剣籠り
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
だああ、こーちゃん、もう一回お願い!
まったく先生もひどいよね。いくら授業のコマ数が足りないからって、「二学期末にことわざ慣用句50問テストやります! 成績関わります!」だよ。
1カ月で200個くらいのことわざ覚えさせられるって、マジしんどいんだけど。国語だけじゃなくて、他の科目にも時間割かないといけないの、承知のうえでいってんのかな?
でも、せっかくこーちゃんがいるんだし、今のうちに稼いどかないとだよね。
よし、じゃあプリントの「空」の項目でお願い!
鬼の空念仏、机上の空論、空の樽ほど音が大きい……って、なんじゃあ!
文字通り、空しくなるものばかりじゃないけ! こーちゃん、なに、あてつけ? あてつけなのか?
――手が空けば口が開いているぞ?
かー、かー、かああ! ああいえばこういう!
こーちゃんとの口喧嘩って長引くから好きじゃないんだよね……もう、ちょっと休憩休憩! やっぱり気張らないで、まずは楽にプリントを眺めまわして……。
ん? 「空谷の跫音」? なにこれ、どういう意味よ、こーちゃん?
――誰もいないはずの山奥で聞こえる足音から転じて、孤独な時に受けるうれしい訪問やお便りのたとえ?
いやいやいやいや、なにその前半と後半の落差。
前半なんてモロにホラーじゃん。そこで気配を感じて「やったあ、うれちい! ありがとうございますゥ!」なんてテンション駄々あがりするの?
人間日照りというか、スルーされるばかりだった自分のレスに、ようやく返信がもらえて躍り上がる寂しがり屋さんというか……生きた付き合いから遠ざかると、心がやばくなるってことかな。
うーん、考えているとその面でも的を射ているというか……さすがは昔の人というべきか。
山奥は俗世から隔たれた空間のひとつ。そこに息づくものたちがあるわけで、普段は人間の気配なんか、みじんも感じないだろう。
山籠もりとかも、そのなじみのない空気を取り込むことによって、開眼の一助とする意味も強かったんだと思うんだ。
さっきのことわざじゃないけどさ。そこにやってくる足音って、いずれにせよ注意しなきゃいけないと思うんだよ。
こーちゃん、勉強付き合ってもらうお駄賃代わりといっちゃなんだけど、ひとつ話を聞いてみないかい?
むかしむかし。とある剣士が霊山へ登り、長く籠ることがあったんだ。
彼はこのとき、生前の親より譲り受けた宝刀を持ち、諸国をめぐって雑多な剣を学んだ、放浪の剣客だったという。
いずれこの剣でもって、命を救う剣客になれと、親は彼に言い遺していた。
この剣を振るうにふさわしい技を得る。
そう思いつつ、10年あまり修行を重ねるも、師事した師範たちは難色を示した。
師範たちから出された課題が、そのことごとくが「心の修練」だったんだ。
「ぬしは、あまりに相手を求めすぎる。寝ても覚めても、稽古に明け暮れ、相手を打ち、打たれることに心血を注ぎ過ぎなのだ。
倒すばかりが剣ではない。一度、人の交わりを絶つ環境へ身を置くべきだな」
多少の言葉の違いがあれ、師たちはそれを奨めてきたのだ。
その師たちが推すのが山籠もりであり、そのうち7割近くに名を挙げられたのが、この霊山であったというわけだ。
師たちから学んだ作法に従い、剣士は一日の大半で禅を組み、他の食事や読経、散歩についても指示に従っていったという。
太刀や木剣は持ち込んでいたが、それを振るう相手がいない。この山は不思議なことに、屋根の下でおとなしく暮らしている間は、確かに狐狸や鳥の気配がするんだ。
それがいざ障子を開けて外へ出ると、ぱたりと消えてなくなる。そこにあるのは下映えの草と、居並ぶ木々たち。そして風に吹かれる葉たちのささやき声が広がるばかり。
当初こそ忍耐の日々を送っていた剣士だが、三か月が過ぎるといよいよ我慢ならなくなってくる。
剣で相手を打ち倒したくなって、仕方なくなってきたんだ。
これまで並び立つ木を相手に、木剣を振るって「飢え」をしのいできた。間合いを測るためにじかに打ち込むこともし、当初から相手にしていた一本には真新しい傷がいくつも浮かんでいる。
しかし足りない。ただ棒立ちしている相手に打ち込んでも、それは立ち合いと呼べないものだ。
相手がどう来るのか。対して、自分はどうするのか。いかにして相手の行動を誘うか。相手が乗るか否か。もちろん、相手からもどのような働きかけがあるか……。
想像はいくらでもできる。
