まつ毛
職を失って実家に帰った時の話です。
久しぶりに会った地元の友達とお酒呑みに行ったんです。小学校からの付き合いでしたから結構仲良いんですよ。久しぶりに会ってテンション上がっていた上に、そいつらのうちの一人が奢ってくれるっていうんで調子こいて飲みすぎました。千鳥足引き摺りながら家に帰った後、デカめのコップ満杯の水を一気飲みしてそのまま気絶するように床で寝ました。
お酒が入っていて眠りが浅かったのか、次の日朝早くに目が覚めました。まだ朝日がオレンジ色してるくらいの時間でそのままもう一眠りしようと思ったのですが、声も出せないほどに喉が渇いていたので机の上に置いてあった昨日使っていたコップに水を注いでまた飲みました。飲んだ時に喉元で何かモゾモゾする感覚がありましたが二日酔いで頭痛と吐き気がすごかったのでそんなことは気にせず今度はソファに寝転びました。
次に起きたのは朝の十時くらいで、実家に住んでる弟に「邪魔だから退け」と叩き起こされました。実家はとにかく暇で時間を潰すために二日酔いを引っ提げながら近くの公園へ散歩に行きました。
二日酔いで快適とは言えない散歩中にまた喉元のモゾモゾと何かが動く感覚が来たんです。それはさっき水を飲んだ時よりも激しく動き、気持ち悪くなったので公園の植え込みに吐いてしまったんです。
こんな状態なのに俺はなんで散歩なんて来たんだろう?とか疑問に思いながら吐瀉物を見てると、何か小さな粒のようなものが動くんです。やばい変な病気になった。と思い急いで病院に行きました。
幸い病院には人が少なく、すぐに診察してもらえました。診察の結果、吐き気はただの二日酔いで動いていたものは元々土にいた虫が動いていただけだと。正直納得はしていませんでしたが、そう言われたなら仕方が無いと家に帰りました。
家に帰るとすぐ喉元の何かがさらに激しくモゾモゾと動きました。急いでトイレに駆け込み、また吐きました。さっきまで粒状だったそれは蜘蛛の糸のように細長く、激しく動いていました。気持ちが悪い。二日酔いのせいなのか、この蠢く虫のせいなのか分かりませんでした。
さっきまでいた弟もいなくなったのでまたソファに寝っ転がり、体の様子を見る事にしました。
やはり喉のことが気になった私はさっき流してしまったこの虫を持って医者に行ってみようと喉の奥に指を突っ込んで無理やり空っぽの胃をひっくり返しました。すると少量の吐瀉物と共にさっきの虫の数倍の太さを持つ虫がうねうねと元気よく動いていました。僕はそれをピンセットで一つずつ摘み上げ空になった小瓶に入れました。これがあれば先生も納得してくれるだろうと、昨日の晩と同じような足取りで病院に向かいました。
こんなものが出てきたんです。と不安気に先生に見せると「これはつけまつ毛ですね」と先生は嘲笑しました。いやいや、さっき動いているのを見ました。と必死に伝えましたが精神科の先生を紹介されてしまいました。
家に帰り、何故こんなに対応が適当なのかと怒りながら小瓶の中を見ました。こんな表現を使うのも変ですが小瓶の中には確かに綺麗な濡れ羽色をしたまつ毛が入っていました。それはピクリとも動かないので経緯を知らなければそれは確かにまつ毛でした。その日は疲れが溜まっていたので、風呂に入ってすぐに眠りました。
次の日起きると頭痛と吐き気は治っていました。昨日の体調不良は二日酔いによるものだったと理解します。しかし水を一口飲むとあの感覚におさわれます。すぐにトイレで喉に指を突っ込んで嘔吐しました。その吐瀉物の中には確かにあの虫が蠢いていたのです。しかし大きさや量は昨日と変わりませんでした。不思議とその事実に安堵します。このままこの虫に体を蝕まれて死ぬことはないと確信しました。一つ悩みが解決すると別の悩みが出てくるものです。次の仕事はどうしようかと。すると一つのアイディアが浮かびました。そうだこの虫を集めて綺麗なつけまつげを作って販売しよう。その日から毎日できる限り嘔吐し、虫を集めました。
一週間が経ち、それなりに集まった虫でつけまつげを作りネットで販売しました。相場がわからなかったのでとりあえず左右セットで三百円という値段で八つ販売しました。売りに出した瞬間一つがすぐに売れました。一つ発送した後、意外と作業がめんどくさかったのでこれ以降すぐには売れないだろうと思いこみました。
