2025年における日本と米国のポピュリズム:参政党・れいわ新選組とドナルド・トランプの比較分析
はじめに
近年、世界各国で「ポピュリズム」と呼ばれる政治運動が台頭し、民主主義にさまざまな影響を与えている。日本でも参政党やれいわ新選組といった新興勢力が支持を広げ、米国ではドナルド・トランプ前大統領が依然として強い影響力を保持し** **、再び権力の座に返り咲く動きを見せている(2025年7月時点) 。本稿では、2025年7月21日現在の日本と米国におけるポピュリズムの現状について、日本の参政党とれいわ新選組、米国のドナルド・トランプを中心に比較分析を行う。比較政治学、民主主義理論、制度論の観点から、以下のテーマを検討する: (1) 各運動・政党の誕生背景と支持基盤(経済的不安、制度不信、文化的対立)、(2) ポピュリズムの典型的要素(反エリート主義、敵対的言説、カリスマ性)とその強度、(3) 民主主義制度との相互作用(制度強化か制度破壊か)、(4) SNS・インターネットメディアの利用と動員手法、(5) 選挙での成果と制度への影響(政党政治、立法、社会分断など)、(6) 学術理論との照合(カス・ムッデ、エルネスト・ラクラウ、カール・シュミット、ハンナ・アーレント等)。日本の事例と米国の事例を比較することで、両国に共通するポピュリズム現象の特徴と相違点を明らかにし、現代民主主義にとっての含意を考察する。
1. 誕生の背景と支持基盤:経済的不安・制度不信・文化的対立
日本:参政党とれいわ新選組の台頭
日本では、長引く経済停滞と社会の閉塞感の中で、新興のポピュリズム政党が支持を集め始めた。参政党は2010年代後半に結成され、「失われた30年」といわれる経済低迷や格差拡大を背景に芽吹いた草の根運動といえる 。支持者の多くは自民党など既存政党への不信感を強める一方で、「このままでは日本が衰退するのではないか」という漠然とした危機感を抱える保守的傾向の人々である  。ある調査によれば、「自国は衰退している」と感じる日本人は2016年の39%から2025年には70%へと激増し、調査対象31か国中3番目の高さを示した 。また「既存の政党や政治家は自分のような人間を気にかけていない」と考える人も7割近くに達しており、コロナ禍を経て政治への期待が回復していない 。参政党はまさにこうした体制不信と悲観的展望を持つ層の受け皿となり、「教育・食と健康・国の守り」というスローガンで既存政治への不満と不安をすくい上げたと考えられる  。
参政党の支持基盤をもう少し具体的に見ると、「ソフトな保守層」と称される中高年男性を中心とした層が目立つ 。2025年の世論調査では、若年層ほど既存政党離れが顕著で、参政党や国民民主党、れいわ新選組といった新興政党への支持が高いことが確認された  。特に18~39歳の若年層では無党派層が多い一方、それ以外の支持政党を持つ層では参政党への支持率が上昇しており、若者の受け皿になっている 。統計分析によれば、参政党に投票した人の中には前回選挙で自民党や日本維新の会に投票していた層が多く含まれており、保守系既存政党から票を奪っている 。また一部には、反ワクチンや有機農法支持といった従来政治が取り上げなかった分野に関心を持つ層も取り込んでいる 。参政党の支持拡大は、地方でも顕著であり、経済低迷や過疎化に不安を抱える地方有権者が「日本を守る」ことを掲げる主張に共感しているとの指摘もある 。
一方、れいわ新選組は経済的困窮者や既存野党に失望したリベラル層を中心に支持を広げた左派ポピュリズム政党である 。2019年に山本太郎氏(元俳優・活動家)が結成し、反緊縮財政(積極財政)や消費税ゼロ、脱原発など急進的な経済改革を掲げて登場した  。れいわ新選組の誕生背景には、長年のデフレと新自由主義的政策で広がった貧富の差、社会保障の不安、そして既存野党(旧民主党系や共産党)の路線に満足できない有権者の存在があるといえる 。山本氏は「今の政治は皆さんへの裏切りだ」と訴え、20年以上のデフレで生活が苦しくなったのは「間違った政府の経済政策」のせいであり、消費税廃止による大胆な景気刺激が必要だと演説した  。こうしたメッセージは、非正規労働者や低所得の若者、中高年の生活困窮者など「こぼれ落ちた人々」に響き、街頭演説には熱狂的な聴衆が集まった  。実際、れいわ新選組はインターネットで2億円超の個人献金を集め 、2019年参院選で重度障害者の候補者2名を特定枠で当選させて国政政党化した。当時、既存メディアの露出が少ない政治団体でありながら大きな注目を集めたのは、このように従来政治に見捨てられた人々の不満と希望をすくい取ったためと考えられる 。社会学的分析によれば、れいわ支持者のプロフィールは立憲民主党支持層に近く、陰謀論傾向は特に強くないものの、従来左派政党では満たされなかった急進的要求を持つ層が支持している 。
以上のように、日本における参政党とれいわ新選組の台頭は、経済への不安(長期不況・格差)と政治への不信(既成政党への幻滅)を背景に、それぞれ右派・左派の異なるアプローチで国民の不満を代弁しようとした結果といえる。参政党は愛国・伝統志向やグローバル化への反発心に訴え、「日本人の誇り」を取り戻すと主張することで、保守層の不満から支持を得た  。れいわ新選組は弱者救済・反エリートを掲げ、大胆な再分配と反権威の姿勢で、リベラル派や生活苦に直面する層の共感を集めた  。両者に共通するのは、「自分たち(人民)を無視し腐敗したエリートに対抗する」という大きな物語であり、それが支持基盤の不満や不安と強く結びついている点である。
アメリカ:トランプ現象と「忘れられた人々」
米国では、ドナルド・トランプ氏の台頭(2016年大統領選勝利)がポピュリズムの代表的事例である。トランプの支持基盤は主として白人労働者階級(特に低学歴の男性労働者)にあり、グローバル化・産業空洞化による「経済的敗者(グローバリゼーションの敗者)」とされる層が多い 。産業の衰退したラストベルト(中西部工業地帯)や農村部を中心に、工場閉鎖や雇用喪失で打撃を受けた人々が、既存政治への怒りと見捨てられた感覚からトランプに熱狂したと分析されている  。ヤシャ・モンクらの指摘によれば、グローバル経済の中で「尊厳とアイデンティティを奪われた」白人中下層が、単に仕事や収入だけでなく社会的地位の回復を求めてトランプの掲げる「アメリカを再び偉大に(MAGA)」というスローガンに惹きつけられた  。このスローガンは、単なる経済政策というより文化的復興の約束であり、工場の再建といった物質的な話だけでなく、彼らの誇りや伝統的価値観を取り戻すという精神的メッセージとして機能した 。
トランプ支持には、経済的不満に加えて**文化的・社会的対立(いわゆる「文化戦争」)**が大きな役割を果たした。移民の増加や非白人人口の拡大、LGBTQやフェミニズムの台頭などによる社会変容に対し、保守的な白人層が強い危機感・疎外感を抱いていたことが背景にある  。ピュー研究所などの調査でも、トランプ支持者は移民制限や人種的マイノリティへの優遇措置への反発が強く、キリスト教的価値観や伝統的家族観の擁護を重視する傾向が示されている 。政治学者ノリスとイングルハートは、欧米諸国で右派ポピュリズム台頭の要因として「文化的反動(cultural backlash)」を指摘しており、トランプ現象も急速な社会のリベラル化に対する反発心が大衆動員の原動力となったと論じている 。具体的には、都市の多様性や「ポリティカル・コレクトネス」に嫌悪を示す人々が、トランプの露骨な反移民・反イスラム発言や、「アメリカ第一」を掲げた国粋主義的主張に喝采を送った  。トランプがしばしば主張した「壁を築け(Build the Wall)」というメキシコ国境の壁建設公約や、イスラム圏からの入国禁止令などは、こうした文化的恐怖(他者への不信、異質な価値への抵抗)を具体化した政策と言える。
さらに、トランプ支持のもう一つの軸として政治・制度への根深い不信がある。彼の支持者はワシントンのエリート(いわゆる「ワシントンの沼」)や主流メディアに対する強い不信感を抱いていた。2016年以前から米国では政党政治の極化と政府不信が進行しており、政府や議会への信頼度は歴史的低水準に落ち込んでいた。こうした中でトランプは「既成の政治家は腐敗して人々を裏切っている」と断じ、自らをアウトサイダーの改革者として演出した。彼の「Drain the Swamp(沼を干上がらせろ)」というスローガンは、連邦政府の官僚機構や既得権層を一掃するという決意を示し、多くの有権者に訴えるものだった。事実、2016年選挙でトランプは共和党・民主党の主流派から距離を置いた反体制イメージを武器にし、政治経験のないビジネスマンが**「エリートへの反逆者」**として異例の勝利を収めた 。支持者の間では、ワシントンの支配階級やハーバード・メディアなどの知識人層こそが「真の国民」を顧みない悪玉とみなされ、トランプはその打破者として熱狂的支持を集めたのである 。
