さいごの宛先
――
ありがとうを、伝えたいの。
あなたと出会えて、
あなたと歩いて、
言葉を交わして、
季節の音を一緒に聞いて、
そしていま、
たしかに「生きていた」と思える。
そう思わせてくれたのは、
あなたでした。
――
カバネの手が、透明に近づいていた。
朝の光を浴びるその輪郭は、まるで空気のなかに浮かんでいるようだった。
「……カバネ。もう、手紙は……」
「ううん、あと一通。
これが、わたしの“さいごの宛先”」
彼女がそっと差し出したのは、小さな白い封筒。
「届け先は、誰なの?」
カバネは、少し迷ったあと、答えた。
「ないしょ」
その声は、いつもより穏やかで、けれど遠かった。
「まだ、届けてない人がいる。
でも、その人はもう、この世にはいないの。
だから、わたしが消えるとき……
“想い”だけを、そっと、風にまぜる」
言葉の意味はわからなかった。
けれど、カバネがなにをしようとしているのかは、胸でわかっていた。
彼女は、ずっと“だれか”に伝えたかった言葉を、
とうとう、自分の手で届けようとしている。
「……そのとき、僕がそばにいればいい?」
「うん。それだけで、十分」
夕暮れ、いつもの神社。
空は茜色に染まり、風が境内をやわらかく撫でていた。
カバネは、最後の一通を胸に抱えて、祠の前に立った。
「あなたと会えてよかった。
わたし、こわくなかった」
その言葉と同時に、彼女の姿は風へと融けはじめた。
指先から、腕へ、髪へ──
まるで光の粒がひとつずつほどけていくように。
「カバネ!」
思わず駆け寄った僕の手には、何も触れられなかった。
けれど、手のひらにそっと残されたのは、重さのない封筒。
あれはきっと、彼女の想いのかたちだった。
そして、その封筒にだけ──
たった一行の文字が浮かんでいた。
『あなたが友達でよかった』
その文字が、風に揺れて消えたとき、
僕の胸のなかに、ひとつの灯りがともった気がした。
僕は、泣かなかった。
でも、涙の代わりに、両手でそっとその封筒を抱きしめた。
彼女がいた時間を、僕は忘れない。
最後の最後に、継由が受け取った手紙。
それは、カバネが“かつて届けられなかった想い”でした。
だけど、彼が読んでくれたことで、
その手紙はちゃんと「届いた」と言えるのでしょう。
物語の中で、想いを運ぶのは“とどけびと”。
そして、ページをめくってくれたあなたも、
この手紙を読んでくれたあなたも、
ほんの少しだけ、「とどけびと」だったのかもしれません。
継由とカバネが歩いた旅路が、
ほんの少しでもあなたの心に寄り添えたなら幸いです。
じゃあ、これで、最後の封を閉じますね。