木村琉
内山が剣道部を辞めたという話を聞いたのは、朝のホームルームが終わった直後だった。
「え、マジで? 内山くんが?」
「うん。昨日顧問の先生に言ったらしいよ」
「へー、知らなかった」
前の席の女子三人組——永田、高橋、田村——がひそひそと話している。俺は教科書をカバンに詰めながら、なんとなく耳を傾けていた。
内山が剣道部を辞めた。
へえ、と思った。それだけだった。
俺と内山は、同じクラスに一年間いたけれど、たぶん直接会話したことは片手で数えられるくらいしかない。いや、もっと少ないかもしれない。「おはよう」とか「プリント回して」とか、そういう事務的なやつだけ。
うちのクラスは選抜コースで、男女比が極端に偏っている。男子13人、女子30人。圧倒的なアウェー感。最初の頃は女子に囲まれてドキドキしたけど、今はもう慣れた。むしろ女子同士の会話の方が面白くて、聞いてるだけで楽しい。
男子13人は、自然と固まる。昼休みは大体一緒にいる。でも内山だけは、いつも一人だった。
別に内山が嫌われてるわけじゃない。ただ、内山から距離を置いてる感じがした。誰かが話しかけても、必要最低限しか喋らない。昼休みも、自分の席で本を読んでる。弁当も一人で食べてる。
最初の頃は気を遣って声をかけたりもした。「内山、一緒に飯食わね?」とか。でも内山は「ありがとう、でも一人でいい」って断った。それ以来、誰も誘わなくなった。
「木村くん、内山くんと仲良いの?」
永田が振り返って聞いてきた。
「いや、全然。同じクラスなだけ」
「そっかー。でもさ、なんで中3で剣道部入ったんだろうね」
「さあ?」
俺は正直に答えた。本当に知らない。
内山が中3の春に剣道部に入ったとき、クラスの男子全員が驚いた。それまで帰宅部だった奴が、しかも中3になってから部活に入るなんて。
それから約10ヶ月。
で、辞めた。
「飽きたんじゃない?」と高橋が言った。
「それか、受験勉強?」と田村が言った。
「でもうち中高一貫だよ?」
「あ、そっか」
女子たちは笑った。
そのとき、隣の席の安藤が小声で言った。
「なあ、木村」
「ん?」
「内山、今日休みだよな」
安藤が顎で教室の後ろを指した。
窓際の一番後ろの席。内山の席。
誰もいない。
あ、本当だ。
朝のHR、出席確認のとき、内山の名前が呼ばれたっけ。
思い出そうとしたけど、思い出せない。
「体調不良かな」と安藤が言った。
「かもな」
俺はそう答えた。
でも、なんとなく、違う気がした。
部活を辞めた次の日に、休む。
偶然かもしれない。
でも、なんか、意味がある気がした。
チャイムが鳴って、次の授業の準備が始まった。国語。俺は国語が苦手だ。特に古文。何を言ってるのか全然分からない。
授業が始まる。先生が『源氏物語』について話し始める。
俺は教科書を開きながら、また内山のことを考えていた。
内山は国語が得意だった。いつもテストで80点以上取ってる。授業中の発表も、的確で、先生によく褒められてた。
本を読むのが好きなんだろう。休み時間、いつも文庫本を読んでる。何を読んでるのか、一度見たことがある。東野圭吾の『マスカレード・ホテル』だった。
中3で東野圭吾。渋い。
俺なんて、最近読んだ本はライトノベルくらいだ。
授業中、ふと窓の外を見た。
校庭で、体育の授業をしている学年がある。サッカーをしてるみたいだ。
剣道部は、今頃何をしてるんだろう。
内山がいなくなった剣道部。
誰か気づいてるのかな。
それとも、誰も気にしてないのかな。
購買は混んでた。混むまでトイレに行って待つ間、スマホをいじる。
ボードゲーム部のグループLINEに、先輩からメッセージが来てた。
「今日の部活、新しいボードゲーム持ってくるから楽しみにしてて!」
俺は「了解です!」ってリアクションをした。
ボードゲーム部は、週2回の活動。主にその名の通りボードゲームをやる。カタン、カルカソンヌ、ドミニオン、いろいろ。最近は人狼ゲームにハマってる。
部員は10人くらい。中1から高2まで、幅広い。男女比も半々くらいで、雰囲気がいい。
俺は中1のときに入った。最初は将棋部と迷ったけど、将棋部は真剣すぎて怖かった。シミュ研は、もっと緩くて、楽しい。
トイレから出て、カレーパンを買って教室に戻る。
男子の何人かが、廊下側の席に集まって、弁当を食べていた。
「木村、遅い」
「購買混んでたんだよ」
俺も輪に加わる。
弁当を開けながら、ふと、窓際の席を見た。
内山の席。
誰もいない。
いつもなら、内山が一人で、弁当とかを食べてる時間だ。
「なあ、内山って今日なんで休みなんだろうな」
俺は何気なく言った。
