Everyday Life in the Junkyard / 2
九龍はいくつもの建物が密集している。増築に増築を重ねたそこは迷宮のように入り組んでいた。
地上十四階に及ぶ魔窟。その最下層から見上げた空はかなり狭く、日中でも殆ど日が当たることはない。
上階から垂れ流しにされる下水。いつ降ってくるかわからないゴミ。剥き出しの電線。
狭い通路にはボロ布を来た人間が倒れ、裏路地の片隅では薬を打っている者がいる。
湿気と悪臭が淀み、九龍の中で最も治安が悪く最悪な環境の場所。住人だって殆どここには近寄らない。
鼻を突く刺激臭に、リュウはジャケットのジッパーを上まで引上げ、鼻先を隠して歩く。
「よく普通に歩けるな」
「嗅覚遮断のアプリ入れりゃいいだろ」
依頼があった廃棄場に向かう二人。
吐き気を催しそうな表情のリュウをみて、カイはとんとんと自分の鼻を指さした。
「俺は生身だっつの」
確かにサイボーグのカイはチップひとつで感覚を簡単に遮断できる。
だが、生身の人間はそうはいかない。
「今時生身の人間のほうが珍しいって。この程度のサイボーグ化ならどこでもできるだろ。闇医者紹介してやろうか?」
「俺はこんままでいいの」
「なんでそんなに生身にこだわるんだよ」
ふいに問われ、リュウは戸惑った。
ポケットに手を突っ込みながら、汚い地面を見ながら歩く。
「……親にさ、生んでもらった体傷付けんなっていわれなかった?」
「なに!? お前、反サイボーグの生身信仰者だったのかよ!?」
「いや……そういうんじゃねえけどさ……」
驚いて自分の腕を抱えて引きつるカイに、リュウは言い淀んだ。
事実、リュウはどこも機械化していない純粋な生身だ。
金も満足になかったしサイボーグ化する機会がなかったといえば聞こえは良いが、どうしてそうだったのだろう……とふと思い直す。
「お袋が……失敗したから?」
独り言のように呟いた。
リュウはこの街で生まれ育った。
母はこの街の売春宿働いていた。生身の人間は珍しく、花形だったと聞いている。
だが娼婦の寿命は短い。リュウを育てるために無理して働いていた母は大病を患った。
そして彼女はサイボーグ化を選んだ。幼い子供を一人残して逝かないために。
だが――母は死んだ。
手術の失敗だった。周りはいう。安く済ませようとして適当な闇医者に頼ったせいだと。
母の亡骸をリュウは呆然と見た。
生身の人間に適当につけられた機械の手足。動かなくなったブリキの心臓。
そこに美しくて優しかった母の面影は殆ど残っていなかった。
人はこんなに簡単に死ぬのだと、幼心に脳裏に焼き付いた。
「……わかった。辛かったな」
長い沈黙のあと、意識を戻すとカイがじっとこちらをみていた。
確か彼にはこの話を詳しくはしていなかったはず。もしや心の声が言葉に出ていたのだろうかとリュウは瞬きを繰り返す。
カイは同情するように頷きながら、リュウの肩に手を乗せた。
「リュウ……注射が怖いんだな」
「はあ!?」
変な方向に曲解したようだ。
「さすがに麻酔打てないと手術もできないからな。大丈夫、これはオレの秘密にしておくから」
「待てよちげえって!」
皆までいわずともいい、とカイはリュウの話を聞くことはなかった。
救われたような、腹立たしいような気分でリュウは先を歩く相棒の背中を小走りで追うのだった。
*
廃棄場に近づくと、異臭が強まった。
生ゴミと酸化した油、そして錆の臭い。
住民も殆ど近づかないそのスクラップの山にそれはあった。
「これ……だな」
それは一件、鉄塊にしか見えなかった。
全身金属で出来たそれは、びっしりと赤茶色の錆で覆われている。
崩れ落ちそうな関節、安物の曇りガラスの目、配線は殆どちぎれ剥き出しになっている。
リュウは過去に拾った記憶で見たことがある。
たとえるならこれは、子供が遊ぶような古いブリキのロボット玩具のような姿だった。
その胸元には開閉式の扉が見える。
回収対象のブラックボックスはその中にあるはずだ。
「はは、旧式のサイボーグってこんな感じだったんだな」
「ああ……ちょうど、サイボーグ化がはじまった頃辺りの機体だろう」
人間には寿命がある。その肉体はずっと健康でいられる保証はない。
そのため、サイボーグ化が普及しはじめたころ金持ちの間で流行りだしたことだ。
肉体の寿命を超えるために、脳から摘出したメモリを機械の体へ移す。
肉体と違い、機械の体は部品を変えれば半永久的に生きることができる。
そうやって人間は永遠の命を得ようとしたのだ。
「そんなの人って呼べるのかね」
しゃがみ込み、それを見ながらカイはぽつりと呟く。
「……さあね。少なくとも俺はこんな風にはなりたくないが」
正直な話、完全サイボーグ化の成功率は限りなく低い。
成功しても機械の体だってメンテナンスを怠れば必ずガタがくる。
そして中身の人間自体、永遠に流れる時間に発狂しはじめる。
知り合いや家族は死に、孤独になる。その成れの果てがこの廃棄物だ。
結局のところ、永遠に生きている人間なんて殆ど存在しない。
「……さっさと回収して帰るぞ」
リュウが近づき、胸の扉に手をかけた――その瞬間、ロボットの目が赤く光った。
「……は?」
「リュウ!」
カイがリュウの襟を思い切り掴んで引いた。
次の瞬間、リュウが立っていた場所は爆発し、金属の破片がぱらぱらと飛んでくる。
「おい、大丈夫か!?」
「あ、ああ……一体なにが……」
カイの腕に庇われながら、リュウはまきあがる真っ白な煙の奥に視線を凝らす。
その中では確かに赤い光が揺らめいていた。
「再起動……!?」
「はあっ!? 何年前の機体だと思って……」
錆びついた鈍い音を立てながら、立ち上がった機体は動き周囲を見回す。
『逃げろ……消される……』
掠れた機械のような声。
それが二人を視界に捕えた瞬間、ブースターが唸り、跳ねるようにそれは飛び上がった。
その刹那に見える、機体の表情。
怯えた、助けを求めるような顔をしていた。
「あいつ……」
「おい、リュウ逃げるぞ! あいつ暴走個体だ!」
カイの言葉で我に返った。
頭上に伸びる蜘蛛の巣のような配管のすき間を縫うように、ロボットは上層へ向かいはじめた。
「あんなの外に逃したら大問題だぞ!?」
リュウは即座に走り出した。
九龍で起きた出来事は九龍の中で解決しなければいけない。
さもなくばここは安寧の地では無くなってしまうからだ。
「たとえ獲物が逃げようが、きっちり回収するのが回収屋だ……」
リュウはその場で屈伸して、パチンと頬を叩いた。
「よし、追いかけるぞ」