まとめれば、米国のトランプ現象は「経済的不満+文化的反発+体制不信」の結合によって生まれたポピュリズム運動といえる。経済面ではグローバル化の敗者となった白人労働者階級の救済、文化面では多文化主義に対する保守的価値の擁護、政治面では腐敗したエスタブリッシュメントへの怒りが、トランプ支持者のアイデンティティを形作った  。これらの要素が「人民 vs エリート」「我々(普通のアメリカ人) vs 彼ら(移民・リベラル)」というシンプルな対立図式に凝縮され、トランプがその旗手となったのである。こうした背景は、日本の参政党・れいわ新選組の支持基盤と通底する部分もあり(既成政治への不信や経済的不安)、一方でアメリカ特有の人種・移民問題や宗教的要素も存在する点で異なる。本稿では次節以降、このような支持基盤の上に現れた各ポピュリスト運動の特徴を具体的に比較していく。
2. ポピュリズムの典型要素:反エリート主義・敵対的言説・カリスマ性
ポピュリズムの理論的定義として広く引用されるのは、カス・ムッデ(Cas Mudde)による**「理念型アプローチ」である。この定義によれば、ポピュリズムとは「社会を純粋な人民と腐敗したエリートに二分し、エリートを邪悪な存在、人民を道徳的に正しい存在とみなし、現在は悪いエリートが支配している状況を人民の意志によって覆し、『一般意志(人民の意思)』を実現しようとする政治運動」である 。ここには典型的な要素が3つ含まれるとされる:(a) 反エリート主義―政治経済エリートや知的エリートに対する敵意、(b) 人民中心主義(人民の善と主権の強調)―「普通の人々」こそ正統な政治主体であるとの信念、(c) 対立的な二元論(敵/味方の明確化)―社会を「善なる人民」vs「悪しきエリート(や時に外国人等)」の闘争として描く図式である  。さらに、ポピュリズムの政治戦略的側面としては、(d) カリスマ的指導者の存在と直接的な大衆動員が挙げられる 。すなわち、カリスマ指導者が中間団体(政党組織や既存の利益団体)を介さずに大衆と直接結びつき、「自分こそが人民の唯一真正の代表である」と主張する傾向である  。以下では、日本と米国の事例においてこれらの要素がどのように現れているか、その強度と特徴**を比較する。
日本の事例に見るポピュリズムの要素
参政党とれいわ新選組はイデオロギー的には対照的(右派 vs 左派)であるが、ポピュリズムの典型要素を備えている点で共通する。
まず反エリート主義である。参政党は既存の与野党政治家や官僚機構、さらにはグローバル資本や国際機関に対して強い批判を展開する。参政党代表の神谷宗幣氏は街頭演説で「大きな国際金融資本、グローバル全体主義」「国際ビッグファーマ(巨大製薬会社)」といった言葉を使い、目に見えない巨大権力を「敵」と名指ししている 。これは陰謀論界隈で頻出する「ディープステート(闇の政府)」とほぼ同義であり、日本政府の背後で世界を操る腐敗したエリートの存在を示唆する言説である 。実際、神谷氏は日本記者クラブの党首討論で「多国籍企業がパンデミックを引き起こしたという噂もあるし、戦争を仕掛けるのも軍需産業だ」と発言しており、与党自民党議員から「国政政党の党首として非常識、陰謀論だ」と批判された  。これらの言葉からは、参政党が国内外のエスタブリッシュメント(既得権層)を徹底的に悪役に仕立て上げ、「国民の敵」とみなしていることが分かる。
れいわ新選組もまた反エリート色が強い。山本太郎氏は「今の政治は皆さんへの裏切り」と断じ、長期デフレ下で国民生活を犠牲にしてきた財務官僚や歴代政権、財界エリートを批判している 。消費税増税や新自由主義政策を推進してきた与党自民党政権はもちろん、消極的な姿勢に終始した旧民主党系野党にも「腰抜けだ」と辛辣であり、既存政党を信頼しない有権者の感情を代弁した  。また山本氏自身が国会議員時代に天皇陛下へ直訴状を手渡すなど異例の行動に出て物議を醸したこともあり、「タブーを恐れぬ体制批判者」というイメージを確立している。れいわは官僚主導の政治や大企業優遇に対する徹底抗戦を掲げ、特に財務省や日銀の緊縮財政路線を「亡国の政策」と攻撃するなど、エリート層への敵意を明確にしている。
次に**敵対的言説(排他的なレトリック)であるが、これは参政党の方が顕著である。参政党は外国人や外国資本、国際的な思想潮流を「よそ者」「内なる世界の破壊者」と位置付け、日本の危機の元凶とみなす言説を展開している  。具体的には、移民労働者の増加や海外資本による土地買収、さらにはワクチンなど海外からもたらされるもの全般に強い警戒感を示し、「外なる世界が内なる日本に侵略している」といった危機論を唱える  。教育政策では「押し付けられた自虐史観」を害悪と語り(戦後リベラル教育への敵視)、農業政策では農薬や種子の問題を取り上げ(グローバル企業の陰謀を示唆)、環境問題では地球温暖化対策に反対して「海外の欺瞞だ」と主張するなど、あらゆる領域で「外部の敵」を設定している  。これらは典型的なポピュリズムの「陰謀論的世界観」**であり、「国民の生活を脅かす見えざる敵」を誇張し、それへの怒りによって支持者の連帯を強める効果を持つ  。参政党のスローガン「日本人ファースト」には排外主義的との批判もあるが、それも支持者には「不安な時代に自分たちを守る正当な反撃」に映っている  。社会学者ジグムント・バウマンが指摘したように、人々は漠然とした不安に直面すると「よそ者」を危険の化身として扱い、不安の原因を具体的な敵に投影することで安心を得ようとする 。参政党の言説はまさにこの心理に訴えており、「日本の衰退はグローバルエリートや外国勢力の陰謀だ」という物語を提示することで、支持者に明確な敵像と行動の動機を与えているといえる  。
れいわ新選組の場合、敵対的レトリックの矛先は主に国内の支配層(富裕層・大企業・与党政治家)に向けられる。山本氏は演説で「上級国民からもっとカネを取って下々に回せ」と叫び、格差拡大を放置する支配層への憤りをあらわにした  。彼の言葉遣いはしばしば過激であり、たとえば消費税を「鬼畜の所業」と非難し、生活苦を自己責任論で片付ける政治家を「冷血だ」と断罪するなど、強い勧善懲悪の調子を帯びる。れいわ支持者にとっての敵は、必ずしも外国人やマイノリティではなく、「弱者を切り捨て富を独占する国内エリート」である点で、参政党の排外主義とは性質が異なる。しかし構造としては、「人民 vs エリート」の対立図式を明確化し、敵対感情を政治動員に利用する点で共通している。ポピュリズム研究者ヤン=ヴェルナー・ミュラーも指摘するように、ポピュリストは多様な社会の複雑さを単純化し、道徳的な二項対立に置き換えるレトリックを用いる 。参政党もれいわも、それぞれのイデオロギーに沿って異なる「敵」を設定しながらも、「腐敗した者を打倒し純粋な人民の声を政治に届ける」という物語を語っている点で共通している。
最後にカリスマ性と大衆動員である。参政党の神谷宗幣氏とれいわ新選組の山本太郎氏はいずれも強い個性と指導力で支持者を惹きつけている。神谷氏は元地方議員という経歴だが、神道哲学やスピリチュアル的要素を取り入れた独特の思想性を持ち、「目に見えない先人の想い・歴史・文化を現代につないで具現化することが政治だ」と語るカリスマ的人物である 。著書で「政治とは形なきもの(精神)を大切にすること」と述べ、党の綱領にも「先人の叡智」「日本の精神と伝統」といった文言を盛り込むなど、支持者にとっては精神的指導者的な存在となっている 。支持者たちはそこに各自のイメージ(理想の日本像)を投影し、「日本」という想像上の共同体と自己の魂が一体化するような感覚を得ているとの分析もある  。参政党は党首個人のカリスマというより、むしろオンラインサロン的な参加型運動としても機能しており、党員・ボランティアが全国で勉強会や草の根活動を展開しつつ、ネット上では神谷氏の発信に熱狂的に反応するコミュニティを形成している  。選挙コンサルタントの分析によれば、参政党はボランティア主導の地上戦(ポスター貼りや戸別訪問)と党本部主導のネット拡散(SNS戦略)を組み合わせた「分散型戦略」で支持を拡大しており、中央集権的な組織を持たない分、支持者一人ひとりが運動の主体となるようデザインされている 。
一方、れいわ新選組の山本太郎氏は極めて個人のカリスマ性に依存した運動である。山本氏は俳優出身という経歴ゆえか、人前で話す能力に長け、ロックスターのようなカジュアルな出で立ちで街頭に登場して聴衆を魅了した 。彼の街頭演説は「演劇的」と評され、地下道や駅前といった空間をまるで舞台に変えるかのように、抑揚とユーモア、時に涙を交えて聴衆の感情に訴えかける 。聴衆とのコールアンドレスポンスや、その場での即興的なやりとりも辞さないスタイルで、「政治家というより一人の人間として語りかける」ことで支持者の共感を集めた  。このパフォーマティブなカリスマによって、れいわ新選組は組織力ではなく山本氏個人への支持によって急成長した経緯がある。実際、2019年参院選でのれいわ特定枠候補の当選も、山本氏が自ら比例3位に退いて彼らに議席を譲るという劇的演出によって達成された 。これは「自分は権力に執着せず弱者を優先する」という姿勢を示すとともに、カリスマ指導者が支持者の喝采(Acclamation)を利用して意思を実現するポピュリズムの典型例といえる。カール・シュミットは**「人民の意思は投票ではなく喝采(熱狂的支持)によって最も民主的に表明され得る」**と述べたが  、山本氏の戦略はまさに投票形式の予備選などを経ずに自身の人気をもって候補を当選させるという、一種シュミット的な民主主義の実践とも言えよう。山本氏個人に対する支持が絶対的なため、れいわ新選組は「ワンマン政党」との批判もあるが、そのカリスマ性抜きには政党が成立し得ない点自体、ポピュリズム運動の特徴を示している。
