永田叶恵
内山くんが剣道部を辞めたって話は、実は私が一番最初に知った。
昨日の放課後、体育館への渡り廊下で、剣道部の顧問の田村先生とすれ違ったとき、先生が誰かと電話してたのが聞こえた。
「ええ、内山くんが辞めたいと。はい、昨日相談を受けまして」
そのとき、ああ、と思った。
内山くん、辞めるんだ。
別に驚きはしなかった。なんとなく、そんな気がしてた。
今朝、教室に入ったとき、内山くんの席を見た。誰もいなかった。
ああ、休んでる。
そう思った瞬間、なんか、納得した。
部活辞めた次の日、学校休むんだ。
内山くんらしいな、って。
いや、内山くんのこと、別によく知ってるわけじゃないんだけど。
朝のホームルームが終わって、隣の高橋さんと田村さんに、昨日聞いた話をした。
「え、マジで? 内山くんが?」
高橋さんが驚いた顔をした。
「うん。先生が電話で話してるの聞こえちゃって」
「でもさ、なんで中3で入ったんだろうね」
高橋さんが首を傾げる。
「急に運動したくなったとか?」
「それで10ヶ月で辞めるの? なんか変じゃない?」
そこに前の席の木村くんが振り返ってきて、話に加わった。
私は木村くんに聞いてみた。
「木村くん、内山くんと仲良いの?」
木村くんは首を振った。
「いや、全然。同じクラスなだけ」
「そっかー。でもさ、なんで中3で剣道部入ったんだろうね」
「さあ?」
うちのクラス、男子が十数人しかいないから、男子は男子で固まってる。でも内山くんは、その輪にもあんまり入ってない感じ。
休み時間、いつも一人で本読んでる。
何読んでるのかな、って思って、一度遠くから見たことがある。
ふつうの文庫本だった。タイトルまでは見えなかったけど。
1時間目の授業が始まる前、私は内山くんの席をもう一度見た。
窓際の一番後ろ。
机の上には何もない。椅子もきちんと入ってる。
きれいに片付けられた席。
まるで、最初から誰もいなかったみたいに。
国語の授業中、先生が『源氏物語』の話をしてた。
光源氏が紫の上と出会う場面。
「ここで光源氏は、紫の上の中に、亡き藤壺の面影を見るわけですね」
先生の声が教室に響く。
私はノートに板書を写しながら、なんとなく、ぼーっとしてた。
紫の上と藤壺。
似てるけど、違う人。
代わりにはならない。
ふと、内山くんのことを思った。
内山くんは、剣道部で、誰かの代わりになろうとしてたのかな。
いや、違うか。
何を考えてるんだろう、私。
変なこと。
窓の外を見た。曇り空。今日は雨が降るかもしれない。
2時間目が終わって、休み時間。
高橋さんが「ねえ、購買行かない?」って言った。
「行く行く」
私たちは廊下に出た。
階段を降りながら、高橋さんが言った。
「叶恵さ、内山くんのこと、気になってんの?」
「え?」
「だって朝からずっと内山くんの話してるじゃん」
「してないよ」
「してなくてもぼーっとしてる。朝も昼も」
「それは...」
確かに。
言われてみれば、今日一日、内山くんのことばっかり考えてる気がする。
なんでだろう。
「別に気になってるわけじゃないけど」
「ふーん」
高橋さんは意味ありげに笑った。
「違うって! ただ、なんか、不思議だなって思っただけ」
「何が?」
「中3で部活入って、10ヶ月で辞めるって」
「まあ、確かに珍しいよね」
購買に着いた。今日はクロワッサンサンドが売ってる。私の好物。
列に並びながら、私は内山くんのことを考え続けていた。
内山くん。
同じクラスにほぼ一年間いるけど、ちゃんと話したことがない。
いつから同じクラスだっけ。
中3になってから。
中1中2は、確か違うクラスだった。
でも、存在は知ってた。何回か頭がいいって聞いたことがあるから、顔と名前は一致する。
内山くん。
静かな人。
でも、暗いわけじゃない。
ただ、一人でいることが多い人。
グループワークとかで一緒になったこと、あったかな。
あった気がする。
でも、何を話したか、覚えてない。
きっと、課題のこととか、そういう話だけだったんだろうな。
クロワッサンサンドを買って、教室に戻った。
席に座って、包装を開ける。
サクサクのクロワッサンに、ハムとチーズが挟まってる。
おいしい。
幸せ。
ふと、内山くんの席を見た。
やっぱり、誰もいない。
内山くんは、今、何してるんだろう。
家にいるのかな。
布団に入って、休んでるのかな。
それとも、起きて、何か別のことしてるのかな。
本を読んでたりして。
そんな気がする。
内山くんって、本当に本が好きそう。
いつも読んでるもん。
私も本は好きだけど、内山くんほどじゃない。
最近読んだのは、友達に勧められた恋愛小説。
タイトル忘れた。
そういえば、内山くん、どんな本読んでるんだろう。
今度、聞いてみようかな。
いや、でも、急に話しかけたら変かな。
一年間、ほとんど喋ったことないのに。
でも、話しかけてみたい。
なんでだろう。
昼休み、お弁当を食べた。
今日は母が作ったオムライス弁当。ケチャップでハートが描いてある。
