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帰送シリーズ  作者: 流浪
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2/20

『葬列』

 ド田舎から、某中都市規模の街にある大学へ出てきた俺は、環境の変化のせいか、金縛りだの妙な夢だの、とにかく落ち着かなかった。

 面食らってはいたが、同時にオカルトへの興味も変に育っていた時期だ。

 入学して一か月。俺はまだ友好関係らしいものを築けずにいた。

 学食の隅で、一人さみしくカレーを突っついていると、噂話が耳に入ってきた。

 旧講義棟の裏にある坂。

 あの坂を下りた先に、林へ入る小道がある。

 深夜二時四十四分。

 そこに「列」ができる。

 話していたのは同じ学科の先輩で、いかにも噂好きの顔をしていた。周りも箸を止め、真剣な目で聞いている。

「黒っぽい服を着たやつらがさ、列作ってんだよ。んで、誰も喋んねえの。スーツみたいなのもいれば、コートみたいなのもいる。中には軍服みたいなのまで混じっててさ。みんな同じ方向向いて、ゆっくり……こう、並んで歩いてんだよ」

「二時四十四分ぴったり?」

「ぴったり。携帯を見ていても、急に電波が死んでさ。時間だけ二時四十四分で固まるって話もある」

 そして先輩は、最後に声を落とした。

「……列の最後尾の男がな、振り返るんだよ」

「は?」

「目が合ったら最後、列に引きずり込まれて帰ってこられない。……実際、見たってやつがいる。朝になったら旧講義棟の裏で座り込んでてさ。靴だけ真っ黒で、何も覚えてねえって」

 学食のざわめきが、一瞬遠のいた。先輩の言葉が、頭の中に釘みたいに残る。

 怪談としてはベタだ。「見てはいけない」「振り返るな」の類。

 でも、そこが引っ掛かった。

 「帰ってこられない」と言うくせに、「朝になったら座り込んでた」例がある。

 じゃあ、帰ってきてるじゃないか。

 しかも、戻ってきた本人は何も覚えてないのに、噂の中身だけが妙に具体的だ。

 最後尾の男が振り返る。目が合うと引きずり込まれる。時間が止まる――。

 誰がそこまで見て、誰が言い出したんだ。

 どこまでが誇張で、どこからが事実なんだ。

 所詮は学内程度の噂なのだが……。

 疑問はなぜか恐怖より先に膨らんだ。

 自分でも面倒な性格だと思う。けれどその晩、俺は確かめずにはいられなかった。

 旧講義棟の裏へ向かった。

 守衛室の明かりはまだ点いていて、視界に入らないように遠回りした。昼間は勧誘のビラで埋まっている掲示板も、夜になるとただの黒い板に見える。風が通るたび、紙の端がかさりと鳴った。

 キャンパスは夜になると、昼間の人の熱が嘘みたいに引く。街灯の光は白く、木々の影が濃い墨みたいに地面に落ちる。旧講義棟は、普段から気配の薄い建物だった。昼でも廊下がひんやりしていて、壁の染みがどこか濡れて見える。

 裏手に回ると、噂の坂はすぐに分かった。地形が少し落ち込み、途中から林が迫っている。そこだけ空気が違う。春先なのに、吐く息が細く白い。煤の混じったような匂いが鼻の奥に残った。

 坂を下り切ったところに、小道の入口がある。獣道みたいに細く、踏み固められているのに、人が通った気配がない。入口の脇には、古い注意看板が斜めに刺さっていた。「立ち入り禁止」の文字だけが剥げずに残っているのが、逆に不自然だった。

