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帰送シリーズ  作者: 流浪
13/16

『サークル』

 大学一回生の時だった。

 大学デビューを果たし春が夏へと変わる頃、俺はまだサークルを決めていなかった。入学して、授業が始まって、駅前でチラシを押し付けられて、学食の入口で「新歓来ませんか」って笑顔を浴びせられて。俺の部屋の机の隅には、薄い紙が束になって反っていく。

 面倒だったのもある。人が多い場所が苦手なのもある。

 でも一番大きいのは、俺の中で優先順位が変わってしまったことだった。

 師匠。

 俺がその人をそう呼び始めたのは、つい最近だ。呼び名が変わった途端に、自分の世界の輪郭が少しだけ硬くなった気がする。頼れる、とか、縋れる、とか、そういう安い言葉より先に、「この人の言うことは絶対だ」と思った。

 だからサークルを決めるなら、せっかくなら同じところがいいと思った。安直だし、依存的だし、俺らしい。

 昼休み。学食の端の席。

 師匠はいつものように、騒がしい場所のど真ん中にいるのに、まるでそこだけが隔離されているような顔をして、ぬるいお茶を啜っていた。

「師匠って、サークル入ってるんですよね」

 師匠は視線を上げもせずに言った。

「……オカルト研究会」

 ぼそりと。息を吐くみたいに。

 俺は思わず、「えっ」と声が出た。いかにも、という名前だ。期待と不安が同時に膨らむ。怪談を読んで、降霊会をして、夜の校舎に忍び込むような――。

 師匠は俺の顔を一瞬だけ見て、すぐに目を戻す。

「あんまり、ためにはならないかもね。初歩的がすぎる」

「初歩的……」

「怖い話の集め方とか。民俗の風習とか。雑誌の切り抜きとか」

 俺は少しだけがっかりした。師匠がいる場所なら、もっとこう……違う世界への入口みたいなものを想像していた。師匠が「初歩的」と切り捨てるなら、その場所は、俺にとっても退屈なだけなんじゃないか。

 師匠は続けて言う。

「あんまり顔出してない。歓迎会くらいだね」

 それが余計に、俺を落とした。師匠が顔を出さないサークル。師匠が用がない場所。

 沈んだのがバレたのだろう。師匠は少しだけ間を置いて、

「……サークル、どうして聞いてきた?」

 と聞いた。

「……俺まだ決めてないんですけど、師匠と同じところがいいです」

 師匠は頷いたのかどうか分からない程度に首を動かして、

「まぁ、基礎知識とか、話は収集できるかな」

 と言った。

 そして、いつもの調子で、淡々と。

「見に行ってみる?」

 俺は一もニもなく返事した。

「行きます!」

 *

 サークル棟は、大学の端にあった。講義棟から少し離れていて、足元の舗装が急に荒れる。建物はコンクリで、階段の角が丸い。長い間、いろんな奴が同じ角でつまずいてきた証拠だ。

 廊下に入ると匂いが変わった。湿った紙と、コーヒーと、古い金属。あと、どこかでタバコを吸った残り香が壁に染み付いている。

 階段を上がる途中で、俺は一度だけ耳の奥が詰まる感じがした。気圧がふっと落ちるみたいな。立ち止まるほどじゃない。でも、気づいてしまう程度には。

 師匠は何も言わない。ただ、当たり前みたいに歩く。

 二階の端の部屋の前で立ち止まった。ドアのノブに手をかける。鍵はかかっていない。

 貼り紙があった。

『オカルト研究会 部室

 入部希望者は声かけてね(歓迎)

 ※勝手に入室しない

 ※勝手に撮らない(録音含む)

 ※勝手に深夜に行かない(冗談)』

 冗談、と赤ペンで書いてあるのに、なぜか冗談に見えない。

 師匠がドアを開けた。

 部室は狭い。六畳か八畳くらい。壁際の棚に雑誌、文庫、コピー資料が積まれていて、机の上には湯呑みと灰皿とカセットテープが転がっている。隅にテレビデオ。上にブラウン管のパソコン。キーボードの上に意味不明の付箋。