それからさらに一週間、働いていた頃の貯金で自堕落な生活を送りました。虫を吐いて、ネットの動画を見て、酒を飲んで、寝る。その繰り返しです。ある日いつもの様にネットで動画を見ていると(視力が上がるつけまつげ!)というタイトルの動画が目に入りました。そういえばつけまつ毛はどうなったのだろうとフリマアプリを開くと残りの七つのつけまつ毛にも購入依頼が来ていました。
全ての発送が終わった後、こんな簡単に売れるなら。と瓶の中に残っていた虫の二割程度をつけまつ毛に変え、左右で千円を二十個作りました。それを出品した後、私はまた自堕落な生活に戻りました。そしてまた一週間立ってアプリ確認すると全て売れていました。これならばと二千円で十個。これも売れました。五千円で十個。売れました。一万円で十個。これも売れました。こんな簡単に稼げるのかと私は喜びながら嘔吐し、つけまつ毛を作り続けました。しばらくするとつけまつ毛からある程度安定した収入が得られる事がわかったので、また一人暮らしの生活に戻りました。
数ヶ月経った頃には一つ十万円で売れるようになっていました。嘔吐し続けた結果八十キロあった体重は四十五キロまで落ち、頭痛と倦怠感に襲われ、活力も無くなっていきましたが、代わりに一生遊んで過ごせる額のお金が手に入りました。生活に余裕ができたので、段差の少ない平家と家事手伝いを雇って親にプレゼントしました。私にとって初めての親孝行です。「こんなお金どうしたの?」と母が聞いてきました「仕事がうまく行ってね」というと「そう。ありがとね」と深いことは聞かずプレゼントを受け取ってくれました。
それから更に数年、私は通帳の数字が増えるのに反比例するようにお金への興味がなくなっていきました。代わりに私は浮き出る肋を見て一度失った健康を取り戻したいと思いました。
早速私は出来る限りもう嘔吐はしないと心に決め、健康的な食事から始めようとネットで最高級の健康食を調べて買い漁りました。何らかのエキスが入っているスープ、有名な場所で取れたらしいひじきのサラダ、江戸から伝わる鶏肉、太陽に一番当たったバナナ、評価の高いサプリメント、どれがどのくらい効果があるものかは分かりません。しかし普通に健康な体を作るくらいならばやり過ぎなくらいに思いました。
この食事を一ヶ月続けると五十キロを切っていた体重は六十キロ弱まで増えました。更に倦怠感や頭痛は落ち着き、一人で映画を見に行けるほどには体力が回復していきました。
よく調べてみるとバナナと鳥肉は美味しいだけで特別効果のあるものではない事がわかりました。なのでサラダとスープとサプリだけを続け他の食事は自分で決める、言ってしまえば普通の食事に戻りました。
家でポップコーンを食べながら映画を見ているとスマホに一通の通知が来ました。スマホを手に取り内容を確認すると地元友人から「久々に合わないか?」という内容の連絡が来ていました。最後に会った日から二年弱か、と友人との最後にしたメッセージのやり取りを見て「いいよ」と返事を返しました。
「よう。久しぶり」と駅のホームを出ると、ベンチに座って待機していた友人が声をかけてきました。「久しぶり。元気だった?」友人に気付き駆け寄りました「おうよ。なんか少し痩せたか?」と僕を見て友人が言います「ちょっとな。孝宏は?」と普段はいるはずのもう一人の友人がいません「なんか入院中らしい。」と友人が言います「何だよ。また奢ってもらおうと思ってたのに。しゃあない、今日は俺が奢ってやるよ」と冗談っぽく言って店に向かいました。
小綺麗な釜飯屋の個室に入り、二人で近況について話しました。
「お前仕事見つけたの?」
「今は物作って売る仕事してんだよね。結構儲かってる」
「いいなー。俺なんかクソみたいな上司に毎日キレられてるのに」
「辞めちまえそんとこ」
「簡単に言うなよ。次の就職先も見つかってないのに」
「そこで働き続けてもキツイだろ。お前の鯛飯一口くれ」
「勝手に取れ。そりゃそうなんだけどね」
「スプーン俺の使っちゃうよ。そこ給料はいいんだっけ?サンキュお礼に俺の栗ご飯やるよ。」
