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帰送シリーズ  作者: 流浪
2/17

『葬列』



 ド田舎から、某中都市規模の街にある大学へ出てきた俺は、環境の変化のせいか、金縛りだの妙な夢だの、とにかく落ち着かなかった。

 面喰ってはいたが、同時にオカルトへの興味も変に育っていた時期だ。

 入学して一か月。俺はまだ友好関係らしいものを築けずにいた。

 学食の隅で、一人さみしくカレーを突っついていると、噂話が耳に入ってきた。

 旧講義棟の裏にある坂。

 あの坂を下りた先に、林へ入る小道がある。

 深夜二時四十四分。

 そこに「列」ができる。

 話していたのは同じ学科の先輩で、いかにも噂好きの顔をしていた。周りも箸を止め、妙に真剣な目で聞いている。

 「黒っぽい服を着たやつらがさ、列作ってんだよ。んで、誰も喋んねえの。スーツみたいなのもいれば、コートみたいなのもいる。中には軍服みたいなのまで混じっててさ。みんな同じ方向向いて、ゆっくり……こう、並んで歩いてんだよ」

 「二時四十四分ぴったり? 」

 「ぴったり。携帯見てても、急に電波が死んでさ。時間だけ二時四十四分で固まるって話もある」

 そして先輩は、最後に声を落とした。

 「……列の最後尾の男がな、振り返るんだよ」

 「は? 」

 「目が合ったら最後、列に引きずり込まれて帰ってこれなくなる。……実際、見たってやつがいる。朝になったら旧講義棟の裏で座り込んでてさ。靴だけ真っ黒で、何も覚えてねえって」

 学食のざわめきが、一瞬遠のいた。先輩の言葉が、頭の中に釘みたいに残る。

 怪談としてはベタだ。「見てはいけない」「振り返るな」の類。

 でも、そこが引っ掛かった。

 「帰ってこれない」と言うくせに、「朝になったら座り込んでた」例がある。

 じゃあ、帰ってきてるじゃないか。

 しかも、戻ってきた本人は何も覚えてないのに、噂の中身だけが妙に具体的だ。

 最後尾の男が振り返る。目が合うと引きずり込まれる。時間が固まる――。

 誰がそこまで見て、誰が言い出したんだ。

 どこまでが誇張で、どこからが事実なんだ。

 疑問は、なぜか恐怖より先に膨らんだ。

 自分でも面倒な性格だと思う。けれど、その晩、俺は確かめずにはいられなかった。

 旧講義棟の裏へ向かった。

 守衛室の明かりはまだ点いていて、視界に入らないように遠回りした。昼間は勧誘のビラで埋まっている掲示板も、夜になるとただの黒い板に見える。風が通るたび、紙の端がかさりと鳴った。

 キャンパスは夜になると、昼間の人の熱が嘘みたいに引く。街灯の光は白く、木々の影が濃い墨みたいに地面に落ちる。旧講義棟は、普段から気配の薄い建物だった。昼でも廊下がひんやりしていて、壁の染みがどこか濡れて見える。

 裏手に回ると、噂の坂はすぐに分かった。地形が少し落ち込み、途中から林が迫っている。そこだけ空気が違う。春先なのに、吐く息が細く白い。煤の混じったような匂いが、鼻の奥に残った。

 坂を下り切ったところに、小道の入口がある。獣道みたいに細く、踏み固められているのに、人が通った気配がない。入口の脇には、古い注意看板が斜めに刺さっていた。「立入禁止」の文字だけが剥げずに残っているのが、逆に不自然だった。