 俺の携帯は当時流行りのPHSで、細いアンテナを伸ばすタイプだった。

 画面を見る。二時四十三分。

 自分で選んで来たはずなのに、足が落ち着かない。

 俺の指は無意味に液晶を点けては消した。時刻の横で、電波のマークがふっと消えたり戻ったりする。圏外の表示が一瞬だけ出て、また消える。

 二時四十四分。

 その瞬間、液晶の数字が止まった。

 秒の表示だけが進まない。バックライトの明るさが、わずかに不安定になる。電波マークは消えたまま、時間だけが二時四十四分に貼りついている。

 ボタンを押しても反応が遅れる。閉じたはずの画面が勝手に点き、そのまま暗くなったりする。

 まるで、機械が「ここから先」を拒んでいるみたいだった。

 風が止んだ。葉擦れの音も、遠くの車の音も、ぷつりと切れる。

 世界が薄い膜で隔てられたみたいに、音が吸い取られる。

 そのときだった。

 小道の奥、林の暗がりがゆっくり濃くなる。闇が寄ってくるのではない。闇の中から、別の黒いものが滲み出す。

 足音がした。

 砂利を踏むようで、砂利じゃない。湿った土を踏む、重い足音が規則正しく強くなる。

 最初に見えたのは、黒くのっぺりとした何かだった。

 それが進むたび、人の形を成していく。

 一人、二人、三人――。

 列だ。

 黒っぽい服。コートにスーツ、喪服に、軍服のようなものまで。けれど、そのどれもが傷んでいる。焼け焦げたような煤色が一つに連なり、影の帯になる。

 誰も喋らない。咳払いや息遣いも聞こえない。

 歩調だけが揃っていて、どこかを目指し進んでいる。

 俺は看板の影に身を潜めた。心臓がうるさい。言い表せぬ悪寒がする。

 変だ。

 列の連中はみんな前を向いている。顔は見えない。見えないはずなのに、「見られている」と直感した。

 そして、最後尾が見えてきた。

 男だった。背は高くない。痩せているのに、存在感が強い。黒い襟元が、ところどころ灰色に白けている。煤みたいに。

 男も列に続いて奥へ進む……はずだった。

 男の歩みが止まる。

 肩が、ゆっくりと回る。

 振り返る。

 その動きは、人間が後ろを確認する動きとは違う。

 骨が擦れるような音を立てながら、無理やり体を曲げている。

 視線がそこに固定されるみたいに、俺は目を逸らせなかった。

 顔が見えた。

 ……黒い。

 土で汚れた黒じゃない。焼けた黒。乾いた炭の黒。

 距離もある、暗さもある。なのに目が合ったと直感的に分かった。

 瞬間、背骨の芯が冷たくなる。

 体が勝手に前へ出た。

「――っ」

 声が出ない。叫ぼうとしても喉が閉まる。

 足が俺の意思と関係なく小道へ踏み出す。

 一歩。二歩。

 入口の土が、ぐにゃりと沈む。雨なんて降っていなかったのに異様に柔らかい。

 煤の匂いが濃くなる。息が詰まる。全身が熱されているような錯覚に包まれる。

 列の中へ呑み込まれる。

 そう思ったとき、誰かの手が俺の腕を掴んだ。

 指がやけに冷たい。氷みたいな冷たさが皮膚の内側へすっと潜り込んで、握られたところから熱だけが抜けていく。

「見ないで」

 近い。耳元じゃない。頭の内側に直接響くみたいな声。

 腕を引かれ、俺の視界が強引に逸らされる。男の目から、無理やり引き剥がされる。

 次の瞬間、肺に空気が戻った。戻った途端、咳き込んだ。膝が抜けそうになる。

「下を向いて。土を踏まないで。……戻るよ」

 淡々としていた。迷いがない。

 言われるままに視線を落とす。足元に靴が見える。黒い靴、古い靴、上履きみたいなもの、泥のついた靴。

 列の足音は、遠のいていくというより、こちらから離れていく。意識の中からその距離感だけが薄くなる。

 彼女に引かれて後退する。

 小道の入口から一歩、二歩と離れた。

 すると、空気がふっと軽くなった。

 遠くの音が戻る。犬の鳴き声。枝の擦れる音。街灯の電気の微かな唸り。

 PHSの画面が、ようやく動いた。二時四十四分のまま固まっていた数字が、いきなり二時四十六分へ跳ねる。電波マークが戻ったのを見て、遅れて震えが来た。

 顔を上げたときには、列はもうそこにいなかった。

 林はただの暗闇に戻り、小道は薄い影の筋になっているだけだ。

 彼女は俺を掴んでいた手を離した。奪われた腕の熱が戻るのを感じた。

「この場所には……来ちゃだめ」

 それだけ言うと、坂を上がっていった。黒い髪が揺れて、白いマフラーの端だけが街灯に一瞬だけ浮かんだ。

 待って――と声をかける間もなく、その背中が闇に溶けていった。

 俺はしばらく、その場から動けなかった。

 ただ、立っているだけで精一杯だった。

 足元を見ると、俺の靴だけ不自然に黒く汚れていた。数歩しか踏み込んでいないはずなのに。まるで、あの列の中を長く歩いたあとみたいに。

 数日後の昼休み。

 大学構内の外れ、人気のないベンチで、俺は彼女を見かけた。旧講義棟から少し離れた植え込みの奥。風が通りにくくて、時間の流れが遅い場所だ。

 彼女はベンチに座り、膝の上に大学ノートを載せていた。罫線の上を、シャーペンの芯がかりかりと走っている。

 近づくと、彼女は視線だけを上げた。能面のように表情がない。驚かない。まるで、俺が来ることを知っていたみたいに。

「……この前は助けてくれて、ありがとうございます」

 そう言って、頭を下げた。

「お礼はいらない。もう二度と行かないで」

 短く言い切られて、背筋が伸びた。

 俺は、あの夜から引っかかっていたことをぶつけた。

「なんで、あの場所にいたんですか」

 彼女は少しだけ間を置いてから言った。

「確かめてたの」

「何を」

「噂の出所」

 出所、という言い方が引っかかった。

「君も噂を聞いて行ったんでしょう」

 俺は頷く。

「はい。でも……納得できなくて。目が合ったら帰ってこられないって言うくせに、朝になったら座り込んでたやつがいるって。靴だけ真っ黒で、何も覚えてないって。それなのに、最後尾が振り返るとか、目が合うと引きずり込まれるとか、話だけがやけに細かくて。誰がそこまで見たんだって」

