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その音、世界のルールを殴り倒す

きっかけは、深夜に放送されていたバンドアニメだった。

 画面の中でかき鳴らされる、鮮やかなチェリーサンバーストのレスポール。それに憧れて楽器店に飛び込んだ俺、瀬能奏せのう かなでを待っていたのは、あまりにも残酷な現実――「二十八万円」という値札だった。


「……まじかよ。弦が張ってあるだけの木材だろ、これ」


 高校生のバイト代で手が出るはずもない。俺は逃げるように店を出て、駅裏の古びた中古楽器店へと足を向けた。


「あー、あのモデルね。あと数ヶ月もすれば、アニメに感化された連中が飽きて手放し始めるから、安く入るよ」


 店員が放ったその言葉は、まさに今の俺自身を指していた。

 だが、根が小心者で、それ以上に「カッコつけたがり」な俺は、とっさに自分を偽る。


「……あー、やっぱりそうですよね! そういう流行り物にすぐ飛びつく奴らってマジでカッコ悪いっすよね。俺はもっと、こう……自分だけの『運命の一本』を探しに来たんで!」


 心の中で血の涙を流しながら、店内を物色するフリをした。そこで壁の隅に追いやられた一本のギターが目に留まる。

 塗装が剥げ落ち、ボディには無数の傷が刻まれた、ボロボロのブロンドカラーのテレキャスター。


「これにします。あと、この初心者セットも付けてください。今日から練習して、俺、文化祭でヒーローになるんで!」


 店を出た俺の足取りは軽かった。

 背中には、買ったばかりの相棒。俺は、自分がステージで喝采を浴びる姿を想像し、機嫌よく鼻歌を漏らす。


「ふんふんふふーん、ふふふーん……」


 ――その瞬間、道ゆく野良猫が逃げ出し、電柱のカラスが墜落しそうになる。

 俺は、ギターの才能以上に、壊滅的に歌が下手だった。本人は全力のつもりなのだが、その声は物理的な不快指数を叩き出し、周囲の平穏をかき乱す。


 そんな俺に、世界が「NO」を突きつけた。


 キィィィィィィィィ!!


 金属が悲鳴を上げるような急ブレーキの音。信号を無視して突っ込んできた大型トラックが、俺の視覚を埋め尽くす。

 俺は反射的に、買ったばかりのギターを抱きしめるようにして身を丸めた。


 ドォォォォォン!!


 意識が遠のく中、俺の頭にあったのは「せっかく買ったのに、一度も音を出してない」という、あまりにもマヌケな後悔だった。


 次に目を開けたとき、そこはアスファルトの上ではなかった。


「……がはっ、げほっ……!」


 立ち上がろうとして、俺は耳の奥を直接針で刺されるような**「凄まじい音の圧力」に襲われた。

 そこは、石造りの広場だった。鎧を着た人々が、耳から血を流して地面を転げ回っている。

 空を見上げれば、禍々しい巨大な黒い音叉おんさ**が浮遊し、震えながら「死の不協和音」を放ち続けていた。


「……あ、あ……逃げて……脳が、砕ける……」


 足元で震えている、法衣を纏った少女を見つけ、俺の「お節介」が勝手に発動した。

 あの空飛ぶ音叉。あれが元凶なのは間違いない。


「これならあいつを黙らせられるはずだ!」


 俺はギグバッグから、買ったばかりのボロボロのテレキャスターを取り出した。

 ネックをバットのように両手で握りしめ、空から降り注ぐ「音の波」を物理的に叩き割るつもりで、ギターを振り回す!


 ガァァァァァァァン!!!


 空を打つ衝撃音。だが、空中の音叉はびくともしない。

「……嘘だろ、びくともしねえ! ギターってこんなに硬いのに!」


「だ、ダメです……それは物理的な衝撃では壊せません……」

 少女が必死に声を絞り出した。

「あれは邪悪な『共鳴兵器』……正しい振動で波形を中和し、直接打ち消すしかないんです……。でも、私は喉を焼かれて……歌えない……」


「振動? ……よし、任せろ。これでも俺、『運命の一本』を手に入れたばかりなんだ!」


 俺はギターをぎこちなく抱え直し、ピックを構えた。

 ロックスターのように、ジャカジャカとかき鳴らす!


 ペチッ、ペチペチッ……。


 ……情けない、プラスチックの薄っぺらい生音。空からの轟音にかき消され、自分にさえ聞こえない。


「……あれ? 全然響かねえ。こいつ、不良品かよ!?」


 焦る俺の視界に、袋から転げ落ちた一本の**「真っ赤なシールド」**が映った。

 そのシールドが、生き物のようにのたうったかと思うと、カチリと勝手にギターのジャックに収まる。それだけではない。もう一方のプラグが、俺の制服を突き破り、左胸の心臓めがけて深々と突き刺さった。


「ぎ、あああああああぁぁぁぁぁ!!!」


 心臓を沸騰させられるような衝撃。

 俺の意識が、暴力的なまでの自己肯定感と破壊衝動に塗り替えられていく。


「……ハッ、ハハハハ!!」


 俺の喉から、今まで出したこともない野太い笑い声が漏れた。


「チッ、うるせえんだよ、この『クソな環境音』が。――おい、どけよ。俺のソロステージの邪魔だ」


 俺――いや、「俺たち」は、ボロボロのテレキャスターを乱暴に構えると、ペグを親指でグイと回した。音合わせなんて知るか。ただ、**「一番重い音」**が出るまで弦を締め上げる。


「アンコールは無しだ。一撃で黙れ」


 ――ズ、ドォォォォォォン!!!


 放たれたのは、演奏ではない。心臓の鼓動をダイレクトに変換した、物理的な暴力。

 デタラメにズレたチューニングが生み出した「不協和音の塊」が、目に見えるほどの衝撃波となって空を走り、浮遊する音叉を真っ向から粉砕した。


「……音が、止まった?」

 少女が呆然と見上げる中、俺を乗っ取った何者かは、鼻で笑ってギターを肩に担いだ。


「瀬能奏? ……ケッ、そんなダセえ名前で呼ぶんじゃねえ。……俺は、ゼノ。この世界の『不協和音』を全部ぶち壊す男だ」


 直後、プラグが心臓から抜け、俺は一瞬で元の小心者に戻った。


「…………え? ……ひ、ひぎぃぃいっ!? 心臓に刺さってるううう!! 誰か救急車! 119番どこぉぉぉ!?」


 静寂が戻った戦場に、俺の情けない絶叫だけが虚しく響き渡った。

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