ひとりじゃないよ
――
ねえ、あのとき、
「いっしょにいたい」って言えたら、
なにか変わっていたのかな。
でも、言えなかったから、
わたしはきっと、このまま
これだけ。
ひとつだけ覚えてて。
わたしは、あなたの隣が、
すごく、すごく、好きだった。
――
翌朝、カバネはいつもの場所にいた。
神社の裏の小さな祠のそば。
風の音よりも静かな、あの空気が広がっていた。
「……昨日の手紙、ありがとう」
僕が声をかけると、カバネはほんの少しだけ、首を傾けた。
それが彼女なりの「うれしい」の合図だということを、僕は少しだけわかってきた。
「今日は、どこへ?」
彼女は、風のように立ち上がった。
「今度の手紙は……
“記憶のなか”にしかいない、友達あて」
それがどういう意味か、すぐにはわからなかった。
そのまま僕たちは、森の奥にある古い洋館の前までやってきた。
鍵はかかっておらず、中は空気が澱んでいた。
かつて誰かが住んでいた気配だけが残されている。
居間のテーブルに、ぽつんと置かれていたのは──
「……封筒?」
「手紙は、“ここ”で書かれたの。
差出人は、もうこの町にはいない。
でも、受け取るべき“人の心”は、まだ残ってる」
わからないまま、僕はその封筒を開けた。
そこに綴られていたのは、ひらがな交じりの、拙い文字。
手紙の主は、小さな女の子だった。
町を離れる直前、事故で亡くした親友に向けた最後の言葉。
それが、ここに置かれたまま、時を止めていた。
「届ける相手は、だれなの?」
僕の問いに、カバネは黙って、窓の外を見つめた。
「その子が“いなくなってから”、
もう一度、絵を描けるようになった人がいる。
その人の手元に……この手紙を」
僕はうなずいて、封筒をそっと抱えた。
届け先の画材屋は、町の商店街にあった。
店の奥にいたのは、絵描きらしい中年の女性。
その目の奥には、深い悲しみと、どこか柔らかい光があった。
「手紙……ですか」
封筒を受け取ると、彼女は一瞬だけ眉を下げた。
そして、お礼も言わずに、黙ってそれを胸に抱えた。
僕は何も言わなかった。言葉はいらない気がした。
帰り道、カバネは歩きながら、ぽつりと言った。
「わたしは、もともと、
“手紙を書いたこと”がある妖だったの」
「え……?」
「昔、ひとりの人間に、手紙を渡したかった。
でも、届かなかった。
だから今度は、誰かの手紙を、代わりに届けているの」
それが、彼女の存在理由。
「だから……わたしはもう、忘れてしまったの。
自分が、誰のことを好きだったかも。
何を、伝えたかったのかも」
その声は、風の中に溶けていった。
「だけどね、つぐゆ。
あなたがいてくれると、すこしだけ、こわくないの」
僕は、立ち止まった。
「僕は、いるよ。
消えてなんてほしくないから」
カバネは、すこしだけ笑った。
「じゃあ、わたしがいなくなるときは、
あなたが、手紙を受け取って」
その言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。
この日から、僕はもう、ただの見習いじゃなくなった。
彼女のとなりにいる、“ともだち”になったのだ。
──風が吹いた。
カバネの白い髪が、またすこし薄くなった気がした。