あれは夜道での出逢い。
筆文字が踊る――。
火附盗賊改方 神室十蔵
江戸の夜。酉の刻。
酒屋の弐階、騒ぐ男たち。
身綺麗には見えぬというのに、女を侍らせ酒に興じるその姿。
誰の目にも明らか、汚い金での酒宴であった。
酒は男たちを幸せの頂点へ連れゆき、やがて手を伸ばされた女達があでやかな声でなき始めた、そのとき。
「火付盗賊改である!」
部屋の三方から襖があくと、与力に十数人の同心、その先頭に陣笠を被る男が現れた。
「な、なんだいテメぇら!」
驚いた男たちは、這うわ、のけ反るわと大慌て。
「人形町は呉服の平賀屋を襲い、主人を惨殺、娘と妻を犯して金品を奪った盗賊。お前たちだな」
「へへへ、なんのことだか」
この一味の頭と思われる男がしらを切ろうとすると、手下が青ざめた顔で言い放つ。
「や、やべぇよ兄貴、あの額の傷…! 十蔵だ!」
「あ……暴れ頭の、十…蔵……だぁ!?」
「神妙にお縄を頂戴しろ」
空気が張りつめたその刹那、怯えた男が徳利を倒した拍子に声を上げた。
「ちちちち、ちくしょう! やっちまえ!」
怒号、罵声。灯台は倒れ、酒が宙を舞い、女たちが はだけた着物のままで逃げ出すと、概ねの決着がついていた。
男たちが次々と取り押さえられる捕り物の海を割り、十蔵は疾風のごとく盗賊頭へと駆け寄る。頭から繰り出されたこぶしを受け流すと、十手でその手首をはたき、組み手で床に落とす。屋敷全体が軋んだ。
「頭同士仲良くしようや。今もっての抵抗は決して許さんぞ」
押さえつけられた盗賊の頭は必死に顔を上げながら負けを認めない。
「俺達だって生きるためにやってんだ!」
「生き方は……選べたはずだ」
「このままじゃおかねえぞ!! 神室十蔵――!!!」
・・・・・・
「『生き方は選べたはず』…とはねぇ。旦那から聞くと毎回こう、むず痒い。ぷっくくくく」
月夜を川沿いに歩く二つの影は、凛としたものが神室十蔵、半歩後ろをひょうきんに歩くのが岡っ引きの太平である。
「何がおかしい。過ぎるぞ。太平」
「へへ、いや、すいやせん。幼年から武芸一本、脇目も振らねえ神室様ともあろうお方がね、生き方は選べるたぁね、くくく」
「ふん。言っておれ。俺は選ぶ道に最初から居ただけのこと。お前もだろう」
「あっしは御用の道ってぇより、旦那に付いてってんすけどね」
「よせよ」
「なにしろのカタ物で、捕り物んときゃあ、鬼だ武者だと云われても、情に厚いお方だから」
「旅の者から日銭をくすねていた餓鬼が言うようになった」
「やめてくだせえ、昔の話でさ」
「齢も十八。まだ選べるではないか」
「ほらまた、ぷっくくく」
「これ。とうとう過ぎたぞ。太平」
「あは! やめてくだせ! くすぐった! あははは!」
「あの……もしもし」
「なんだってそんな! くすぐりの! ツボ! あひゃひゃひゃ!」
「お天道様が許しても、この神室十蔵が許さん!」
「す、すみません…お取込み中に…」
「えへへへ! あはは!………あ!?」
なにやら声がするもので、二人がその方向を見ると、珍妙な服を着た女性が立っていた。
「はれれ。女子か」
ひょうきんな太平に対して、十蔵は目つきが変わる。
「聞こう。こんな刻に何をしている」
「それが、ここがどこかわからなくて……困っているんです」
灯りを女性の顔の高さまで上げて、女性を鋭く見据える十蔵。女性は目を伏せて、寒そうにしながら声を絞る。
「本当に…ここがどこ…だか……助けてください」
「売られた女が逃げてきたってとこですかいねぇ」
表情を変えない十蔵に太平が耳打ちをした。
「ここは八丁堀よ。どこからきた」
「は、八丁堀って…東京…の? 私も東京ですけど…ここ…本当に八
丁堀ですか…?」
「とうきょう? 聞かねえ土地だ。とうきょう、きょうと、とう、きょうと…京都と間違えてんですかねぇ?」
「して、どこから来た!」
十蔵は大きな声を出しているわけではないが、空気を揺らすような覇気がある。女性は圧倒されてしまった。
「ごご、ごめんなさいぃい! 本当に東京から来たんです! でもあの! とにかく、ここがどこだかわからなく…て、助けて欲し…くて…」
女性は口元を歪ませると十蔵を見据え眼から大粒の涙を落とした。
「泣いても無駄だ」
「旦那、女子には優しくですね」
「太平。今はなんどきだ」
「ええ、戌の刻…ですかね」
「ああ。盛り場に行けば人手もある。奉公の遅い者もある。だが川沿いを灯りも持たずに女子が歩く刻ではない」
「怪しいってんですか、そ、そりゃあそうですけど…!」
「数刻前から灯りなしでは歩けぬ夜道。町民は蝋や油が勿体ないと床につくぞ。どこから来ればここにたどり着く」
「ひっく……ふえー…ここ、どこなんですか、どうなっちゃうんですか」
女性は一層、顔をくしゃりもさせて泣いた。
太平が、それ以上詰めるのはいくらなんでもと静止しようとしたとき、十蔵は大きくため息をつき、女性の肩に自分の羽織を被せた。
「寒い夜だ。少しは違うだろう」
女性は、はっとして少し背の高い十蔵を見つめると再び泣き始めてしまった。
「なんなんです旦那、詰めたり気遣ったり…」
「少し試したのよ。太平。ふたつ、覚えておけ」
「へえ」
「ひとつ、かわいそうに見えるだけでは、真実はわからぬ」
「まあ、そりゃあ、そうですが……」
「ひとつ、やましいことがある者は聞いておらぬことまで言う」
「そいじゃあ、この娘は?」
「この娘は本当に困っているのだ。困っている者ならば、自分の知りたいことだけを訊いてくるものだからな」
「ほお」
「身なりも出逢いも怪しいものだが、いや、怪しくはないのだろう」
「へえ」
「お前、ちゃんと聞いているのか?」
「旦那、旦那」
「なんだ」
「この娘、美人ですね」
「あ?………ああ」
少しの間、女性を見つめた十蔵は、はっとして太平を小突いた。
「あ痛ぁッ!」