「ありがと。ゴミみたいに安い」
「はよ転職しろ」
釜飯を平らげたと同時に襖が開きデザートのチーズケーキと杏仁豆腐が運ばれてきました。
「美味そ〜。いただきます」
「普段からこんな良い店で飯食うの?」
「いや。普段はネットの栄養食みたいなやつと他のおかずみたいな感じ」
「美味のそれ?」
「味は普通。スープみたいなのとひじきサラダとサプリだね」
「ひじきサラダって孝宏が売ってたやつじゃねぇの?」
「あいつそれで金持ってたの?」
「そうだよ。だから前回奢ってくれた。もしかしてお前もひじき売ってんのか?」
「いや別のものだよ。」
「このあと二軒目行く?」
「わりぃ。今日は帰ろうかな」
帰りのタクシーでずっと自分のお腹を摩っていました。今まで食べていたひじきが僕を億万長者にしたあの虫では無いかと不安になったのです。あのひじきが虫だと思ってからは腹の中で何かが動いている気がしてきました。その感覚は酔いと相まって吐き気へと姿を変ええました。
するとあの感覚がハッキリと思い出されます。喉の奥で虫が蠢く感覚。その不快感は吐き気を助長しました。その場にタクシーを止めてもらい車外に出て、路肩に嘔吐しました。吐瀉物の中ではやはりあの虫が蠢いています。その虫を見て初めてこの虫を吐いた日のように恐怖を覚えました。あの時はこの虫に体を蝕まれて朽ちていくことに恐怖しましたが、暫くしてこの虫がお金を産み始めると、恐怖などすっかり忘れました。そして今、富に興味がなくなるともう一度この虫の恐怖に脅かされる。
孝宏も同じ道を辿ったのだろうか。そして僕もアイツと同じようにこれから入院して最後を迎えるのだろうか。いまは一秒でも早くあのひじきの成分表が見たい。
家に着くと急いで冷倉庫へと走る。透明のパックに紙のシールが貼られたパッケージから成分表を探す。
しかし成分表が見当たらない。縦ニ十センチ、横十五センチのパックを意味もなく何度も裏返す。意味もなく文句を言いながら商品名で検索する。
検索結果には今自分が持っているものと同じ商品は出てこなかった。万策尽きても焦りは治らず、ひじきを皿に出してじっくりと見る。明らかに自分の吐いた虫よりは太く長い。しかし虫と言われればそれは虫だった。
あの時ちゃんと自分を診察しなかった医者に腹立ちました。吐いたものを食品として売る孝弘に腹が立ちました。僕を簡単に手放した会社に腹が立ちました。そして僕に巣食った虫に腸が煮えくり返るほど怒りました。
僕は怒りに叫びながら地面に這いつくばって暴れました。裏返った昆虫のように暴れていると煮えくり返った腹が傷み始めました。最初は微かな痛みでした。しかしその痛みは次第に大きくなり、自分を壊した世間に向けた怒りの叫びはいつの間にか耐え難い腹痛への叫びへと変わっていきました。
全身の毛穴からは汗が出るように虫が這い出てきて、溢れるように出る吐瀉物は胃液や飲み込んだ食料はなく、その全てがあの虫でした。この大量の虫を見て、この全てをつけまつ毛にして売りに出すといくらになるのだろう、と苦痛に支配される脳みそにうっすらと浮かんできました。
この時ようやく気づきました。体を犠牲にして富を得ていたと思っていましたが、本当に蝕まれていたのはまともな思考力と人間としての生活。命の危機に瀕していても持て余して興味がなくなったはずの金に目がくらむ。こんなにも体が壊れているのだからさぞ多くの金が手に入るのだろうという期待。何かを失えば何かを手に入れるのが当然だと思う、道理を神に託した希望。
こんな虫がどうやって生き残り続けてきたのか。寄生されている可能性なんて一番最初に考えたのに、お金が手に入るからと都合の悪いことはなかった事にして共生だと得体の知れない生き物と長くを共にしました。
遂には内側から腹に穴が空きました。最初は一匹の虫が顔を出し、その穴を広げます。次に三匹顔を出し、さらに広げます。そこからは何匹出てきたかなんて分かりませんでした。ただ胃酸で溶けるように腹の穴は広がっていきました。
臓物を食い荒らされて死んだ僕の口から一本の長い虫が伸びてきて、それはぐるぐると渦を巻きました。その長い虫は一枚のレコードになり、この音声を残しました。




