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内山、部活やめるってよ  作者: 北塚欅
3/5

中井英

内山先輩が剣道部を辞めた。

その話を聞いたのは、昨日の部活が終わった後だった。

「え、内山先輩が?」

更衣室で着替えながら、俺は思わず声を上げた。

部長の高2の先輩、杉山さんが頷いた。

「ああ。昨日、顧問の田村先生に申し出があったらしい」

「そうなんですか...」

俺は袴を脱ぎながら、うまく言葉が出てこなかった。


内山先輩。

俺と同じ時期に剣道部に入った先輩。

去年の4月。俺が中1で、内山先輩が中3だった。

新入部員の紹介のとき、内山先輩は緊張した顔で立っていた。体育館に並んだ部員たちを前に、先輩の声は小さくて震えていた。

「中3の内山です。初心者ですが、よろしくお願いします」

その瞬間、体育館の空気が少し動いた気がした。ざわざわと。中3で、しかも初心者。みんな驚いてたんだと思う。

俺も驚いた。でも、それと同時に、少しだけホッとした。

自分だけじゃないんだ、って。

俺も初心者だった。小学校のとき、少しだけ剣道教室に通ったことはあったけど、すぐに辞めてた。だから中学で剣道部に入ったとき、ほとんど何も覚えてなかった。

最初の一週間、俺は何もかもが分からなくて困惑してた。

竹刀の持ち方。構え方。足の運び方。礼の仕方。

全部、教えてもらわないと分からない。

周りは経験者ばかり。中1でも、小学校から剣道やってる奴が何人もいた。そいつらは当たり前のように動けて、当たり前のように打てて。

俺は、置いていかれてる感じがした。

内山先輩も、同じだったと思う。

いや、先輩の方がもっと大変だったはずだ。

中3で初心者。周りは、中1から、あるいは小学校から剣道をやってる人ばかり。

俺たちみたいな初心者は、明らかに浮いてた。

でも、先輩は頑張ってた。


朝練。

内山先輩は、いつも一番早く来てた。

俺が体育館に入ると、もう先輩がいて、一人で素振りをしてた。

シャッ、シャッ、シャッ。

竹刀を振る音だけが、静かな体育館に響く。

先輩の動きは、ぎこちなかった。でも、一生懸命だった。

「おはようございます」

俺が声をかけると、先輩は振り返った。

「ああ、おはよう。中井、早いな」

「先輩の方が早いですよ」

「まあ、ちょっとな」

先輩は照れくさそうに笑った。

それから、俺たちは一緒に朝練をするようになった。

二人で向かい合って、基礎練習。

面打ち、小手打ち、胴打ち。

先輩の打ちは、俺より遅かった。でも、丁寧だった。

一振り一振り、ちゃんと考えて打ってる感じ。

「中井、お前、上手くなってきたな」

ある朝、先輩が言った。

「え? そうですか?」

「ああ。最初に比べて、全然違う」

「先輩だって、上手くなってますよ」

「俺は...まあ、ぼちぼちだ」

先輩は竹刀を見つめた。その目が、どこか遠くを見ているようだった。


5月のゴールデンウィーク明け、俺は初めて試合形式の練習に参加した。

相手は同じ中1の田中。

緊張した。手に汗をかいた。

でも、楽しかった。

竹刀がぶつかり合う音。自分の気合の声。相手の気合の声。

全部が、新鮮だった。

一本取られて、負けた。

でも、悔しいより、嬉しかった。

練習が終わった後、内山先輩が声をかけてきた。

「中井、良かったぞ」

「いや、負けちゃいましたけど」

「でも、積極的に攻めてた。それが大事だ」

先輩は優しく笑った。

「先輩も、試合練習するんですか?」

「俺は...まだだな。もうちょっと基礎を固めてからって、先生に言われた」

「そうなんですか」

「でも、いつか。いつか、試合に出たいな」

先輩の声は、小さかった。

でも、その言葉には、確かな想いが込められてた気がした。


夏休みに入っても、練習は続いた。

午前練習。暑い剣道場。汗が止まらない。

水分補給の時間、みんなで輪になって座る。

「マジで暑いな」

「死ぬわ」

「でも、こういうとき頑張るのが大事なんだよな」

中1同士で笑い合う。

その輪に、内山先輩はいなかった。tv

先輩は少し離れた場所で、一人で水を飲んでいた。

俺は立ち上がって、先輩のところに行った。

「先輩、こっち来ませんか?」

「ん? ああ、いや、大丈夫」

「一緒に休みましょうよ」

「お前らは、お前らで話してろ。俺はいいから」

先輩は笑ったけど、どこか寂しそうだった。


7月の終わり、俺は初めて昇段審査を受けた。

初段。

緊張で手が震えた。

でも、合格した。

嬉しくて、部活のみんなに報告した。

「おめでとう!」

「すげえじゃん、中井!」

みんなが祝福してくれた。