しかし、それに伴う身体のきしみ、剣が振られるときの空気の動きなど、肌でなくては感じられないことが多い。もちろん幹ではない、相手の肉体に食い込んだときの、己の技の手ごたえも。
一本とれたという確証は、相手なくして得られない。
――この際、獣だって構わない。せめて剣を持っているときに姿を見せてくれれば、打ちのめしてやるのに。
実際、熊や猪を相手どれば、餌食にされるのはこちらだろう。
しかし、そんなことは慮外に置かれるほど、彼の不満は溜まりに溜まっていた。
師たちには最低1年は籠り、生きた者と打ち合うなと申し付けられていた。
それが5カ月目に、いよいよ彼は真剣を握った。いまだ人を斬らないその刀に血や脂の曇りはなく、彼自身もまた手入れを欠かさなかった。
斬りたい。
止まっているもの、寝ているものは駄目だ。生きていて、動いているものを斬りたい。
剣を振るい続けて、腕や感覚こそなまらせてはいないものの、栄養の足りていない身。しばらく歩くと足どころか、刀を帯びた腰さえも重みを感じ始める。
すでに彼は刀の鯉口を切っていた。
ここ数カ月で自分以外に山へ登ってくる人は皆無。自分の前に姿を見せるものは獣に違いない。
その姿を見たら居合一閃。仕留められるかどうかなど論外で、ただ肉を打つ感触さえあればよかった。どうせ誰も見ていないなら、真剣の切れ味も生きているうちに試したい、とも
歩きなれた下り坂。その両側に茂みを生やす一本道で、剣士ははたと歩みを止めた。
すぐ右手。茂みの壁にくぐもりながらも、剣士は小さな足音を聞いた。
すっと柄に手をかけ、腰を落とす。あとはわずかでも影が目の前に現れれば、抜き打ちに斬りつけてやる腹積もりだった。
じんわりと手のひらに汗がにじむ。胸がのどからせり上がってくるかのように、鼓動を早めていく。
緊張より先に、喜びが来た。久々に剣でもって相手を狙い定めることに、身体が震えている。
いささかも間を取り違うまいと、耳を澄ませた。
かの足音は少しずつ大きくなり始め、いよいよ直近の茂みが揺れ動く。
「来る」と思った時には、ざっと影が茂みより目の前へ躍り出ていた。
すかさず、彼は刀を振り抜く。何千、何万回は繰り返してきた居合の動作。
それがようやく、真剣を伴って形になろうとしていたんだ。
そしてそれが、最初で最後となった。
甲高い音がし、ひと呼吸を置いて彼の足元に刺さったのは、折れた切っ先。それが自分の剣のものだとは、にわかに理解できなかったんだ。
なぜなら、その刀身は茶色くサビつき、無数の刃こぼれをたたえる、100年は放置されたかのごとき、有様だったのだから。
斬りつけた相手に対しても、剣士は驚きを隠せない。
自らの前へ出てきたのは、足と呼ぶにはあまりに小さい、四つの小石を胴体につけた、大きな犬程度の岩だったんだ。
その身は、鋼のような灰の色と輝きを放っている。
はっと、剣士は自らの刀へ目をやる。
残った刀身もまた、打ち捨てられたまま長い歳を経たかのように、サビついて刃こぼれしていたんだ。住まいを出るまでは、確かに刃の表面へ波紋を浮かべた、見る者に切れ味を無双させる輝きがあったというのに。
あぜんとする剣士の前で、また「とととっ」と小さな四足の足音。我に返ったときには、あの鋼の輝きを帯びていた岩はなく、自分の左手の茂みが揺れているばかり。
あとを追って、その先へ分け入っても、あの岩はついに見つかることはなかったとか。
残りの山籠もりの期間を、彼はほとんど放心した状態で終えた。
失意のあまり、あのまま山を下りてやろうとも考えたが、それではなおさら師匠たちに合わせる顔がなくなる。せめて、教わった者としての面目だけでも保とうと、そう考えたんだ。
しかし、いざ山を下ってみると、自分が師事した師範たちは姿を消していたんだ。
それどころか、いずれの道場も存在すらしておらず、自分と共に稽古した門下生たちを知る人もいなかった。
彼の頭は理解の及ばぬまま、足は勝手に生家へ向かっていた。
もう一度太刀を抜き、その傷み具合で間違いでないことを、穴のあくほど見つめてから、久方ぶりの自宅で眠った。
そのとき、彼は夢を見たらしい。
あの山で見た鋼のような岩。そしてそこを取り巻くように座る狐たちの姿を。
順にこちらを見やる彼らの顔は、どこか自分の師事した師範たちの面影をたたえていたらしい。
やがて彼らはぴょんぴょんと岩に飛び乗り、ぎゅうぎゅうと身体を詰めて全員が上に座る。すると、岩はふわりと浮き上がって、狐たちを乗せたまま空のかなたへ消えてしまったのだそうな。