独断の実りある学び
少女たちが手を取り合って笑い合っている画は、実に微笑ましい。
これは、記憶を基にした夢だ。
そうとは分かっていたけれど、多分虚像ではないとも理解している。
絵画にすればさぞいい値がつく代物となるだろうと思ってしまうのは、視覚で捉えられない神々しい光が、少女たちを包んでいるからだ。
どこから漏れている光か、どこから放たれている光か、誰も知らず、誰も知ろうと求めない。なんせ、誰も見ていないのだ。唯一見ていると言えるのは、どこか他人事のように傍観している果胡だけ。
他人事なのだから、他人事だと思って何が悪いと思うが、不思議と放っておけないのは何故なのか。他人事であって他人事ではない気がしてならない。自分ではない誰かが、自分として動いている。そんな感覚だ。
少し、気持ちが悪いと思う。自分の意思とは関係なく自分が動き、自分が考えるのだから。
夢なのだから、そんなに気にすることはないと、自分に言い聞かせた。
「────…」
何の引っ掛かりもなく覚醒させた意識は、寝起きの良さの割にすっきりとはしていなかった。当然と言えば当然だ。神力をギリギリまで使い果たして、気絶同然で眠っていたのだから。
託宣の間へ行って、アルフとロッテにバレそうになる直前でリタに助け出されたのを思い出す。その後のことは少し話をしたというくらいであまり覚えていない。まだ身体を起こせそうにはなくて、枕に頭を沈めたまま顔にかかる髪を払うと、色んな茨道を通ってきて傷付いていた腕の怪我が手当てされていた。小さな切り傷や擦り傷ばかりだったので、絆創膏がシールのようにペタペタ貼られているだけだったが。
そう言えば当たり前のように身を横たえているここは、自分のベッドだということに今更気が付いた。妙に見慣れた風景だと思った。簡素な部屋の中、テーブルと椅子、小さなタンスにリタがいるだけの侘しい風景。
………………リタ?
つい見逃しそうになって思い留まる。
当たり前すぎたのだ。自分でも、当たり前だと思っていたのかもしれない。
当然のように、リタがベッドの下、床の上で寝ている。
「……リタ、…リタ、起きて下さい」
「んー…」
手を伸ばしてリタの腕をパシパシと叩けば、長い睫毛が動く。盛大に眉を寄せた後、ゆっくりと瞼が持ち上がってブルーグレーの瞳が果胡の見下ろす顔を映す。
「あ、カコ。おはよう」
「おはようございます。昼寝にしては寝すぎですね。もう夕方です」
「お前に言われたくねぇよ。一週間も眠りこけやがって」
「一週間!?」
さすがに驚いた。驚きに声を大きくし過ぎて噎せる。一週間ぶりの発声でいきなり大声出せばひっくり返るし噎せるし散々なのは当たり前だ。
リタが冷静にテーブルの上のピッチャーから水をグラスに注ぎ、果胡の背中に手を差し込んで身体を起こす。トントンと優しく背中を叩くと、口元までグラスを持ってきて傾けた。されるがままに水を喉に通した果胡は、液体を飲み込むのさえ一苦労するくらい体力が落ちていることにやっと気が付いた。それは自力で身体を起こせないはずである。
「いっ…しゅうかん、って…、…本当に?」
「嘘だと思うならアルフに訊いてみたらいい。カコが寝ている間にあいつは一つ歳を取った」
「あ、それはおめでとうございます」
誕生日だったのか。祝えなくて申し訳ない。
「そんなに寝れるものなんですね。人間の神秘…」
「微妙に緩い神秘だな」
「前回は回復するまでにそんなかからなかったですよね?回数重ねれば慣れていくはずなのに」
「神力使ったこともそうだけど、今回はオリヴィアの記憶も思い出したタイミングだっただろ。重なったからじゃないか?」
アルフが心配してたぞとリタは彼から預かったという紙袋を果胡に手渡す。シンプルなクラフト紙の袋の中身は、ハーブティーが数種類入っていた。世話になったのと、体調が悪そうで心配だったからだと言伝も預かったらしい。リタは何故かそれを伝えるのが不服そうだったけれど。
アルフはこういうところ、律儀だし女子力が高いと思う。立派な成人男性、しかも幼い頃から屈強な騎士達に囲まれて鍛錬と鍛錬と鍛錬を積み重ね、その中で見た地獄と戦場の地獄も網膜に焼き付いて消せないほど見てきている国でも選ばれた特別騎士が、普通こんな乙女な心遣いができるのだろうか。否、心に女子を養っているとしか思えない。
「……アルフって性別何ですっけ?」
「男」
「ですよね」
淀みなく答えたリタはまだ面白くなさそうだ。アルフが女だったらよかったのだろうか。
だが、妙な偏見はよくない。素直にアルフの心遣いを受け取るべきだと、早速リタにもらったハーブティーを淹れてくれるよう頼んだら、もっと面白くない顔をされた。こき使うなということだろうかと思ったが、しかめっ面のまま黙って袋を受け取り、黙々とお湯を沸かし始めた。何かが気に入らないけど動いてはくれるらしい。