安藤が肩をすくめた。
「知らん。風邪じゃね?」
「この時期、インフル流行ってるしな」
別の男子、確か山本が言った。
「でもさ、内山って、あんまり休まないよな」
俺がそう言うと、みんな「あー」って納得した。
本当だ。内山、ほとんど休んだことがない気がする。
遅刻もしない。いつも始業時間の10分前には教室にいる。
真面目な奴だ。
「部活辞めたのと関係あんのかな」
山本が言った。
「どういう関係?」
「いや、知らんけど。なんか、落ち込んでるとか」
「落ち込むようなことか? 部活辞めるって」
安藤が笑った。
「まあ、確かに」
俺もそう思った。
部活を辞める。別に珍しいことじゃない。合わなかったら辞める。普通のことだ。
でも、内山の場合は、ちょっと違う気がした。
中3で入って、10ヶ月で辞める。
その10ヶ月、内山は何を思ってたんだろう。
昼休みが終わって、午後の授業が始まった。
5時間目は数学。俺の一番嫌いな科目。
先生が黒板に数式を書いていく。俺はノートに写す。意味は分からない。
隣の安藤も、同じような顔をしている。
ふと、内山の席を見た。
やっぱり、誰もいない。
内山なら、この問題、すぐ解けるんだろうな。
数学も得意だったから。
なんで内山のことばっかり考えてるんだろう。
俺、内山と仲良くもないのに。
放課後、部室に向かった。
ボード部の部室は、校舎の3階、一番奥にある。小さい部屋だけど、窓が大きくて明るい。
部室に入ると、先輩たちがもう来ていた。
「木村、来た来た!」
高2の先輩、藤田さんが手を振った。
「こんにちは」
「見て見て、これ!」
藤田さんが箱を開けた。
『アグリコラ』。
「うわ、本格的なやつじゃないですか」
「でしょ! 今日はこれやろう!」
ルール説明が始まる。
農場を作って、作物を育てて、家畜を飼って、家族を増やす。
複雑だけど、面白そうだ。
ゲームが始まった。
俺は、木材を集めて、畑を耕して、羊を飼った。
藤田さんは、石を集めて、家を増築して、牛を飼った。
みんな、それぞれの戦略で、自分の農場を発展させていく。
楽しい。
部活って、こういうものだよな。
みんなで何かをして、笑って、楽しい時間を過ごす。
内山は、剣道部で、こういう時間を過ごせたんだろうか。
ふと、そう思った。
ゲームが終わって、片付けが始まった。
藤田さんが俺に聞いた。
「木村、クラスに内山くんっているでしょ?」
「あ、はい」
「あの子、剣道部辞めたって聞いたんだけど」
「そうらしいです」
「なんで?」
「知らないです。僕、内山とあんまり喋らないんで」
「そっか」
藤田さんは少し考えるような顔をして、それから笑った。
「まあ、いいか。本人が決めたことだし」
「そうですね」
部活が終わって、校舎を出た。
空が、オレンジ色だった。
今年、高校生になる。
内山は、高校で、何か変わるんだろうか。
それとも、変わらないんだろうか。
知らない。
でも、ちょっとだけ、気になった。
家に帰る道。
コンビニに寄って、肉まんを買った。
温かい。
冬の夕方は、寒い。
でも、嫌いじゃない。
この季節の、この空気が、なんか好きだ。
家に着いて、ドアを開ける。
「ただいま」
「おかえり」
母親の声。
晩御飯まで少し時間がある。
部屋に上がって、制服を脱いで、普段着に着替える。
机の上に、数学の宿題がある。
やらなきゃ。
でも、やる気が出ない。
ベッドに寝転がって、天井を見た。
内山、明日は来るのかな。
来るんだろうな。
内山は、そういう奴だから。
休んだ分の授業、ちゃんとノート借りて、授業に追いつくんだろうな。
真面目だから。
俺も、もうちょっと真面目にならなきゃな。
そう思った。
でも、たぶん、無理だな。
そうも思った。
スマホを見る。
LINEに、ボード部のグループから通知が来てた。
藤田さんからの写真。今日の『アグリコラ』の盤面。
みんな、いいねを押してる。
俺も押した。
そして、なんとなく、内山のLINEを検索してみた。
あった。
プロフィール画像は、デフォルトの灰色のアイコン。
ステータスメッセージは、何も書いてない。
最後にやりとりしたのは、いつだっけ。
スクロールすると、去年の4月だった。
「プリントありがとう」
内山からの短いメッセージ。
俺は「おう」って返してた。
それきり。
画面を閉じた。
明日、内山に、何か話しかけてみようかな。
そう思った。
でも、何を話せばいいんだろう。
分からない。
とりあえず、明日、考えよう。
そう思って、俺は目を閉じた。
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