急転直下
事態の急転は、果胡が全快してすぐのことだった。
「バート!どういうことですか!ロッテが攫われたとは!」
緊急事態に非礼も何もあったものじゃない。果胡はノックもそこそこに、バートの部屋を押し掛けた。中ではいつも綺麗に整えられている髪は所々乱れ、目の下に隈を作っているバートが頭を抱えていた。栄養ドリンク剤のような小瓶が幾つも机に並べられている。
大きな音を立てて入って来た果胡に、礼儀作法を突っ込むかと思われたが、地獄から這い上がって来たような顔色の彼に、そんな余裕はなかったようだ。
「…………カコさん………元気になられたようで何より……」
「……そ、その節はお世話になりまして………、何か…バートの方が大丈夫ですか」
リタに凡その話を聞き、詳しいことを知っているであろうバートを問い詰めようと押し掛けてきたのに、バートの顔を見た途端、果胡の勢いは簡単に削がれてしまった。緊急事態に焦りもあったというのに、死人、いやゾンビのような姿にこっちの生気も吸い取られるようだった。齢五十を超えているとは思えないの美貌が、年相応以上にまでやつれてしまっている。思わず肩お揉みしましょうかと声を掛けたくなるくらいだ。
聞けばもう三日寝ていない上に食事も殆どしていないという。ロッテの姿が消えたとなったその時から、昼夜問わず城中、いや国中を走り回っている。勿論それはバートだけではないが、彼を中心にロッテ捜索部隊が組まれているため、負担が大きくなるのは必然的である。
「私のことより…、ロッテのこと、誰に聞いたんですか…」
「あー、えーっと」
「リタですね…。あの口軽男…あれほどカコさんを巻き込むなと言ったのに。今度城中の排水溝の掃除を言い渡してやりましょう…」
「バート?疲労がピークを突破してキャラがぶれています」
とりあえず睨み殺してしまいそうな目を収めてほしい。バートが私情を仕事に持ち込むなど見たことがない。相当疲れていると見える。果胡も早く事態を把握したいのは山々だが、このままでは捜査本部の要であるバートが倒れてしまう。果胡は自分の焦りを押し殺して、彼に熱い茶を淹れてやる。猫舌なのか、恐る恐るそれを啜るバートはおじいちゃんのようだったが、茶の温かさでいくらか平静を取り戻したのか、眼鏡をくいっと引き上げて一つ息を付いた。
「…四日前、ロッテはアルフの付き添いの元、託宣の間に行ったようです。この間の神託のことで彼女は不信感が拭えなかったらしく、何度か足を運んでいたそうです」
民に発表したあの神託が、ロッテが伝えたものではないということはバートにも伝わっている。神託が発表されるまで、その内容が厳重に管理されていたことは彼が一番分かっていることから、バートもそのことについては頭を悩ませていたようだ。神の仕業だと教えてやりたかったが、まだ果胡が神託を聞けるとまでは明かしていない。それを言えば、自然と果胡が神子だということに繋がってしまうだろう。何が起こっているか分からない今、事を複雑化することは避けたい。
「神子が託宣の間に行くことは摂理ですし、アルフが付いている。あの違和感しかない神託が何だったのか、どうにかしないといけないこともあって、ロッテを止めるわけにいきませんでした。…ですがあの夜、神の森に侵入者を許してしまったんです」
バートは自分の失態だとばかりに歯噛みした。膝の上で握る拳が震えている。
「侵入者、って…、そんなことあり得るんですか?」
「…いつも通り、見張りと結界は厳重でした。普通なら有り得ません。だが実際に起こったことというのは、見張りは殺され、結界は破壊されていた。異変に気が付いた見回りの騎士も全滅、神聖な神の森は惨状と変わり果てていました」
「…っ…」
頭痛がするほどの光景だったというのか、バートは頭に手を差し込み、髪の毛ごと強く掴む。オリヴィアに対しては不機嫌でしか歪められていなかった眉間の皴が、後悔と罪悪感で酷く深く刻まれている。ロッテがいなくなってからずっと、この人はこの顔をしているのだろうか。
「アルフは?アルフがいたのではないんですか?」
彼は護衛の為にロッテに付いている。ロッテに近付くものを撥ね退け、場合によっては排除することが仕事だ。これまでも特別騎士の名に恥じず、その実力を遺憾なく発揮してきた。
なのに、バートはゆっくりと首を横に振った。
