3 『僕』を司るもの
「米山さん、長期休暇ありがとうございました!」
「おはようございます国府谷先生。久しぶりの長期休暇でしたもんね。満喫できました?妹さんお元気でしたか?」
「ええもう! 妹の茉莉はむっちゃ元気でしたわ!車でボルドー地方まで案内してもらいました」
「あ!そういえばボルドーに怪獣とエクスが出ましたよね!ニュースで見て驚きましたよ!怪獣とか日本にしか出ないとばかり思ってたから。でもご無事で帰ってこられて何よりです」
「僕、日頃の行いが良いんで」
「ピンポイントで国府谷先生の旅行先に出るあたり、むしろ日頃の行いが悪いのかも」
「米山さんひどいです……。怪獣のせいで観光施設は一時ほぼ閉鎖状態になってしまったし。あ、そうそう。コレ米山さんへのお土産。ちゃんとボルドーワインもあります」
「わあ、嬉しい!こういう日頃の行いが大事です!」
「……こういうのですか」
『僕』は休暇明けに事務所に出勤した。
休暇中の電話対応は米山さんがしっかり行ってくれたし、旅行中であっても顧問先の緊急案件についてはメールなどを使って対応できる。
実は結構弁護士って休暇を取りやすい職業でもあるんだよね。
要は裁判所に出頭しなければならない『期日』を入れなければなんとかなるんだ。
休暇中に届いたFAX書面なんかも米山さんにメールで転送してもらえば済むし、打ち合わせをWEB会議にするという手もある。
けど、そんなふうに旅行先で完全対応してしまうと、場所が変わっただけで休暇にならないことも多いのが難点なんだけど。
「えっと、今日の予定は新規の法律相談が……5件? 多いですね」
「国府谷先生の旅行中はさすがに法律相談は入れられませんからね。その分休暇明けに集中してしまうのは仕方ありませんよ。数日頑張ればまた通常のペースに戻りますから頑張ってください」
「うう、がんばります……」
とまあ、若干休暇明けなのでたまっていた案件はあったものの、恙無く一日を終えることができた。
『僕』は少々の残業を終え、自宅に戻る。
部屋には『僕』の他に誰もいない。
そしておもむろに『僕』に呼びかけられた。
「国府谷先生、いかがでしたか?」
――― いやあ、ビックリしましたわ。
B・Uさん、ホントに僕のフリ、できちゃうんですね。
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『なんでしたら、しばらくの間私が国府谷先生の代わりに仕事なども行いましょうか?』
身体の修復がとても休暇中に終わりそうになく困っていたところ、そうB・U氏から提案があった。とはいえ
――― それはさすがに弁護士倫理に反すると思うんですよ。
それにB・Uさんと僕ではあまりにイメージが違うでしょ。
他の人にバレますって。
『回線をオープンにしておきますから、私の行動は全て国府谷先生も把握できます。何かあれば国府谷先生が私に指示を入れれば良いかと』
――― えー……。
『それに私は問題なく国府谷先生のフリができると思います』
――― まさかあ。B・Uさんは僕とは喋り方も違うし。
何よりB・Uさんって顔の表情がないでしょ。
明らかに違うじゃないですか。
『国府谷先生。私がよくサングラスを掛けているのはご存知ですよね。やはり自分とそっくりのモノがいるということは違和感があるものです。私なりに国府谷先生に配慮し、あえて違いを設けこのように振舞っているに過ぎません』
――― そ、そうなんですか。
じゃあ僕みたいに振舞うこともB・Uさんは可能だと……?
表情豊かなB・U氏というのも奇妙な感じがするなぁ。
でもまあ、確かに仕事に穴は空けたくない。
折角の提案ではあるし、休暇中に身体の修復が終わらなかったらダメ元でお願いしちゃおうかな……。
弁護士倫理の関係ではもう守秘義務のあたりから今更のような気もするし(ごめんなさい)。
という経緯により、休暇明けに事務所に顔を出した『僕』はB・U氏だった。
逐一すべての会話や行動は僕のところに送られてきていたので、確かに問題があればすぐに僕の方で訂正なりなんなりできたと思う。
けど、実際のところB・U氏の『僕』のフリは完璧だった。
長いつきあいの米山さんも全く違和感を感じている様子はなかったし。
――― 正直、ちょっと不思議な感じがします。
ここまでB・Uさんに完璧に僕のマネをされてしまうと、僕のアイデンティティみたいなのが揺らぐというか。
『ヒトを司る多くの部分は”記憶”に基づくものです。同期により記憶を共有している私であれば国府谷先生同様に振舞うことも可能でしょう』
――― そういうものですかね。
ヒトの存在って”記憶”で決まるものなんですかね。
”記憶”を超えたその人そのものの固有の何か、というのはないものなんですかね。
『あるかも知れません。例えば価値観の違いやそれに基づく判断基準など。しかしそれらについても過去の”記憶”を根拠に形成されるものですから、国府谷先生の価値観や判断基準について”記憶”を手掛かりに推測することは可能なのです』
――― やっぱり大事なのは”記憶”ということなんですかね。
『記憶はとても重要な要素です。しかし私はそれでも国府谷先生そのものではない。国府谷先生の考え方は私の推測であり、私は国府谷先生のように振舞っているだけですから』
――― うーん。まあ……とにかく助かりました。
B・Uさんのお陰で僕の不在中に仕事なりに穴を空けずに済みそうです。
当座の仕事については何とかこれで凌ぐとして、僕の方も早く身体を修復しなくちゃあなぁ……。
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休暇が終わり、すでに1週間が経過してしまった。
その間の仕事についてはB・U氏が恙無く行ってくれている。
というか、仕事を代わりにやってもらっちゃうのとか、クセになりそうで怖い。
ダメや僕!!
