1話
人見知りだけど頑張っちゃう女の子、満月と
暴言と課題の多さで学生から避けられがちな鏑木教授の甘キュンストーリーです。
「東……満月さん、だよね?」
声をかけられて顔を向けると、名前を教えたはずのない相手が立っていた。
確か同じクラスの男子で――名前は知らない。
そんな相手が、どうして自分に声をかけてくるのだろうか。
(私、名前を覚えられるようなことしたかな)
生来のネガティブさが、顔を出すのはこういう時だ。どうしても悪い方へと考えが向いてしまう。
――もしかして、どこかで悪目立ちしてしまったとか?
緊張が走って、満月は表情を硬くさせた。だが、目の前の彼はこちらの感情には気が付かなかったらしい。
「隣の席に座っていい?」
(いやいや、普通に嫌なんだけど!?)
講義を集中して聞きたいから、最前列の席を陣取ったのだ。なのに、ほとんど初対面の相手を気遣いながら受けるだなんて真っ平ごめんだ。
しかし、突然の申し出に唖然としているうちに、彼はリュックを下ろし、腰を落ち着けてしまう。
「あの……」
「よかったー。話しかけるの、すっげぇ勇気だしたんだよね」
やんわり断ろうとした矢先にそう言われてしまって、満月は言葉を飲み込んだ。
こんなことが、大学に入ってから1ヶ月間、ずっと続いている。
――小さい時から、自信を持ちたかった。
誇れる特技も、強い意欲もない自分は、周りよりくすんでいるように思えた。
お化粧もオシャレも勉強してるのに、いつまでも平凡なまま。
私は、特別な何かにはなれないんだな。
静かな諦めを受け入れた、大学の入学式の前日。
憧れのインフルエンサーを真似して伸ばしていた、長い髪を切った。
毎日手間をかけて洗って乾かして、オイルを塗って。なのに、満足できるツヤが得られなかった、癖のある髪。
でも今は、短い襟足を風がくすぐっていくのが清々しかった。
これから、少しずつ自分らしさを探していくんだ。
――その、はずだったのに。
「何のアニメ好きなの? 俺さ、『サムライレイズ』好きなんだよね」
満月が持つ、アニメキャラのステッカーが挟んであるスマホカバーを目にしたのだろう。相手がそんな話題を口にした。
もしかして、アニメ語りをする仲間が欲しくて声をかけてきたのかも。
その気持ちは痛いほど分かるから、理由が分かって満月はホッとする。
「『サムライレイズ』、いいよね! ちなみに私の推しは『推し活!』の……」
「あー聞いたことある。でさ、ブルスタのアカウント教えてよ」
(いや会話ヘタクソか!)
尋ねてきたのはそっちのくせに。しかも、どう考えても会話の本命はSNSのアカウントを聞き出すことだ。
(オタクなめないでよね)
推しをダシにされたようで我慢がならず、満月は相手を睨みつけようとした。
その時、目の前から冷たい声が落ちる。
「俺の講義でお喋りとはいい度胸だな」
「……っ!!」
いつの間にか教壇に立っていた教授が、満月たちを睨み据えていた。
鏑木昴――満月が在籍している心理学部で、最も有名な教授だ。
知性を窺わせる涼やかな目元と、それを飾るような左目の泣きぼくろ。
筋の通った鼻梁、無造作に散らした、柔らかな黒髪。
細いが、決して華奢ではない体躯。
そんな、明らかに神様に贔屓されたような容姿を持つのが、鏑木教授という人だった。
だが、彼が学内で有名なのは芸能人を思わせる容貌のせいだけではない。
「で? まだ基礎の基礎すら入ってない空っぽの頭で、身になる話はできるのか?」
――その、度を超えた毒舌にあった。
オープンキャンパスの時、学長が鏑木教授にマイクを渡さなかった理由は、教授のこの性格を公にしたくなかったせいだ――そう認識するまでが、1年生の通過儀礼となっている。
鏑木教授は心理学者として優秀かつ著名であり、毎年、その憧れを砕かれ消沈する者も多いと聞く。
「すいませんでした」
満月は、すぐさま頭を下げて詫びた。
巻き込まれた形とはいえ、時間に気を配っていなかったのは事実。それに、満月は鏑木教授の授業を目当てにこの大学に入ったようなものなのだ。
その機会を、こんなくだらない騒ぎで削ってしまった自分に腹が立つ。
「すぃませんしたぁ」
隣からやる気のない台詞が聞こえたが、気にかけている余裕はなかった。
頭を下げ続けている満月の頭上を、呆れ混じりのため息が通り過ぎる。
「今日は講義をしてもムダだな。全員浮ついている」
(全員って)
どういうことだと首を捻った満月は、後ろを振り返って納得した。
どうやら、教授が教室に入ってきたことに気が付かなかったのは、満月だけではなかったらしい。
席についてもいなかった学生が、教室のあちこちで立ち尽くしている。その光景を、教授の冷え冷えとした視線が一巡りした。
「土曜に振替授業をするから、やる気のあるやつだけ来い」
そう言いおいて、教授は踵を返して教壇を降りてしまう。
学生たちからは非難の声が上がりかけたが、「文句があるか」と言わんばかりのひと睨みで萎んでいった。
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