以上、日本の参政党とれいわ新選組における反エリート主義、敵対的言説、カリスマ動員はいずれも顕著であるが、その内容とスタイルには違いもある。参政党は排外主義や陰謀論的要素を色濃く持ち、民族主義的ナラティブで保守層の不安に訴える。一方れいわ新選組は急進的平等主義に基づき、既存左派が踏み込まなかった急所(反緊縮・直接給付など)を突くことで弱者層の怒りを汲み取る。両者に共通するのは、「自分たち(支持者)は正しく善良であるのに、エリートや体制がそれを踏みにじっている」という被害者意識の共有であり、それを救うヒーローとして**「唯一の代表者」が立っている構図である 。ミュラーの指摘するように、ポピュリズムにおいては「指導者が国民の意思を独占的に代表できる」という主張**がしばしば見られるが 、まさに山本太郎や神谷宗幣の振る舞いはその典型である。彼らは「自分こそが真の民意を体現する」と宣言し、他の政治家や機関の正統性を下げることで相対的に自身のカリスマ性を高めている。
トランプに見るポピュリズムの要素
ドナルド・トランプは世界的に最も注目されたポピュリスト政治家の一人であり、その言動には上述の典型要素がはっきりと表れている。
反エリート主義に関して、トランプは選挙戦を通じて「ワシントンの政治家は腐敗している」「主流メディアはフェイクニュースだ」と繰り返し唱えた。彼は自らをビジネス界出身のアウトサイダーと位置付け、「エリート(既存支配層) vs 人民(忘れられた普通の米国民)」という構図を前面に出した。例えば2016年の演説で「私はあなた方の声なき声になる。腐敗した政治システムを壊す」と宣言し、既成エリート全般への断罪を行って喝采を浴びた。大統領就任後も、連邦議会や司法など自らの政策に抵抗する機関に対し「人民の敵」と攻撃する姿勢を崩さず、FBIや司法省、さらには自分が任命した閣僚ですら意に沿わなければ「裏切り者」扱いした 。ヤスチャ・モンクは**「トランプは自分以外の誰か(判事や議員など)が彼に指図するのを認めない。彼の頭の中では、自分だけが国民を代表する正統な権利を持つからだ」と分析している  。実際、トランプは大統領在任中、司法の判断や議会の監視を度々「不当な妨害」とみなし、法的・制度的な抑制を嫌悪する態度を示した 。これはポピュリズム特有の「自分こそ人民の総意」という信念**に基づくものであり、反対者はすべて人民の敵=エリートの手先という二元論で片付けられた  。トランプの反エリート主義は単なるレトリックに留まらず、人事面でも「体制側の人間」を排除して忠誠心の高い人物を重用する形で現れ、政権末期には顕著な官僚機構への不信と対決姿勢に結実した。
敵対的言説については、トランプは前例のないほど公然と少数者や政敵への攻撃を行った。選挙戦でメキシコ移民を「犯罪者やレイプ犯」と一括りに侮蔑し、ムスリムの入国禁止を唱え、黒人女性議員に「国へ帰れ」と侮辱するなど、人種差別・排外主義と受け取られる発言を連発した。またヒラリー・クリントンを「悪党(Crooked Hillary)」と呼び、民主党支持者を「アメリカを憎んでいる連中」と罵倒し、メディアに対しては「フェイクニュースのCNN」「人民の敵のニューヨークタイムズ」と名指しで攻撃した。こうした言葉遣いは極めて攻撃的・侮蔑的であり、従来の米政治の言説空間ではタブー視されてきたものである。しかしトランプ支持者にとっては、その過激さこそが魅力であった。彼らは**「リベラルな忖度や多文化配慮をかなぐり捨て、本音を言ってくれる指導者」としてトランプを支持したのである 。トランプのレトリックには常に明確な「敵」が存在し、それは多くの場合、「善良な普通のアメリカ人」を抑圧・攻撃している者たちであった。移民や左派活動家、マスコミ、ワシントンの政治家——これらがすべて「君たちの生活を脅かす悪者」であり、「自分がそいつらと戦ってやる」という物語が、ツイッターでの一挙手一投足や集会での罵詈雑言を通じて支持者に刷り込まれた。先述のシュミット理論になぞらえれば、トランプは政治を徹底した「友敵論理」に変換**し、友(MAGAを支持する人民)と敵(それ以外の者)との間に和解不能な対立を設定したのである 。この論理は極端ではあるが一貫しており、2020年大統領選で彼が敗北した際、「敵(民主党陣営)が不正を働いたから我々(人民)は勝利を奪われた」という虚構の物語へと即座に展開された。その帰結が2021年1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件であり、敗北を認めず「人民の敵に勝利を盗まれた」と信じた群衆が暴力行動に及ぶまでに至った  。この事件は、ポピュリストリーダーの敵対的言説が民主主義のルールよりも支持者の忠誠心を優先させ、制度そのものを危機に陥れ得ることを象徴したと言える。
最後にカリスマ性と直接動員であるが、トランプほど現代的な手法で大衆を動員した指導者も珍しい。まず彼はテレビリアリティ番組のスターとして全国的知名度を得ており、「名誉と富を築いた成功者」というカリスマイメージを確立していた。演説や討論会では歯に衣着せぬ物言いと芝居がかったジェスチャーで聴衆を惹きつけ、その話芸はメディアから「ショーマン」と呼ばれたほどだった。支持者集会では、トランプはサプライズ登場や聴衆とのコール応酬など、プロレスやコンサートさながらの演出で熱狂を生み出した。これは古典的なカリスマ扇動とも言えるが、トランプはさらにSNS時代のテクノロジーを駆使して直接動員を加速させた点が画期的である。彼は日々ツイッター(当時)を用いて数千万のフォロワーにメッセージを発信し、主要メディアを経由せずに支持者と直接つながった最初の米大統領となった。SNS上ではトランプ発言が瞬時に拡散され、支持者たちはオンラインコミュニティ(例えばRedditのr/The_Donaldフォーラム等)でトランプに関するミームや情報を共有し、草の根の宣伝部隊として機能した。2016年の米大統領選挙は「ポスト真実時代」の幕開けとも称され、ソーシャルメディアが陰謀論やフェイクニュースを蔓延させ、極右の過激主義を加速させたと指摘されている 。トランプ陣営はFacebook上での綿密なターゲティング広告や、ケンブリッジ・アナリティカによる個人データ解析などデジタル戦略を駆使し、有権者の不満と恐怖を精密に刺激するキャンペーンを展開したことが明らかになっている。特にクリントン候補をめぐる虚偽情報(いわゆるピザゲート等)はSNSで爆発的に拡散され、トランプ支持層の結束を強めるのに一役買った 。このように、トランプはカリスマ的扇動とデジタル媒体を融合させ、従来の政治コミュニケーションを一変させた。彼の手法は他国のポピュリストにも模倣され、SNS時代のポピュリズムのモデルとなっている。
以上より、トランプの政治スタイルは**「権威主義的ポピュリズム」**と評される 。彼自身「自分だけが国民の真の代表」という信念を持ち(ミュラーの言うポピュリズムの中核要素) 、敵対者への排除と侮蔑を辞さず、熱狂的支持者の直接動員によって権力を維持しようとするさまは、一部の学者から「現代的なプレ・ファシズム」とまで評価された  。もっとも、彼の支持者はそれを「政治のエンターテインメント化」「偽善なき本音政治」と捉え、既存の権威を笑い飛ばす痛快さとして享受しているとの指摘もある 。いずれにせよ、トランプ現象はポピュリズムの典型要素を極限まで体現したケーススタディと言え、これは日本のケースとの比較検討に重要な示唆を与える。
3. 民主主義制度との相互作用:制度強化か制度破壊か
ポピュリズムは民主主義に内在する要素とも言われる一方、その勃興はしばしば民主主義制度への挑戦・脅威と見なされる。本節では、参政党・れいわ新選組およびトランプ現象がそれぞれ自国の民主主義制度とどのように相互作用しているかを考察する。すなわち、彼らの台頭が制度を改善・革新する方向に働いているのか、それとも制度的安定を揺るがし破壊する方向に向かっているのかを検討する。
日本:ポピュリズムと日本の制度的文脈
日本の議会制民主主義は、戦後長らく一党優位(自民党支配)の下で安定してきたが、近年は有権者の政党離れが進み政党システムの流動化が起きている。この中で、参政党・れいわ新選組といった新興ポピュリスト勢力の影響は限定的ながら現れ始めている。
ポジティブな側面として指摘できるのは、彼らが既存制度の問題点を浮き彫りにし、従来政治に緊張感をもたらしている点である。例えば、れいわ新選組が2019年に重度障害者の国会議員2名を送り込んだことは、国会のバリアフリー化や弱者の政治参加という課題にスポットライトを当てる契機となった。これを受けて国会では議場のスロープ設置や発言補助の制度が整備され、参議院が「多様な声を代表し得る場」として一歩前進したとの評価もある 。また、参政党やれいわが主張する政策(積極財政による経済再生、食料自給や国土保全の強化など)は、一部は既存政党にも影響を与え始めている。実際、2020年代に入り自民党内からも財政拡張論が勢いを増し、積極財政派閣僚の登用や防衛費増額などが行われた背景には、れいわ新選組などが提起した「財政タブーへの疑問」が間接的に作用したとも指摘される。また参政党が強調した教育政策(歴史観の見直し等)は、保守系議員の政策提言に反映される形で議論の俎上に載ったケースもある。これらはポピュリズムが民主主義を自己革新させる「導火線」となり得ることを示唆する  。すなわち、従来の政党政治では拾い上げられなかった民意の断片を、ポピュリスト勢力が代弁することで、既存制度がそれに対応せざるを得なくなり、結果的に制度が包摂的になる面があるということである。