 彼女は小さく息を吐いた。呆れたようにも、諦めたようにも見えた。

「……“帰ってこられない”っていうのは、元の形じゃない」

 ノートを閉じ、指先でベンチの木目をなぞる。

「あそこに出るのは、葬列。そう呼ばれてる。列の最後尾の男と目が合うと、あなたみたいに身体が引っ張られる。……本来は、それまでの話だった」

「だった?」

 頷くでもなく、首を振るでもなく、彼女はそのまま続けた。

「目が合う。引っ張られる。そこで気を失って、別の場所で目を覚ます。記憶が曖昧になる。時間が飛ぶ。靴だけ汚れる。――そういう“空白”だけを残して終わる」

 言葉の切れ目ごとに、あのときの視線がよぎる。

「症状の出方は人によって違う。はじめは、そういう怪異だった。だから噂になる」

 俺は無意識に足先へ力を込めていた。

「でも、ここ最近になって、“帰れなくなる”って尾ひれがついた」

 彼女の視線が遠くへ向く。

「誰が言い出したのかは知らない。でも、その噂はもう広がり始めてる。それがいちばんよくない」

 思わず口を挟む。

「でも、たかが噂ですよ。そんなのが広がったところで……」

 彼女は首を横に振った。

「噂は記憶になる。記憶は語られて広がる。広がれば、人は『そうだ』と思い始める」

「……」

「はじめから言葉で伝わってきた怪談にとって、それは一番厄介なところ。思い込みは伝染する。真偽がどうであれ、ね」

 一拍置いて、静かに言った。

「そして、人の中で形が定まったとき――“人は帰ってこなくなる”」

 心拍が速くなる。

 もしあの夜、彼女が助けてくれなかったら。

 その想像だけで、喉の奥がひやりとした。

「噂は本来、消せない。だから危ない」

 その目は何かを憂いているようだった。

 少し迷ってから、俺は聞いた。

「葬列って……何なんですか。あれは、人間なんですか」

「人が、あの中にいたと思う?」

 言葉を失った。

 少しだけ考えるようにしてから、彼女はゆっくり言葉を選んだ。

「旧講義棟は、今はコンクリートで補強されてるでしょ。でも昔はそうじゃなかった。戦時中の話」

「戦時中……」

「この街には“大きな火事”があった。記録には、そう残ってる」

 そこで一拍置く。

「でも本当は、空襲だった」

 背中がぞくりとした。

 遠い昔の話のはずなのに、あの夜の煤の匂いとぴたりと重なる。

「下宿の集落が焼けて、学生も死んだ。家族がすぐに遺体を引き取れない人もいた。だから大学が、旧講義棟の講堂を使わせた。通夜と焼香の場として」

「焼香の順番待ちが、裏手の坂まで伸びた。黒っぽい服を着て、泣き声を殺して、喋らずに並んだ。……君が見たのと同じように」

「それが……葬列?」

「本当の葬列は、その一夜だけのはずだった。でも、そうはならなかった」

 平坦な声が、その底に沈んでいるものを重く感じさせる。

「その夜、火が出たのが二時四十四分」

 喉の奥がひりつく。

 二時四十四分。あの止まった数字が、意識の中で強く光った。

「逃げようとして、裏口に人が集中した。坂の小道。そこを抜けた先に防空壕があった。でも道は狭い。煙を吸うから喋れない。息苦しい。それでも、前へと進んでいく」

 あの夜、小道へ一歩踏み出した瞬間の息苦しさが戻ってくる。

「最後尾の男は、誘導役だった。取り残された人がいないか、後ろを見る役」

 彼女は俺の目をまっすぐ見た。

「目が合った人がいた。その人は、瓦礫に阻まれて外へ出られなかった」

 そこで、ほんの少しだけ視線を落とす。

「救えなかった。……それでも、列は前に進む」

「もう少しだった」

 声色は変わらない。

 なのに、その一言だけが重さを持つ。

「二度目の爆撃だった」

 俺は絶句した。

「逃げ場はなかった。火の回りが早くて、大勢が亡くなった」

 そんな惨劇がここであったなんて、俺は知らなかった。考えもしなかった。

「戦争が終わって、そこに木が植えられた。戦後復興として」

