2 東京地裁の期日
裁判所に出廷するのは、正直面倒くさい。
だけど弁護士という仕事を選んだ以上、裁判所に行くのは仕事だから。
面倒くさいとか言ってられない。
僕は、国府谷 彰。
大阪地裁の近くに事務所を構える町弁だ。
ちなみに町弁というのは、個人で開業し、主に地域住民からの依頼を受ける弁護士のこと。
町弁は、大抵は地元の事件を引き受けるので、地元の裁判所に行くことが多い。
そのため、裁判所の近くに事務所を構えると便利で都合が良い。
ついでに事務所が裁判所に近ければ近いほど、弁護士としてのステータスにもなる。
だけど、地元大阪の人の係わる裁判であっても「専属管轄」が東京であることから、東京の裁判所に係属することもある。
裁判所は日本全国あちこちにあるけれど「専属管轄」がある場合には、特定の裁判所でしか訴訟が提起できないものなんだ。
よく契約書の最後の方に
『本契約に関する一切の紛争については、東京地方裁判所を第一審の専属的合意管轄裁判所とする』
という文言が盛り込まれているけれど、これが専属的合意管轄というやつ。
この文言がある場合、契約書の当事者間の争いは東京地裁に持っていかなければならない。
そうすると、大阪で依頼を受けた事件であっても、裁判期日には東京の裁判所に行くことになるというわけ。
この出張日当やら経費はクライアントに負担してもらうことになる。
クライアントとしては、東京の弁護士に依頼するのも手なんだけど、打ち合わせを大阪で行いたいということでやはり地元の弁護士に頼む場合も多いんだよね。
クライアントの負担を軽くするためにも、裁判所に交渉して電話会議を多くしてもらっている。
それでも東京まで出向かなければならない用事はある。
ちょっと前置きが長くなってしまったけれど、明日は久しぶりに東京の裁判所に出廷予定。
証人尋問だから、簡単な仕事じゃない。
というわけで、一泊して翌日に大阪まで帰る予定を立てていた。
いやまあ、実のところは日帰りで十分な距離なんだ。
でもせっかくの東京出張じゃないか。
ついでにいろいろ遊びたい。
往復の交通費はクライアントもちなわけだけど、自腹で一泊するつもりだった。
裁判の仕事は面倒くさいとはいえ、東京に出るのはちょっとウキウキする。
今回はどこへ寄って行くかな。
そんなことをその日の午前中には考えていた。
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事態が急変したのは昼だった。
いつも通り裁判所帰りに西天満若松浜公園に寄る。
ベンチに座り、スマホのワンセグでニュース番組を見ながら適当に昼食を食べていた。
近所の弁当屋で買った焼肉弁当。
つい焼肉弁当を買ってしまうクセがあるけど、好きなんだから仕方ない。
僕もまだ若いからね。
何気なく見ていたニュース番組のテロップに、僕は注意を引かれた。
『関東方面に巨大生物出現か』
……はあ?
またダイオウイカでも水揚げされたかな?
大体、最近のニュースってバラエティ化してないか?
『巨大生物』とかいって、どうせ標準より少し大きい生き物が見つかったとか言うんだろ?
それが最初の感想だった。
というか、それしか考えられない。
映像が切り替わった。
手前の街並みから、遠くに浮かび上がるかのような巨大な何かのシルエット。
画面がブレブレでよく見えない。
しかもかなりの距離がありそうだ。
ズームをめいっぱいかけて写してるみたいだけど。
形がよく分からないな。
シルエットだけだと山のようにも見える。
高層ビルに匹敵する大きさの、何か……?
動いてるようだ。
どうやら素人投稿画像らしく、撮影者の声が音声として入っている。
「え、すごいなにあれ」「うそ」「マジかよ」
そのうち、その巨大な「何か」に動きが見えた。
正面の向きがカメラの方向に向かったような…。
光?
画面が赤と黄色の光でカチカチと光る。
他には何も見えない。
ガタンという音。
画面が暗くなった。
多分誰かがスマホを掴んだ。
そして画面が消える。
意味の分からない映像だったな。
「ニュース番組をつけてたつもりだったけど、特撮だったかな?
何かの特集かも。映画の宣伝?」
まあいいや。
それより明日は早朝から新幹線に乗る予定だから、今のうちに手近な仕事を片付けておかなくちゃ。
そう考え、ワンセグは消し弁当の空き箱を捨てると、事務所に向かった。
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「国府谷先生、ニュース見ました?」
事務所に戻り、起案作業をしていたところ、声を掛けられ作業を中断した。
うちの事務員の米山さんだ。
あまり起案中に声を掛けて欲しくないな。
でも待て?