しかしながら、現時点でより顕著なのはネガティブな影響、すなわち制度的安定への揺さぶりである。2025年の日本の政治状況を見ると、ポピュリズム政党の躍進に既存政党が動揺し、党派システムの分裂・断片化が進んでいる。2025年7月の参院選では、自民・公明・立憲・共産といった伝統的既成政党が軒並み議席を減らし、代わって国民民主党や参政党などポピュリスト的政党が比例区・選挙区で躍進した 。朝日新聞の政治学者による分析は「今回の参院選でのポピュリスト政党の躍進は、これまでの政党政治のあり方を一変させるインパクトを持つ」と評価している 。実際6年前(2019年)には、ポピュリスト的新党として国政で議席を持っていたのはれいわ新選組とNHK党程度で合計3議席に留まっていたが、2025年には複数の新興勢力が台頭しその議席数が大幅に増加した 。自民党一強体制が崩れ、かといって強固な野党勢力があるわけでもなく、支持政党なき大量の浮動票が新興勢力に流入する構図が定着しつつある。この状況について、前出の政治学者は「伝統的既成政党の収縮は、与野党の枠を超えて国民統合のガバナンスの危機をもたらす」と警鐘を鳴らす 。つまり、従来は自民党対社会党/民主党といった二極対立で機能してきた国民統合メカニズムが、ポピュリズム政党の乱立によって崩れ、政治が細分化された怒りの集票争いに陥っているという指摘である 。
この指摘は、日本政治におけるポピュリズムの二面性をよく表している。ポピュリズム政党は確かに新たな有権者の声を代弁したが、それが従来の政党システムの枠組み(政府vs野党という秩序)を揺さぶり、統治の安定性を低下させている面は否めない 。有権者の支持先が細分化・流動化することで、選挙ごとにサプライズが起き、政策の連続性や責任の所在が不明瞭になるリスクがある。実際、2025年参院選で与党自民党は大敗を喫し、石破茂首相(仮に就任していたとすれば)が続投困難になるなど、政権運営は不安定化している  。統治能力の低下は国民統合の危機を招きかねず、その意味でポピュリズムの台頭は制度破壊的な要素を持つ。
さらに制度的相互作用として興味深いのは、日本における二院制や選挙制度の役割である。例えば、参議院がポピュリズムの「防波堤」になるか否かという議論がある 。欧州などでは比例代表制の下で急進政党が躍進しやすいが、日本では衆議院小選挙区制の下で新党が伸び悩む一方、比例代表を含む参議院や地方議会で議席を獲得するケースが多い。れいわ新選組も参院比例で議席を得て政党要件を満たしたし、参政党も2022年参院選の比例で初議席を獲得した 。つまり参議院比例区という制度が新興勢力の足掛かりとなっている。他方、参議院は衆議院と異なり解散がなく任期も長いため、一度議席を得た新党が一定期間政治的影響力を保持しやすい(NHK党なども典型)。これを「既存体制に対する安全弁」と評価する見方もあれば、逆に「政策実行のブレーキになり得る」と懸念する見方もある 。実際、2020年代の国会では少数議席しかないポピュリズム政党がしばしば注目を集め、審議で異彩を放つ場面が見られた。国会質問で参政党議員がワクチン陰謀論を主張し物議を醸すなど、議会制民主主義の場が扇動のプラットフォームになるリスクも指摘されている 。しかし同時に、そうした急進的意見も議会で表明されることで公開討論の俎上に載り、社会全体で議論される契機にもなる。これを民主主義の活性化と捉えるか、混乱の種と捉えるかで評価は分かれよう。
総じて、日本ではポピュリズム勢力の影響はまだ間接的・限定的ではあるが、既存の制度に揺さぶりをかけつつある。政治学者の境家史郎は、「ポピュリズム政党は怒り(不満)のフローを即時に消費するため、国民の要求を蓄積して将来に活かすという伝統的政党の機能を果たさない」と述べる  。これは、短期的に迎合的な政策で人気取りをするポピュリズム政党が多いことを示唆している。その結果、有権者の欲求不満は根本解決されず、政治不信はかえって固定化・増幅する恐れがある。日本でも、参政党やれいわに流れた支持が恒常的な政治参与に結びつかず、一過性のムーブメントに終われば、残るのは既成政党へのさらなる幻滅だけかもしれない。このように、日本の民主主義制度はポピュリズムとの相互作用において模索の途上にある。制度を刷新しつつ包摂していくのか、制度の枠外からの挑戦を許容できず混乱するのか、その行方はまだ定まっていない。
米国:民主主義の危機と抵抗
米国では、トランプ政権とその後の動きが民主主義制度に対する大きな試練となった。トランプ現象がもたらした制度的影響は、日本以上に劇的かつ深刻である。
第一に、トランプ在任中に顕在化したのが民主的チェック・アンド・バランスの危機である。彼は大統領権限を最大限に拡大解釈し、議会による監視や司法の独立を公然と軽んじた。自分に忠実な司法長官に捜査を揉み消させようとしたり、議会の公聴会召喚に政府高官が応じないよう指示したりするなど、通常なら憲法的に問題となる行為が相次いだ。また、報道機関に対する攻撃は国民の知る権利という民主主義の基盤を揺るがせた 。アーレントが指摘したように、**「事実と虚構、真実と嘘の区別がもはや存在しない人々」**が大量に生み出されると民主政治は成り立たない 。トランプ政権期、ホワイトハウスが公然と偽情報を発信し続けたことで、米国社会には真偽の基準が揺らぐ現象が生じた 。その結果、政権に批判的な報道は一切信用しない層と、政権の言うことこそ信用しない層に社会が二極分解し、公共の事実認識の共有基盤が崩壊しかけた。
しかし、トランプ時代は同時にアメリカ民主主義の防衛力も示した。彼が意図した数々の越権行為は、裁判所や野党の抵抗によって最終的に阻止されたケースが多い。例えば2017年のイスラム圏渡航禁止令は連邦裁判所が違憲として差し止め、2020年大統領選後の不正主張も各州の選挙管理当局や裁判所が退けた。連邦制や三権分立といった米国の制度は、トランプの圧力に一定程度耐久性を示し、「民主主義の防波堤」として機能した 。1月6日の議会襲撃に際しても、議会は避難後に即座に再招集され選挙結果を確定させ、軍や州兵の介入で混乱は収拾された。結果としてトランプは2021年1月に退陣し、権力の平和的移行は何とか維持されたのである。ヤン=ヴェルナー・ミュラーらは**「ポピュリズムは政権に就くと必然的に権威主義化する傾向がある」が、「米国の制度はギリギリそれを踏みとどまらせた」**と評価する  。実際、トランプの言動はリベラルな民主主義規範(少数派の権利尊重や法の支配)に反するものが多かったが、制度が完全にはそれを許容せず、2020年の国民投票(選挙)で彼にノーを突き付けることができた点は、民主制度の自己防衛機能といえる。
だが、トランプ退陣後も米民主主義に残る傷痕は深い。2020年選挙結果の受容をめぐり共和党支持者の多くが「不正選挙」陰謀論を信じており、各州で選挙制度をめぐる法廷闘争や選挙管理当局者への脅迫が起きる事態になっている。つまり、民主主義の根幹である選挙の信頼性が一部で失われてしまった。この風潮は今なお続いており、2024年選挙でも再び結果確定が円滑に進む保証はない。言わば、トランプという個人は去っても**「トランピズム」と呼ばれる現象(ポピュリスト的政治文化)は共和党や保守世論の中に残留し、制度に対する不信と挑戦が常態化しているのである  。特に各州の議会では選挙管理権限を議会多数党(多くは共和党)に移そうとする法改正が相次ぎ、選挙結果を恣意的に操作できる余地を残す危険が指摘されている。これらは制度の中からの民主主義破壊**につながりかねず、専門家は警戒を強めている  。
また、トランプ現象はアメリカ社会の分断を極度に深めた。民主党支持者と共和党支持者はお互いを「民主主義の敵」とみなす傾向すら出ており、政治的暴力のリスクも増大したとされる。学術的には、これは**「民主主義の脱融合(disintegration)」とも呼ぶべき事態で、共有されるルールや価値観が消失した状態に近い。アレントは全体主義の台頭を「孤独な大衆の出現」と結びつけたが、米国でもトランプ支持/反トランプ支持のそれぞれがエコーチェンバー化(閉じた情報空間化)**し、相互に交わらない孤立した集団となっている  。その意味で、米国の民主主義制度はトランプによって一度「Stress Test(耐久テスト)」に晒され、かろうじて崩壊は免れたものの、大きな歪みと不信を抱え込む結果となった。
では、トランプ的ポピュリズムに制度が順応・改善する余地はあるのだろうか。一部論者は、共和・民主両党がそれぞれポピュリスト的要求を取り入れて内部改革を進めれば、過激なアウトサイダーに頼らずとも大衆の不満に応えられると主張する。しかし現状を見る限り、共和党は逆にトランプ路線に傾斜しており、民主党もバイデン現大統領が穏健派として「ポピュリズムとの和解」を模索したものの、なお社会の亀裂は埋まっていない  。2024年の大統領選でトランプが再び主要候補となり得た事実(実際、2025年には彼が復権して世界を翻弄している) は、制度側がポピュリズムに打ち克つどころか再び取り込まれてしまう可能性を示唆する。トランプは**「Project 2025」**なる計画で次期政権では官僚制の大掃除や法律の恣意的運用拡大を目論んでいると報道されており、権力集中による統治を強化する構えである  。これは民主制度にとってさらなる試練となるだろう。
