藤崎寧
私が気になっている男の子のことを初めて意識したのは、去年の春だった。
毎朝7時23分発の電車。私はいつも2号車に乗る。学校が終点だから、座れることが多い。
その人も、同じ2号車に乗っていた。
制服の胸元に付いている校章を見れば分かる。県内でも有名な私立の中高一貫校。うちの学校の近くの駅にある。
最初は、ただの「よく見かける人」だった。
でも、ある日、気づいた。
その人は、いつも竹刀を持っていた。
黒い細長いケース。剣道の竹刀だ。
私の学校にも剣道部があるから、すぐに分かった。
へえ、剣道やってるんだ。
そう思った。それだけだった。
でも、だんだん気になるようになった。
その人は、電車の中で、よくスマホを見ていた。
ちらっと画面が見えることがある。
剣道の試合動画だった。
画面の中で、防具を付けた人たちが竹刀を打ち合っている。
その人は、真剣な顔でそれを見ていた。
時々、スマホを持つ手が、小さく動く。
まるで、自分も一緒に竹刀を振っているみたいに。
可愛い、と思った。
いや、可愛いは変か。
真面目なんだな、って。
それから、私はその人のことを、なんとなく観察するようになった。
別にストーカーとかじゃない。
ただ、同じ電車、同じ車両に乗ってるから、自然と目に入るだけ。
その人は、いつも一人だった。
友達と一緒に乗ってくることはなかった。
駅のホームでも、誰とも喋らず、静かに電車を待っていた。
背は、そんなに高くない。私と同じくらいかな。
髪は黒くて、少し癖がある。
カバンは紺色のリュック。
そして、いつも竹刀のケース。
夏になっても、秋になっても、冬になっても、ずっと。
その人は剣道を続けているんだな、と思った。
頑張ってるんだな、と。
ある日、その人が疲れた顔をしていた。
電車の座席に座って、目を閉じている。
竹刀のケースを膝の上に置いて。
そのまま、寝てしまったみたいだった。
私は、ちょっと心配になった。
大丈夫かな、降りる駅、乗り過ごさないかな。
でも、声をかける勇気はなかった。
知らない人に話しかけるなんて、できない。
結局、その人は自分の駅で起きて、降りていった。
良かった。
そう思った。
年が明けて、1月になった。
ある朝、いつものように電車に乗ると、その人がいた。
でも、何かが違った。
竹刀が、ない。
その人の手には、いつものリュックだけ。
竹刀のケースが、ない。
あれ?
と思った。
忘れたのかな。
それとも、今日は部活が休み?
でも、次の日も、その次の日も、竹刀はなかった。
その人は、リュックだけを持って、電車に乗っていた。
そして、スマホで剣道の動画も見なくなった。
代わりに、本を読んでいた。
文庫本。
タイトルは見えなかった。
でも、ずっと本を読んでいた。
何があったんだろう。
剣道、辞めたのかな。
それとも、怪我でもした?
気になった。
でも、聞けない。
私とその人は、赤の他人だから。
毎日同じ電車に乗っているだけ。
一度も話したことがない。
名前も知らない。
ただ、「あの人」としか呼べない。
私は、いつものように2号車に乗った
その人も、いた。
相変わらず、竹刀はなかった。
本を読んでいた。
今日は、また違う本みたいだった。
何を読んでるんだろう。
気になる。
でも、聞けない。
電車が揺れた。
その人が、バランスを崩した。
手に持っていた本が、床に落ちた。
私は、とっさに拾った。
「あ、これ」
その人と、目が合った。
初めて、ちゃんと見た。
黒くて、少し大きな目。
驚いた顔をしていた。
「あ、ありがとうございます」
その人が言った。
声、初めて聞いた。
思ったより、低い。
優しい声。
「どういたしまして」
私は本を渡した。
手が触れた。
ドキッとした。
その人は、本を受け取って、小さくお辞儀した。
「すみません」
「いえ」
私も笑った。
沈黙。
何か、話さなきゃ。
せっかく話しかけるチャンスなのに。
でも、何を話せばいいか、分からない。
「あの...」
気づいたら、声が出てた。
その人が、顔を上げた。
「はい?」
「その本、面白いですか?」
我ながら、ベタな質問。
でも、他に思いつかなかった。
その人は、手に持った本を見た。
「ああ、これ...まあまあです」
「そうなんですね」
また沈黙。
やばい、会話が続かない。
「あの、もしかして、剣道やってました?」
思い切って聞いた。
その人は、驚いた顔をした。