 机の向こう側に、男が一人いた。三回生くらい。薄いメガネ。寝癖がそのまま。口元だけ先に笑うタイプのように見える。

 そいつは師匠を見るなり、反射みたいに立ち上がった。さっきまでだらけていた空気が、一本締まる。

「……し、白百合先輩」

 声の出し方が、いきなり「先生」に向けるトーンになる。どうやらここでは、師匠はそういう存在らしい。

 師匠は目だけで軽く返事をした。面倒そうに。

 メガネ男は俺に視線を滑らせ、すぐに会釈した。

「えっと……新入生? 入部?」

 師匠が短く言う。

「うん。新入生。……入部希望」

 それだけで、部室の空気が決まった。「師匠が連れてきた新入生」だ。誰も口にしないのに、そういう看板が勝手に吊るされる。

 机の反対側で、女の先輩が顔を上げた。二回生くらい。ポニーテール。ノートにびっしり字を書いていて、目が妙に鋭い。

「え、白百合先輩が“連れてくる”って珍し。……弟子?」

 言い方は軽いのに、目だけ本気だ。俺の心臓が一瞬跳ねた。

 師匠は答えない。答えないまま俺を一瞥して、

「名前」

 とだけ言った。

「三宅宗介です」

 メガネ男が慌てて棚からノートを引っ張り出す。

「よし、入部届。名前、学部、連絡先。あ、連絡先、家電でもいいけど今どきは携帯か……」

 その喋り方がいかにも「事務担当」だった。人当たりはいいのに、焦り癖がある。

 ポニーテールの先輩が、俺の前にコピー用紙の束を置いた。

「これ、新歓用の“聞き書きテンプレ”。質問の順番が大事。まず場所、次に時間、次に“何が変だったか”。最後に“今どう思ってるか”。」

 俺は用紙を眺めた。

 ――手順。

 師匠が好きな言葉だ。

 そのとき、テレビデオの前にしゃがんでいた男が振り返った。二回生くらい。工学部っぽい、余計な感情を削った顔。

「……白百合先輩、前に言ってた“ノイズの分類”。あれ、まだ残してあります。テープも、勝手に捨ててないです」

 師匠は初めてその男をちゃんと見た。

「あるなら、あとで」

 それだけで、その男は少しだけ嬉しそうに黙った。尊敬というより、「認められたい」顔。

 メガネ男が咳払いをして場を仕切る。

「紹介する。俺、会長の竹原恒一。三回生。……研究会だから、部活っていうより、集めて、まとめて、残す。月一で定例。あとはネタ出たら集まる。会誌も一応出してる。コピー本だけど」