以上を踏まえると、米国の場合、ポピュリズムの制度への影響は日本より直接的かつ深刻で、「民主主義の危機管理」として実感されている。アメリカの民主制度は強靭さを見せつつも、その内部から浸食される脆弱さも露呈したと言える。シュミット的な語法を借りれば、「人民の意思(と称するもの)」が憲法秩序を凌駕しようとする局面が実際に起きたのがトランプ時代であり、それをどこまで許容しどこで線を引くかというせめぎ合いが繰り広げられたわけである 。この点、日本ではまだそこまで明白な制度危機には至っていないが、米国の例はポピュリズムが制度を破壊し得る潜在力を如実に示しており、日本にとって対岸の火事ではないだろう。
4. SNS・インターネットメディアの利用と動員手法
ポピュリズム運動の現代的特徴として、SNSやインターネット媒体を駆使した新たな大衆動員が挙げられる。日本の参政党・れいわ新選組、米国のトランプ現象いずれも、デジタルメディアを活用することで既存メディアの影響圏外で支持を広げた点で共通する。ここでは、その具体的手法と影響を比較する。
日本:ネット発信と「草の根×オンライン」の融合
参政党はインターネット戦略を運動の中核に据えてきた政党である。党是の一つに「情報戦に勝つこと」を掲げ、既存マスメディアに頼らない独自の情報発信網を築いている。具体的には、党公式サイトやYouTubeチャンネルで政策や演説動画を発信し、党員・支持者がSNSで自主的にそれらを拡散する形で知名度を上げた。参政党のSNS分析によれば、2022年参院選当時、政党公式アカウントの影響力(SNS上のエンゲージメント)は全政党中5位に入っていたという 。特にYouTubeではチャンネル登録者数が他党より多く、TikTokなど新興プラットフォームでも短尺動画が拡散される現象が見られた 。2022年4月以降、街頭演説の切り抜き動画を支持者が次々投稿する動きが広がり、テレビが報じないような**「タブーに切り込む演説」**がネット空間でバイラルになったと報告されている 。神谷代表自身も「テレビで言わないタブーを街頭でたくさん話したら、ネットで拡散された」と語っており 、炎上も辞さない過激な内容をあえてネット向けに提供していた節がある。
参政党のネット活用の巧みさは、トップダウンとボトムアップの組み合わせにある。党本部がプロモーション動画を制作したり、有料オンラインサロンを運営して支持者を囲い込んだりする一方、一般の党員・ファンが自発的にブログやSNSで党を宣伝し口コミを広げていく。この「中央集権なき拡散力」は、一種のウイルス的マーケティングであり、組織力の弱い新党が短期間で全国知名度を得る原動力となった 。特に若年層へのリーチでテレビよりSNSが有効なことは周知の事実であり、実際に参政党は20〜30代からの支持率が高かった 。また2023年の統一地方選では候補予定者が自らYouTubeで活動報告し、支援者がネット募金でそれを支えるといった新しい選挙運動スタイルが各地で見られた。これらは公職選挙法上グレーな部分もあるが、参政党はその辺りも巧妙に突き、**「既存政党が真似できない機動力」**を発揮したと評される  。
れいわ新選組もインターネットを巧みに利用したが、その形態は参政党とは少し異なる。れいわの場合、山本太郎氏自身が強い発信力を持つインフルエンサーであった。彼はTwitterやYouTubeで積極的に情報発信し、街頭演説の日程や内容をリアルタイムで共有することで支持者との直接的な結びつきを維持した。2019年の参院選では寄付金集めにクラウドファンディングを活用し、公示日までに2億3000万円以上を集めて大きな話題となった 。これは多くの一般有権者を巻き込んだオンラインキャンペーンの成功例であり、既存政党では考えられない資金調達モデルであった。また、れいわは当初「ネット政党」を自称し、党員・ボランティア向け情報もウェブ中心で展開した。選挙時にはネット上でボランティアを募り、ポスター貼りから選挙カー手配まで有志が奔走するスタイルで、「手作り選挙」の様相を呈した。これらは一昔前なら共産党などが担っていた草の根選挙の機能を、無党派市民がネットで組織化されて担ったものであり、新しい社会運動型選挙とも評価された。
情報発信の内容面を見ると、れいわは参政党ほど陰謀論色は強くないものの、シンプルなメッセージ拡散に腐心した点は共通する。消費税ゼロや10万円給付といった明快なスローガンは、SNS上でハッシュタグ運動を生み、多くのユーザーが「#消費税廃止」「#れいわ新選組」を付けて投稿する現象が見られた。従来、左派政党の主張は複雑で一般に伝わりにくいと言われたが、れいわはSNS時代に合わせて一言で共有しやすいワードを用意し、支持層拡大に成功した 。もっとも、その後支持が伸び悩んだのは、ネット空間での一時的ブームを現実の継続的支持につなげる難しさも示している。ダイヤモンド誌の指摘によれば、山本太郎の左派ポピュリズム旋風は2019年に吹いたものの、それは嵐には至らず微風のまま収束し、既存野党の壁に阻まれたという 。ネット上の熱狂と現実政治の力学にはギャップがあり、SNSで100万人のフォロワーがいても実際の選挙で100万票得られるわけではない(れいわの得票はそれに遠く及ばなかった)。このことは、ネット動員の威力と限界の両方を物語っている。
一方で、SNS時代の負の側面として、日本でもフェイクニュースや陰謀論の拡散が問題化している。参政党支持者の一部にはワクチン陰謀論や反5Gなど科学的根拠に乏しい情報を信奉する者もおり、SNS上でそれらが拡散されることで社会的混乱を招くリスクが指摘される 。新型コロナ禍では「マスク無意味論」等を巡り参政党関係者が発信を繰り返し、専門家から強い批判を受けた。また、SNSにおける極端な言論は支持者と他の市民との溝を広げる効果もある。れいわに関しても、一部支持者が他の野党支持層やメディアに攻撃的言辞を浴びせ、ネット上で「他者排除」のムードを醸したとの指摘がある。つまり、SNSはポピュリズム運動に不可欠なツールとなる一方、その**エコーチャンバー化(同質の者同士で閉じる現象)**によって社会の分断を深めかねないという課題が浮上している。この点、日本は言論空間が欧米ほど二極化していないとの見方もあるが、選挙のたびにネット上でフェイク情報や中傷が飛び交う状況はエスカレートしつつあり、無視できない問題となっている  。
アメリカ:メディア環境の変容とポピュリスト動員
アメリカにおけるトランプとSNS・インターネットの関係は、ポピュリズム研究の中でも特筆すべきテーマである。トランプはTwitterを駆使して選挙戦に勝利し、大統領任期中もSNSを政策発表や支持基盤維持の主要手段とした初の指導者だった。彼の成功以降、SNSは政治動員の主戦場となり、既存メディア(テレビ・新聞)の影響力は相対的に低下したとすら言われる。
トランプ陣営の2016年選挙戦略は、Facebook上でのミクロターゲティング広告(有権者の属性に合わせてカスタムメッセージを送る)とTwitter上での世論アジェンダ掌握にあった。前者では、リベラル派候補に否定的な層へネガティブ情報を重点的に送り投票意欲を削ぐ一方、保守層には移民犯罪など恐怖心を煽る広告で投票動機を高めた 。後者では、トランプ自身が挑発的ツイートでメディア報道を引き寄せ、常に話題の中心に居続けることで空間を支配した。結果、2016年大統領選では主要テレビが連日トランプ発言をトップで報じ、彼は広告費をそれほどかけずとも莫大な「earned media(報道露出)」を得ることに成功した。Twitterはトランプにとって既存権威への直接対決ツールでもあった。オバマ以前の大統領が記者会見や声明で発信したのに対し、トランプは閣僚すらツイートで解任通告し、外交政策もツイート一つで覆すような独断専行を見せた。これにより、行政手続きや専門家の助言を経ない**「直接統治」の様相が強まり、制度的予測可能性は低下した。Twitter社は言論の自由と有害情報拡散の狭間で対応を迫られた末、ついに2021年1月にトランプのアカウントを凍結した(これは民主国家の元首に対する前例なき措置だった)。トランプ追放後、彼の支持者らは代替プラットフォーム(パーラーやTruh Social**など)に移行してコミュニティを維持している。
トランプ時代にSNSと並んで重要だったのがYouTubeやネット論壇の存在だ。極右的陰謀論「Qアノン」は匿名掲示板4chan等で生まれ、YouTube動画やFacebookグループを通じて中高年層にも浸透した。Qアノンは、トランプが闇の悪魔的エリート(小児性愛者集団)と戦う救世主であると信じる壮大な陰謀物語だが、2020年時点で米成人の半数近くがその片鱗を耳にし、共和党支持者の多くが完全否定しなかったとの調査もある。トランプ自身、Qアノン支持者を明確に否定せず「彼らはアメリカを愛している」と述べたこともあり、陰謀論勢力を暗に取り込んでいた  。こうした現象は、ネット上の過激思想が現実政治に影響力を持ったケースとして注目された。陰謀論以外でも、オンライン募金の仕組み(小口献金サイトのActBlueやWinRed)は草の根資金集めを容易にし、トランプ陣営は熱心な支持者から繰り返し小額献金を引き出す手法で巨額の選挙資金を集めた。これもSNSやメールによるダイレクトな呼びかけが奏功した例である。
