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帰送シリーズ  作者: 流浪
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『歓迎会』

 歓迎会は駅前だった。

 大学から自転車で十五分くらいの繁華街。といっても都会のそれじゃない。アーケードの照明がところどころ切れていて、シャッターの降りた店の前の自販機だけが妙に明るい。夜の街は、昼間よりも正直だ。汚いもの、見たくないものが、全部そのまま現れる。

 オカルト研究会の歓迎会は、そのアーケードを抜けた先の居酒屋だった。暖簾が湿っていて、引き戸を開けた瞬間、焼き鳥の煙と醤油と揚げ油の匂いが一気に顔に来る。そこに、ビールの冷えた匂いが混ざって、喉が勝手に鳴った。

 座敷に通されると、もう席はだいたい埋まっていた。

 竹原会長が真ん中にいて、宮野先輩がその隣で勝手に箸を配り、鎌田先輩はおしぼりで箸を拭き直している。西園寺先輩は――来ていた。いるのに、いないみたいに壁際に座って、コップの水だけを触っている。

 佐伯由梨もいた。同じ一年のはずなのに、背筋が妙にまっすぐで、無言で周りを見ている。小さなメモ帳を出して、店の名前と時間を書いていた。俺よりよほど落ち着いている。

 師匠は、座敷の一番奥、壁を背にできる場所に座って、烏龍茶を頼んでいた。騒がしい場所の中で、やはりそこだけ切り離されているみたいに見える。

 俺は座る前に一度だけ息を整えた。こういう席は“段取り”が分からないと落ち着かない。

「宗介、こっち」

 宮野先輩が俺に手を振った。呼び捨てが早い。こういう人は距離を詰めるのが上手い。

「こんばんは。今日はよろしくお願いします」

 言った瞬間、宮野先輩が笑った。

「うわ、ちゃんとしてる。やめて、こっちが緊張する」

 竹原会長が咳払いして、乾杯の空気を作る。

「えー、オカルト研究会。歓迎会な。新入生は宗介と佐伯。……で、白百合先輩は飲まない、と」

 宮野先輩が即座に噛みつく。

「いちいち言うなって!」

「言っとくと楽なんだよ。余計な人が絡まないから」

 竹原会長は真顔で言った。軽口みたいな言い方なのに、根っこはいつも“運用”だ。

「先輩も今日くらい飲めばいいのに」

 宮野先輩が言った。

 師匠は烏龍茶の水滴を指でなぞって、淡々と言った。

「めんどくさくなる」

 それだけで場が一瞬、静かになる。誰も強く突っ込めない。ここでは師匠への畏れが、冗談のふりをして常に混じっている。

 乾杯のコップが当たって鳴る。烏龍茶もビールも関係なく同じ音がする。そういうところが、歓迎会の良さだと思った。

 最初の一品が来るまでの間、竹原会長は注文票を確認し、人数を数え、足りない箸がないか目で追った。宮野先輩は「とりあえず唐揚げ」と言って追加し、鎌田先輩は「取り箸は?」と小声で言った。宮野先輩が「あるある」と適当に返して、結局自分の箸を取り箸にしていた。

「それ、やめて」

 鎌田先輩が言う。

「え、何が?」

「全部」

 短文が刺さって、宮野先輩が笑った。

「祐二、潔癖だなー」

「潔癖じゃない。普通」

 師匠は会話に入らない。入らないのに、鎌田先輩の「普通」が妙に真面目に聞こえるのは、師匠がそこにいるせいだと思った。

 しばらくはどうでもいい話が続いた。学食の話、講義の話、サークル棟のトイレが汚い話、誰がどこの下宿に住んでるか。日常の細部が重なっていく。

 俺はなるべく普通に笑って、普通に返した。鎌田先輩は唐揚げにレモンを絞るのも几帳面で、皮の方を必ず皿の端に寄せた。竹原会長は料理が来るたびに人数を数えて、箸の本数を揃える。宮野先輩は勝手に取り分けながら、自分の皿に一番多く残す。