 俺の携帯は当時流行りのPHSで、細いアンテナを伸ばすタイプだった。

 画面を見る。二時四十三分。

 自分で選んで来たはずなのに、足が地面に吸い付く感じがする。

 落ち着かない。俺の指は無意味に液晶を点けては消した。時刻の横で、電波のマークがふっと消えたり戻ったりする。圏外の表示が一瞬だけ出て、また消える。

 二時四十四分。

 その瞬間、液晶の数字が止まった。

 秒の表示だけが進まない。バックライトの明るさが、わずかに不安定になる。電波マークは消えたまま、時間だけが二時四十四分に貼りついている。

 ボタンを押しても反応が遅れる。閉じたはずの画面が勝手に点いたり、点いたまま暗くなったりする。

 まるで、機械が「ここから先」を拒んでいるみたいだった。

 風が止んだ。葉擦れの音も、遠くの車の音も、ぷつりと切れる。

 世界が薄い膜で隔てられたみたいに、音が吸い取られる。

 そのときだった。

 小道の奥、林の暗がりがゆっくり濃くなる。闇が寄ってくるのではない。闇の中から、別の黒いものが滲み出す。

 足音がした。

 砂利を踏むようで、砂利じゃない。湿った土を踏む、重い足音が規則正しく近づいてくる。

 最初に見えたのは、黒くのっぺりとした何かだった。

 それが進むたび、人の形を成していく。

 ひとり、ふたり、三人――。

 列だ。

 黒っぽい服。コートにスーツ、喪服に、軍服のようなものまで。けれど、そのどれもが傷んでいる。焼け焦げたような煤色が一つに連なり、影の帯になる。

 誰も喋らない。咳払いすらない。息遣いも聞こえない。

 歩調だけが揃っていて、遅いのに、逃げ道を塞ぐみたいに確かだった。

 俺は看板の影に身を潜めた。心臓がうるさい。腕の先が冷えていく。

 変だ。

 列の連中はみんな前を向いている。顔は見えない。見えないはずなのに、「見られている」と直感した。

 そして、最後尾が見えてきた。

 男だった。背は高くない。痩せているのに、肩だけが妙に重たい。黒い襟元が、ところどころ灰色に白けている。煤みたいに。

 本来なら、男も列に続いて奥へ進むはずだった。

 男の歩みが止まる。

 肩が、ゆっくりと回る。

 振り返る。

 その動きは、人間が後ろを確認する動きとは違う。

 骨が擦れるような気配を立てながら、無理やり体を曲げている。

 視線がそこに固定されるみたいに、俺は目を逸らせなかった。

 顔が見えた。

 ……黒い。

 土で汚れた黒じゃない。焼けた黒。乾いた炭の黒。

 それでも目だけが、異様に濡れて光っていた。

 目が合った。

 瞬間、背骨の芯が冷たくなる。

 体が勝手に前へ出た。

 「――っ」

 声が出ない。叫ぼうとしても喉が閉まる。

 足が、俺の意思と関係なく小道へ踏み出す。

 一歩。二歩。

 入口の土が、ぐにゃりと沈む。妙に柔らかい。湿っているわけじゃないのに、足首が沈む。

 煤の匂いが濃くなる。息が詰まる。熱いような錯覚が、皮膚の内側から湧く。

 列の中へ呑み込まれる。

 そう思ったとき、誰かの手が俺の腕を掴んだ。

 指が、やけに冷たい。氷みたいな冷たさが皮膚の内側へすっと潜り込んで、握られたところから熱だけが抜けていく。

 「見ないで」

 近い。耳元じゃない。体の内側に直接響くみたいな声。

 腕を引かれ、俺の視界が強引に逸らされる。男の目から、無理やり引き剥がされる。

 次の瞬間、肺に空気が戻った。戻った途端、咳き込んだ。膝が抜けそうになる。

 「下を向いて。土を踏まないで。……戻るよ」

 彼女は淡々としていた。迷いがない。

 言われるままに視線を落とす。足元に靴が見える。黒い靴、古い靴、上履きみたいなもの、泥のついた靴。

 列の足音は、遠のいていくというより、こちらから離れていく。距離感だけが薄くなる。

 彼女に引かれて後退する。

 小道の入口から一歩、二歩と離れた。

 すると、空気がふっと軽くなった。

 遠くの音が戻る。犬の鳴き声。枝の擦れる音。街灯の電気の微かな唸り。

 PHSの画面が、ようやく動いた。二時四十四分のまま固まっていた数字が、いきなり二時四十六分へ跳ねる。電波マークが戻ったのを見て、遅れて震えが来た。

 顔を上げたときには、列はもうそこにいなかった。

 林はただの暗闇に戻り、小道は薄い影の筋になっているだけだ。

 彼女は俺を掴んでいた手を離した。奪われた腕の熱が戻るのを感じた。

 「この場所には……来ちゃだめ」

 それだけ言うと、坂を上がっていった。黒い髪が揺れて、白いマフラーの端だけが街灯に一瞬だけ浮かんだ。

 「待っ――」

 名も知らないまま、背中が闇に溶けた。

 俺はしばらく、その場から動けなかった。