アメリカのメディア環境全体を見れば、ポピュリズムの勃興と**「メディアの信頼失墜」は表裏一体だったといえる。前述の通り、トランプはメディアを「人民の敵」と呼び、その結果彼の支持者の間ではCNNやNYタイムズといった主要報道への信頼度が極端に低下した。一方でFOXニュースやブライトバート・ニュースなど保守系メディアが台頭し、そこではトランプ寄りの偏向報道がなされた。SNS上でも保守層は自分たちの好む情報源(例えばYouTubeの保守系チャンネル、Facebookのトランプ支持グループ)のみを見る傾向が強まり、リベラル層も同様にMSNBC等リベラル系に閉じるようになった。こうして情報の二極化**が進み、国民の現実認識が分断されていった  。このことは前節で述べた民主主義の基盤崩壊(共通の事実の喪失)につながるものであり、SNSとネットニュースが引き金を引いたのは間違いない。
もっとも、ネット時代のポピュリズムにはプラスの可能性も指摘される。SNSがあることで、従来可視化されなかった不満が噴出するようになり、それに政治が敏感に反応するようになったという点だ。例えばBLM(Black Lives Matter)のような進歩派の運動もSNS発で巨大化し、これがバイデン政権の人種平等政策に影響を及ぼしたように、ポピュリズム的要求に応じて制度が変化する好循環もあり得る。トランプの右派ポピュリズムと対照的に、サンダースやAOC(オカシオ=コルテス下院議員)ら左派ポピュリストもSNSで若者支持を得て、民主党内の政策議論を大きく動かした  。このように、ネットは両極のポピュリズムを助長しているが、それらが既存政治に刺激を与えた結果、例えば最低賃金引き上げや学生ローン救済など進歩的改革が進む一面もある。要はメディア環境変化の功罪両面があるということで、米国の場合、その波を真正面から被ったのがトランプ時代であった。
以上、SNS・インターネットメディアとポピュリズムの関係を日本と米国で見てきた。総じて、ネットはポピュリズム拡大の強力な触媒となっているが、その社会的影響は、日本では既存の政治不信を加速しつつ既成政党への挑戦を補助する段階にあり、米国では既存制度・社会の亀裂そのものを拡大・固定化させる段階に至っていると言える。これはポピュリズム現象の深刻度が米国の方が高いこととも対応している。日本でも今後ネット発ポピュリズムがさらなる力を持てば、米国のような情報空間の断裂に直面する可能性があるだろう。
5. 選挙での成果と制度への影響:政党政治・立法・社会分断
本節では、これまで述べてきたポピュリズム勢力が実際の選挙でどのような成果(勝利または影響)を上げてきたか、そしてそのことが政治制度や社会にどんな影響を及ぼしたかを整理する。
日本:新興勢力の選挙上の成果とその余波
参政党とれいわ新選組の選挙上の成果は、**「善戦するも劇的突破には至らず」**というのが現時点での総括である。ただし、その存在感は無視できない規模となっており、日本の政党政治にじわじわと変化を及ぼしている。
れいわ新選組は結党初年度の2019年参議院選挙で2議席(比例区)を獲得し、既成政党以外からの国政進出という快挙を成し遂げた  。これは1994年政治改革以降、比例2%以上得票で政党要件取得し議席を得た初のケース(同日にNHK党も同様だったが、結党時点で国会議員ゼロからの政党はれいわのみ)であった  。しかしその後の衆議院選(2021年)では、山本太郎氏自身が東京8区補選に出馬するも落選し、比例復活すらできなかった(結果、れいわの衆院議席は僅か3議席に留まる) 。2022年参院選では比例で約6.6%の票を得て2議席を守ったが、選挙区では全敗した。2025年参院選では比例票を更に増やし3議席を獲得したものの、目標の7議席(選挙区含む)は及ばず 。一方参政党は、2022年参院選比例で約177万票(得票率3.3%)を獲得し神谷氏が当選、1議席を得た 。その後2024年の衆院選(※想定)では比例代表で約187万票(3.4%)に伸ばし、3議席を獲得している 。さらに2025年参院選では大きく躍進し、選挙区・比例合わせて複数議席(報道では14議席とされる)を獲得する勢いを示した  。国民民主党や日本維新の会といった既成政党も含めれば、新興勢力が参議院の相当数を占める状況が生まれている 。これらの数字から言えるのは、ポピュリスト政党が着実に支持を積み増している傾向である。特に参政党は2022年参院選→2024年衆院選→2025年参院選と毎回得票数を伸ばしており、一過性ブームにとどまっていない 。出口調査でも、参政党は自民支持層の2%程度を浸食し、日本保守党(別の右派新党)と併せ右派票を食っているが、欧州の右派ポピュリズムほど大規模な支持拡大には至っていないとも分析されている  。
このような選挙上の成果は、日本の政党政治と政策過程に少なからぬ影響を与えている。まず政党政治に関して言えば、既存政党の再編圧力が高まった。例えば自民党は保守層流出に危機感を抱き、一部の議員が参政党との協力や合流を模索する動きも取り沙汰された。野党側でも、立憲民主党は左派ポピュリズム票をれいわに奪われまいと、積極財政やベーシックインカム的政策に言及し始めるなど、公約を修正する気配が見られる。また共産党はれいわ台頭で支持者が重複する部分があり(実際、2022年参院選では共産かられいわに票が一定流出したと分析される )、将来的な野党共闘における主導権争いが複雑化している。すなわち、ポピュリズム新党の存在によって、既存政党間の力学が変わり始めているのである。もっとも現状では、自民党の強固な組織票(特に高齢層)や公明党との連立に大きな動きはなく、政権交代の現実性が高まったわけではない。ただ、政権側内部ではタカ派・積極財政派など**「小さなポピュリスト」**的政治家の発言力が増したとも言われる(例えば高市早苗氏や西村大臣らの姿勢)。これらは参政党やれいわが掘り起こした論点を吸収する形での変化であり、政党政治に新たな軸が加わったとも評価できる。
政策・立法面では、参政党・れいわ自身が法案提出権を持つようになり、例えばれいわは消費税廃止法案を国会に提出するなど象徴的行動を取った(当然否決されたが、議題化には成功した)。また国会審議で参政党議員がワクチン副反応の問題を執拗に質問し、厚労省に専門部署を設置させる一因となったとの指摘もある。このように、小政党ではあっても議席を持てば議題設定権を得られるため、ポピュリズム的争点が公的議論に上る頻度が増えたことは制度への影響と言える。逆に懸念材料として、先述のように陰謀論的・科学否定的な主張が議事録に残ることで、政治全体の信頼を損ねるという批判もある。実際、2022年の参院予算委員会で参政党議員が「国際金融資本が云々」といった質問を行った際、SNS上では賛同と同時に失笑や怒りの声も噴出し、国会が一種の茶番に見えるとのコメントもあった。このような立法府の権威低下は長期的に見て民主主義にマイナスであろう。
社会への影響(社会分断など)については、現状日本では米国ほど深刻ではないにせよ、その兆しはある。たとえばワクチン政策や移民政策を巡り、参政党支持者と他の市民との間でSNS上の論争が過熱し、罵倒の応酬となる例が見られた。また2023年のLGBT理解増進法審議では、参政党が「LGBT法は日本の伝統を壊す陰謀」と反対運動に乗り出し、これに呼応した保守系住民団体がデモを行うなど、社会的対立を煽る役割を果たしたとの指摘がある  。幸い日本社会は全般に政治への関心が低く、ポピュリズム政党を巡って家族や地域が敵味方に分裂するという事態には至っていない。しかし、今後これら政党がさらに勢力を伸ばせば、米国ほど露骨ではなくとも社会的亀裂が生じる可能性は否定できない。特に参政党支持が相対的に高い地方圏では、地域メディアにまで陰謀論的論調が浸透するなどの変化が報告されており(たとえば地方FM局で極右団体関係者がレギュラー出演する等)、地元住民間で事実認識が異なる現象も出ているという。
以上を踏まえ、日本のポピュリズム勢力の選挙成果は現時点では政権掌握には程遠いが、既存政治への影響力(議題設定力・攪乱力)は無視できないレベルに達したと言えよう。政党支持率の調査でも、参政党はNHKや日経の調査で一時3〜7%に達し、立憲民主・維新に次ぐ野党第3位規模に浮上した 。野党第二極として存在感を増す国民民主党(保守中道)も若年層で人気がありポピュリズム的要素を帯びていることから、これらを合算すれば野党支持の相当部分が伝統的イデオロギー軸ではない新勢力に向かっている。 。これは先述の政党システム変容を裏付けるもので、日本政治が今後しばらく不安定な局面を迎える可能性を示している。
アメリカ:トランプの勝利・敗北とその影響
米国では、ドナルド・トランプが2016年大統領選挙で歴史的番狂わせの勝利を収めたこと自体が、ポピュリズムの選挙成果として特筆される。二大政党制が盤石と思われた米国で、主要政党の公認候補としてではあるが反体制ポピュリストが大統領職を射止めた衝撃は大きく、世界に与えたインパクトも計り知れなかった 。トランプは2020年の再選には敗れたものの(一般投票数では前回を上回る7400万票を獲得した)、2024年選挙においても主要候補として復権の可能性を現実にした 。2024年大統領選で仮にトランプが勝利しなかったとしても、トランプ主義を掲げる候補(例:ロン・デサンティス)や下院議員らが今後も共和党を主導する見通しであり、ポピュリズムの影響は長期化し得る。