恥ずかしい。
でも、おいしい。
「叶恵、それかわいい」
高橋さんが覗き込んできた。
「お母さんが作ったの」
「いいなー。うちなんて、適当に詰めただけだよ」
高橋さんの弁当を見ると、確かに、おかずがぎゅうぎゅうに詰まってた。
「でも、おいしそうじゃん」
「まあね」
二人で笑った。
お弁当を食べ終わって、麦茶を飲む。
窓の外を見た。
雨が降り始めてた。
小雨。
しとしとと、静かに降ってる。
午後の授業。
5時間目は英語。
私の得意科目。
先生がリスニングの音声を流す。
私はシャーペンを持って、問題用紙に目を通す。
集中。
音声が流れる。
イギリス英語。
ちょっと聞き取りづらい。
でも、何とかついていく。
問題を解く。
たぶん、全部正解できた。
やった。
授業が終わって、放課後。
バドミントン部の練習がある。
更衣室で部服に着替える。
「永田、今日調子良さそうだね」
同じ部の先輩が言った。
「そうですか?」
「うん。なんか、いい顔してる」
「ありがとうございます」
体育館に向かう。
廊下を歩きながら、ふと、剣道部の方を見た。
食堂の上の剣道場。
そこで剣道部が練習してる。
中から、竹刀を打ち合う音が聞こえる。
「面!」
気合の声。
内山くんも、あの中にいたんだな。
昨日まで。
どんな気持ちで、練習してたんだろう。
楽しかったのかな。
それとも、つらかったのかな。
体育館に入る。
ネットが張ってある。
部員たちが、もうウォーミングアップを始めてた。
「永田、早く!」
「はーい!」
私も輪に加わる。
ラケットを握る。
シャトルを打つ。
パコーン、って音が響く。
気持ちいい。
バドミントン、好きだ。
部活、楽しい。
みんなで一緒に汗を流して、笑って。
こういう時間が、好き。
内山くんは、剣道部で、こういう時間を過ごせたのかな。
また、そんなことを考えてた。
練習が終わって、片付け。
ネットを畳んで、シャトルを数えて、ラケットを片付ける。
「お疲れ様でした!」
みんなで声を揃える。
更衣室に戻って、着替える。
「永田、明日も頑張ろうね」
先輩が声をかけてくれた。
「はい!」
私は笑顔で答えた。
でも、心の中では、まだ内山くんのことを考えてた。
校舎を出る。
雨は止んでた。
でも、地面はまだ濡れてる。
空気が冷たい。
真冬の匂いがする。
家に帰る道。
スマホを見ながら歩く。
LINEに、バドミントン部のグループから通知が来てた。
明日の練習メニューについて。
私は「了解です!」ってスタンプを送った。
そして、ふと、思った。
内山くんって、LINEやってるのかな。
クラスのグループには入ってる。
でも、一度も発言してるの見たことない。
既読はついてるから、見てはいるんだろうけど。
内山くんのアカウント、検索してみようかな。
いや、やめとこう。
変だよね。
でも、気になる。
なんで、こんなに気になるんだろう。
昨日まで、ほとんど意識したこともなかったのに。
家に着いた。
「ただいま」
「おかえり。お風呂沸いてるよ」
母の声。
私は部屋に上がって、カバンを置いた。
制服を脱いで、普段着に着替える。
鏡を見た。
髪がぼさぼさだ。
お風呂入ろう。
湯船に浸かりながら、また考えた。
内山くん。
明日、学校来るのかな。
来るよね、たぶん。
内山くんって、あんまり休まないイメージ。
真面目だから。
明日、話しかけてみようかな。
「内山くん、昨日どうしたの?」とか。
いや、それ変かな。
「体調大丈夫?」とか。
うーん。
どうしよう。
お風呂から上がって、ドライヤーで髪を乾かした。
夕飯は、カレー。
私の好物。
「おいしい」
「良かった」
母が笑った。
食べ終わって、自分の部屋に戻る。
宿題をする。
数学のプリント。
難しい。
全然分からない。
内山くんなら、すぐ解けるんだろうな。
数学も得意だったはず。
いいなあ。
私、数学苦手なんだよね。
明日、内山くんに聞いてみようかな。
「この問題、教えて」って。
それなら、自然に話しかけられる。
いや、でも、そんなために話しかけるのも変かな。
うーん。
悩む。
結局、宿題は半分くらいしかできなかった。
明日、誰かに聞こう。
ベッドに入る。
天井を見た。
白い天井。
何もない。
スマホを手に取る。
LINEを開く。
クラスのグループを見る。
誰かが明日の時間割の確認をしてた。
ふと、内山くんのアカウントを検索した。
あった。
プロフィール画像は、デフォルトの灰色のアイコン。
ステータスメッセージは、何も書いてない。
タイムラインも、何も投稿してない。
そっか。
内山くんって、SNSとかあんまりやらないタイプなのかも。
私は、スマホを置いた。
目を閉じる。
明日。
内山くん、来るかな。
来たら、話しかけてみよう。
勇気を出して。
そう思って、眠りについた。
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