1 絶好調
最近仕事が好調なんだよね。
以前に比べてほとんど仕事を自宅に持ち帰らずに済んでいる。
どうしても必要な打ち合わせの予定を夜に入れる場合を除き定時帰宅だし。
こんなに好調なら、もう少し仕事を増やしちゃってもいいかな~。
うちの事務所にイソ弁採用したりして。
……いやいや、今のペースを守ろう。
堅実にいかないと。
調子にのって事務所を拡大した結果、固定費が増えて事務所がにっちもさっちもいかなくなるという話も聞く。
いったん規模を大きくした事務所を小さくするのは大変らしいから。
特にイソ弁を取るとか、事務員さんを増やすとかいう人件費にかかわるものはね。
堅実な事務所経営のためには、ちょっと調子が良いときであっても浮かれないことは大事だ。
でもま。好調なのは気分いいね。
「よっし! 準備書面4書き終わりっと」
本日も調子良く準備書面を書き終えた。
ここのところ書面の作成にかかる時間がだいぶ短くなったような気がする。
僕もそろそろ弁護士としてベテランを名乗っても良い頃かな。ふふふ。
「国府谷先生、後藤雫さんからお電話です」
「ああ、ちょうどいいや」
米山さんからから僕のデスクにある電話の子機に回してもらう。
『お世話になっております、国府谷先生。
主張書面というの受け取りました』
「こんにちは、後藤さん。こちらから電話しようと思ってたんですよ。
もう読まれました?昨日メールでお送りしたのは調停で出す予定の主張書面です。
内容説明して構いませんか?」
『はい。お願いします』
「ええとですね、この書面の趣旨は……」
後藤さんは一月前に相談を受けて受任した僕のクライアント。
夫のDVに耐えかねて離婚をすることに決めたようだ。
彼女の夫は暴力を振るうようだったので、今は実家の近くにアパートを借りて一人で暮らしているとのこと。
本当はご両親のいる実家に戻った方が家賃の面でも助かるんだろうけど、実家の場所は夫に知られているからね。
無理やり連れ戻されたりしたら、文字通り命にかかわる危険性もある。
けど、もしDVの証拠が乏しかったとしたら後藤さんには少し頑張って夫と同居したまま証拠を集めてもらう必要があったかも知れない。
賢明にも後藤さんはかなりの証拠を集めた上で僕のところに相談に来ていたので、これ以上DVに耐え続けさせる必要もないのが幸いだった。
後藤さんの別居に伴い、僕は受任通知を夫の後藤晋也に充てて出した。
内容は
『後藤雫さんのあなたに対する離婚請求について依頼を受けて、僕、弁護士の国府谷彰が後藤雫さんの代理人になりました。
今後は、弁護士である僕に対してのみ連絡をしてください。依頼者には直接連絡をしないように通知します』
というもの。
受任通知を出したら、さっそく電話で返事があった。
「妻が私に無断で家を出たと思ったら弁護士を通せだって?話にならん。離婚とかバカバカしい。いつもの癇癪だろう。
あんた、妻にすぐ戻ってくるように言ってくれ。
すぐに戻れば今ならまだ怒らないからと」
とのことだった。
その『すぐに戻れば今ならまだ怒らない』という言い草ひとつとってもDVの気配がただよってくる。
妻が出ていった理由など考えもせず、上から『怒らない』などとジャッジする。
その上『すぐに戻らなければ怒る』とナチュラルに脅し文句を入れてくるあたり。
そんなだから離婚されるんだ。
……と説明しても無駄なのは経験上分かっている。
とても交渉は無理っぽかったから後藤さんと相談の上、離婚調停を申し立てた。
『あの、国府谷先生、あれから夫は何か言ってきましたか?』
「そうですね。一度電話が来て以来は今のところはありません。最初の電話ではあなたにすぐ戻るようにと伝えろと言われましたが」
『あの人のところに戻る気はありません』
後藤さんは離婚のための証拠をしっかり用意してから僕のところに相談に来た。
そのことからも、決心が固いのは分かる。
「それが良いかと。後藤さんはもう十分耐えてきたと思います。
引き続き後藤晋也さんからの連絡は僕が受けますから、あなたの方からも一切相手に連絡をしちゃダメですよ。晋也さんから連絡は来てないですよね」
『ええ。実家の方に夫から電話があって父が私の居場所を聞かれたと言っていましたが、両親にも絶対に教えないように言ってあります』
「それは良かった。仮に連絡があっても何も話してはいけません。くれぐれも気を付けてくださいね。何かおかしいことがあったらすぐに連絡ください」
『はい……。本当に国府谷先生のお陰で助かります』
「既に調停の申し立てをしてありますから、これから日程が決まります。調停は本人出頭主義なので、後藤さんご自身が行かなくちゃいけませんが、僕も一緒に行くから心配は要りませんよ」
『それは分かっているのですが…。……夫と会うのが怖いです……。
国府谷先生にも危害が及ぶかも……』
「僕の心配はしなくて大丈夫」
『夫は元プロのレスリング選手で日本の大会ではそれなりに成績を残しています。今も後輩の指導のためにジムに顔を出しているくらいで……』
え? マジ?