内山先輩も、おめでとうって言ってくれた。

「先輩も、次は一緒に受けましょう!」

俺はそう言った。

先輩は、少し笑って、「ああ、そうだな」って答えた。

でも、その後、先輩が昇段審査を受けることはなかった。


秋になって、俺は少しずつ試合にも出るようになった。

市の新人戦大会。

初戦で負けたけど、一本取れた。

嬉しかった。

試合が終わって、応援席に戻ると、部員のみんなが「中井、やったな!」って声をかけてくれた。

内山先輩も、来てくれてた。

「中井、良かったぞ。あの面、綺麗だった」

「ありがとうございます!」

俺は嬉しくて、何度もお辞儀した。

「先輩も、次は一緒に出ましょう!」

「ああ...そうだな」

先輩は少し笑った。

でも、その笑顔は、前より、もっと寂しそうに見えた。


試合の後、部のみんなでファミレスに行った。

中1から高2まで、15人くらい。

賑やかで、楽しかった。ドリンクバー飲み放題で、みんなではしゃいだ。

内山先輩も誘われてた。

でも、先輩は「用事がある」って断って、一人で帰った。

先輩の背中が、改札に消えていくのを見た。

小さくて、寂しそうな背中だった。

「内山先輩、最近あんまり喋らないよね」

ファミレスで、田中が言った。

「そうかな」

「うん。前はもうちょっと、中井とか俺たちに話しかけてくれたのに」

確かに、そうかもしれない。

春から夏にかけては、先輩はまだ俺たちに声をかけてくれてた。

「今日の練習、どうだった?」とか。

「この技、こうやるといいぞ」とか。

でも、最近の先輩は、練習が終わるとすぐに帰る。

更衣室でも、ほとんど誰とも話さない。

挨拶だけして、黙々と着替えて、去っていく。

何かあったのかな、って思った。

でも、聞けなかった。

聞いちゃいけない気がした。


11月に入って、部活の雰囲気が少し変わった。

高3の先輩たちが引退して、新体制になった。

新部長は高2の杉山先輩。厳しいけど、面倒見のいい先輩だ。

「これからもっと強くなっていくぞ!」

杉山先輩は気合が入ってた。

練習メニューも、ハードになった。

基礎練習の時間が増えて、打ち込みの本数も増えた。

でも、俺は楽しかった。

きついけど、充実してた。

仲間と一緒に頑張れるのが、嬉しかった。


ある日の練習後、俺は内山先輩と二人きりになった。

みんな、もう帰った後。

俺は忘れ物を取りに更衣室に戻って、体育館を覗いたら、先輩が一人で素振りをしてた。

「先輩、まだ練習するんですか?」

「ああ。ちょっとだけ」

「俺も付き合います」

「いや、いい。お前は帰れ」

「でも...」

「大丈夫。一人でやりたいんだ」

先輩は、俺を見ずに言った。

竹刀を握る手が、震えてる気がした。

「...分かりました。お疲れ様です」

「ああ。お疲れ」

俺は体育館を出た。

廊下を少し歩いてから、振り返った。

体育館の窓から、内山先輩の姿が見えた。

一人で、黙々と素振りをしている。

シャッ、シャッ、シャッ。

その音が、廊下まで聞こえてきた。

その背中が、すごく小さく見えた。


12月になった。

クリスマスが近づいて、街はイルミネーションで華やいでた。学校の前の商店街も、キラキラしてる。

でも、部活は相変わらず厳しかった。

寒い体育館で、息を白くしながら練習する。

指先が冷たくて、竹刀を握るのがつらい。

でも、動いてると、体が温まってくる。

内山先輩は、いつも通り来ていた。

でも、前よりもっと無口になった気がした。

練習中も、休憩中も、ほとんど誰とも話さない。

ただ黙々と、竹刀を振る。

その姿を見るたびに、胸が痛んだ。


そして、一週間前。

先輩が、田村先生と話してるのを見た。

剣道場の隅で。

二人とも、真剣な顔をしてた。

先輩が何か言って、田村先生が頷いて。

その時、なんとなく、嫌な予感がした。

まさか、とは思った。

でも、その「まさか」が、現実になった。

昨日、杉山先輩から聞いた。

内山先輩が、辞める。

信じられなかった。

でも、本当だった。


更衣室から出て、体育館への廊下を歩く。

今日の練習。

内山先輩はいない。

当たり前だけど。

体育館に入ると、もう何人か部員が来ていた。

「中井、早いな」

同じ中1の田中が声をかけてきた。

「うん」

「内山先輩、辞めたんだって?」

「...うん」

「なんで?」

「知らない」

本当に、知らない。

先輩は、何も言わなかった。

辞める理由も、何も。

俺に、相談もしてくれなかった。

準備体操が始まる。

基礎練習。

素振り。

面打ち。

いつもと同じメニュー。

でも、なんか違う。

内山先輩がいない。