魔導で動くケトルは少ない魔力で強力である。少し魔力を込めてやればすぐにコポコポコポと沸騰を始める。水泡の発生音とは何とも耳に心地よく、一週間も寝たのにまだ眠れそうな気持ちになる。回復するまでは大人しく寝ておくのが常套というものだろうが、この調子ではこのまま永遠に眠りそうになって少し恐怖する。果胡はとろんと落ちてくる瞼に力を込めて何とか持ち上げ、気を紛らわせるようにリタの背中に話しかけた。
「一週間、ずっと付いていてくれたんですか?」
「…さすがに、俺も仕事があるから片時も離れずというわけにはいかねーけど、出来る限りはな。俺がいない時はバートとエリスにも付いてもらってた」
「それは…」
「神力の行使については上手く誤魔化しているから安心しろ。お前が神力を持っていることを知っているバートにはともかく、今回のことをエリスにはなるべく知られないようにしたかったんだが…、思った以上にお前の状態が悪かったからな。仕方なくエリスに来てもらった」
ケトルは合図のようにプシューッと音を立て、ピークになっていた沸騰音が静まっていく。リタはカップに三角錐のティーバッグを落とし、その上から茶葉に直接当たらないように細く湯を注いでいく。何というか、伏せた目も長い睫毛もしなやかな指先も、黙っていれば本当に画になる男である。洗練された執事の動きを思わせ、その出で立ちはまさか騎士とはかけ離れた雰囲気を持つ。
「…私、そんな危ない状態だったんですか?」
「直接神力の消費が原因だったというわけじゃないけどな。反動で熱が高いわ水分は取れないわで点滴入れてもらうしかなかったからエリスに来てもらった。さすがに医術に関しては俺もある程度しか分からない。プロがいるならプロに任せた方が確実だからな」
まさかそんなことになっていたとは。リタが何となく不機嫌なのも当然だ。身体の看病だけでなく、果胡の立場を考えての配慮、果胡が抜けた分の仕事の穴埋め、大変な事ばかりだっただろう。
「…すみません…。だからリタ、ちょっと機嫌悪そうだったんですね…」
「あん?何だそりゃ」
リタは香りの立つカップを二つ、テーブルに運んでその場に胡坐をかく。本当によく分からないと言った表情のまま、二つの内一つのカップを果胡に手渡すと、自分は茶に手を出さないまま寝転がった。
「何、って…、ちょっと怒ってたでしょ?大迷惑かけちゃって…」
「はぁ?迷惑って、それこそ今更だろ。こんなこと、昔はよくあった。バートやエリスはともかく、俺は慣れっこだよ」
「じゃあ何で不機嫌なんですか」
「不機嫌?……あー…、そうか、まぁ…そうだな」
最初、リタは自分の機嫌にも気付いていないような反応を見せたが、言われて少し逡巡した後、納得した。枕代わりの腕の上で、果胡の方へ顔を向ける。少し乱れた髪が顔にかかって、いつもとは微かに違う雰囲気だった。すぐに腕の中にその顔を埋めてしまってから、籠った声がする。
「それは迷惑かけられたからじゃなくて、ただの嫉妬。何かアルフと妙に親しげになってたから」
「────…はい?」
今度は果胡がよく分からなくなる番だった。嫉妬って何故。一体誰に。何がきっかけで。大体、嫉妬してるなら嫉妬している顔を見せろ。リタの単調な口調ではなかなか感情が伝わらないのだ。
カップから上がる湯気の音が聞こえてきそうな程の沈黙が落ち、果胡はその間ずっとリタの言ったことを反芻していたが、理解できるほどには噛み砕けなかった。とりあえずカップを口に運ぶ。芳醇なハーブの香りが喉と鼻に充満していった。そのお陰で、思考が少しだけ落ち着く。
「……何言ってんですか。看病疲れでおかしくなりました?」
「疲れてねーよ。俺が嫉妬したらおかしくなってる認定されるのか」
「だって、嫉妬する要素が見当たりません。アルフと親しげと言われても、このハーブティーのことを言っているのなら、彼は昔からこんな律儀な人ではありますし、あの場は急いでいたのでアルフをバートに一刻も早く引き合わせるのがロッテの身の安全と思いましたし」
果胡は少し早口で言った所為か、喉が渇いてもう一度カップを傾けた。香りに慣れてしまったのか、味があまりしない。
その様子を見たリタは、顔を半分だけ上げて少し目を細めた。果胡には気付かない程度。
そして、まぁ…そうか、と何かに納得した後、身を起こしてハーブティーを口に含む。
「まぁ……、カコに器用なことは出来なさそうだしなぁ…。嫉妬しても生産性が悪いか…」
「……なんかすごく失礼な納得の仕方されているような気がするんですが?」
「いや、今後の俺の行く末に関わる、実りある学びであった」
「答えになってないんですが」