トランプの勝利が米国政治制度にもたらした変化として、政治のパーソナリティ化と政党の路線転換が挙げられる。トランプは共和党を事実上乗っ取る形で党の路線を大きく変えた。伝統的に共和党は小さな政府・財政均衡・自由貿易を唱えていたが、トランプは財政赤字を拡大し保護主義を取り、反グローバリズム政党へとシフトさせた  。また外交でも従来の国際協調路線を翻し「アメリカ第一」を全面に出した。この結果、共和党はエスタブリッシュメント系の長老議員が引退・追放され、トランプに忠実な人物が要職を占めるようになった。これは一政党内の出来事ではあるが、二大政党制の一翼がポピュリスト政党化した意味は大きく、米国政治全体の議論がポピュリズム的土俵に引きずられた。民主党側も、それに対抗するためサンダースら左派ポピュリズムの要素を取り込み、結果として両党が従来よりイデオロギー色を濃くした。中道同士の妥協による政策づくりが難しくなり、議会の党派対立は一層先鋭化した。これは立法停滞(政府機関閉鎖の頻発など)にも直結し、民主政治のガバナンス効率を悪化させた。
さらに、トランプの2016年勝利と2020年健闘は、世界の民主主義国に連鎖反応をもたらしたと考えられる。欧州では2010年代後半に右派ポピュリズム政党が相次ぎ政権入りし(イタリア、オーストリアなど)、南米やアジアでも強権的ポピュリスト(ブラジルのボルソナロ、フィリピンのドゥテルテ等)が登場した。これらはトランプの成功に刺激を受けた部分が大きいとされ、「民主主義の逆流(democratic backsliding)」現象として各国で議論された 。つまりトランプの選挙成果は米国国内に留まらず、グローバルな民主主義秩序への挑戦を促した点で、地政学的な影響も持ったといえる。
社会への影響は前述したように深刻な分断である。トランプ政権期から現在にかけ、アメリカ社会は政治的敵対意識が極限まで高まり、家族内対立やコミュニティ内分裂も起きている。感情的憎悪のみならず、政治暴力も現実化した(2022年にはトランプ支持者が民主党下院議長の自宅に押し入り配偶者を襲撃する事件が起きている)。FBIや選挙管理者に対する襲撃計画も摘発されるなど、暴力と政治が結びつく危険な局面となっている。これらはトランプの言動が引き金となったケースが多く、大統領経験者が自国の制度関係者を「犯罪者」と罵倒し支持者に暗に制裁を唆すような事態は、米国史上かつてなかった。こうした社会的コストは計り知れず、民主主義の倫理や相互敬意といった土台が崩れていく過程と言えよう。レヴィツキー&ジブラット『民主主義の死に方』では、民主主義崩壊の前兆として「相手党を合法的な競争相手ではなく国家の敵と見なす」現象を挙げている 。現在の米国はまさにその段階にあり、この分断克服は並大抵の努力では済まない。
以上のように、米国ではポピュリズム(トランプ)による選挙成果が制度のルールを変え、政党の性質を変え、社会の空気を変えてしまった。2020年の彼の敗北は一時的に体制側の巻き返しを感じさせたが、2024年に彼が復権したことで再び民主主義の行方は不透明になっている 。最悪のシナリオとして、次回以降の選挙で制度を悪用してでも政権に居座る動きがあれば、米民主主義は「competitive authoritarianism(競争的権威主義)」と呼ばれる状態に転落しかねない 。現在、欧州から米国を除いた新たな民主主義連携の必要性まで議論され始めた 。それほどまでに、トランプのもたらしたインパクトは「民主主義の危機」と認識されているのである。
6. 学術理論との照合:ポピュリズム論と民主主義
最後に、ここまでの分析を踏まえつつ学術的視点から考察を深める。ポピュリズムは理論的にも多角的に研究されており、以下では代表的な論者・理論(カス・ムッデ、エルネスト・ラクラウ、カール・シュミット、ハンナ・アーレント)との照合を試みる。
カス・ムッデ(Cas Mudde):前述のとおり、ムッデはポピュリズムを**「薄い中心イデオロギー」として定義し、その核は「純粋な人民 vs 腐敗したエリート」の二項対立にあるとした 。この定義枠組みに照らすと、日本の参政党・れいわ、米国のトランプはいずれも典型的なポピュリストと認められる。参政党・れいわは方向性こそ異なるが、どちらも「人民の敵」であるエリートへの怒りを原動力にしている点は共通している  。トランプは人民=アメリカの普通の白人、エリート=ワシントン政治家やリベラル知識人という図式を示し  、支持者にもそれが明確に共有された。またムッデはポピュリズムを「付着しやすいシンドローム(症候群)」とも評し、他の思想(右派ナショナリズムや左派社会主義)に薄く重なり易いとする 。事実、参政党はナショナリズムに、れいわは反資本主義にそれぞれポピュリズムが付着しているし、トランプは人種主義や権威主義と結託している 。ムッデの理論はこれら現象をうまく説明しており、「薄いイデオロギー」ゆえにポピュリズムは多様な文脈で反復出現する**ことが理解できる。加えて、ムッデらの近年の議論ではポピュリズムの影響について肯定・否定両面が論じられる。ポピュリズムは一方で民主政治の緊張関係(liberalism vs democracy)を浮き彫りにし、主流政治に自己改革を迫る「刺激剤」となる 。日本で積極財政論が主流化したり、米国で両党がグラスルーツを重視するようになったりしたのは、その正の効果かもしれない。だが他方で、ポピュリズムはしばしば蔓延するにつれて民主主義を毒し得る「シンドローム」となるとも警告される 。今の米国が陥る陰謀論・不信感の連鎖は、その病理的側面を示唆するだろう。ムッデ理論を日本と米国に当てはめると、日本はまだ「薄いイデオロギー」が一定の枠内で機能し政治を補完している段階だが、米国は「シンドローム」が重症化しリベラル民主主義の根幹を蝕む局面にあると言えそうだ。
エルネスト・ラクラウ(Ernesto Laclau):ラクラウはポストマルクス主義の立場からポピュリズムを再評価し、「人民」という主体は社会の様々な要求を等価連鎖的に結合することで構築されると論じた。彼にとってポピュリズムはネガティブな現象ではなく、むしろ政治そのものの本質であり、ヘゲモニー構築の一形態である  。このラクラウ理論で日本と米国を見ると、まず**「等価連鎖」の構築が鍵となる。参政党は教育・食・国防と一見バラバラな政策領域の不満を、「グローバリズムへの反発」というキーワードで束ね、日本人のアイデンティティ回復という人民像を作り上げた  。れいわは反緊縮・反原発・福祉充実といった左派要求を、「反エリート」「生活底上げ」の旗印の下に繋ぎ合わせ、「庶民こそ国家の主人公」という人民像を提示した  。トランプは経済的不満と文化的不満(製造業の衰退への怒りと移民への恐怖)を「アメリカを取り戻す」というナショナルな物語で結合し、象徴としての「MAGA帽」を共有させることで人民=MAGA支持層を創出した 。これらは、ラクラウの言う「空虚な記号(empty signifier)」=「日本人」「国民」「アメリカ」という空疎だが強力な言葉によって異なる要求を一つにまとめ、人民を想像的に構築した例と解釈できる。ラクラウはまた、ポピュリズムは本来支配的秩序に対する下からの挑戦であり、従来政治に現れなかった主体(プレカリアートや地方の小農など)を歴史の表舞台に引き上げる可能性を見出した。実際、れいわ新選組は障害者や貧困層といった従来埋もれがちな人々の要求を前面に出し、参政党は農業者や中小企業者の声なき声を代弁した側面もある。トランプ支持層も、「忘れられたラストベルト労働者」を政治の主役に据えたという点では共通する。ラクラウ流に言えば、これは「抑圧されていた諸要求が連帯して主流秩序を揺さぶった」**ことになる  。一方、ラクラウは左派ポピュリズムに期待しつつも、右派ポピュリズムには批判的だった(後者は排外主義に陥りやすいと考えた)。現実には右派ポピュリズム(トランプや欧州各国)が台頭し、時に排外主義的傾向を強めた。これはラクラウの理論の限界とも指摘される。ただ、彼の弟子に当たるチャンタル・ムフらは「左派ポピュリズムによる民主革命」を唱えており、れいわ新選組などはまさに欧州左派ポピュリズム(ムフが関わったスペインのポデモス等)の影響を受けたとされる  。山本太郎氏自身も欧州左派ポピュリズムの理論に通じており、「自分は右でも左でもなく下からの政治」という表現で階級横断的な人民連帯を目指した 。これらはラクラウの思想の実践例ともいえ、日本の文脈で左派ポピュリズムがどこまで拡大できるかは興味深いテーマである。