それはちょっと怖いかもー。
でも! クライアントの前で弱気な態度は見せられません。
「ご心配には及びませんって。僕これでも強いんですよ!怪獣だって倒せますから!」
『ふふ……。国府谷先生ったら……。
本当にありがとうございます』
笑ってもらえた。
こんなとき、弁護士やってて良かったなって思うよ。
実際のところ、エクスディクタムに搭乗してるとき以外の僕には一切格闘経験もないですから。マトモにパンチひとつ打つことも出来ないんですけどね!
でもまあ、調停は家庭裁判所で行われるし、そこなら裁判所職員もいるから!
僕がやられそうになったら助けてくれるでしょ。
後藤さんとの電話を切ってから時計を見ると、あと30分で就業時間。
起案も順調だし、今日も残業しなくて済みそうだな。
そう思っているところに、電話が鳴った。
ちょうど電話の前にいたので、僕が取る。
「はい。国府谷法律事務所です」
ちなみにコレがうちの事務所の名前。
僕の個人事務所だからまんまの名前。
国府谷って字が読みづらいかなとも思ったけど、特にセンス良い名前も思い浮かばなくて。
『弁護士の国府谷さんですか』
声に聞き覚えがあるな。
「そうです。どちら様でしょう」
『後藤です。うちの妻がご迷惑をお掛けしております』
ああ……。後藤雫さんの夫か。
前に一度電話が来たっけ。
どうりで声に聞き覚えがある。
「後藤晋也さんですね」
『そうです。前に電話でお話しました。
あのときには失礼しました』
以前は電話口でかなり高圧的だったけど、今日はそうでもないのかな。
「何かご用件が?離婚について話し合いをすることを考えていただけましたか」
話し合いでまとまって協議離婚ができれば、わざわざ調停や裁判を起こすよりもよっぽど楽だ。
『ええ、そうです。
話し合えば分かると思うんですよ』
「では僕と一度面談で話し合いの予定を入れましょう」
『いや、私は妻と二人で話し合いたい。妻は誤解しているんです。ちょっとね。混乱しているんだと思いますね。あいつ、そういう厄介なとこあって。ときどきヒステリー起こして突飛な行動を取るんです。
国府谷さんにもご迷惑をお掛けしてしまっているようで』
こんな調子で常に妻の自己肯定感を削って支配してきたんだろうなぁ。
まさにDV夫の典型みたいなタイプだ。
「後藤雫さんとあなたで話し合いをさせるわけにはいきません。僕を通していただきます」
『いや、私はいつも丁寧に妻と話し合って問題を解決してきました。話し合いをすれば必ず妻は分かってくれます。ですから妻の居場所を教えていただきたい』
彼の言う話し合いは、一方的に自分の意見を押し通すこと。
つまりは威圧に基づいていつも雫さんに言うことをきかせてきたのだろう。
それがうまくいかなければ暴力を振るう。
「雫さんの居場所を教えるわけにはいきません。
要求や妥協点があるのでしたら、書面にして僕の事務所宛に送ってください。FAXでもいいですよ」
『おいあんた、あくまでも妻の居場所を教えないつもりか?』
お。地が出てきたかな。
「お教えできません」
『分かった。おまえが妻を唆してオレから隠してるんだな』
なんでそんなことする理由があるよ。
という反論をしたいけど、ここは黙っておく。
議論はしない。
『あんたね。素直に妻の居場所を言えよ。
強情を張るようならこっちにも考えがある』
「お考えについて聞いておきましょう」
『弁護士の国府田が妻を誘拐したと警察に通報してやるからな。弁護士会に懲戒請求もするぞ』
「それは脅迫と取って良いですね。
あと一応お伝えしておきますが、この通話は録音されています」
『ちっ……!このクソ野郎っ』
乱暴に電話が切られた。
やれやれ。
態度が柔和になったと思ったのは最初だけだったね。
「国府谷先生、大丈夫ですか?」
不穏な様子を察した米山さんが心配そうに見ている。
「んー。この電話の録音データをファイルに保存しておいてくれないかな。証拠として使える可能性があるし」
この手の脅迫はいつものこと。
脅迫めいた電話は全部証拠に転用できるから歓迎します。
ということで今度こそ今日のお仕事は終わりっと。
帰ろ帰ろ。
今日の夕飯はなにかなー?




