第20話 歳月
「凛子。ずっとそのリボンばかりつけてるね」
休み時間、美術部の咲良が声をかけた。凛子の髪は、ゆるく二つに分け銀のリボンで結わえられていた。
「うん。似合わないかな?」
「なに言ってんのよ、似合ってるに決まってんじゃん! すごく綺麗でかわいいね。どこで買ったの?」
「貰ったんだ」
とても大切な、私の宝物なんだ――。
リールに貰った銀のネックレスは、凛子の部屋の机の引き出しに大切にしまってある。銀のバングルと契約書の羊皮紙は、密かにカバンに入れ持ち歩いていた。いつも、いつだって凛子の傍にある。
「ふうん、いいねえ。あ! 凛子ったらまたノートにデッサン描いてる!」
「あ……!」
恥ずかしくて、急いで手で隠す。
「凛子はいつもその人、描いてるね。羊みたいな角の人――。凛子が考えたの? それともゲームかアニメのキャラクター?」
「まあ、そんなとこ……」
言葉を濁してごまかした。咲良は、ふうん、そうなんだーと、特に気にも留めなかったようだ。
「それにしても、まさか凛子が美術部に入部してくれるとは思わなかったなあ。今までの部活とかけもちしてるんだって?」
「絵の勉強、してみたくなって」
凛子はミルゼの面影を追い求めていた。記憶が鮮明なうちに描きたい、消えてしまったミルゼを、もう世界のどこにもいなくなってしまったミルゼを、せめて描き残しておいてあげたい――。突き動かされるように、ただミルゼの姿を描き続けていた。
「凛子、どんどん絵が上達してくるんだもん、びっくりしちゃったよ。絵の才能があったのに、今まで気付かなかったのが不思議だね」
「才能……。なんてないと思うけど――。描きたいんだ。どうしても」
「将来は、なにか絵の方面の進路を考えているの?」
「ううん。まさか。将来は、難しいだろうけど製薬会社とか薬剤師とか、そういった方面の仕事に就きたいと思ってるんだ」
「ふうん。そうだったんだ。偉いね!」
「いっぱい勉強しないとね。と思いながらついノートに落書きしちゃうんだけど」
「あはは。ノートに落書き、実は私もついやっちゃうんだよね。描きたいときに、描けるものに、描く!」
美術部の鑑だねえ、なんて言いつつ、咲良は明るく笑った。凛子もつられて笑う。
凛子は、ミルゼやリールやディゼムのように人を助けるような仕事をしたい、そう考えるようになっていた。しかし、もっともっと絵が上手くなりたい、今はそちらのほうに意識が向かっていた。
その晩、夢を見た。
月明かりの草原の中、佇む長い髪の男性の後ろ姿――。
「ミルゼ!?」
違っていた。よく見れば真っ白い髪をした、眉目秀麗な青年だった。頭には、蛾の触覚のようなものが付いていた。そして、背中には大きな白い蛾のような羽が――。
美しい青年が、口を開いた。
「私は、妖精の王」
「よ、妖精の……、王様……?」
「異界の子よ。人間の消滅は、我らにとっても望むところではない。それは非常に悲しむべき出来事だと長い年月ずっと憂い続けてきた」
どうして、私にそんなことを言うのだろう――。
夢の中ながら、不思議に思う。
「あと少し、あと少しなのだ」
「え……?」
なにが、あと少し、なの?
「我らの影なる導きと、彼らの尽力のかいあって、あと少しで神秘のときが訪れる――」
「彼らって……?」
神秘のときって……?
「あと少し、あとほんの少しなのだ――」
ザザザザザ。
風に揺れる草原の海。美しい、満月。
そこで、凛子は目が覚めた。いつの間にか、涙で頬が濡れていた。
不思議な夢。どうしてかな……。私、泣いてたんだ――。
いつも通りの朝。いつも通り朝食を済ませ、早めに登校する支度をする。髪には銀のリボン、カバンの中には――まるでお守りのように――銀のバングルと羊皮紙。
「行ってきます」
十一月の澄んだ風が凛子の前髪をふわりと巻き上げた。いつも通りの通学路。凛子はいつも通り美しい花木に彩られた庭――今は南天の実が赤く色づき始めていた――の角を曲がる。
「あ……!」
いつもと違っていた。突然目に飛び込んできた、懐かしい風景。
ここは……!
古い石畳、明るい日差し、辺りに漂うパンのよい香り。凛子は思い焦がれた場所に立っていた。
目の前には、年老いた男女がいた。二人とも、満面の笑顔だった。男性は、頭に獣の耳を持ち、女性は、爬虫類のような大きな尻尾――。凛子は気付く、この笑顔を、私は知っている……!
「リール!? ディゼム!?」
「凛子! 久しぶり!」
まさか……、まさか……! でも、でも確かにリールの声……!
ぎゅっと、抱きしめられた。懐かしい薔薇の香りで胸がいっぱいになる。
やっぱり! リールだ……!
「ふふ。驚いただろ? 俺もリールもすっかり『じいさんばあさん』さ。凛子は変わらないな。こっちはあれから五十年ほど経ってるんだ」
男性のほうは、ディゼム。
ディゼムは、わしわしと凛子の頭を撫で、笑う。年をとっても、人懐っこい笑顔は変わらない。
「えっ……! 五十年も!?」
半年くらいしか経っていないのに、こちらでは五十年も経っているという。ただただ凛子は驚く。
リール……! ディゼム……! 会いたかった――!
二人の顔が、にじんで見える。リールもディゼムの笑顔にも、涙が光る。
「つい涙が出ちゃうのは、おあいこね」
ハスキーなリールの声が、少し鼻声になる。
「歳のせいもある」
ディゼムがさらりと禁断の一言を述べ、リールの鉄槌をくらっていた。
お互いそうなんだからいいだろ、とはディゼムの弁。
澄み切った空、懐かしい笑い声が重なった。