思慮深い彼女は僕の仕事を無意味に中断させることはない。
何か特別なことでもない限り。
「なんかあったん?」
「いえ、先生、明日は東京出張ですよね? 大丈夫なんですか?」
「東京がどうかした?」
「巨大生物が出現したって話ですよ」
「はい?」
「さっきからTVでやってますよ。遠くからの映像ばかりですけど。リアルタイムで流れ続けてるし」
「んん?」
言われてスマホのワンセグを見る。
『正体不明の巨大生物が千葉県に出現。
付近に滞留中。都心部にも甚大な被害』
「映画?」
「私も最初そう思いました。でもホンマにおるらしいです。政府はまだ『確認中』としか声明を出してませんけど、ツイッターでもその話題一色ですよ」
「ええと……」
「被害者も出てるんでしょうけど、人数が把握できてないみたいで」
「あの……」
「明日行くのって、東京地裁ですよね? 現場に近くないですか?」
「……ホンマ?」
さっきから僕の語彙は弁護士にあるまじく貧相になってるじゃないか。
とりあえずワンセグは画面が小さいので、PCモニターでリアルタイムのニュース番組を出す。
ニュース番組ではキャスターが「確認中」としか言わずにテロップだけが流れている。
ときどき映像が流れるけれど、素人投稿動画がちょっとだけだ。
それに出現場所は「千葉」とかいってたよな?
なんで東京に被害が出るんだ?
ニュース番組の情報じゃサッパリ状況が分からない。
ツイッターでTLを追ってみたところ…。
衝撃的な映像が流れてきた。
同じ日本国内とは思えない。
街が…。
街が燃え盛っている。
これは千葉中央駅付近のようだ。
消火活動のために消防車が動いていたが、次の瞬間、消防車が炎に包まれた。
え? ええええええ?
なに!? なにが起きたの!? 今!?
いや、ちょっと…。
これ、普通に人が死んどる…よな?
この映像、しばらくしたら消されるんちゃうん?
とりあえず
「明日の裁判は延期やな」
そう思った。
東京にも被害が出ているという噂だし。
しばらく待てば、書記官から裁判延期を知らせる電話が来るはずだ。
けど…。
「米山さん、東京地裁民事第707部A係に、明日の岸田サーキュレーション株式会社の期日について裁判官室に電話掛けて予定聞いてくれない? 電話がいつ来るか分からんから」
延期にしても一応確認を取らないとね。
米山さんはすぐに受話器を手に取り、電話をかける。
が
「先生、繋がりません」
「通話中?」
「分かりません。『おかけになった電話は機器が接続されていないか、使用可能な状態ではないためかかりません』ってアナウンスが出ています」
「ほなFAXはどう?」
「……あかんみたいです。呼出音が繋がりませんね」
「参ったな」
さて、どうしようか。
これは無断で欠席することもやむを得ないんだろうか。
そう考えていたところ、事務所の電話の呼出音が鳴った。
「先生、原告岸田サーキュレーション株式会社の件で裁判所からです」
「繋がったか。良かった」
僕は電話を代わった。
そこで、まさかの連絡を聞いてしまった。
「はあ? もう一度お願いします」
「明日の期日、予定通りです」
「ちょい待ち」
正直、東京からは距離があるためイマイチ実感がないものの、巨大生物が暴れまわっているんだよね?
なんの冗談?
「東京人のギャグは笑えへんのですけど」
つい言ってしまう。
しかし電話の向こうの書記官は至ってまじめな様子だった。
「私も裁判は延期かと思うんですけどね。まだ政府は何も意見を出していないでしょう。ですから官庁関係は通常通り回すしかないんです」
「いや、官庁がそういうところなのは分かりますけど。でも巨大生物がおるんでしょ? 裁判所の建物は無事なんですか?」
「巨大な生物の存在については政府はまだ確認していないって話です。実際に私も周囲の人も誰も見ていないですし」
「え? じゃあ怪獣はおらんのですか? アレってデマなんですか?」
「さあ? ただ都内でも建物があちこち破壊されたり燃えたりしてるみたいで。裁判所も一部被害が出ています。でも全壊はしてはいません。期日の開催は可能です。とにかく明日は予定通りお願いします」
「いやいやいや、ちょっと待って! せやけど交通だってストップしてるんやないですか?こっちは大阪なんですわ。新幹線通っておらへんでしょ」
「来れるところまで新幹線で来て後はタクシーを使うとか。とにかく交通の方は先生の方で何とかしてください」
「無茶言いますな」
「私にそう言われても困ります。ともかくまだ東京は立ち入り禁止区域でもなんでもありませんから交通は通じている建前になっているんです。緊急事態宣言すら出てないのに公務員が勝手に判断したら責任問題が起きる、というのがうちの裁判官の意見ですね」
アホか。
そう口にしないだけの思慮深さはまだ僕には残っている。
とにかく東京人は融通がきかない。
よく言えばマジメなんだろうけど、政府の宣言が出るなんて時間の問題やろ。
明日の期日とか無茶言わんと。
「ええと、東京の裁判所やったらリモートとか…」
「先生だってご存じでしょ。尋問の期日にリモートは出来ません」
「なんで!こんな異常事態だってのに期日を開こうなんて!」
「知りませんよ!! 裁判官がそう言うんですもん! 私だって早く安全な場所に避難したいですよ!!でもできないんです!!公務員ですから!! とにかく明日は絶対に期日に来てくださいね! 連絡が付きづらいから、遅れたりしないでくださいよ!!!」
あ。書記官がキレた。
ほんでそのまま電話もキレた。