「アルフもその奇襲で重傷を負って発見されました」
「……っ!」
それがどういうことか、果胡も息を呑むくらいには事態の深刻さを分かっている。
特別騎士とはその名の通り、世界でも有数の実力ある騎士が揃うルヴィフィア国で、特別と言われるほどの腕を宿した騎士のことだ。それもアルフは一等騎士。特別一等騎士という肩書だけで震え上がり、数種類の軍隊を準備していても白旗を上げて逃げ帰ると言われるほどなのに、それが重傷を負ったなどと、地殻変動が起こる前触れだと予見しても決して大袈裟ではない。
果胡がリタにロッテのことを聞いた時は、アルフのことは何も言われなかった。リタが知らないわけはないし、忘れていたなんてことはないだろう。ただ、彼なりに動揺していたのかもしれない。酷く忙しそうだったこともある。
「…アルフは…、大丈夫なんですか?」
「一命は取り留めています。特別騎士がやられるなど城内や民の不安を煽りますから、エリスが離れで治療を続けていますが、まだ意識は戻っていないようです。彼なら、敵の姿を見ているはずなのですが…」
意識が戻る願いが敵の正体を証言させるためだなんて考えたくもないけれど、とバートは深い溜息を零した。アルフだって子どもの頃からこの城に仕え、バートを初め、城に長くいる者からすれば家族も同然だ。純粋に彼の身を心配したいのは山々だろう。
オリヴィアにとっても、直接的な関わりは然程なかったとはいえ、当時は将来有望な二等騎士として国家を守ってくれた存在だ。顔を合わせることは少なくても、その名はよく耳にしていたので、勝手に親交を深めている気になっていたものだ。
「…それで、ロッテの行方の目星はついているんですか?」
見張りの騎士が死んだ。応援に来た騎士も死んだ。アルフも重傷を負い、ロッテは今どこかで恐怖に震えている。
果胡の中で、押さえ込んでいた怒りが沸々と再沸騰してくる。敵は一体何をしたい?ロッテに何をするつもりだ。人の命をも犠牲にして掴みたいものとは何だ。
神の力などと抜かしたら許しはしない。
いつの間にか果胡の手は力いっぱい握りしめられて、手の平に詰めが食い込んで痕になるくらいだった。
ここで怒りを放出しても何にもならない。ただの八つ当たりになるだけだ。今は冷静に出方を探るべきだと、果胡はもう一度頭の熱をさました。
見計らったかのようにバートの返事が返ってくる。
「敵の痕跡は見事に消し去られていて、今の状況ではロッテを見つけ出すことは困難です。怪しいのはベルクマン家ですが、まさか冷戦状態にあるあそこにうちの神子来てませんかと言うわけにもいかなくて」
野良猫が迷い込んだレベルではないのだ。もしベルクマンが犯人でなければ、冷戦は沈黙を破り、大きな紛争となるかもしれない。犯人だったとしても、素直に聞き入れてくれるわけがない。寧ろそちらの方が望みが薄いまである。
ずっとロッテの居場所と捜索、ベルクマンへの接触方法を探っているのだろう。バートは疲れを誤魔化すように人差し指と親指で目頭を押さえ、もう何十回と見た資料に無意識に目線を落とす。何度見ても事態の改善策は思い浮かびはしないのに。
「誰かをベルクマン家へ潜り込ませようという案もありましたが、適任は皆恐らく向こうに顔を知られています。…早く見つけてやらないと、何をされるか分からないというのに…!」
バートを拳が机を叩く。珍しく怒りと焦りを顕にしている。すぐにバートは果胡の前だということを思い出して小さく謝ったが、平静を取り戻したわけではない。普段の彼なら、謝った後に『私としたことが』と続くはずなのである。それが今はそれを言う余裕もない。余裕がない自分に気づいてもいない。
そんなバートをどんな気持ちで見ていたかは果胡自身も分からない。ただ、彼の焦りを受け止めるように、黙って聞いていた。平静を取り戻したわけではないけれど、果胡がいるということが分かるくらいには周りが見えたと思われるタイミングで、果胡が妙に落ち着いた声色でバートを呼ぶ。
「バート」
「……はい?」
バートは頭を抱えた手の隙間から果胡を見上げるようにすると、強く大きな瞳が近付いてきていた。
カツカツと靴音をゆっくりと立て、バートの目の前まで来ると、果胡は腰を屈め、資料の上から机に両手をついた。
「それ、私が行きましょう」




