彼の住処
それから約十分(体感)。速くも遅くもない速度で歩き続けると、リタは不意に足を止める。途中から本当に体力がなくなってきて、殆ど下を向いて歩いていた果胡の頭頂部が、リタの背中にぶつかった。
「あいて」
「着いたぞ」
「!」
ちょっと休憩したいという果胡の訴えを二、三回無視して、『あとちょっとだ頑張れー』とか『ゴールは目の前だー』とか『お前の本気はそんなものかー』とか雑な応援を受けながら辿り着いた先。顔を上げた果胡の瞳に映るそれは、視界に収まりきらないほど大きな建造物だった。
決して新しいものではないが、代わりに重厚さと気品を兼ね備え、よく手入れされた白銀の壁面、銀の枠に縁取られた数え切れない程の窓、玄関であろう扉は大きめの男性同士が肩車したって難なく通れる程の高さを有していた。
「……………え、城?」
果胡がそう理解するまでにかかった時間は多分短くはない。リタが待ちきれずさっさと馬鹿デカい門をくぐっていってしまったから。門番兵もちゃんといたけれど、止められないということは、彼はここに馴染み深いということだ。ちなみに果胡は止められたので、門番兵が職務怠慢なわけではない。リタが連れだと説明して難を逃れたが。
「ちょっ、ちょっと待って下さい!こ、ここ、お城ですよね?何でこんなとこ入れるんですか!」
「何でって俺ここで働いてるし」
「はい?」
「ついでに住んでるし」
「はい?」
「勝手に住みついてるだけだけど」
「居候?」
果胡にとっては城なんて初めて見たものであるし、ましてや人生で中に入ることになろうとは思っても見なかったことだ。当然のようにスタスタと城の中へ入っていくリタに驚きながらも、ここまで来ては今更引き返すわけにも立ち止まるわけにもいかない。戻り方も戻る先も見失った。
時々すれ違うメイドや執事がおかえりなさい、とリタに声をかけてくる。まさかこの城に住んでいるということは王子とか偉い人じゃないよな?と果胡は若干の恐怖を抱くが、それならすれ違う人々がもっと敬意を払うはずである。リタに対するそれらは、敬意というよりは親しみ、そしてやっぱり小馬鹿にしている感が否めない。
中は思ったよりも人が少なく、長い廊下を歩いている途中にも果胡とリタだけの空間になることが多々あった。誰も聞いてやしないのに、果胡は声を潜めて周りを警戒するようにリタに耳打ちした。
「あ、あの……!あなたは一体ここで何をしてるんですか?働いてるって執事……ではないですよね。なんかそんなに紳士的には見えないですし、まさか潜入捜査か何か…」
「大人しそうに見えてちょいちょい毒吐くよねあんた」
リタは真剣に訊く果胡にジト目を向けて、説明が面倒そうに違うと否定する。違うのかと衝撃を受ける果胡にはさらに面倒そうに眉を顰めた。
「執事じゃねぇけど、俺はこの城の使用人。時には用務員、時には庭師、時には厨房係。まあ要するに雑用係ってわけ。こき使われてんのよ」
「……良かった…」
「何がいいの。俺こき使われてるって言ったんだけど」
国王とか王子とか殿下とか皇太子とか、ほんの僅かな可能性でもそんな呼び方をされる存在だったらどうしようかと思った。でも考えてみれば、そんな大層な立場の人間が街中であんな扱いを受けるわけが無い。完全に果胡の取り越し苦労だった。
リタは先に自分の部屋に寄ると言って、ズンズンと奥に進んで行った。床は綺麗に磨かれている大理石から石畳に、壁は絵画や装飾で飾られている華やかなものから石壁に、澄んだ高潔な空気は埃っぽいくすんだものに変わっていった。
そうしてついて行った先は殆ど物置部屋と変わらない城の最北端に位置する僻地だった。
「……何ですかここ、さっむ」
「整備されてないからな。使用人に割りあてられる部屋なんてこんなもんだよ」
「それが本当なら、とんだブラック企業じゃないですかこの城。あなたが勝手に住みついてる弊害でしょう?」
「そうとも言う」
要は割り当てられた部屋はないからここに居座っているだけだ。リタが言うにはちゃんと上の人には通してあるから大丈夫だというが、どこまでが本当か分からない。ちなみに後から聞いた話だが、メイドや執事、その他ちゃんとした使用人達にはそれぞれ立派な部屋が割り当てられている。決して社蓄のような扱いは受けていないという。
リタが自分の部屋だと宣うこの場所は、淀んだ空気の割に不潔さは感じなかった。それなりに掃除はされていて、片付いてはいないけど足の踏み場のないほど散らかってもいない。物置だとは言っても、それほど物はなくて、ここに人が住んでいると言われれば驚きはするけどドン引きするほどではない。ただ、隙間風が多くて寒いのは引く。
「お前、服のサイズ何号?」
「何ですか急に。変態?」
「違うわ。さすがにその格好で彷徨くには目立ちすぎるし、いい気持ちはしねぇだろ」
リタは部屋の奥のタンスのような場所を漁り、あれやこれやと服を取り出しては睨めっこしていた。何号かと言われても、一応果胡の制服は七号ではあるが、果たして日本の規格がこの世界で通用するかは分からないし、第一、果胡に着れるような服をリタが持っているとでも言うのか。
「ね、何号?」
「…日本では七号ですけど、最近太りましたし、こちらの世界と同じサイズ感か分かりませんし…」
「太ったってそれで?まいいや。じゃSMLで言ったら何?」
「……え、S、でしょうか……」
「オッケー。じゃ、丁度いいな」
ふむ、と頷くと、リタは一着の服を片手に果胡の前に戻ってくる。そして果胡の手にそれを持たせた。
「外に出とくから、着替えれば」
「……これ…」
広げて見てみれば、普段果胡が着ている服と同じくらいの大きさの女物だった。ドレスというには簡素、部屋着というにはしっかり装飾も凝っている、ダスティピンクの膝丈のワンピースだ。ウエストと襟元の部分がシャーリング加工になっていて、袖と裾部分はフレアになっている可愛らしいシルエットだ。
偶然リタがこんな可愛い服を持っていたなんて、運に恵まれている。………偶然?
「……………何でこんなの持ってんですか。怒んないから正直に答えて下さい」
「ぐ、偶然な?」
「男性が女物の服なんて、偶然持ってる物じゃないでしょう。これを何に使ったんですか白状なさい」
「いやだから偶然ですって!」
どんな偶然が起これば大の大人の男がピンクのワンピースなんて持つことになるのか。果胡のリタに対する印象は下がる一方だったが、とにかく着とけと彼は部屋を出たし、果胡も泥だらけ血だらけの服は早く脱ぎたかったので、少しだけリタの変態性に手を合わせた。