐怖で早鐘を打つ。足が震え、奥歯がガタガタと鳴る。いつもの俺だ。情けなくて、弱くて、一人じゃ何もできない、小心者の俺。

「……ゼノ! 出てこい! アイツを助けなきゃいけないんだ!」

 俺はひったくるように赤いシールドを掴み、迷わず左胸に突き立てた。

 いつもなら、ここで脳内を焼くような熱狂が押し寄せ、傲慢なロックスターの意識が俺を塗り替えるはずだった。

 ……だが、何も起きない。

 プラグは確かに刺さっている。なのに、あの男の気配は微塵もしない。ギターは冷たい板のままで、シールドは沈黙を守っている。

「嘘だろ……? 出てこいよゼノ! リフレインが危ないんだよ!」

 何度もプラグを押し込むが、反応はない。まるでゼノが「今の俺」を拒絶しているかのように。

「――っ!!」

 その時、山の上からリフレインの悲鳴が聞こえた。

 俺は考えるより先に走り出していた。

 ゼノがいない。力がない。魔法も知らない。

 それでも、俺の指には、毎日練習してきた、血の滲んだタコがある。

 山の中腹にある洞窟。リフレインは、巨大な影のような魔物に追いつめられていた。

 魔物が放つのは、あらゆる音を吸収し、真空のような絶望を作り出す「絶対沈黙」。

「奏者様……ゼノ様、助けて……!」

 彼女が縋るように叫んだ名は、やはり俺の名前ではなかった。

「……ゼノはいねえよ」

 俺は洞窟の入り口に立ち、ボロボロのテレキャスターを構えた。

 シールドは繋がっていない。心臓直結の魔力増幅もない。

「ゼノは……今は寝てる。だから、今日は俺が相手だ」

「奏、様……? ダメです、逃げて! あなた一人じゃ、その音じゃ勝てない!」

 わかってる。俺のギターは生音だ。

 ジャカジャカ弾いたって、プラスチックの乾いた音が響くだけ。

 でも、俺は思い出した。ゼノが言っていた、デタラメな理論を。

『不規則に配列ディスオーダリングして、空間の係数をぶち壊すんだよ』

(……不規則に。……デタラメに。……俺の、最高にヘタクソな音を、一点に叩き込む!)

 俺は、一番太い6弦のペグを限界まで緩めた。

 弦はダルダルに伸び、指で触れるだけで「ベイン……」と締まりのない低い音が鳴る。

「食らえ、俺の……渾身の一撃を!!」

 俺はピックを捨て、拳で、いや、手のひら全体で全6本の弦を同時に「ぶっ叩いた」。

 ――ズグシャァァァァァァァン!!!!!

 それは音楽ではない。ただの物理的な破壊音に近い。

 だが、ダルダルに緩めた弦を叩いたことで、超低周波の「不規則な波」が発生した。

 魔物が作り出していた「静寂(一定の波形)」の中に、俺のド素人ゆえの「予測不能な不純物」が、劇薬のように混ざり合う!

 バリバリ、と空間にヒビが入るような音がした。

 吸収しきれないほどの巨大でデタラメな振動エネルギーに、魔物の影が耐えきれず霧散していく。

「……あ……」

 リフレインが呆然と立ち尽くす。

 俺の手は、弦の摩擦で皮が剥け、血が滲んでいた。ギターは、ただのボロボロの生音を立てているだけ。

「……やった、ぞ。リフレイン」

 俺は、震える手でギターのボディを撫でた。

 ゼノの力じゃない。俺の、ヘタクソで、弱くて、でも必死に出した音が、初めて誰かを守ったんだ。

「……奏、様……?」

 リフレインが涙を浮かべて駆け寄ってくる。

 彼女の瞳には、さっきまでの「伝説の奏者」への期待ではない、何かもっと複雑で、温かい光が宿っていた。

「……バカ、です。本当に。死んじゃうかと思ったじゃないですか……!」

 泣きながら怒るリフレイン。俺は、安心感で膝が笑い、そのまま地面にへたり込んだ。

「……伝説の勇者様じゃなくても、いいです。……今は、あなたに助けてもらえて、本当に嬉しいです。……ありがとう、奏」

 初めて、呼び捨てにされた。

 その響きが、どんな拍手よりも嬉しかった。

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