それだけで、こんなに違うんだ。

練習の途中、ふと、体育館の隅を見た。

先輩が、いつも一人で素振りをしていた場所。

誰もいない。

空っぽ。

胸が、ちくっとした。

練習が終わって、整列。

「お疲れ様でした」

みんなで声を揃える。

でも、俺の声は、あまり出なかった。

更衣室で着替える。

みんな、いつも通り笑いながら話してる。

「今日の練習、きつかったな」

「マジで。杉山先輩、容赦ないわ」

「でも、上手くなってる気がする」

「だよな」

俺も、話に加わろうとした。

でも、なんか、入れなかった。

内山先輩のことばっかり考えてた。

先輩、今、何してるんだろう。

家にいるのかな。

それとも、どこか別の場所にいるのかな。

部活、辞めて、後悔してないのかな。

「中井、大丈夫?」

田中が心配そうに聞いてきた。

「ん? ああ、大丈夫」

「なんか元気ないぞ」

「そう? そんなことないよ」

俺は無理に笑った。

でも、田中は納得してない顔をしてた。


着替え終わって、校舎を出る。

空が、暗くなり始めてた。

冬の夕方は、早い。

1月だから、もう5時には真っ暗だ。

門を出ようとしたとき、ふと、校舎の方を振り返った。

三階の窓。

あれ、内山先輩の教室だっけ。

違うかな。

よく知らない。

先輩とは、部活でしか会わなかったから。

教室も、学年も違う。

部活だけの関係。

でも、それでも、先輩のことを、もっと知りたかった。

もっと話したかった。

なんで剣道を始めたのか。

何を思って、毎日練習してたのか。

楽しかったのか。つらかったのか。

そして、なんで辞めたのか。

聞きたかった。

でも、聞けなかった。

聞く勇気が、なかった。


家に帰る道。

コンビニに寄った。

肉まんを買おうと思ったけど、やめた。

なんとなく、食べたい気分じゃなかった。

代わりに、温かいお茶を買った。

外に出て、歩きながら飲む。

ペットボトルが、手のひらを温める。

でも、心は冷たいままだった。

家に着いた。

「ただいま」

「おかえり。遅かったわね」

母の声。

「うん。ちょっと部活が長引いて」

嘘じゃない。でも、本当でもない。

部屋に上がって、制服に着替える。

机の上に、教科書が積んである。

明日のテストの勉強。

やらなきゃ。

でも、集中できない。

スマホを手に取る。

LINEを開く。

内山先輩のアカウント。

最後にメッセージを送ったのは、いつだっけ。

スクロールすると、去年の夏だった。

「先輩、今日の朝練ありがとうございました」

「どういたしまして。中井も頑張れ」

短いやりとり。

それきり。

もっと、話せばよかったのかな。

もっと、先輩のこと、聞けばよかったのかな。

でも、今更、遅い。

窓の外を見た。

星が、いくつか見える。

内山先輩。

先輩は、剣道部で、何を見つけたかったんだろう。

何を、求めてたんだろう。

俺には、分からない。

でも、一つだけ、分かることがある。

先輩は、頑張ってた。

誰よりも、頑張ってた。

朝、一番早く来て。

休憩時間も、一人で練習して。

みんなが帰った後も、一人で素振りをして。

それだけは、確かだ。

俺は、机に向かった。

教科書を開く。

勉強する。


明日も、部活がある。

内山先輩がいない部活。

でも、俺は続ける。

先輩の分も、頑張る。

そう、決めた。

竹刀を握る手を、思い出す。

あの感触。

あの重さ。

忘れない。

内山先輩と一緒に練習した日々を、忘れない。

目を閉じる。

先輩の姿が浮かぶ。

一人で素振りをする、先輩の背中。

小さくて、寂しそうで。

でも、まっすぐで。

ありがとうございました、先輩。

心の中で、そう言った。

明日、先輩に会えるかな。

廊下とか、校庭とか。

会えたら、声をかけよう。

「先輩、お疲れ様でした」って。

そう思った。

でも、たぶん、言えない。

言えない気がする。

なんでかは、分からない。

ただ、言えない。

スマホの画面を見た。

時計は、もう10時半を過ぎてた。

寝なきゃ。

明日、早いから。

ベッドに入る。

布団が、冷たい。

でも、すぐに温まる。

天井を見た。

白い天井。

何もない。

内山先輩、おやすみなさい。

そう思って、目を閉じた。振りをしている。

その背中が、すごく小さく見えた。

内山先輩と一緒に練習した日々を、忘れない。

目を閉じる。

先輩の姿が浮かぶ。

一人で素振りをする、先輩の背中。

ありがとうございました、先輩。

心の中で、そう言った。

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