 彼女は静かに言った。

「でも、戦争が終わっても、彼らが帰ってくることはなかった」

 胸の奥がざらついた。悔しいとか悲しいとか、そんな言葉じゃ足りないくらいに。

「最後尾の男は、誰かを連れ去るために振り返るんじゃない」

 彼女は言う。

「誰も失わないために振り返る。見つけた相手を“取り残された誰か”だと思い込んで、列に戻そうとしてる」

 その言葉が胸に刺さった。目尻が熱くなる。

「……何もしてあげられないんでしょうか」

 彼女は小さく首を振った。

「このことは忘れなさい」

 立ち上がる。ベンチの影がわずかに揺れた。

「もう、こういうことには関わらないほうがいい」

 そう言ってから、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 歩き出しかけて、ふと思い出したように振り返る。

「……靴、ちゃんと清めて」

 言われて靴を見る。洗っても薄く残った黒い汚れが、たしかにそこにあった。

「清める?」

「塩と水。……それでも落ちないなら、落ちないなりに気をつけて。靴を引きずって歩かないで」

 意味深な言い方だった。

「あなたの……名前は」

 彼女は一拍、黙った。

 それからポケットから学生証を取り出し、こちらへ向けた。

 白百合 歩夢。

「……白百合って読む。あとは、忘れてもいい」

 それだけ言って、彼女は歩き去った。

 植え込みの向こうへ消える背中を、俺は追えなかった。

 その夜、俺は部屋の電気を全部つけたまま、机に座っていた。

 ――葬列。

 講義も忘れて、過去の資料を漁った。図書館へ行って縮刷版の棚を端から端まで見た。背表紙の年号は、俺が生まれるずっと前の数字だった。

 地下の閲覧室にはマイクロフィルムの機械が並んでいる。金属の匂いと、古い紙の匂いが混じる。フィルムを回して、レンズの向こうの文字を追う。指先が黒くなる。

 それでも足りなくて、下宿へ戻ったあと、部屋の古いパソコンの電源を入れた。

 モニターの奥がじわりと明るくなる。ファンの音が一定で、画面が立ち上がるまでの間が長い。

 回線をつなぐとき、モデムが甲高く鳴いた。落ち着かない音だ。つないでいる間は電話が使えない。だから、変な時間に繋ぎっぱなしにするのが怖かった。

 それでも打ち込んだ。

 「空襲」

 「講堂」

 「火災」

 出てくるのは、断片だけだった。

 それでも、記録は確かにあった。

 旧講義棟の講堂付近で火災発生(原因不明)。死者数は伏せられている。記事は短く、ひどく事務的だった。

 空襲なんて言葉は、どこにもない。彼女が言った「記録では火事」という意味が、嫌なほど分かった。

 画面の端に、白黒の写真が出た。おそらく終戦後の写真だろう。

 焼け跡の前に、黒い服の人々が写っている。講堂の裏手、坂のあたり――列のようにも見えた。

 写真の端、最後尾のあたりが、光かブレかで滲んでいる。

 なのに俺は、そこに“視線”を感じてしまった。

 慌てて画面を閉じた。

 時計を見る。二時四十三分。

 PHSの液晶は暗く、時刻だけが光っている。

 胸の奥がざわつき、俺は無意識に足元を見た。黒い汚れがついている気がして目をこする。

 見間違いだ。そこには汚れのない白いソックスがあるだけだった。

 二時四十四分。

 遠くで、何かが擦れる音がした。

 キャンパスの方角から――湿った土を踏む、規則正しい足音。聞こえるはずなんてないのに。

 俺はカーテンを閉め、布団に潜り込んだ。

 そうして両耳をふさいだ。

 葬列――彼らの行進は、今も止まりはしないのだろう。

 あの日、最後尾の男が見失った“誰か”を見つけるまで。あるいは、見つけたと錯覚するまで。

 柔らかく沈む土の感触が蘇りそうになって、俺は息を殺し、祈った。

 どうか、彼らが帰れますように、と。

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