あくまでこれは臨時の措置!
ちゃんと戻ったら仕事しような!!
そうはいっても、エクスディクタムの体内では時間がとても長く感じる。
僕の体感は1週間では済まない。
もう何ヶ月も経過している感じがする。
そしてこの間、空腹も眠気も感じないし、疲れもしない。
『順応』が進んでいるのか出来ることは増えたけど、自分の身体の修復はちっとも終わらない。
何より僕は、困っている。
『困っていない』ことに困っている。
だってだよ。
もしも僕が、いつもの僕のままだったら。
こんな体感時間何ヶ月もの間、眠りもせず食べもせず、B・U氏やナビィさん以外の人と会話することもなく海底深くで孤独に『練習』を続けているわけだから。
もう二度も戻れないかもという不安もあり、ストレスがすごいものだろう。
恐怖のあまり発狂してもおかしくない。
なのに今の僕は、あまりにも精神的に安定している。
不安も恐怖も焦りもない。
今の自分が自分でないことを痛感する。
これは『僕』じゃない。
『僕』であるなら、こんな状況は耐えらないはず。
僕が僕じゃない。
そんな状態もまた『僕』が失われるかのような恐怖を感じるはずなのに、僕はそれすらも感じない。
僕は以前、あまりエクスディクタムに長く乗っていない方が良いような気がした。
今思えば、コレがその原因だと思う。
怪獣退治のときだけ乗っているくらいなら『僕』であることに違和感を感じないで済む。
だけど、こうも長期間エクスディクタムの中にいると、明らかに『僕』ではないことを実感する。
この状態が不快なわけじゃない。
むしろストレスもなく精神的に安定しているわけで、快適ですらある。
けど、そのことに本来僕は『恐怖』を感じるべきなんだ。
僕が僕であろうとするのなら。
――――――――――――――――――
それから数日。
地上には相変わらず怪獣が出現し、それを倒すために地表に出る時を除き、僕はひたすら練習に励んでいた。
ここにいると時間感覚がおかしくなりそう。
怪獣の出現頻度は、上がっているような気もする。
「国府谷先生、少し休んでみる?」
――― ナビィさん? いえ僕別に疲れてませんよ。
それに、早く戻らないといけないし。
今の状態が良いとはとても思えないんですよ。
もっと頑張らんと!
「でも『人間』なら休みが必要でしょ」
――― え。そうか、そう……ですね。
眠ることもなくひたすら『練習』とか、明らかに人間業じゃない。
こんな異常な状態を続けられちゃうのって、やっぱり変ですよね。
慣れちゃいけない気がする。
「エクスディクタムには『休み』なんてほとんど必要ないかも知れないけど、国府谷先生には必要だと思うの」
――― ナビィさんがそう言うなら少し休ませてもらいますわ。
でも、どうやって『休む』っていうんです?
眠気も疲れも感じないのに。
「ええとね。エクスディクタムの五感を遮断したら『休む』ことになると思うわ。外からの情報をシャットアウトするだけで楽になるかも知れないし」
――― なるほど~。
そうですね。確かにエクスディクタムって五感が鋭いから見えすぎたり聞こえすぎたりしてるとこありますもんね。
五感の遮断かぁ。
「できそうかしら?」
――― できると思います。
僕もここ数日の『練習』のお陰で、だいぶエクスディクタムの『順応』も進んでるからね。
感覚の程度を調整するくらいはできる。
それを『オフ』にすればいいわけでしょ。
でも体内にある『コア』の感覚はつかめないんだよなぁ……。
頑張ってるんだけど。
「国府谷先生、あんまり言いたくないんだけど」
――― なんですかナビィさん。
「身体を修復するのには、まだまだ時間がかかると思うの」
――― え、そうですか?
難しそう?
僕の学習ペース、イマイチですか?
「いいえ。国府谷先生が悪いわけじゃないわ。とっても頑張ってると思う。けど、そもそもコアの修復自体がとても難しいことだから」
――― そうかー。まだまだかかるかぁ。
ともかく今から寝ますね。
数時間ほど寝たら起こしてもらっていいですか?
「分かったわ。夢で逢いましょう」
――― ん?