 竹原会長は軽いノリを装っているのに、言葉の端々がきっちりしていた。編集者みたいに、要点を落とさない。

 ポニーテールの先輩が手を挙げる。

「副会長、宮野佳奈。二回生。主に聞き込み。話ってさ、聞き方が九割だから」

 言い切る。妙に自信がある。怖がりと強引が同居している感じ。

 工学部っぽい男が短く言う。

「鎌田祐二。二回生。録音、機材、保管。……テープ触るなら手洗ってから」

 竹原が俺の入部届を覗き込みながら言った。

「宗介。何がやりたい? 幽霊見たい? 怪談集めたい? 都市伝説?」

 俺は答えに詰まった。やりたいことなんて、自分でもよく分からない。ただ師匠の側に、師匠のいる場所に、近づきたかっただけだ。

 師匠が助け舟を出すみたいに言った。

「話を集める。それが一番、役に立つ」

 宮野が、師匠の方を見て小さく笑う。

「出た。“白い天使のオカ論”。」

 その呼び方が、冗談の形をしているのに、扱いはどこか崇拝っぽい。宮野はそれを壊すために笑っている。

 竹原は頷く。

「そう。話を盛らずに書けるやつが一番。怖い話って、話したがってる奴のところに勝手に転がってるから。拾って、形にするだけ」

 その瞬間、テレビデオが「ぶつ」と鳴った。

 誰も触っていないのに、電源ランプが一瞬だけ点いた。

 俺は、背中の皮膚がぞわっとした。さっき階段で感じた詰まりが、今度は耳鳴りみたいに膨らむ。目の端に、部室の隅が妙に暗く見える――気がする。

 竹原が眉をひそめて、半歩だけ机から身を引いた。本人は誤魔化そうとして、すぐに咳払いする。

「……接触悪いんだろ」

 宮野が口を尖らせた。

「いや今の、ヤだった。音が“変”」

 鎌田は無言でテレビデオに近づき、背面のコードを指で確かめる。動きが機械のチェックそのものなのに、手だけが少し固い。

「……ランプが点いた。電源は触ってない」

 師匠が淡々と言った。

「事実。……点いた」

 その端的さが、この部室では戒律みたいに働くらしい。空気が、すっと戻る。

 俺は息を吐いた。今のを「接触不良」だと決めてしまえば楽だ。けれど、体がそれを否定している。そういうのを、俺は最近、何度か経験している。

 師匠が俺を見た。

「……どう見る?」

 俺は答えられない。

 テレビデオの前で鎌田が一度だけ呟く。

「……機材越しに変なの出るの、やめてほしい」

 宮野が笑って誤魔化す。

「そういうこと言うから余計に気になるんだって」

「気になる、とか言うな」

「じゃあ、何て言えばいいの」

「……まぁ、鼻歌でも?」

 そのやり取りに、竹原がやっと笑った。

「……まあ、こういうのも含めて研究会。宗介、びびってる?」

 俺は正直に言った。

「ちょっと」

「正直でよろしい!」

 竹原は軽口を叩きながらも、さっき半歩引いた足がまだ戻っていない。この人もそこそこ、感じている。たぶん。

 ドアの向こうから足音がして、部室の入口に影が落ちた。

 入ってきたのは四回生くらいの男だった。――いや、そう見えた。服装も地味で、顔の印象が薄い。存在感が部屋の光に溶けている。俺は、足音がしたのに入ってくるまで気づかなかった。矛盾しているのに、そう感じる。

 宮野が声を落とす。

「……西園寺先輩」

 竹原が苦笑する。

「うわ、久しぶり。生きてた」

 男――西園寺透は返事をしなかった。返事をしないのに、そこにいることだけははっきり分かる。視線が合った気がしたのに、合っていない。

 西園寺は部屋の中を一度だけ見回し、テレビデオの方で目を止めた。

 そして、誰に言うでもなく、低い声で言った。

「……それ、点いたの、今だけじゃないな」

 宮野が「は?」という顔をする。

 竹原は笑って流そうとして、うまくいかない。

「え、何それ、怖いこと言うなよ」

 鎌田が黙ったまま、テレビデオから手を離した。

 師匠が西園寺を見た。

 ほんの少しだけ、面倒くさそうな顔が消えた。代わりに、確認する目になる。

「久しぶり。……ちゃんと、視えているね」

 部室の空気が一瞬止まった。

 宮野が「やっぱり」とでも言いたげに眉を上げ、竹原は冗談を諦め、鎌田は視線を逸らす。

 西園寺は師匠を見て、短く言った。

「……お久しぶりです。先輩はどうです」

どこか試すように問う。

 師匠は肩をすくめた。

「私は、めんどくさいのが見える」

 宮野が吹き出しそうになって耐える。

 竹原が、場を戻すために手を叩いた。

「はい、空気終わり! 宗介、今日から研究会な。最初はテンプレ通りに聞き書き。盛らずに書く。あと、一年の書記は佐伯由梨って子。俺らより話まとめるの上手いから、そのうち紹介する」

 俺は「はい」と頷いた。佐伯、という名前を頭の片隅に置く。

 宮野が俺の肩を軽く叩く。

「宗介くん、歓迎会来るでしょ? 白百合先輩も“歓迎会くらい”は来るらしいし」

「……たぶん」

 師匠がぼそっと言うと、宮野が即座に噛みつく。

「たぶんは禁止!」

 師匠は俺を見た。俺が何か言うべきだと直感した。

「俺、行きます。歓迎会」

 師匠は一瞬だけ目を細めた。笑った、というほどじゃない。でも薄く「よし」と言った気がした。

「じゃあ、行く」

 竹原が満足げに頷く。

「西園寺先輩は?」

 竹原が聞くと、西園寺先輩は俺を見てから言った。

「あぁ……ひさしぶりに面白くなりそうだ」

 宮野も鎌田も、予想外だったらしく目を丸くする。

 竹原はすぐに場をまとめた。

「決まり。基本、俺か宮野、鎌田がいるから。あと、部室の鍵は閉めること。夜は特に」

 宮野がニヤッとする。

「それ、オカルト的な意味?」

 竹原は真顔で言う。

「両方」

 鎌田も小さく言う。

「両方」

 西園寺だけが何も言わない。

 俺は思った。

 ここは、派手な怪談のサークルじゃない。地味で、基本ばかりだ。

 でも師匠が点だけ残していた場所だ。

 その点が、俺の足元に繋がった。

 それだけで十分だった。

 師匠が、俺の方を見た。

「……どう思う?」

 俺は息を吸う。

 まだ答えは出ない。出ないけど――

「……俺、ここで、話を集めます」

 師匠は、いつもの顔に戻って短く言った。

「うん」

 部室を出る時、廊下の匂いがまた鼻を刺した。湿った紙と、古い金属と、遠くのコーヒー。

 階段を下りる途中で、さっきの耳の詰まりがもう一度だけ戻ってきた気がした。

 俺は立ち止まらなかった。立ち止まったら、さっき点いたランプが、今度は消えない気がしたからだ。


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