 ただ、立っているだけで精一杯だった。

 足元を見ると、俺の靴だけ不自然に黒く汚れていた。数歩しか踏み込んでいないはずなのに。まるで、あの列の中を長く歩いたあとみたいに。

 数日後の昼休み。

 大学構内の外れ、人気のないベンチで、俺は彼女を見かけた。旧講義棟から少し離れた植え込みの奥。風が通りにくくて、時間の流れが遅い場所だ。

 彼女はベンチに座り、膝の上に大学ノートを載せていた。罫線の上を、シャーペンの芯がかりかりと走っている。

 近づくと、彼女は視線だけを上げた。驚かない。まるで、俺が来ることを知っていたみたいに。

 「……この前は助けてくれて、ありがとう」

 「お礼はいらない。もう二度と行かないで」

 言い切る口調に、背筋が伸びた。

 俺は、あの夜の疑問をぶつけた。

 「何で、あの場所にいたんですか」

 彼女は少しだけ間を置いて言った。

 「確かめてたの」

 「何を」 

 「噂の出所」

 出所。

 その言い方が妙に冷たい。

 「君も噂を聞いて行ったんでしょう」

 俺は頷いた。

 「はい。でも……納得できなくて。目が合ったら帰ってこれないって言うくせに、朝になったら座り込んでたやつがいるって。靴だけ真っ黒で、何も覚えてないって。それなのに、最後尾が振り返るとか、目が合うと引きずり込まれるとか、話だけ妙に細かい。誰がそこまで見たんだって」

 彼女は少し息を吐いた。呆れたようにも、諦めたようにも見えた。

 「……“帰ってこれない”っていうのは元の形じゃない。」

 彼女はノートを閉じ、指先でベンチの木目をなぞった。

 「あそこに出るのは、葬列。そう呼ばれてる。列の最後尾の男と目が合うと、あなたみたいに身体が引っ張られる。……本来は、それまでの話のはずだった」

 「はずだった? 」

 彼女は頷くでも首を振るでもなく、淡々と続けた。

 「目が合って、引っ張られる。そこで気を失って、別の場所で目を覚ます。記憶が曖昧になる。時間が飛ぶ。靴だけ汚れる。――そういう“空白”だけを残して、終わる。」

 言葉の切れ目ごとに、あの黒い目が思い出される。


 「症状の度合いもまちまち。はじめはそういう怪異だった。だから噂になる」


 俺は無意識に、足先へ力を入れていた。

 「でも、ここ最近になって“帰れなくなる”なんて尾ひれがついた」

 彼女の視線が、遠くへ向く。

 「誰が言い出したのかは知らない。でも、その噂は広がりつつある。それが、とてもよくない」

 俺は思わず言った。

 「でも、たかが噂ですよ。そんなのが広がったところで……」

 彼女は、首を横に振った。

 「噂は記憶になる。記憶は語られて広がる。広がれば、みんなが『そうだ』と思い始める」

 「……」

 「はじめから言葉で伝わってきた怪談にとって、それは一番厄介なところ。思い込みは、伝染する。真意がどうであれ、ね」

 彼女は一拍置き、言葉を落とした。

 「そして、人の中で形が定まったとき――『人は帰ってこなくなる』」

 心拍が上がった。

 仮にそうだとして、あの夜、もしも彼女が助けてくれなかったら……。

 「噂を消すことはできない。だから危ない」

 言い切られて、背筋が冷えた。

 俺は少し迷ってから、聞いた。

 「葬列って……何なんですか。あれは、人間なんですか」

 「人が、あの中にいたと思う?」

 俺は言葉を失った。

 彼女は少し考えてから、言葉を選ぶように続けた。

 「旧講義棟、今はコンクリートで補強されてるでしょ。でも昔はそうじゃなかった。戦時中の話」

 「戦時中……」

 「この街には“大きな火事”があった。記録には、そう書かれてる」

 彼女は一拍置いた。

 「でも本当は、空襲だった」

 背中が冷えた。

 遠い話のはずなのに、あの夜の煤の匂いとぴたり重なる。

 「下宿の集落が焼けて、学生も亡くなった。家族がすぐ引き取れない人もいた。だから大学が、旧講義棟の講堂を使わせた。通夜と焼香の場に」

 「焼香の順番待ちが裏手の坂まで伸びた。黒っぽい服で、泣き声を殺して、喋らずに並んだ。……君が見たのと同じ」

 「それが……葬列? 」

 「本当の葬列は、その一夜だけだったはず。でも、そうはならなかった。」

 彼女の声は平らだった。

 平らな分だけ、底に何か沈んでいる気がする。

 「その夜、火が出たのが二時四十四分」

 俺の喉が、また乾く。

 二時四十四分。あの止まった数字が目の裏で光った。

 「逃げようとして、裏口に人が集中した。坂の小道。そこを抜けた先に防空壕があった。でも道は狭い。煙を吸うから、喋れない。喋れば煙を吸い、咳が出る。吸いすぎれば動けなくなる」