 佐伯は食べる量が少ない。少ないのに、箸の動きが止まらない。食べているのに、周りも見ている。俺の「よろしくお願いします」を笑った宮野先輩と違って、佐伯は最初から最後まで声が小さい。

 その佐伯が、小さく言った。

「……ここ、意外と静かですね」

「え? うるさくない?」

 宮野先輩が即座に返す。佐伯は首を振った。

「店の音じゃなくて……奥が静かです」

 言い方が妙に引っかかった。西園寺先輩が、コップの縁をなぞっている。師匠は反応しない。反応しないまま、佐伯の言葉を聞き流してはいない目をしている。

 佐伯の言葉のあと、俺は笑いながら、なぜか一度だけ息を飲んだ。

 西園寺先輩の指がコップの縁で止まっていて、師匠は烏龍茶のまま視線だけを奥に向けていた。

 俺は「奥」という言葉に引っ張られて、座敷の奥を見た。壁。柱。空いてる席。何もない。何もないのに、何かが足りない感じがする。料理の匂いが薄い場所がある。音が一瞬だけ吸い込まれる場所がある。

 宮野先輩が俺に身を乗り出す。

「宗介くん、もう“ネタ”あるの?」

「まだ……これからです」

「そう。これから“拾う”。拾ったら話を膨らませない。はい暗記」

「暗記って」

 俺が笑うと、宮野先輩も笑った。竹原会長も笑う。鎌田先輩は笑わずに、箸の向きを揃え直す。師匠は笑わない。笑わないのに、そこにいるだけで場の芯になる。

 竹原会長が、さりげなく話題を“会の方針”に寄せた。

「会誌、来月は新歓号な。宗介と佐伯はまず聞き書き。テンプレ渡す。脚色しないで、事実だけでいい」

「事実って言い方、怖い」

 宮野先輩が笑う。

「怖くない。楽だよ。場所、時間、変だった点。それだけ。あとは“今どう思ってるか”」

 佐伯が「はい」とだけ言って、メモ帳に何かを書いた。書く手が速い。速いのに、音がしない。 俺はそのメモ帳が少し怖かった。

 その時、竹原会長が少しだけ声のトーンを落とした。

「あと一人いるんだがな」

 そう言って、師匠の顔をちらりと見る。

 視線に気づいて、師匠は顔をそむけた。ほんの少しだけ、面倒そうな顔が濃くなる。

 宮野先輩が「誰?」という顔をする。

「え、誰ですか。幽霊部員?」

 鎌田先輩が箸を止めた。佐伯も目だけ上げる。西園寺先輩は、何も言わないのに空気が一段冷える。

 竹原会長は、笑ってごまかすみたいに言った。

「ま、まぁ、そのうちわかるさ」

 そのまま話題は流れた。

宮野先輩がわざと明るい声で「はい次ー!」と叫び、竹原会長が乗っかって「次のネタはサークル棟の怪談な」と言い、鎌田先輩は黙って唐揚げの残りを皿の端に寄せた。佐伯はメモ帳を閉じて、何も言わずに水を飲む。

 師匠だけが烏龍茶を一口飲んで、いつもの顔のままだった。

 俺は笑っていた。笑いながら、背中のあたりが少しだけ冷えていくのを感じていた。さっきから、店の“奥”が静かだという感覚が、消えない。

 師匠は何も言わない。何も言わないまま、ちらりと俺を見た。

 その目が、俺の中のどこまでが「気のせい」で、どこからが「事実」なのかを量っているようだった。

 そんな心情を知らず、会はそのまま何事もない顔で続いていった。会計の段取りすら竹原会長は手際がいい。割り勘の端数を自分で吸収して、誰にも気を遣わせない。宮野先輩は「会長かっけー」と雑に褒め、鎌田先輩は「領収書…」と言いかけて飲み込む。佐伯はメモ帳に「会計:竹原」とだけ書いた。

 だけど俺は、その夜の帰り道、アーケードの切れた照明の下を通る時、ほんの少しだけ足を速めた。

 理由は分からない。

 分からないのに、体が先にそうした。



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