「え? なんで分かるんですか?」
「あ、いや、その...前、竹刀持ってるの見たことあって」
「ああ...」
その人は、少し困ったような顔をした。
「やってました。でも、辞めました」
「そうなんですか」
「はい」
その人は、少し寂しそうに笑った。
「合わなかったんです」
「そうなんですね...」
私は、何て言えばいいか分からなかった。
「でも、頑張ってましたよね」
「え?」
「あ、いや、その...電車で、よく動画見てたじゃないですか。剣道の」
その人は、また驚いた顔をした。
「見てたんですか?」
「あ、いや、偶然目に入っただけで! 別にじろじろ見てたわけじゃ...」
慌てて言い訳した。
恥ずかしい。
でも、その人は笑った。
「いえ、大丈夫です。恥ずかしいことしてたわけじゃないので」
「良かった...」
電車が、駅に着いた。
私の降りる駅。
「あ、私ここで」
「あ、そうなんですね」
ドアが開く。
降りなきゃ。
でも、このまま終わりたくない。
「あの、よかったら...お名前、聞いてもいいですか?」
勇気を出して聞いた。
その人は、少し驚いた顔をして、それから笑った。
「内山です」
「内山...さん。私、藤崎って言います」
「藤崎さん」
内山さんが、私の名前を呼んだ。
嬉しかった。
「また、お話しできたら嬉しいです」
言った。
顔が、熱い。
内山さんは、ちょっと驚いた顔をして、それから笑った。
「はい。僕も」
「じゃあ、また」
「はい。また」
私は電車を降りた。
ドアが閉まる。
電車が、動き出す。
窓越しに、内山さんが見えた。
会釈してくれた。
私も、会釈した。
電車が、遠ざかっていく。
ホームに、一人残された。
心臓が、バクバクしてた。
やばい。
話しかけちゃった。
でも、良かった。
内山さん、優しかった。
また話せる。
そう思うと、嬉しかった。
改札を出て、学校に向かう。
空が、青い。
今日は、いい天気。
いい一日になりそう。
そう思った。
教室に着いて、席に座る。
友達が話しかけてきた。
「藤崎、なんか嬉しそう」
「え?」
「顔、にやけてるよ」
「にやけてない!」
「絶対にやけてる。何かあった?」
「別に...」
「怪しい」
友達は笑った。
私も笑った。
朝のホームルームが始まる。
先生が、何か話してる。
でも、あんまり頭に入ってこない。
内山さんのことばっかり考えてた。
また明日、電車で会えるかな。
会えたら、何話そう。
本の話?
それとも、学校の話?
考えるだけで、ドキドキする。
窓の外を見た。
青い空。
白い雲。
きれいだな。
そう思った。
内山さん、剣道辞めちゃったんだ。
合わなかったって、言ってた。
でも、あんなに頑張ってたのに。
寂しいな。
でも、本人が決めたことだから、仕方ないか。
これから、内山さんは何するんだろう。
また別の部活?
それとも、帰宅部?
気になる。
今度、聞いてみよう。
そう思った。
昼休み。
お弁当を食べながら、友達と話す。
「ねえ、藤崎、恋してる?」
「はぁ? 何それ」
「だって、朝からずっとぼーっとしてるじゃん」
「してない」
「してる」
「してないって」
友達は笑った。
「まあ、いいけど。でも、幸せそうで良かった」
「幸せ?」
「うん。最近、ちょっと元気なかったから」
「そう?」
「うん。でも、今日は元気そう」
「...ありがとう」
友達は優しい。
私は、お弁当を食べ続けた。
母が作った卵焼き。
おいしい。
放課後、部活。
私は軽音楽部に入ってる。
ギターを弾く。
今日の練習は、新しい曲。
難しい。
でも、楽しい。
みんなで音を合わせる。
ドラムの音、ベースの音、ギターの音。
全部が重なって、一つの曲になる。
気持ちいい。
練習が終わって、片付け。
「お疲れ様でした」
みんなで声を揃える。
部室を出て、校舎を出る。
空が、オレンジ色だった。
もう夕方。
駅に向かう。
電車に乗る。
内山さんは、もういない時間。
朝しか会えない。
明日、会えるかな。
そう思いながら、家に帰った。
「ただいま」
「おかえり」
母の声。
部屋に上がって、制服を脱ぐ。
ベッドに寝転がる。
天井を見た。
内山さん。
また話せて、嬉しかった。
優しい声だった。
優しい笑顔だった。
また会いたいな。
明日、会えるといいな。
そう思って、目を閉じた。
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