1 怪獣保険
溶岩怪獣が正体不明の巨大なマシンだかによって倒され消滅し、東京に平和が戻った。
その巨大なマシンに僕、国府谷彰が乗っていたことは内緒の話。
東京はさすが首都だけあって、復興も早いもんだ。
ものの三か月でこうも東京らしさを取り戻すとは、ちょっと考えもしなかった。
もし僕の事務所のある大阪に怪獣が現れていたら、どれくらいのペースで復興できたかな。
そんなフラグみたいなことを考えながら、今日も打ち合わせの帰りに公園に寄る。
ベンチに座り、スマホのワンセグのニュース番組で東京の復興の様子が報道されているのを見ながら、焼肉弁当を食べる僕。
やっぱいつもの弁当屋の焼肉弁当はうまいわ。
この甘じょっぱいタレの味はヨソでは出せない。
外の空気に触れながら食う弁当はいいね。
「お」
溶岩怪獣がニュース番組の映像に映っているな。
『この正体不明の巨大生物は突如現れたもう一体により破壊されたようです。
しかしもう一体はどこへ消えたのでしょう』
ニュース番組の司会者がそんなことを言っている。
アレか。僕が乗っていた機体。
溶岩怪獣と違って、あまりアレの映像は残されていないようだ。
恐らく出現していた時間が短かったことと……。
『動きが速くて、映像にほとんど捉えられません』
そう撮影者の声が入っているように、どうやらかなり動きが速かったという話だ。
僕は見てないから知らないけど……。
確かに、あの機体は速かったと思う。
あの機体に乗っているとき、時間や空間の感覚がおかしかったもんな。
滞空時間はやたら長く感じられたし、溶岩怪獣の動きも緩慢に見えていた。
でも、あれから3ヶ月も経つと、あれは夢だったんじゃないかって気がするよ。
なんだったんだろうな。
『政府は、出現した巨大な生物二体について名称を検討』
ああ、名前つくといいね。
僕もテキトーに『溶岩怪獣』とか『乗っていた機体』とか言ってるけど。
名前があると話すときに楽だ。
ともかく、いつまでも怪獣のことばかり考えている訳にはいかない。
仕事はたくさんある。
焼肉弁当を食べ終わった僕は事務所に戻った。
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「国府谷先生、顧問先の『まるさわ産業』の法務担当から連絡ありましたよ」
事務所に戻った早々、事務の米山さんから仕事の話。
「ああ『まるさわ』の。
あそこは東京に支社があるから保険の話かな」
東京の弁護士は、例の怪獣の件で保険関連の事件が山積みらしい。
なんでも、怪獣によって潰されたことを理由に倒壊した建物について保険が下りるかとか、溶岩怪獣の熱線によって燃えてしまった建築物の扱いはどうかという点でもめているようだ。
保険会社は当然のように
「怪獣の出現は予測できないものであり、火災保険の範囲外」
と主張し、支払いを拒んでいるとのことだ。
そりゃそうだよなぁ。
アレで火災保険が下りたとしたら保険会社は大損害だ。
すでにぼちぼち訴訟にもなっているとか。
「怪獣の損害の影響はこっちにも結構ありますねぇ」
米山さんがそういうように、あの件以来、僕の事務所にも怪獣関連の事件相談が何件か来ている。
『まるさわ産業』の支社、ひょっとして怪獣に壊されちゃったかな。
あのとき、僕としては建物できるだけ踏まないように気をつけていたつもりだけど、それでもそれなりに壊しちゃったっけ。
……もし支社を壊したの僕だったらどうしよう。
もちろん黙っているつもりだけど。
弁護士倫理なんて知るもんか。
そこに事務所の固定電話が鳴る。
「国府谷先生、『まるさわ』の法務担当の八橋さんからです」
「はいはい」
電話に出る。
『ども。国府谷先生、お世話になっとります』
『まるさわ産業』の法務担当である八橋君。
法学部出身で、会社の法務関連の事務をほぼ全部取り仕切っている。
若くて働き盛りの青年だ。
僕と年齢が近いから、話しやすいよ。
「八橋君、支社の保険の件ですかね。
怪獣の件で損害でも出ましたか」
『はは。それならこんな今になって電話しませんて』
それもそうか。
あの怪獣騒ぎからもう三か月。
支社建物が破壊されてたら3日目で電話が来るとこだ。
『本日お電話したのは、まあちょっとご意見を聴ければと思いまして』
『まるさわ産業』は、僕の顧問先のひとつ。
弁護士は企業や個人との間に『顧問契約』というのを締結していることも多い。
顧問契約をすると、毎月顧問料を支払ってもらうけど、顧問先の日常的な法律相談には追加料金なく応じるという関係になる。
顧問料金は事務所や企業の規模によって違うけど、中小企業だと月額大体3~5万円くらいかな。
だからとりたてて法律問題が起きてないことであっても、今後の対応のための法律的な意見を求めて気軽に聞いてくることはよくあるね。
『今回の怪獣の件で、幸いうちの支社は被害を受けなかったわけですけどね。
ちょっと小耳に挟んだところ、保険会社が今後「怪獣保険」みたいなのを作るとかいう話が出てるようなんですわ」
「ああ。そんな話出てますね」
『で、その保険が出た場合、加入した方が良いのか、国府谷先生のご意見を聞いておこうかと思いまして』
「なるほどね」
怪獣保険かぁ。
今はまだ争われているところだけど、怪獣による損壊について通常の火災保険ではカバーされないということになると『じゃあカバーされる保険が欲しい』となり、怪獣保険が検討されるのは当然の流れというやつだ。
ただ、それを設定するにあたり、リスク評価はどうなるんだろうな。
保険会社は保険料を算出するに際して、損害の発生によるリスク評価を行い、赤字が出ないように保険料を設定する。
損害がでかくて、事故が生じる危険性が高いほど、保険料は高くなるというわけだ。
とはいえ、怪獣による損害なんて、どんな頻度なのか計算できるわけがない。
統計を取ろうにも前代未聞なんだから。
あの溶岩怪獣の一度きりで終わりである可能性も高いし。
僕もそうであって欲しいと思っている。
「怪獣が今後も継続的に出現する見込みがあるかどうかも分かりませんし、保険会社がどうリスク評価を見積もってくるかですよね。
まだ保険料も分からないですからね。
しばらく様子を見てもいいんじゃないですかね」
『まあそうですよね。
保険商品が出たら国府谷先生、約款のご検討頼みますわ』
「もちろんですよ。
任せてください」
そんな話をして電話を切った。
「怪獣の話でした?」
米山さんが興味深げに聞いてくる。
「そう。怪獣保険ができたら加入した方がいいかな?って話。
そういや、ここ関西方面の保険会社でも『怪獣保険』を作るという話が出ているらしいね」
地元の保険会社、こういうの好きそうだもんなぁ。
ま。
怪獣なんてそうそう出るもんじゃないでしょ。
保険会社もこのままリスク評価を検討する決定打の出ないまま、今ある火災保険の特約としてオプションつけるくらいになるんじゃないかな?
それにしてもさ。
あの溶岩怪獣がちゃんと退治されて良かったよ。
こうして保険の話ができるのは、平和あってのものだからね。
もしも溶岩怪獣が倒されなかったら、どうなっていたんだろう。
世界は全部壊されて、終わっていたんだろうか……。
あの怪獣は、一体なんのために現れて、何の目的で街を破壊していたんだろう。
でももう怪獣はいない。
今となっては全ては謎のままだねぇ。