 彼女の言葉が淡々としているのに、肺のあたりだけが苦しくなる。

 あの夜、俺が一歩踏み出した瞬間の息苦しさが戻ってきた。

 「最後尾の男は、誘導役だった。取り残しがないか、後ろを見る役」

 彼女は俺の目をまっすぐ見た。

 「目が合った人がいた。その人は瓦礫に阻まれて、外へ出られなかった」

 そこで彼女は、少しだけ視線を落とした。

 「救えなかった。……それでも、列を前へ進めた」

 「もう少しだった」

 声色は変わらない。なのに、その一言だけが妙に重い。

 「二度目の爆撃だった」

 俺は絶句した。

 「逃げ場はなかった。火の回りが早くて、大勢が亡くなった」

 そんな惨劇がここにあったなんて、俺は知らなかった。

 「戦争が終わって、そこに木が植えられた。戦後復興として」

 彼女は静かに言った。

 「でも、戦争が終わっても、彼らは帰れなかった」

 胸の奥がざらついた。悔しいとか悲しいとか、そういう言葉じゃ追いつかない。

 「最後尾の男は、誰かを連れ去るために振り返るんじゃない。誰も失わないために振り返る。見つけた相手を“取り残された誰か”だと思い込んで、列に戻そうとしてる」

 その言葉が胸に刺さった。目尻が熱くなる。

 「……何もしてあげられないんでしょうか」

 彼女は小さく首を振った。

 「このことは忘れなさい」

 彼女は立ち上がった。ベンチの影が揺れる。

 「もう、こういうことには関わらないほうがいい」

 そう言ってから、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 歩き出しかけて、彼女はふと思い出したように振り返る。

 「……靴、ちゃんと清めて」

 そう言われて靴を見る。洗っても薄く残った黒い汚れが、確かにそこにあった。

 「清める? 」

 「塩と水。……それでも落ちないなら、落ちないなりに気をつけて。靴を引きずって歩かないで」

 意味深な言い方だった。

 「あなたの……名前は」

 彼女は一拍、沈黙した。

 それから、首から下げていた学生証を指で押さえ、こちらに向けた。

 白百合歩夢。

 「……白百合しらゆりって読む。あとは、忘れてもいい」

 それだけ言って、彼女は歩き去った。植え込みの向こうへ消える背中を、俺は追えなかった。

 その夜、俺は部屋の電気を全部つけたまま、机に座っていた。

 ――葬列。

 講義も忘れて、過去の資料を漁った。図書館へ行って縮刷版の棚を端から端まで見た。背表紙の年号は、俺が生まれるずっと前の昭和の数字だった。

 地下の閲覧室にはマイクロフィルムの機械が並んでいる。金属の匂いと、古い紙の匂いが混じる。フィルムを回して、レンズの向こうの文字を追う。指先が黒くなる。

 それでも足りなくて、下宿へ戻ったあと、部屋の隅の古いパソコンの電源を入れた。

 モニターの奥がじわりと明るくなる。ファンの音が一定で、画面が立ち上がるまでの間が妙に長い。

 回線をつなぐとき、モデムが甲高く鳴いた。あの音は、いま思い出しても落ち着かない。つないでいる間は電話が使えない。だから、妙な時間に繋ぎっぱなしにするのが怖かった。

 それでも打ち込んだ。

 「空襲」

 「講堂」

 「火災」

 出てくるのは、断片だけだった。

 それでも、記録は確かにあった。

 旧講義棟の講堂付近で火災発生(原因不明)。死者数は伏せられている。記事は短く、妙に淡々としていた。

 空襲なんて言葉は、どこにもない。彼女が言った「記録では火事」という意味が、嫌なほど分かった。

 画面の端に、白黒の写真が出た。

 焼け跡の前に、黒い服の人々が写っている。講堂の裏手、坂のあたり――列のようにも見えた。

 写真の端、最後尾のあたりが、煙かブレかで滲んでいる。

 なのに俺は、そこに“視線”を感じてしまった。

 慌てて画面を閉じた。

 時計を見る。二時四十三分。

 PHSの液晶は暗く、時刻だけが淡々と光っている。

 胸の奥がざわつき、俺は無意識に足元を見た。黒い汚れがついている気がして目をこする。

 見間違いだ。そこには汚れのない白いソックスがあるだけだった。

 二時四十四分。

 遠くで、何かが擦れる音がした。

 キャンパスの方角から――湿った土を踏む、規則正しい足音。

 俺はカーテンを閉め、布団にもぐりこんだ。

 そうして両耳をふさいだ。

 葬列――彼らの行進は、今も止まりはしないのだろう。

 あの日、最後尾の男が見失った“誰か”を見つけるまで。あるいは、見つけたと錯覚するまで。

 柔らかく沈む土の感触が蘇りそうになって、俺は息を殺し、祈った。

 どうか、彼らが帰れますように、と。


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