灯台下暮らし
ゆっくりと目を開けると、薪が爆ぜる音がする。パチパチという音が懐かしく、妙に古めかしい。
ということは、暖炉でもあるのだろうか。あるいは、僕は地獄にでも落ちたのかもしれない。
ふぅと溜息を吐いてやると妙に落ち着いて、背中に何やら感触があるのに気がついた。ベッドだ。僕はベッドに寝かされているのだ。 少し固いベッドの上で、毛布の下の体を捩る。
マッチ売りの少女よろしく、幻でも見ているのだろうか。そうだ、潮の香りがしない。本当なら、僕の体は潮臭いはずだ。と、妙に現実味を帯びた思考になる。
ふむ、地獄にもベッドはあるらしいな……。
「…起きた」
ぼうっとしていると、ふいに声をかけられた。初めは人の声とは分からなかったが、ゆっくりと脳が理解していく。
幻にせよ、地獄にせよ、現実にせよ、その声を主を見てみたくて、僕は上半身を起こして白いレンガの壁に凭れかかった。どうも身体が重い。首や頭を動かすのも億劫で、目線だけを声がした方に向ける。
そこには、一人の女性。表情がない。嘲笑するような顔でもなく、心配そうな顔でもない。
まるで人形のようだ、と思った。いや、人形ですら、もっと表情があるかもしれない。
僕はどぎまぎしながらも、何とか動く唇を動かした。「はい。あの、ここは?」
女性はすぐには答えず、ただ僕をじっと見ている。幻なら仕方ない。僕は推理するつもりで、部屋中を見回した。
僕の右側と後ろは壁で、正面は薄暗いが、恐らく台所だろう。瓶詰めが所狭しと、視線を遮るように置かれている。
ということは民家か…。僕が安心して上を見ると、上半身を持ち上げたのが無駄になりそうなくらい、クラッとした。
天井が高い。僕は高所恐怖症なのだ。こんなものを見たら、思わず目眩がしてしまう。ただ、おかげでここが通常の民家でないことは分かった。
ベッドの上で一人芝居を打つ僕に嫌気が差したのか、女性は溜息をついて、自嘲気味に、
「ここは、Fisherman Find Island.別名、灯台島」
と、言い放った。使い古された、機械のような声で。伝えることが存在意義のように。
僕は呆けた顔をしないように、目線を正面に向けた。
今度は、目は合わなかった。
灯台島は、ある意味、一番有名な島だ。ここを知らない船乗りはいない。なぜなら、この島はちょうどマナウス海の中央に位置しており、マナウス海は、「船乗りの学校」と比喩される穏やかな海。大抵の者は、この海で航海の技を学ぶ。
今は海が荒れている時期で、追っ手を撒くには好都合だと思ったのだが…逆に仇となったらしい。
ともかく、灯台島には人間味はまるでなく、技術が許せば無人で運営しているのだとばかり思っていた。皆灯台島に世話になることはあれど、礼などは言わないのだろう。
しかし、と僕は思考に一度区切りをつける。
ここは安全かもしれない。ここに来るのは、好奇心か、漂流かの二択だから。
しかし、誰かの世話になるというのはどうも僕の性に合わない。
「ありがとうございます。船は…」
早いところベッドから立ち上がろうとすると、激痛が全身を襲った。幻ではないということはよく分かった。少なくとも、僕はこの馬鹿げた質問をするまでは、どこかここは幻ではないかと思っていたのだ。
身体をバッタみたいに折り曲げた貧相な姿を見たらしい女性は、
「あんたはしばらく動けない。
船なら、知り合いに連絡してあんたを送ってやるから、今はゆっくり休んで」
と早口で言う。早口ではあるものの、何とか聞き取れる辺り、生まれは多分同じなのだろう。言葉自体は万国共通でも、訛があるものだから、国が違うと聞き取れたものじゃない。
どこか安心した僕は痛みに喘ぎながら、
「ありがとうございます。でも、いいんですか?」
と聞く。この分だと、数ヵ月は治らない。見ず知らずの彼女に、迷惑はかけられない。それだけが、のろまな脳が捻り出した思考だった。頭の中には信念だ自由だと謳う僕もいたけれども、所詮僕は一庶民なのだ。
「別に、そこら辺で野垂れ死んでくれてもいいんだけど」
そんなことを機械的に言わないでほしい。可哀想な心臓が縮み上がってしまった。
「お世話になります。」
ここにいる間は、彼女の言うことを聞いた方がいい。そうでなければ、治療期間が延びるだけだ。と、苦笑気味に悟った。
信念も何も、身体が元通りにならなくちゃ、どうにもならない。元々居た家には、医学書はなかったしな…。