カール・シュミット(Carl Schmitt):シュミットは民主主義を**「同質的国民による統一意志の表明」と捉え、自由主義的な手続き(議論や投票)よりも人民の直接的な喝采を重視した  。また「政治的なるもの」の本質を友と敵の峻別に置いた。彼の理論はポピュリズムとの関連でしばしば参照され、ミュラーは「現代のポピュリストのレトリックはシュミットの民主主義観と通底する」と指摘した 。実際、ポピュリストは多元社会を好まず人民の一体性を強調し、少数派の権利より多数の意志を優先させがちである。参政党の掲げる憲法草案では「国民の要件」として「日本を大切にする心を有すること」と規定して議論を呼んだが 、これはまさにシュミット的な「同質的国民」像を思わせる。秘密投票より広場での喝采が民主的とするシュミットの見解も、山本太郎氏が街頭の熱狂をもって政治的正統性を演出した姿に重なる 。トランプの大規模集会とそこでの熱狂も、シュミット的民主主義(喝采の民主政)の21世紀版と言えよう 。さらに、シュミットの「主権者とは例外状況に決定を下せる者」という概念は、トランプが非常事態宣言などを乱発して権限を集中しようとした姿に通底する。シュミットはワイマール共和政末期に国会を軽視し大統領緊急令統治を擁護したが、トランプも議会と対立して壁建設費を「国家非常事態」で捻出しようとしたことがあった。これらは民主主義制度を相対化して「政治的決断」を優先する姿勢であり、シュミット思想の危うさを体現したものである。シュミットはまたナチ党に一時協力し同質的民族国家を謳った過去があり、その批判者でもあるアーレントは彼を全体主義思想家とみなした。ポピュリズムの行き着く先として、シュミットの足跡(ナショナリズムや権威主義の正当化)を踏みかねない危険は常につきまとう。日本でも参政党が民族主義・排他主義色を強めれば、リベラルな法の支配や人権保障を軽視する議論が力を得るかもしれない。例えば彼らの改憲構想には「緊急事態に国民の権利を制限可能」との条項が含まれ、立憲主義の原則から逸脱していると批判される 。これはシュミットの主張した非常権力の拡大と軌を一にする。ゆえに、シュミット理論はポピュリズムの一部に内包された反自由主義的エートスを照らし出すものとして重要である。ミュラーが警告したように、ポピュリズムはしばしば排他的で多元主義を否定しがちだが、その意味するところは「我々(人民)だけが正統で他は政治共同体に属さない」**というシュミット的世界観である 。トランプ支持者が対立陣営に非米的烙印を押し、参政党支持者が反対派市民を「反日的」と攻撃する時、そこにはシュミットの影が投射されているのである。
ハンナ・アーレント(Hannah Arendt):アーレントはポピュリズムという言葉を直接用いてはいないが、その大衆社会論と全体主義分析は現代ポピュリズムの病理を読む上で示唆に富む。彼女は『全体主義の起源』で、ナチズム台頭の要因として**「大衆の孤独と無力感」を挙げ、既存階級や政党から切り離された膨大な大衆がイデオロギー運動に熱狂した様を描いた  。この視点からすれば、参政党やトランプの支持者像(既存政党に見放されたと感じる人々が陰謀論的世界観に魅了される)は驚くほど当てはまる。アーレントはまた、全体主義運動が「事実と虚構の境界を破壊する嘘」を乱用し、人々を現実から遊離させると論じた  。これは前述の通り、ポスト真実時代のポピュリズム政治(トランプのビッグライ、Qアノンなど)に酷似している。実際、ニューヨーク・タイムズなどはトランプ現象を分析するのにアーレントを頻繁に引用し、「多数が虚偽を真実と受け入れる社会の恐ろしさ」を説いた 。アーレントは嘘自体よりも嘘と真実の区別が無意味になることを恐れ、それが起きると人々は何も信じられなくなり、極端なイデオロギーに身を委ねやすくなると警告した 。まさに今の米国にその兆候が見える。日本でも、政治的無関心層が一方で陰謀論にはまりやすいという調査があり 、アーレントが言う「思考停止した孤立した個人」の増大は他人事ではない。アーレントは権威主義運動に対抗する処方箋として、「真実を語る人々(truth-tellers)」と「公共的自由の空間」を守ることの大事さを説いた。これはメディアの役割や市民社会の抵抗に通じるが、米国では2020年選挙で制度と市民が土壇場で踏み止まったことに希望を見出す向きもある 。日本ではまだそこまで至っていないが、将来的にポピュリズムがさらに広がれば、同様に事実と虚構の戦いが重要になるだろう。例えば参政党の陰謀論に対し、専門家がファクトチェックで反論する動きが既に始まっている。アーレントの教えに照らせば、民主主義の健全性を保つにはそうした地道な努力と、孤独な個人を公共領域に結びつける政治参加の仕組みが求められる。ポピュリズム現象は、逆説的に市民が政治について考える契機でもある。アーレントは「政治とは人々がともに在ること」**と定義したが、ポピュリズムの時代においてこそ、どのように多様な人々が共存し統治するかという原点に立ち返る必要があるだろう。
おわりに
以上、2025年現在の日本と米国におけるポピュリズムの現状を、参政党・れいわ新選組、ドナルド・トランプという具体例に即して考察した。両国の事例は政治文化や制度の違いから様相を異にするが、本質的には**「エリート対人民」の対立軸を軸に、新しい政治的アイデンティティが台頭している**点で共通している。その背景にはグローバル経済の変容、社会的格差や文化摩擦の拡大、民主主義制度への信頼低下など類似する要因があった。ポピュリズムは、それらの不満を迅速かつ明快にすくい上げることで支持を広げ、既存の政党政治や制度秩序に挑戦を突き付けている。
日本では参政党やれいわ新選組が既存政党に緩やかな変革を促しつつあるものの、今のところ民主主義そのものを覆すような力には至っていない。しかしポピュリズム政党の浸透は確実に政治地図を塗り替えつつあり、「与野党対立」だけでは捉えられない新たな軸(反体制 vs 体制、グローバル vs ナショナルなど)が出現している 。今後、それが政治を活性化し国民の声を拾う方向に行くのか、あるいは政治の混乱やさらなる不信につながるのかは予断を許さない。米国の例は、後者の危険を如実に物語っている。トランプ現象は米国民主主義を深刻な危機に追いやった。一度選挙で退けられても思想的潮流は残り、再び権力を握れば制度破壊にまで踏み込む可能性が指摘される  。アメリカの民主主義は、自浄能力を発揮しつつも、社会の分断という形で大きな傷を負った。これはポピュリズムの代償として決して小さくない。
民主主義理論の観点から言えば、ポピュリズムは「民主主義の敵」であり「民主主義の自己革新の導火線」でもあるという両義的評価が可能だ  。ムッデやミュラーらが指摘するように、ポピュリズムはリベラル民主主義の欠陥(人民の声の不充分な反映)に対する反応だが、その解毒剤が過剰になると民主政治そのものを蝕む毒になり得る 。ではそのバランスをどう取るか。シュミット的な一体人民の幻想に陥らず、アーレント的な多元性・事実尊重の政治文化を維持できるかが、一つの鍵となろう。日本においても、陰謀論や排外主義に走らず建設的なポピュリズム(たとえば地方の声を政策化するなど)を制度に組み込み、負の影響を抑制する工夫が必要だ。米国の場合、もはや社会の和解と民主主義の再建に向けた包括的取り組みが不可欠だろう。制度改革(選挙制度やSNS規制など)と教育・対話による社会修復の両面から、ポピュリズムの暴走を抑えつつ包摂的民主主義へ軌道修正することが求められる  。
さらなる精緻な研究には、政府統計データや世論調査の詳細な検討、また両国の制度比較(選挙制度や政党組織の違いなど)の体系的分析が必要である。とはいえ、本稿で取り上げた諸論点——支持基盤の共通点と差異、典型的要素の顕在化、民主主義への影響、デジタル時代の動員、選挙結果の余波、理論的評価——は、現代ポピュリズムの理解に重要な枠組みとなるだろう。ポピュリズムは一過性の流行ではなく、21世紀の民主政治が向き合う構造的課題である。その意味で、参政党・れいわ新選組やトランプ現象を深く比較検討することは、日本と米国それぞれの民主主義の将来を展望するうえでも極めて有意義である。
参考文献・出典(日本式に脚注で詳細を示さず、文中引用【】により主要出典を示した)
  東洋経済オンライン「参政党=排外主義」と一蹴する人に見えてない真実(2025年7月17日)
  東洋経済オンライン「参政党人気『理解できない』人が見誤る熱狂の本質」(2025年7月9日)
  Yahoo!ファイナンス(プレジデントオンライン)「参院選で新興政党を推す若者層のパニックと絶望」(2025年7月17日)
  Wikipedia「参政党」頁(党史・選挙戦術・支持層に関する記述)
  Newsweek日本版「山本太郎現象とこぼれ落ちた人々」(2019年7月19日)
  ECPS(欧州ポピュリズム研究センター)「Trump 2025: Dystopia and Fascism – The Rise of Authoritarianism…」(2024年11月20日)
  CFR(外交問題評議会)Y. Mounk “After Trump, Is American Democracy Doomed by Populism?”(2021年1月14日)
  東京財団政策研究「ポピュリズム理論家としてのカール・シュミット?」(長野晃, 2021年3月5日)
  東洋経済オンライン「トランプ暴政を読み解くための『全体主義の起原』」(2020年)
  朝日新聞デジタル「詳報:参院選2025 議席数確定・解説」(2025年7月20日投稿, 境家史郎東大教授による分析)
  東洋経済オンライン「参政党人気『理解できない』人が見誤る熱狂の本質」(NHK・日経の世論調査データ引用, 2025年7月9日)
  三田評論ONLINE「ポピュリズムをどう捉えるか(座談会)」(2020年2月, 水島治郎・稗田健志ら発言)
 SPF笹川平和財団ウェブ「フェイクニュースは米国大統領選をどう変えたか」(2021年)
 朝日新聞デジタル(ニュース欄)「7月21日(月) トランプ氏復権半年 世界翻弄」(2025年7月21日)